心に残る“あの作品”の高齢者  このコーナーでは、映画やドラマ、小説や演劇、音楽などに登場する高齢者に焦点をあて、高齢者雇用にかかわる方々がリレー方式で、「心に残るあの作品の高齢者」を綴ります 第1回 映画『ニュー・シネマ・パラダイス』 (1989年) 一般社団法人100年ライフデザイン・ラボ代表理事 金沢(かなざわ)春康(はるやす)  映画『ニュー・シネマ・パラダイス』に登場する老人アルフレードは、映写技師。彼は10歳から仕事に就き、小学校も卒業していません。読み書き算数は苦手ですが、自分が上映した映画のストーリーや登場人物のセリフから学び、確固たる人生観を持っています。  少年トトは映写技師の仕事に憧れ、アルフレードへの師事を求めますが、彼は強く反対します。  「夏は灼熱、冬は極寒の環境」、「クリスマスも働き、独りぼっちの孤独な仕事だ」  トトはたずね返します。  「じゃあ、この仕事が嫌いなの?」  「いやあ、お客が楽しんでいると自分も楽しい。みんなが笑うと、自分が笑わせている気がする人々の悩みや苦労を忘れさせる。それが大好きだ」  アルフレードとトトは、年齢差を越えて対等につき合い、トトは立派な青年映写技師に育ちます。  しかしあるとき、アルフレードはトトに村から出るようすすめます。  「決して帰ってくるな。私たちを忘れろ。ノスタルジーを捨てろ」  アルフレードには、映写技師という仕事や、村に留まることの人生の行き詰まりがわかっていました。  小さな駅からの出立が今生の別れとなります。アルフレードはその後、二度とトトに会うことなく、天に召されます――。  アルフレードとトトの関係が素敵なのは、家族でも親戚でもない大人と子どもが、上下関係ではなく、互いの個性や強みを尊重し、支えあう間柄であったことです。  社会のなかでの大人と子どもの関係が希薄になった現代では、すっかり忘れ去られた光景といってもよいでしょう。  少子高齢化時代は、現役世代が騎馬戦型で高齢者を支える時代ですが、視点を変えると、子ども一人を支える大人の数が、社会全体で圧倒的に増えることになります。  現役世代が年金や社会保険で高齢者を支えるのであれば、高齢者は未来をつくる子どもたちを支える側にまわる、という発想も大いにあると思います。  私事ですが、NPO法人HUG for ALL(ハグ フォー オール)※の活動で、児童養護施設の子どもたちと一緒に学び、遊び、時間をともにしています。5年前に初めて出会った小学校3年生のS君が間もなく高校進学を迎えます。アルフレードのように温かく、そしてときには厳しく、彼の人生を見守り続けたいと思っています。 ジュゼッペ・トルナトーレ監督.ニュー・シネマ・パラダイス.フィリップ・ノワレ,サルヴァトーレ・カシオ出演.ヘラルド・エース.1989. ※ https://hugforall.org/ 第2回 映画『マイ・インターン』 (2015年) 社会保険労務士 丸山(まるやま)美幸(みゆき)  ニューヨーク郊外に住む70歳のベン・ウィテカーは、長年連れ添った妻と死別し、隠居生活の時間を持て余していました。そんなある日、スーパーでシニアインターンの求人募集広告を目にします。場所は、かつて自分が勤めあげた電話帳工場で、いまはファッション通販サイトの運営会社『アバウト・ザ・フィット』。応募は履歴書ではなく、自己PR動画投稿。ベンは慣れないデジタル機器で動画を作成し、若い重役の面接もクリア。見事シニアインターンに採用され、アバウト・ザ・フィットの創業者で、40歳年下の女性社長ジュールズ・オースティンの元に配属されます。  ところがジュールズは「あなたに任せる仕事がない、必要なときはメールで指示する」とベンにいったきり梨の礫(つぶて)。数日後の朝、出社前にベンは「行動あるのみ」と意を決したようにつぶやき、行動します。郵便物や宅配荷物をカートで運ぶ女性社員を手伝ったり、同僚のヤングインターンに消費行動分析を教えたり、恋愛問題の相談に応じるなど、彼の経験がなせる行動の数々。それを見かけたジュールズは、「私のインターンは忙しそう」とつぶやくと、会社のナンバー2のキャメロンが「ベンはみんなに親切で人気があるんだ」と教えます。ベンは職場の若い人たちの信頼を得て、会社に溶け込んでいくのでした。  ジュールズが気がかりにしていた物置エリアの山を、ベンは朝7時に出社して片づけます。