新連載 スタートアップ×シニア人材奮闘記 株式会社Photosynth(フォトシンス)取締役 熊谷(くまがい)悠哉(ゆうや)  起業したばかりのスタートアップ企業においては、はじめてのことばかりで経営や事業にはうまくいかないことや課題にぶつかることが数多くあります。そこで、「スタートアップ企業にこそ、経験豊富で実務のノウハウを持ったシニア人材が必要」という声もあり、実際に、その経験を活かしてスタートアップ企業で働く高齢者も増加しています。  このコーナーでは、スタートアップ企業に必要なシニア人材をどう見出し、活用し、活躍に結びつけていくかについて、実際にスタートアップ時にシニア人材を採用し、現在も活躍中である、株式会社Photosynthの熊谷悠哉取締役に当時をふり返りながら、シニア人材活用のポイントについて語っていただきます。 第1回 シニア人材に何を求めるか? シニア人材には何が必要か? 「鍵あるある」から仲間と起業しかし課題も見えていた  当社は2014(平成26)年に代表取締役社長である河瀬(かわせ)航大(こうだい)や私など、当時20代のメンバー6人で創業したベンチャー企業です。主力製品は既存のドアに後づけが可能な、「Akerun(アケルン)」というクラウド型入退室管理システム。普通のドアだけでなく、電気制御の鍵や自動ドアにも対応できること、大がかりな取付工事が不要でIoTを活用した入室権限・入退室記録の管理が簡単に実現できること、そして低コストで導入できることなどから、現在までに累計7000社を超えるユーザーに導入していただいています。  起業のきっかけは創業メンバーやその友人との飲み会で、「物理的な『鍵』ってイケてないよね」という話が出たことが始まりです。当時のメンバーは、メーカーやIT企業に勤務しており、それぞれがプログラム開発に興味を持っていました。「鍵がなくて部屋に入れなかった」とか、「鍵の受け渡しのためにガスメーターに隠すのはリスクが高い」といった、「鍵あるある」で盛りあがっているうちに、「パソコンで指定した人にだけ権限を付与することはあたり前にできるのに、なんで物理的な鍵はこんなに面倒なんだろう」という話になったのです。そこで「だったらIT技術を駆使して自分たちで新しい鍵システムを開発してみよう!」と、最初はあくまで趣味としてスタートしたのです。  そのときのメンバーが中心となって開発を行い、プロトタイプ(試作品)ができあがったころ、代表の河瀬が当時勤めていた株式会社ガイアックスさんなどから出資していただいた資金をもとに株式会社Photosynthが立ち上がりました。そのとき、出資だけでなくガイアックスさんの物件だったアパートもお借りすることができ、そこが最初の拠点となりました。  そして、そのアパートでの面接で採用したのが、後に当社でなくてはならない存在となるシニア人材の深谷(ふかや)弘一(ひろかず)さんでした。 自分たちに足りない技術や知識はプロフェッショナルに学ぶ  当時は、自分たちの得意な技術をそれぞれに持ち寄って開発を行っていました。しかし、みなそれぞれの会社で技術を磨いてきたという自負はあるものの、自分たちだけでハードウェア製品を量産していくことが本当にできるのか、と自問すると、やはり限界があることもわかっていました。そこで創業してからすぐに、「自分たちに足りない技術や知識を持ったプロフェッショナルに学ぼう」と求人を行ったのです。  求人の方法は、企業OBのシニア人材と若手の企業をマッチングするサイトで、「技術顧問的な立場として、量産用の設計経験がある方や、量産立ち上げをする際に製造に関する課題を解決された経験がある方がいいな」といった程度の期待感で求人を公開しました。公開後まもなく深谷さんから応募があり、そのキャリアを見てすぐに面接をお願いしました。  深谷さんの実績は幅広く、長らく勤務されたNEC(日本電気株式会社)では集積回路の回路設計のほか、その関連業務としての特許出願・技術契約や、顧客への技術サポート、販売部門への市場開拓支援など、さまざまな業務にかかわってきた方です。NEC退社後も別の企業で技術顧問をされたり、マレーシアのトレーニングセンターで講師をされたりと、「すごく専門性が高い方に出会えた」という印象でした。  