キャメロンが社内放送でベンを呼び、ジュールズは大喜びで自ら感謝の言葉をベンに述べます。いっせいに拍手が沸き起こり、ベンはジュールズと会社中の信頼を得たのでした。この後もベンの言動や活躍から人柄を信頼したジュールズは、夫との問題や株主から要請されたCEO選任などの大問題を相談するほど、ベンに大きな信頼を寄せるようになります。  シニアが前向きに仕事をしている特徴を健康社会学者の河合(かわい)薫(かおる)氏は、「適応の視点では半径3メートルの環境に溶け込もうとしているか否か、健康社会学の視点では人格的成長を維持・強化できたか否か。人格的成長は自分の可能性を信じる志向、危機や不安に遭遇したときこそ高められるポジティブ思考の一つ。この人格的成長こそが50歳以降の人生の鍵といっても過言ではない」と説いています。ベンのシニアインターンとしての姿勢は、これに合致しているのではないでしょうか。ベンのように多くの信頼を得られるのはとても素敵です。  余談ですが、ベンを演じたロバート・デ・ニーロ氏は、79歳で7人目の子どもを授かったことを今年の5月に明かしました。こちらも素敵な話題ですが、ベンの働き方を見習うことはできても、デ・ニーロ氏の生き方を見習うのはむずかしそうです。 『マイ・インターン』デジタル配信中ブルーレイ 2,619円(税込)/DVD 1,572円(税込) 発売元:ワーナー・ブラザース ホームエンターテイメント 販売元:NBCユニバーサル・エンターテイメント c2015 Warner Bros. Entertainment Inc. and Ratpac-Dune Entertainment LLC. All rights reserved 第3回 映画『八月の鯨』(1987年) 『RBG 最強の85才』(2018年) 読売新聞編集委員 猪熊(いのくま)律子(りつこ)  「心に残る〜」と聞いて、すぐに思い浮かんだ映画が二つあります。一つは、1987年のアメリカ映画『八月の鯨(原題は「The Whales of August」)』。もう一つは、2018年のアメリカ映画『RBG 最強の85才(原題は「RBG」)』。  タイプはまったく異なりますが、ともに高齢女性の生き方を描いていて、「おばあさんの世紀※」を迎える日本の将来の姿を考えるにあたっても、参考になるのではないかと思います。今回は欲張って二つの作品をご紹介したいと思います。  『八月の鯨』は、アメリカ東海岸を舞台に、鯨がくる入り江の別荘でひと夏を過ごす老姉妹の日常を描いた作品です。目が不自由で偏屈さを増す姉と、かいがいしく世話を焼きつつも将来を案ずる妹。ともに夫を亡くし、支えあって生きる姉妹の姿を、ベティ・デイヴィス、リリアン・ギッシュという2大名女優が共演して話題を呼びました。  1時間半におよぶこの映画には特段大きな事件は出てきません。一見退屈そうにも思えますが、老いや死に向きあう2人のさりげない仕草や表情が実にリアルで、他方、一日一日をていねいに、慎ましやかに生きる姿が共感を呼びます。特にリリアン・ギッシュ演じる妹が結婚記念日にドレスを着て、テーブルにキャンドルとバラを飾り、ワイングラス片手に亡き夫の写真に話しかける場面は秀逸です。  撮影当時、ベティ・デイヴィスは80歳近く、リリアン・ギッシュは90歳を超えていたといいますから、高齢になってもこんな仕事をする2人の姿に励まされる人も多いかもしれません。  一方、『RBG 最強の85才』は2020年に87歳で亡くなったリベラル派の米連邦最高裁判事、ルース・ベイダー・ギンズバーグ(通称RBG)のドキュメンタリー映画です。1950年代にハーバード大学法科大学院に入り、その後、コロンビア大学法科大学院を優秀な成績で卒業。それでも彼女を雇う法律事務所は一つもなかったといいます。以降、「性差の壁」を解消しようと、法律の知識を駆使してアメリカ社会を変えていきました。  印象深いのは、夫と死別した女性には子どもを養育する給付金が支払われるのに、妻と死別した男性に支払われないのは不合理だと訴え、性差別は男女双方に不利益をもたらすことを社会に知らしめた点です。  「闘う判事」というと腕っ節が強そうですが、実際の彼女はとても小柄で、シャイで、ユーモアもたっぷり。若者の間でアイドル的な存在であったというのもうなずけます。