20代の若者が数人集まって起業したばかりの当社に深谷さんは面接に訪れてくださり、そのたった一回の面接で社長も私も「この方に来ていただこう」と採用を即決しました。 シニア人材には、仕事の実績だけでなく情報感度とフットワークも必要  当社にとって運がよかったと思うのは、実は募集を行ったシニア人材とのマッチングサイトはそれほど認知度が高いものではなく、応募人数がほとんど見込めないなかで、早い時期に深谷さんから連絡をいただいたということです。つまり、深谷さん自身が情報のアンテナを張り巡らせて、「次は何をやろうか」とあれこれ調べるなかにそのサイトもあり、そこにポンと当社の募集が上がってきたので、すぐ気づいて応募していただいたのではないかと思うのです。  もし、当社がシニア人材の採用を躊躇し、創業後2〜3カ月が過ぎてから「やっぱり募集しよう」となっても、すでに深谷さんは別の会社に採用されていたでしょう。やはり問題点に気づいたら即座に手を打つというのがスタートアップ企業にとっては鉄則だと思います。  一方で、当時73歳だった深谷さんが、創業直後の当社を見つけ、すぐに応募するというのはなかなかできないことだと思います。シニア人材の方が活躍の場を見つけるためには、高い情報感度と軽いフットワークが必要なのではないでしょうか。 技術顧問から会社の重要な戦力に10年間伴走し続ける  技術顧問的な立場で契約をした深谷さんには、量産品製造におけるQCD(品質・コスト・納期)の最適化について教えてもらいました。  具体的には、信頼性が高く、何年も使い続けることができる品質の商品を量産するためのノウハウです。実際に当時設計したものを、10年目のいまでも使い続けているユーザーもおり、求めている製品をつくりあげることに深谷さんの知見は大きく活かされました。  採用契約後は、週1回程度出社してもらっていたのですが、その後もさまざまな課題が解決されるにしたがって、少しずつ深谷さんの役割は変化し、10年後の現在も重要な戦力として伴走していただくことになっていくのです。 つづく 写真のキャプション 創業間もないころの深谷さん(左)と熊谷取締役(右)(写真提供:株式会社Photosynth) 第2回 シニア人材との契約のポイントと求める役割とは 専門家としての評価を十分に加味 信頼関係を大切にした契約形態  前回、シニア人材である深谷(ふかや)弘一(ひろかず)さんとの出会いのお話をしましたが、今回は具体的な契約や深谷さんが果たしている役割などをお話しします。  当社は同世代のメンバーがメインとなって立ち上げた会社だったので、当然創業した自分たちですべての業務をやりきるんだという考えが大前提としてありました。  ですので深谷さんには当初、週1回数時間出社して、担当技術者の具体的な課題に助言してもらうことをメインの業務としてお願いしました。  こうした技術顧問やアドバイザー契約では、ある目的があってノウハウを教えていただいたりアドバイスをいただいたりして、それが解決すると当然満期を迎え、技術顧問としての役割は終わりになるのが普通です。しかし、当社では製品開発が前進していき業務が増えるにしたがって、深谷さんにアドバイスを求める課題が多くなり、アドバイスだけでなく実際の開発や設計にかかわる実務を担当していただくなど、依頼する業務内容や報酬体系が変化していきました。  現在の深谷さんの契約形態は業務委託契約ですが、「この技術課題を解決したらいくら」という成果がそのまま報酬額に直結するのではありません。業務の専門性などに応じて単価を協議して決め、各業務の稼働時間に応じて報酬額を決めています。専門性の高い業務は高い報酬を設定しています。その際、気をつけていることは、専門家としての評価を十分に加味した単価になるよう設定することです。よくOBを再雇用した際に、報酬をすごく安く抑えるといった話を聞きますが、当社ではそういうことはしたくなかったので、最初に互いによく話し合ったうえで時間単価を決め、働いた時間分だけ報酬を支払うというシステムとしたのです。互いの信頼関係に基づいたうえで、働いた時間を毎月確認しながら契約を継続していきました。 