年を取ると「喪(うしな)う」ものの多さに立ちすくみそうになりますが、老いにはいろいろな生き方があり、どう生きるかは自分次第よ、と励まされる気分になる映画です。 ※2045年には、日本の人口の2割を65歳以上の女性が占めると予測されていることをさした言葉 『八月の鯨』リンゼイ・アンダーソン監督.リリアン・ギッシュ,ベティ・デイヴィス出演.アライヴ・フィルム・プロダクション.1987 『RBG 最強の85才』ジュリー・コーエン,ベッツィ・ウェスト監督.ルース・ベイダー・ギンズバーグ出演.ファインフィルムズ.2018 第4回 映画『生きる』(1952年) 一般社団法人シニアセカンドキャリア推進協会 代表理事 平(たかひら)ゆかり  『生きる』は、巨匠・黒澤(くろさわ)明(あきら)監督の代表作として、『七人の侍』と並び世界的にも高い評価を得た作品です。物語の主人公・渡辺(わたなべ)勘治(かんじ)は、市役所に勤める市民課長。山積みの書類に囲まれて、ひたすらハンコを押すだけの無為な日々を過ごしています。「休まず、遅れず、働かず」という役人としての王道をまじめに歩んできた寡黙な初老の役人ですが、ある日末期がんで余命わずかであることを知らされます。  思いがけない医師の宣告に戸惑い、混乱し、苦悩する主人公。職場も無断で欠勤し、居酒屋で知り合った中年の男に連れられて、夜の歓楽街を彷徨(さまよ)います。そんな父親の行動が理解できず、息子夫婦にも怪訝(けげん)な顔をされてしまいます。失意の主人公にとって明るい光となったのは、屈託なくケロケロっとよく笑う市役所の若い女性職員・小田切とよでした。とよの活気あふれる姿に魅せられた主人公は、「このままでは死に切れぬ…。生きて…死にたい…。そのために、何かしたい…」とつぶやきます。そして、職場に戻りたらい回しのあげく棚上げになっていた市民陳情の小公園を造るために奔走します。その仕事ぶりは、市役所の同僚を驚かせ、助役や市の議員をも動かします。  5カ月後、完成した小公園のブランコに揺られながら、『ゴンドラの唄』を口ずさむ主人公。  「いのち短し 恋せよ乙女 紅き唇あせぬ間に 熱き血潮の冷えぬ間に 明日の月日はないものを」  市民のために、未来に残る仕事を最後に成しえた主人公の眼に涙が溢れています。  余談になりますが、この『ゴンドラの唄』は、大正時代の流行り歌としても有名です。1915(大正4)年に松井(まつい)須磨子(すまこ)が演じる第5回芸術座公演『その前夜』の劇中歌として作られました。もの悲しいメロディと歌詞が相まった『ゴンドラの唄』は、現代のアニメ作品の主題歌としても使われています。アレンジはかなり違いますが、この楽曲がもつ魅力は現代にも色あせていません。また、『生きる』はノーベル賞作家のカズオ・イシグロにより2022(令和4)年にリメイクされています。  主人公が生きた時代の定年は55歳。平均寿命は60歳です。70年後の現代は、寿命も職業人生も伸び続けています。生きる時間軸が伸びた現代では、生きづらさを抱え悩む人が少なくありません。仕事や働き方の価値観も多様化しています。自分にとっての「生きる」を考えさせてくれる映画です。 「生きる<Blu-ray>」Blu-ray発売中 5,170円(税抜価格 4,700円) 発売・販売元:東宝 c 1952 TOHO CO.,LTD 第5回 小説『真理(しんり)先生(せんせい)』 (著/武者小路(むしゃのこうじ)実篤(さねあつ) 1952年) 株式会社シニアジョブ広報部部長 安彦(あびこ)守人(もりと)  武者小路実篤の小説『真理先生』には、真理先生のほか、初老から高齢と思しき人物が、語り手の「僕」(山谷(さんや))、画家の馬鹿一(ばかいち)(石かき先生)、同じく画家の白雲子(はくうんし)、白雲子の弟で書家の泰山(たいざん)と5人登場します。  真理先生は、じつは主人公ではなく、石や雑草ばかり描く才能が微妙な高齢の画家・馬鹿一が本作の主人公。デッサンなどの基本も無茶苦茶、人物的にも変人、風采もよくなく金もない。そんな馬鹿一は、山谷が真理先生に引き合わせたことがきっかけでほかの人にも出会い、石だけでなく人の美にも向き合い、自身の絵を高めます。馬鹿一だけでなく、作中ではほかの高齢男性陣、そして若い人物も何らかの気づきを得て成長しています。  