シニア人材側が自分自身の契約形態を決めることも大切  こうして長くいまの関係が続いているのは深谷さん側から「仕事がありますか?」、「これをやりましょう」など、積極的な提案があることが大きいと思います。短期間の目的を達成し、そこで終わりではなく、その後、いかに次の課題を一緒に見つけて一緒にチームとしてやっていくのかが重要です。しかしこれは、とてもむずかしいことでもあると思います。その意味で深谷さんはとてもアグレッシブです。契約したときが73歳、現在82歳なので、ちょっと規格外すぎると驚いています。  一方で、つねにアグレッシブにチームへの貢献を提案する深谷さんに対して、会社として必ずしもすべてに応えられていないのかもしれないという点が、課題だと感じてもいます。「深谷さんの持っているポテンシャルをつねに活かしきれているのか?」と自問しながら、次に何に挑戦するのかを、探求し続けたいと思います。  もちろん、逆にアドバイスだけ、ノウハウだけを伝えていただいて契約満了という形もあります。実際、別の方で製造業の経験者を紹介していただいたときはそういう形になりました。その方には、当社の新製品の製造委託先を検討する際に、海外にある一部の部品の製造委託先を調査し、その工場を監査するといった業務をお願いしました。このときはその業務が終了するとともに契約も満了となりました。  こうして、ある期間で問題を解決したら契約を満了して次の人材を探すといったスタイルでの契約形態もありだと思います。 長年の経験から生み出される言葉は企業文化の醸成に大きな影響を及ぼす  もう一つ、深谷さんの役割として大きいのは、ものづくりの現場を熟知されているので、その経験から生み出される言葉にすごく重みがあるということです。私もメーカー出身ではあるのですが、「ものづくりのすべてを理解しているか?」と問われると手探りのところもありました。  創業時はものづくりのバックグラウンドがないメンバーも多かったので、そういったメンバーに投げかける言葉には大きな影響力があり、ものづくりに関する文化醸成にはかなり寄与していただきました。  ソフトウェアのエンジニアでも、ものづくりの分野に興味があります。そこでときには深谷さんを講師として、回路設計に関する勉強会を開いたりもしました。 同じ志、同じ目標を持ったメンバーとしてともに歩む  そしてもう一つ、長い期間一緒に仕事をさせていただけた背景には、当社のフラットな社風があると思います。そもそも年齢を気にしない雰囲気で提案しやすい、何でもいえる社風だったので、深谷さんも「これをやってみませんか」といい出しやすかったのではないかと思います。  とはいえ「何でも屋さん」的にはお願いしたくないですし、年齢も考慮して、業務内容は絞っています。基本は回路設計と回路の製造に関するところをやっていただいて、数年前からは実際の試作品の評価をする、あるいは量産品のなかでお客さま先で故障してしまった製品の故障原因を調べるなど、そういったところも実際に手を動かしてやっていただいています。これらはエンジニアの通常の仕事なのですが、そこは本当に同じ目線でやっていただいています。  そういう意味で、深谷さんも私たちと同じ志、同じ目標を持つ創業メンバーの一人なのだと実感しています。 つづく 写真のキャプション 深谷さんを講師とした回路設計勉強会(写真提供:株式会社Photosynth) 第3回 シニア人材との一体感でアドバイス以上の成果を獲得 半年で試作品をつくりあげるも量産化には自分たちの知見だけでは限界が  前回までは、当社のスタートアップにあたってシニア人材に何を求め、どのように採用・契約したのかをお話ししてきました。今回からは製品の開発段階から安定生産に至る過程で、実際に役立ったシニア人材ならではの知見や考え方、仕事に対する姿勢がもたらした結果などについてご紹介したいと思います。  深谷(ふかや)弘一(ひろかず)さんというシニア人材と出会えたことで、量産化に向けたさまざまな課題をクリアできたのですが、もう一度当社のスタートアップ当時のことを時系列にそってふり返ってみたいと思います。  まず、「物理的な鍵ってイケてないよね」という話から、いままでにない形のスマートロックの開発が始まりました。