登場人物がみんな誠実な善人で真摯に成長する様子は、白樺(しらかば)派らしい人間を美化し過ぎる描写にも思えますが、個人的に真理先生が述べる「真理」は、永久不変の真実ではなく「誠実な姿勢が人にとってもっとも大切」というメッセージに思えます。ずっと貫くべき人の基本姿勢だからこそ、成長のイメージが少ない高齢者の成長が描かれるのでしょう。  イメージは少ないものの、現代の高齢者の就職でも知識習得や成長は重要です。定年までに積み上げたスキルや資格も大事ですが、真摯に新しいことを学ぶ姿勢が評価される場面を、私たちシニアジョブの就職支援ではよく目にします。  本作にはもう一つ、現代の高齢者の仕事への学びがあります。真理先生も語り手の山谷も仕事らしい仕事はしていませんし、実篤作品全般でお金儲けは重要視されませんが、真理先生の自身の知識や信念を人に教え導く姿、それはコンサルタントや企業の顧問にも通じるものではないでしょうか。主要人物を引き合わせる山谷も、さながら企業の人脈構築を担当する「コネクタ」のようです。真理先生や山谷も新たな学びを得ているように、これらの職種もまた、過去の実績や知識のみでなく、新たなインプットが不可欠です。  馬鹿一の絵のモチーフは、石や雑草→人形→杉子→愛子と変化しますが、序盤で嫌がり終盤で自らモチーフとなった愛子が最高峰で、途中がステップなのではありません。真理先生が「自己も生き、他人も生き、全体も生きる、それが真理の道であります」と講じたように、馬鹿一とそのモチーフも互いやほかの登場人物とよい影響を与え合い、よい影響が循環した形といえるでしょう。 写真のキャプション 武者小路実篤『真理先生』(新潮文庫刊) 第6回 映画『ハウルの動く城』(2004年) 立教大学大学院ビジネスデザイン研究科特任教授 日本人材マネジメント協会理事長 山ア京子  『ハウルの動く城』はスタジオジブリ作品として2004(平成16)年に公開されました。原作はダイアナ・ウィン・ジョーンズによる小説『魔法使いハウルと火の悪魔』ですが、映画ではよりファンタジー性が強調されているようです。舞台は1900年代初頭のヨーロッパ風の田舎町で、主人公である18歳の少女ソフィーは父が経営していた帽子屋を継ぎ、地味な服装で人づき合いもあまりよくない生活をしています。その店に現れた魔女の呪いでソフィーは90歳の姿に変えられてしまったので、生まれ故郷を離れ、容姿端麗な魔法使いのハウル青年が拠点にしている巨大な動く城に掃除婦として潜りこみます。 この作品でのソフィーの「歳をとる」ことへの台詞に気づかされることがあります。老婆になった自身の姿を鏡で見たときに、ソフィーは絶望するのではなく「落ち着かなきゃ。大丈夫よ、おばあちゃん。前より元気そうだし」というのです。ソフィーは妹に「本当に帽子屋になりたいの?自分のことは自分で決めなきゃ駄目よ」と説教されるほど生気がなかったのですが、街を出るという意思を持ってから活力あふれる女性になっていくのです。また、その後も「歳をとっていいことは、悪知恵がつくことね。驚かなくなるし。なくすものが少なくてすむ」と肯定的に受けとめます。若い女性であることのプレッシャーから解放され、大胆なふるまいができるようになります。  他方、ソフィーとは対照的に「若さへの固執」の象徴として描かれるのが、若い男性の心臓を追い求める魔女です。魔力を奪い取られた後に実年齢の老婆になってまでも、ハウルの心臓にしがみつき手放そうとはしません。こうして見ると、老いの「あるべき姿」を描いているだけのようですが、ソフィーの姿が老婆と少女を往復するところに重要なメッセージがあるように思えます。ハウルを守るために数多くの冒険をしているときにソフィーは老婆から中年女性、そして少女へと姿を何度となく変えているのですが、そのうちにハウルも鑑賞者も、ソフィーの外見はどちらでもよくなってくるのです。年齢に縛られ自分自身をステレオタイプ化するのではなく、いま何をしようとしているのかが大事なのではないか、と思わされます。ちなみに、ソフィーが少女に戻るのは、寝ているときと、ハウルに恋をしている です。私たちも心のなかにソフィーを宿らせることで、だれもが実年齢から解放され自由に生きられるのではないか、そんな気になれる作品です。 