最初のプロトタイプ(試作品)はエンジニア経験者4〜5人で開発しました。IoT製品なのでハードウェア、組み込みソフトウェア、スマートフォンアプリ、Webアプリ、クラウドインフラなど広範囲をカバーする必要がありましたが、各領域を一人または兼務で担当することで、なんとか半年ほどでつくりあげることができました。  試作品の完成をSNSや新聞に取り上げていただき資金調達が可能になったのですが、そのころには、量産品の開発には自分たちの知見では限界があるだろうということに気づき、シニア人材を求めたという経緯です。 試作品まではコンセプトファーストで量産へ向けた課題にはシニア人材を活用  試作品が完成するまでは「鍵をデジタル化する」、「スマートフォンとBluetoothで通信する」、「モーターやセンサーでロックを動かす」という要素技術にフォーカスして、機能を絞って短期間でつくりあげました。そのため消費電力や筐体(きょうたい)の小型化、耐久性や製造コストといった量産化には避けて通れない大切な要素は後回しになっていて、この欠けた要素を追求するためには「回路設計」が重要になっていました。  例えば、量産品は何カ月も電池交換せずに安定して動くというレベルが求められるので、マイクロアンペアの単位で「ごく微小な電流を短い時間だけ使う」といった回路が必要になってきます。  また、筐体が大きいとドアノブなどと干渉して設置できる場所がかぎられてしまうので、限界まで小型でスタイリッシュに、というミッションもありました。そうすると筐体に収められる基盤の形状やサイズがかぎられてきます。そこに電力効率のよい回路をどう収めるのか、といった複雑な課題がいくつも見出されてくるのです。  しかも、これらの課題解決の前に立ちはだかっていたのは、量産化までの期限が半年≠ニ決められていたことでした。  もちろん、この課題はすべてを避けて通ることはできず、全部解決しなければならないため、たった半年という短い期間のなかで、その一つひとつに対して、深谷さんと一緒に「どこに問題があるのか?」にまでさかのぼって原因を探したり、問題点がみえたときに「どうやってそこを改善していくのか?」を議論したりと、本当に一体となって粘り強くクリアしてきました。  ふり返れば、20代の若者が日々徹夜してワイワイやっている空間に、シニア人材の深谷さんが定期的に来社して、そこで違和感なく議論や作業をしながら解決策を一緒に見出していく、という不思議なひとときだったと思います。 開発者の信念に基づいたアドバイスは期待値を超える結果をもたらした  この段階で深谷さんの知見が活かされた事例としてあげられるのが、シミュレーターを活用した回路設計です。「回路のシミュレーター」とは、設計した回路に発生する電圧や波形を実験ではなくコンピュータ上で計測するツールです。現在は、開発予算や期間の削減のために使うことがあたり前になっています。当時の私も使いたいと考えていましたが、最新のソフトウェアの使い方を深谷さんから教えていただいたことが印象的でした。  これは深谷さんご自身が、もともと開発者として「無駄な試作をなるべく減らす」という信念をお持ちで、設計段階で少しでも精度を上げていくことをとても重要視されているために使われていたツールです。  これは推測ですが、海外での教育経験から、こうした技術についてもワールドワイドなトレンドに合わせてずっとキャッチアップしていたり、あるいは海外の現場で使われていたことがあった、といった知見が活かされているのかなと思います。  一般的なアドバイザーとしては「回路の設計段階ではこういうことを考慮すべき」というところまでを教えてくれるのが基本的な期待値だと思います。しかし、それ以上にシミュレーターの活用をすすめるとともに使い方も教えてくださり、そのうえ自らやって示してくれるといったところは、いわゆるアドバイザーへの期待値を超えた、深谷さんならではのスキルです。  そしてもうひとつ深谷さんが大きくかかわったのが電子部品の選定です。量産品ではすべての部品に高いQCD(クォリティ・コスト・デリバリー)が求められますので、性能はもちろん、できるだけコストが低く、安定して供給される部品が必要です。それには海外を含めたメーカーや商社に関する深谷さんの知見が大きく役立ちました。その部品の電気的な特性や、形やサイズなどについて多くのアドバイスを得て、最適な部品を調達することができました。  こうして本当にギリギリではありましたが、半年間での量産化を達成するという当社のミッションクリアに大きく貢献していただきました。 つづく 写真のキャプション 右端が最初期の筐体モック。試作をくり返し、左にいくにしたがい筐体が小さくなっていった。単3乾電池の隣が実際の製品(写真提供:株式会社Photosynth) 第4回 部品の選定や調達にもシニア人材の知見を活かす 部品調達でも発揮された高いアンテナ感度と情報収集力  前回は製品が安定して生産できるまでに役立ったシニア人材ならではの知見として、おもに回路設計に関してご紹介しましたが、部品の選定や調達でも活躍したこともお話ししました。今回はその調達について、もう少し詳しくお話ししましょう。  部品を選定する際は、QCD(クォリティ・コスト・デリバリー)のバランスが重要です。一つの要素の条件がよくてもほかに課題があると事業としてうまくいきません。例えば、品質やコストの条件がよくても、納期が長いと量産スケジュールが遅延してしまい、増産の際も制約になってしまいます。あるいは、部品が安くても品質が悪ければ歩留まりの悪化による後工程のコストが発生し、市場トラブルが発生するとお客さまの信頼を損ねてしまいます。これらのバランスを考えながら部品を選定し評価する必要があります。  深谷さんに調達に入ってもらったのは、そうしたいくつかの条件に見合った部品を探すためでした。例えば、製品が要求する消費電力を実現するための電源ICを、さまざまな技術的な仕様や設置環境、予算感を理解したうえで複数のメーカーから探す、というような業務になります。  ほかの事例では、小型スピーカーだったと記憶していますが、こちらの設定した条件の性能や納期を満たす製品を探すために複数の商社にあたってもらいました。  この場合は、スピーカーという世の中にすでに出回っている既存の製品から、より低価格でより安定的に供給可能なメーカーを探す、というパターンですが、まだ世に出ていない新製品のICを「これくらいの性能がある製品が新たに販売されているから採用しては?」といったパターンで提案してもらうこともありました。海外の製品から探すことも多く、その高いアンテナ感度と情報収集力には何度も助けられました。  もちろん、深谷さんが提案した部品であってもこちらの要求仕様と購買条件が合わなければ、採用しないこともありました。相見積もりを取った結果、価格で折り合わなかったこともあります。 高度な専門知識と技術が要求される製造現場との折衝にシニア人材を活用  また、深谷さんには購買担当者としてだけでなく回路設計者としての観点で、部品選定の要件を出していただきました。例えば、設計観点として安全率※1があります。  品質の高い製品を設計するためには、製品にかかる負荷を考慮して適切な安全率を設定することが重要です。しかし、顧客環境でどのような負荷が発生するかを網羅的に予測することは私たちの知見だけではむずかしいところもありました。そんなとき深谷さんは「こういうところが危ないんじゃない?」と教えてくれるのです。  具体的には、電気的なノイズや静電気対策などでは、深谷さんの意見や知見から危険を回避できたことが何回かありました。  こうして深谷さんにはさまざまな面で量産化に貢献してもらいましたが、ほかのシニア人材にもスポット的にサポートをお願いすることはありました。  例えば、外側の筐体(きょうたい)はプラスチックの射出成形※2でつくるのですが、量産立上げ時に発生する成形不良を解決するためには、金型や成形に関する知識が必要とされるため苦労しました。  金型は金属の塊を削ってつくりますが、一度つくると簡単にはやり直すことはできず、修正する選択肢には制約が生まれます。  また、金型の温度や冷却時間などの成形条件を変えることでも成形品は変化します。成形については、あるメーカーに所属されている現役のシニア人材に入ってもらうことで問題を解決しました。製造の現場では経験豊富なさまざまなベテランの方々に、多くのことを教えていただきました。 