『ハウルの動く城』 ブルーレイ、DVD発売中 発売元 ウォルト・ディズニー・ジャパン ○c2004 Studio Ghibli・NDDMT 第7回 小説『姥(うば)ざかり』(著/田辺(たなべ)聖子(せいこ)1981年) トレノケート株式会社 国家資格キャリアコンサルタント 産業カウンセラー 田中(たなか)淳子(じゅんこ)  かくありたいと思う憧れの女性がいます。田辺聖子さんの小説『姥ざかり』の主人公、歌子さん、76歳。  明治生まれで昭和初期に船場(せんば)の商家に嫁ぎ、戦後、力が抜けてしまった姑と夫に代わり、商売を盛り立てて、事業を大きくします。その会社を長男にゆずってからは、いっさい仕事にかかわらず、自分のしたいことをして生きている、その姿がじつに頼もしく清々しいのです。  本家の屋敷は古くて不便だと息子にゆずり、歌子さんは東神戸の海も山も見えるマンションに一人暮らし。3人の息子やその連れ合いたちは、歌子さんを年寄り扱いし、何かと「一人では不便では」といってくるものの、歌子さんを心配してのことではなく、息子が3人もいて親を一人で住まわせているのは世間体が悪いと考えていることもお見通しです。  歌子さんはとにかく忙しく、子どもや孫たちの相手などしている暇がありません。絵画や英語を習い、お習字を教え、白いスーツを身にまとい、観劇など外出も楽しみ、とにかく充実した日々を送っています。  朝食は、グレープフルーツと紅茶とトースト。次男宅に泊まった際、年寄りは味噌汁と漬物好きなのだろうと出されたことに対して、「洋風料理が好きな年寄りもいるのだ」と憤慨します。  晩酌の描写も素敵です。  『五勺の日本酒に、ヒラメのエンガワなんかのお刺身。灰若布(はいわかめ)を水にもどして、さっと、しらす干しなんかと二杯酢であえたもの』、『ときどき、ベランダの鉢から、花のつぼみをとって来て、箸枕にしたり』、『それらを心しずかに、ひとくち、ひとすすり、しつつ食べる』。自分の好きなものを好きなようにいただく生活を手放してなるものかと思っているのです。  必死に働いて、夫も見送り、やっと得られた一人の暮らし。老人仲間が愚痴をこぼしたり、孫自慢ばかりしたりするのにうんざりしている歌子さんは、ひたすら「自分のいま」を楽しむことに集中しています。  3人の息子が連絡しては煩(わずら)わしいことばかりいってきますが、その面倒くささがあるから、いまの暮らしも楽しめるのかもしれないと思ったりもする歌子さん。  男女雇用機会均等法第一世代の私は、同性の先輩が長く身近にいませんでした。みな、職場を去ったからです。歌子さんの物語を読んでいると、凛とした引退後の生活がとても魅力的で、懸命に働いた後、こういう生活が待っているなら、歳を重ねることも悪くないと思わせてくれます。「歌子さん」の小説はシリーズ化されており、いまでも手に入るので、ぜひ読んでみてください。 田辺聖子『姥ざかり』 (新潮社 刊) 第8回 小説『終わった人』 (著/内館(うちだて)牧子(まきこ) 2015年) 社会保険労務士 川越かわごえ)雄一(ゆういち)  「定年って生前葬だな」。内館牧子さんのベストセラー小説『終わった人』は、このひと言から始まります。主人公は大手銀行の出世コースから子会社に出向・転籍させられ、そのまま定年退職を迎えた田代(たしろ)壮介(そうすけ)です。エリートで仕事一筋だった主人公ですが、定年後は職探しもままならず、わが家に居場所もなく、迷いあがき続けます。  主人公の年齢設定は63歳。まだ心技体とも枯れていないのに、職場からの退場を余儀なくされます。その後は、定年前の自分に未練を持ちながら「こんなはずじゃなかったのに……」と葛藤の末、自分の居場所を見つけ出すというストーリーです。  『終わった人』というタイトルはなんとも衝撃的でした。この言葉、仕事ばかりか人生まで終わった人のような印象を持ったからです。人生を終えるというのは死を意味するわけですから、定年退職がそれと同等に扱われるのがショックでした。というのは、私自身も主人公と同じ年代であり、とても他人事とは思えなかったからです。  さて、この小説はまさに定年後の生き方をテーマにしたものです。定年を境に職探しも思うようにいかない主人公とは対照的に、自分の夢へ向かって活き活きとしている妻・田代千草(ちぐさ)と食い違いが生じ、夫婦関係も気まずくなります。程度の差こそあれ現実によくある話ではないでしょうか。  なかでも、主人公が中小企業へ面接に行った場面が印象的でした。