経験からのアドバイスだけではなく最新情報にアップデートした提案  こうして量産が軌道に乗った後も、深谷さんはアドバイザーというよりは、ごく普通に当社のメンバーの一員として「手を動かして」くださいました。  私の印象では、深谷さんはものづくりがすごく好きで、現場も大好きなのだと思います。そして仕事の選り好みをしません。特に何か新しいことやチャレンジングなことを行う際には情熱を燃やすタイプです。それに加え、泥臭いというか根気のいる仕事、例えば思い通りに動作しない回路の原因を探ったり、不良品を見つけ出すといったことも率先してやってくれるのです。多分もう、「好きな仕事」といった感覚は卒業していて、より「チームのために」という発想で仕事をしているのだと思います。  特にすごいと思うのは、設計のアドバイスにしても、何か部品を選定して調達するというときも、自分の過去の記憶から出すのではなくて、つねに最新のものから探すということです。「自分が現役のときはこれを使ってたよ」といった提案はほとんどないのです。むしろ私たちも知らないような製品や技術情報をキャッチして、つねにアップデートした提案ができるというのは本当にすばらしいと思います。 つづく ※1 安全率……製品が破壊される負荷と、使用環境で想定される最大負荷の比率。荷重や電圧、曝露量などのさまざまな負荷に対して用いられる ※2 射出成形……プラスチックなどの材料を加熱して溶かし、射出口を通じて金型のなかに圧力で流し込み、望む形状の製品を作成する製造方法 写真のキャプション 量産開始時に製造した金型と実際の製品(写真提供:株式会社Photosynth) 第5回 多様なシニア人材をさらに受け入れ企業風土を形づくる ものづくりとは何かが、自然に身につくシニア人材の教育力  前回まで、深谷さんというシニア人材が開発や調達などの現場で、持っているさまざまな知見や高い情報感度を活かして活躍している様子をお伝えしました。今回は深谷さんをはじめとしたシニア人材が当社の人材育成におよぼした影響や、シニア人材が活躍できる企業文化などについてお話ししたいと思います。  まず人材育成の制度として定着しているのは年1回程度開催する新卒者研修で、深谷さんに日本のものづくりの歴史や文化などを語ってもらう、というものです。  創業当時のメンバーは私以外はメーカー出身ではなく、製造の現場にいた経験がありません。IT系を中心として、いろいろな業界から集まっていたのですが、当社は量産品を販売するメーカーでもありますので、「工場って何をやっているんだろう」という認識では困ります。そこでものづくりについて学ぶ機会が必要になるのですが、これまでいろいろな製品をつくってきた深谷さんの言葉で語ってもらうことには、私自身がメーカーで得た経験をお話しするのとはまた異なる重みがあるに違いないということで、お願いしています。  これはエンジニアにかぎらず営業職なども含めた新卒者全員が受講することになっていて、ものづくりに対する姿勢や考え方などについて、何か伝わるものがあるのではないかと思っています。  しかし、深谷さんにとって新卒者研修はあくまで年1回のイベントです。むしろ普段の業務を通して、いろいろと気づいたことをアドバイスしてもらったり、来社した際のちょっとした雑談でものづくりについてお話を聞いたりするなかで、「ものづくりとは何か?」が、自然に社員たちに浸透していったのではないかと思います。 気がつけば多様なシニア人材が成長を支えている  ここまで深谷さんに焦点をあてて紹介してきましたが、当社では中途採用を積極的に行ってきたので、採用当時からシニア人材として活躍している方もいれば、当社で働きながら50代になった方など、深谷さん以外のシニア人材も多く在籍されるようになってきました。なかにはいわゆる大手メーカーで長年ものづくりにたずさわってきた方や、ハードウェア設計をずっとやってきた方などもいます。そうした方々も当社のものづくりの基盤をより強固にするために、よい影響を与えてくださいました。  また、当社はものづくりにかかわっていた方にかぎらず人材を採用しています。出身業界の多様性が高く、メーカーとは異なる業界を経験してきたメンバーの比率がとても高くなっていて、法人向けのWebサービスを提供しているという特性もあることから、IT企業出身の営業やカスタマーサクセス部門もありますし、法務や財務も必要です。さまざまなスペシャリストが集まることで醸成された、企業文化があります。  メンバーのバックグラウンドが多様だからこそ、幅広い年齢層を受け入れることができるという側面もあると思います。スタートアップ時からそういう方向で進んできたので、どんなに経験豊富な方でもすんなり受け入れて、違和感を感じずに仲間として一緒に歩んでいくことで、その方の持っている知見や人脈などを十分に引き出し、当社の成長に貢献していただくことができたのだと思います。 採用はカルチャーフィットが重要  当社が幸運だったのは、創業1カ月目の20代のメンバーしかいないようなタイミングで、当時70代の深谷さんと出会えたことだと思います。  立ち上げ当初は同じ年代で同じ価値観を持つメンバーと、貪欲に学びながら何でもやってみるというスタイルで活動していました。  そこにいきなり深谷さんが仲間となり、年齢に驚く一方で、ものづくりへの情熱や新しい技術を学び続ける姿勢に深く共感しました。また、MVNO※1が提供する格安SIMを契約し、ブロックチェーン※2を使った新しいサービスを楽しみながら使いこなしている様子には共感を超えて衝撃すら覚えました。このような価値観の共通点があるからこそ、プロダクトビジョンの共感が生まれ、サービス開発中の活発な議論につながったのだと思います。  この経験から、出身業界や年齢にとらわれない多様な組織体制ができ上がり、創業10年目を迎えることができました。  数年前に中途採用で入社した40代のメンバーが、象徴的なエピソードを話してくれました。彼が初めて出社した日に、社員しか入れない執務室に深谷さんが若い社員に混じって業務を行っていて「このおじいちゃんは何なんだ?」と驚いたそうです。しかも周りの社員も何の違和感もなく、深谷さんは20代のエンジニアや40代の社員たちと仕事をしていました。それを見た彼は「スタートアップと聞いていたが、思っていたのと違って年齢層が幅広い」と感じたそうです。  同僚として重要なのは、年齢よりも、プロダクトへの価値観や仕事に取り組む姿勢といったカルチャーフィットなのだと思います。 つづく ※1 MVNO……仮想移動体通信事業者。移動体通信事業者(NTTドコモなど)からネットワークを借りて通信・通話を提供する事業者のこと ※2 ブロックチェーン……情報通信ネットワーク上にある端末同士を直接接続して、取引記録を暗号技術を用いて分散的に処理・記録するデータベースの一種 写真のキャプション 深谷さんによるものづくりセミナーの様子(写真提供:株式会社Photosynth) 最終回 キーレス社会実現のため、シニア人材の活躍の場はさらに拡大 シニア人材によるガバナンス強化で株式上場を実現  これまで、深谷弘一さんというシニア人材を中心に当社のスタートアップ期におけるシニア人材の活躍についてお話ししてきました。今回は、連載も最終回となりましたので、スタートアップ期を過ぎて株式上場を果たす時期にお世話になったシニア人材と、当社の今後の取組みなどについてお話ししたいと思います。  ふり返れば深谷さんにはスタートアップ時の「会社が0から1」になるタイミングで、おもに開発面を支えてもらったのですが、実際に法人として運営していくためには経営管理や法務といった間接部門の専門知識も必要でした。創業時のメンバーにはそういった知見のある者がほとんどいなかったので、当初は出資していただいた株式会社ガイアックスさんの支援を得たり、外部の顧問弁護士や弁理士にお願いして、法人としての体制を整えていきました。  その後、会社が成長して株式上場を目ざすようになり、上場のために必要な法務担当として雇用したシニア人材が、現在も常勤監査役をお願いしている島田(しまだ)和衛(かずえ)さんです。  島田さんは、大手航空会社や有名アパレル企業などで法務を担当していた経験があり、その知見を当社で活かしてもらおうということで、2019(平成31)年3月に採用しました。入社当時は68歳だったのですが、一見そのような年齢には見えない若々しさでした。