「何だって東大出がうちあたりに……」と、面接もまともに受けられない様子が、あまりにリアルであり、その光景は容易に想像できます。  また、登場する高齢者の発した「若い頃に秀才であろうがなかろうが、大きな会社に勤務しようとしまいと人間行きつくところは大体同じ」が心に刺さりました。そういえば、私が若いころ勤務していた会社の社長も、還暦を迎えたときに同じようなことをいっていたことを思い出します。  『終わった人』は、シニア世代にとっては現実的なテーマであるし、若い世代にとっても「明日はわが身」、普遍的なテーマを投げかけた小説です。  一方、シニア従業員のモチベーションアップに取り組まれる人事担当者にとっても、高齢者が何を考え、何に悩んでいるかを理解するうえでたいへん参考になるのではないかと思います。  余談ですが、『終わった人』は映画化されました。主人公・田代壮介役は舘(たち)ひろしさん、妻・田代千草役が黒木(くろき)瞳(ひとみ)さんです。『終わった人』とは無縁そうな2人だったからこそ、深刻なテーマがそこまで重くならなかったのかもしれません。 内館牧子『終わった人』 (講談社 刊) 第9回 小説『あん』 (著/ドリアン助川(すけがわ)2013年) 事業創造大学院大学事業創造研究科教授 浅野浩美  何歳であっても、人が外で働くことには意味があるのだ、と思います。  小説の題名の「あん」というのは、どら焼きなどに入っている、餡子(あんこ)の「あん」のことです。  話は、冴えないどら焼き屋に、76歳の徳江(とくえ)が「アルバイトとして雇ってほしい」とやってくるところから始まります。どら焼き屋の店長は、中年のいわゆる「ダメンズ」(ダメな男子)。雇われ店長で、借金を返すために、やりたくもない仕事をしています。  店長は「雇ってほしい」という申し出を断りますが、徳江はまたやって来て手づくりのあんを置いていくのです。そのあんが、あまりにも美味しかったことから、店長は、徳江を雇うことにします。  徳江のあんづくりはていねいです。昼の11時の開店に向け、朝6時過ぎから仕込みをはじめます。一晩浸した小豆を差し水をくり返しながら煮、煮汁を捨てて、渋を切り、さらに、煮あがった小豆をシロップと練り合わせていきます。顔を近づけて小豆の様子を見、小豆の声を聞きながら、一つひとつの作業をていねいに行っていきます。徳江がつくるあんが美味しいと評判になり、店は繁盛しますが、順調な日は長くは続きません。徳江がハンセン病患者だという噂が流れ、あるときから、売上げは急減してしまいます。  徳江の指はねじ曲がっていましたが、それは、ハンセン病の後遺症だったのです。ハンセン病は、かつては「らい病」といって恐れられていた病気で、1996(平成8)年に「らい予防法」が廃止されるまでは、「らい病」と診断されれば、生涯にわたって施設に隔離されました。外で働くことなど考えられないまま、徳江は、施設内で五十年お菓子づくりをしてきたのです。  小説では、厳しい人生を送ってきた徳江が、店長や店にやってくる女子中学生に、生きる意味を伝えます。『あん』は、ハンセン病患者への差別・偏見という大きなテーマを扱っていますが、別の見方をすれば、事情があって外で働けなかった人が、70代半ばを過ぎてから、初めて外で働くことにチャレンジする、という話でもあります。徳江がどら焼き屋で働いたのは、生活のためではなく、何かになるためでもありません。働くことができたこと自体を、「本当に幸運だった」といい、それ自体を大切だと思っているのです。  徳江は、人が生まれてきたのは、「この世を観るため、聞くため」であり、「何にもなれなくても、生まれてきた意味はある」といいます。そして、外で働いたこと自体に大きな意味を感じています。  「あん」は、2015年に映画化され、樹木(きき)希林(きりん)さんが徳江役を演じました。まさに、老女といった趣で演じていますが、それだけに、何にもなれなくても、生まれてきた意味はある、何歳であっても、外で働く意味がある、と思わせるものがあります。 ドリアン助川『あん』 (ポプラ社 刊) 第10回 映画 『土を喰らう十二ヵ月』(2022年) 株式会社ウイル代表取締役、システムデザイン・マネジメント学博士 国家資格キャリアコンサルタント 奥山(おくやま)睦(むつみ)  『土を喰らう十二ヵ月』は、中江(なかえ)裕司(ゆうじ)監督が自ら脚本を書いて沢田(さわだ)研二(けんじ)を主演に映画化し、2022(令和4)年に公開されました。原案は水上(みずかみ)勉(つとむ)によるエッセイ「土を喰う日々―わが精進十二ヵ月―」(1982年、新潮文庫)です。  本作はツトム(沢田研二)の一人称の語りで描かれ、信州を舞台に一人暮らしの高齢男性の1年の暮らしぶりを追っています。作家のツトムは、畑で野菜を育てながら人里離れた信州の山荘で愛犬と暮らしています。13年前に亡くなった妻の遺骨を手元に置き、少年時代に禅寺で覚えた精進料理をもとに料理をする日々を送っています。料理の原稿を書き、時折、東京から訪ねてくる年の離れた恋人で編集者の真知子(松たか子)と一緒に料理を食べる時間が楽しみとして描かれています。  食材は、庭の畑や近くの山や川でとれた質素なものです。しかし、ていねいに時間をかけて食材が扱われ、豊かな食生活として描かれています。  前半は食べて、書いて、日々暮らしているツトムが描かれています。また真知子に結婚を申し込むという場面もあります。  そして、後半に大きな展開が訪れます。ツトムと同じく自然のなかで暮らし、妻亡き後もお世話になっていた近くに住む義母が突然逝去。葬儀後は、義妹夫婦から遺骨を押しつけられるという事態も発生します。  またツトムにも突然の病が襲い、心筋梗塞で倒れます。訪ねて来た真知子が見つけ、大事には至りませんでしたが、数日間生死の境を彷徨(さまよ)いました。  死の間際から目覚めた際の陽光の温かさ、自然の美しさ、そして食べ物の美味しさ。これが、「生きている」ことかという実感をツトムは再認識します。そして真知子が結婚の申し込みを受け入れたにもかかわらず断ります。後日、「私結婚することにした」といってツトムに別れを告げる真知子ですが、真偽のほどは明らかではありません。  精神科医のエリザベス・キューブラー・ロスは『死ぬ瞬間』(2001、中公文庫)で、死とは長い過程であって特定の瞬間ではないと説き、「死の受容」とは「長かった人生の最終段階」として、痛みも去り、闘争も終わり、感情もほとんど喪失し、患者はある種の安らぎをもって眠っている状態と説明しています。  ツトムが妻や義母の遺骨をずっと収められなかったのは、死に対してなんらかの「受け入れがたさ」があったからだと思われます。ラストでは2人の遺骨を手放し、また淡々と日々の暮らしを送る姿が描かれています。  生と死を受容してなお、これからも生きていこうとするツトムの姿は、ある種の人としての清々しささえ感じることができました。 『土を喰らう十二ヵ月』 監督・脚本:中江裕司 原案:水上勉 『土を喰う日々―わが精進十二ヵ月―』 (新潮文庫刊) 『土を喰ふ日々 わが精進十二ヵ月』(文化出版局刊) Blu-ray & DVD発売中 発売元:バップ ○C 2022『土を喰らう十二ヵ月』製作委員会 第11回 小説『故郷忘(ぼう)じがたく候(そうろう)』 (著/司馬(しば)遼太郎(りょうたろう)1968年) 労働ジャーナリスト 溝上(みぞうえ)憲文(のりふみ)  祖父から息子、そして孫へと受け継がれる家業は世の中に多いですが、実際は家族であるがゆえの技能伝承や、継がせたい親と子どもの心の葛藤など、幾多のむずかしさも抱えています。  司馬遼太郎の『故郷忘じがたく候』は、豊臣秀吉が朝鮮に出兵した16世紀末、朝鮮半島から薩摩へ連れてこられた朝鮮陶工の末裔である14代の沈壽官(ちんじゅかん)氏と沈家の物語ですが、家業に対する先代との対話も描かれています。  代々の沈氏は薩摩焼を全国に知らしめ、幕末のパリ万国博覧会、明治初年のオーストリア万国博覧会にも出品し、世界的にも高く評価されました。  初代から受け継がれた茶碗などの薩摩焼の作陶の技術を守ることを家風としてきましたが、父の13代は京都帝国大学(現在の京都大学)、14代は早稲田大学を卒業しています。14代が美術学校に進学したいといったとき、父は「どうせ村に帰ってくれば一生茶碗屋をやらねばならぬ者が、せめて若いころだけでも茶碗と縁のないことをやって息を抜いておかねば、せっかくこの世にうまれてきたわが身が可哀そうすぎる」といったそうです。  13代が75歳で他界する少し前、すでに子持ちで一人前となっていた14代が継承だけでは充足できない思いもあり、ほかの陶芸家のように流行の展覧会作品をつくりたいと願い出ました。