しかもアパレル業界出身で、服装もダンディだったので、とても実年齢には見えなかったことを覚えています。  島田さんの法務関連の経験は卓越したものがあり、内部監査として会社運営についてさまざまな角度から指摘してもらったことが、コーポレートガバナンスを強化するという面で大きく役立ちました。島田さんの貢献もあり、その後2021(令和3)年11月には無事に上場することができました。 お互いに納得できる高齢者雇用の形態がこれからの課題  当社も社歴10年目を迎えて、中途入社の方のなかには50代後半にさしかかり、もうすぐ60歳という方もいます。そういった方たちを見ていると姿も仕事も活き活きとされていますので「60歳が高齢なのか?」と率直に思わされます。そのこともあり、深谷さんや島田さんのように70代、80代になっても活躍することは十分可能だと思っています。  そこで、当社でも今後考えていかなければならないのが「高齢者雇用の形態をどのように整備していくのか」という課題です。例えばエンジニアは基本的にアウトプットで評価しますので、事前に上長と設定した成果を出せば、その対価としての給料をもらうという形でわかりやすいのですが、定年後に契約の形態が変わったために専門家として同じことをやっているのに報酬が下がるというのは、違うのではないかと感じるのです。  当社でも就業規則としては定年制がありますが、私自身は定年後も仕事の成果に対して報酬が決まるべきだと考えていますので、そこに合わせて、納得できる報酬で働き続けられる制度を模索していく必要があると思います。  深谷さんというモデルケースがありますが、深谷さんの場合は専門スキルがあって、技術的なアウトプットが明確なので評価しやすく、報酬を決めやすかったところがありました。しかしそれを会社としての評価制度にどう組み込んでいくか、普遍化していくかという制度設計はとてもむずかしいところがあり、会社もシニア人材もより納得できるような制度を目ざして、今後も議論を重ねていくべきだと考えています。 過去の経験だけに頼るのではなくシニア人材こそ勉強が必要  当社では「キーレス社会の実現」をミッションに掲げていますが、これは「物理的な鍵を持たなくても一つのIDを持つことでいろいろなサービスがスムーズに利用できるような世の中にしたい」ということです。  例えば、賃貸物件に入居するときには合鍵をつくるのが普通ですが、それをつくるのに鍵交換を含めて一つ数万円ぐらいの費用が発生します。しかしこれをデジタルに置き換えればスマートフォン上にデジタルな鍵の権限が付与されるので、それをかざすだけで部屋に入れるようになります。しかも利用者側のコストは発生しません。すでにこのサービスを提供し始めているのですが、このようにいろいろな分野に「キーレス」実現のニーズが存在します。つまり業界の数だけキーレスの提供価値があるということです。そういう意味では、その業界に精通している方であれば、当社ではシニア人材の活躍の場がこれからも拡大していくでしょう。  ただし、すでにお話しした通り、過去の経験だけでは通用しないのが現実です。エンジニアの世界では30代ですら20代と競争しています。もちろん40代でも当然20代と競争していて、場合によっては20代の方がある領域については詳しいという場合もあります。それでも年上の世代は総合力で勝とうと、切磋琢磨しているのです。スキルがあって、そこに新たな知見や情報が加わるからこそ対価が出てくるのですから、勉強し続けることはとても重要だと思いますし、それをいまでも続けている深谷さんは、やはりあらためて本当に凄いと感じます。  当社にかぎらず今後もシニア人材活躍の場は大きく広がっていくと思います。それを活かすには自身のスキルや知見をつねに磨き、勉強し続けることができるかどうかにかかっているのではないでしょうか。 〈おわり〉 ★本連載の第1回から最終回まで、当機構(JEED)ホームページでまとめてお読みいただけますhttps:www.jeed.go.jp/elderly/data/elder/series.html 写真のキャプション 上場記念のパーティーで深谷さん(左)と熊谷取締役(右)(写真提供:株式会社Photosynth)