父は「芸術家になりたいか。自分も若いころはそのような場所で個人の名を華やかにしたいと思ったことがある。しかし何ほどのことがあるだろう。わしからみればこの十数代は山脈のようなものであり、先祖のものを伝承しているだけのようにみえて一人ひとりの遺作をみると、みな個性があり、一人ひとりは山脈を起伏させている峰々のようなものだ」といいます。  それでも諦めきれずに「いったい自分は何を目標に生きてゆけばよいのか聞かせてほしい」と懇願すると、父は「息子を茶碗屋にせえや、わしの役目はそれだけしかなかったし、お前の役目もそれだけしかない」といいます。高齢の父と息子の対話には、家業を継ぐことの悲哀と喜びを共有した親と子、また師に対する尊敬と、弟子への愛情に貫かれた深い結びつきが滲み出ています。  小説では親子の対話はここで終わりですが、14代の沈氏は先代の厳命を守り、陶芸作家として日展や日本工芸会に所属せず、400年以上続いた家業を守り抜き、15代目の息子に託して2019(令和元)年に92歳でこの世を去ります。  あるとき14代が「どうすれば一人前になれると思うか」と息子に問うと、「働いて給料を取り、家族を食べさせ、守り抜く」と答えます。しかし14代は「それはだれでもやることだ。ひとりでいたって寂しくない、自分の信念をひとりぼっちになっても貫き通す。それが一人前ということだ」と諭したそうです。この言葉には13代が残した「山脈の峰々」に通じる孤高≠守ることの重要性が受け継がれているように思われます。 司馬遼太郎 『故郷忘じがたく候』 (文春文庫) 最終回 マンガ『総務部総務課山口六平太』 (作/林律雄、画/高井研一郎) 東京学芸大学名誉教授 内田賢  「総務部総務課山口六平太」は1986(昭和61)年に雑誌『ビッグコミック』に登場後、高井氏の急逝まで30年以上連載されたマンガです。単行本は全81巻に上ります。主人公の山口六平太が勤務するのは中堅自動車メーカーの大日自動車、会社のイメージは堅実ですが地味でダサく、トミタやニッタン、ホンネなど大手にはるかに及びません。しかし田川社長は「いまに見とれ! ベンツ何するものぞ!」の気概で会社を引っ張っています。一見するとジャガイモのような六平太は、何でも屋の総務部総務課で会社や社員、地域が抱える問題をていねいに解決していきます。  若手と高齢者がチームを組んで「夢の車」(その名はロシナンテ)をつくろうと奮闘するストーリーがたびたび描かれています(第29〜33巻)。飲み屋で若手が六平太に「会社も会社のつくってる車も決して悪くはないんだけど、いまひとつときめきがないんです」とこぼします。六平太はそんな若手にさりげなくヒントを与えて考えさせます。一方、元工場長の現相談役やベテラン設計技術者、自動車整備工場の老経営者に話を持ちかけます。昔は夢を抱き挑戦者だった高齢者が若手とともに新しい夢を追いかけます。  とはいえ、高齢者と若手の意識にズレもあります。元工場長の横山相談役は情熱のあまり自分が先頭に立って行動しようとします。そのとき、「相談役は何をなさりたいのですか?」、「幾つになってもお山の大将が似合うと思ったら大間違いですよ」と六平太が直言します。一瞬立腹した横山ですが我に返ります。その後、若手を相手に「必要なのは、みんなを引きずり回すお山の大将じゃなく仲間なんだってな」としみじみと反省します。  高齢者には若手にはできない役回りがあります。横山は取締役会で夢の車プロジェクトの意義を社長以下の役員に熱弁、予算を獲得します。知識や経験が乏しく現実離れしたアイデアになりがちな若手のデザインにベテラン技術者が適切なアドバイスで助け船を出します。新開発エンジンや車両試験装置の使用を巡って会社が一番力を入れている新車(キーウィ)開発チームと衝突します。今度は若手が情熱で問題を解決します。  高齢者の知恵を授ければ若手や中堅は大きく成長します。一方、ジェネレーションギャップの存在も無視できません。将来の大きな収穫が期待できるのにチームワークが崩れては組織にとって大きな損失です。両者の間に入り、それぞれのよさを引き出す触媒となる人物も欠かせません。このマンガに登場する高齢者はみんな、輝きを取り戻します。山口六平太がその触媒となっているのです。 ○C林律雄・高井研一郎/小学館