高齢社員の磨き方 ―生涯能力開発時代へ向けて―  生涯現役時代を迎え、就業期間の長期化が進むなか、60歳以降も意欲的に働いていくためには、高齢者自身のスキルアップ・能力開発が重要になるといわれています。つまり、生涯現役時代は「生涯能力開発時代」。  本企画では、高齢者のスキルアップ・能力開発の支援に取り組む企業の施策を、人事ジャーナリストの溝上憲文氏が解説します。 第1回 株式会社忠武建基(ちゅうぶけんき)(東京都杉並区) 人事ジャーナリスト 溝上(みぞうえ)憲文(のりふみ) 生涯現役時代における高齢者雇用課題は高齢者のスキル習得  生産年齢人口が総人口の6割を切るなかで、高齢者の活用と戦力化が急務の課題になっている。実際に高齢者の就労意欲も高い。総務省の調査(2018〈平成30〉年9月16日発表)によると、2017年の60〜64歳の男性の就業率は79・1%、65〜69歳は54・8%となっている。65歳以上の人口に占める就業率は男性が31・8%、女性は16・3%と、いずれも6年連続で上昇し、就業者数も807万人と過去最多になった。  人生100年時代が叫ばれるなかで、長期就労は結構なことではあるが、企業にとって戦力化の最大の課題は「仕事に対するモチベーションの向上」と「必要なスキルの習得」の二つである。働く意欲が希薄でビジネスに必要なスキルを持ち合わせていなければ生産性の向上に結びつかない。  だが、現状では高齢社員のモチベーションの低下に頭を悩ませている企業も少なくない。定年後再雇用され、報酬は現役時代の半額程度という一律の処遇に加えて、仕事も現役社員の補助的作業という働き方がその背景にある。モチベーションを向上させるには基本給水準の引き上げや仕事の成果の処遇への反映、本人へのフィードバックによるメリハリのある人事評価制度の構築なども必要だ。また、スキルを習得するにはモチベーションを有していることが前提となるが、どんなスキルが必要となるのか本人はもちろん会社も予測できない。  ICT(情報通信技術)の進化やデジタル化の進展によって時間と距離が短縮され、市場の拡大と消費者ニーズの多様化を生みだし、ビジネスモデルが激しく変化する時代に直面している。少なくとも50代のシニアの段階からビジネスの動きを見据えて、新しいことを学ぶ習慣を身につけることにより、本人自身が技能を磨きつつ、ときおり軌道修正しながらスキル習得に向けて能動的に行動することが必要になる。  中・長期的に目ざすべきビジネスの方向性やビジョンを示しつつ、あくまでも自主性、能動性を尊重しながら、シニア層を含む高齢社員に対しては学ぶ機会や場の提供を含めて能力開発の支援を積極的に行い、スキル習得意欲の醸成を図ることが企業には求められる。  その結果、自ら身につけたスキルは企業の生産性向上への貢献にとどまらず、高齢社員にとって揺るぎない自信となり、さらなるスキルアップへ挑戦意欲を持つなど、職場で活き活き働くことにつながるだろう。  本連載では豊富な経験と知識を持つ高齢社員に学ぶ場の提供や、新たなスキル習得に向けた支援を行い、生産性向上や職場の活性化につなげた取組みを紹介したい。 業務の中核をになう高齢社員年齢上限を定めず希望者を雇用  1995年創業の株式会社忠武建基は、深礎(しんそ)工法を得意とする土木工事会社である。深礎工法とは、橋を支える橋脚や鉄塔の基礎部分を人力で掘削(くっさく)して土留めを行い、そこに鉄筋を入れてコンクリートを打設する工法で、ときには数十メートル下まで掘ってコンクリートで固めることもあり、独自のノウハウと長年の実績を持つ専門企業として、業界で知られている。  役職者を含めて30人の会社であるが、70歳の2人を含む8人が60 歳以上と高齢社員が大きな比重を占める。そのほとんどが「現場代理人」と呼ぶ工事の管理者を務める。協力会社の作業員に工程を指示し、生コンクリートや資材の手配、発注者との交渉を行うほか、自ら重機の運転をすることもある。工事現場は福島県や愛知県などの遠方も多く、東京都杉並区にある本社にはめったに来ることはなく直行直帰の勤務だ。  建設業界は人材不足だが同社も例外ではない。重責をになう高齢社員のさらなる活躍を期待し、同社では2016年に画期的な制度を構築した。4月に、従来の「60歳定年、65歳までの定年後再雇用制度」を見直し、「65歳定年、定年後は一定条件で年齢上限を定めず継続雇用」する制度に変えた。さらに8月には建設業で一般化している「日給月給制」を「完全月給制」に変更。収入の安定と人材の確保・定着が最大の目的である。  65歳以降の継続雇用についてはすでに70歳の社員もいるが、会社の戦力となる人材であり、本人に働く意欲があれば年齢の上限は設けていない。加えて現役時代と同じ給与(賞与など)が保障される。同社総務部の大沼正典氏は「定年後は1年契約の嘱託となり給与が下がる会社が多いですが、当社は同じ仕事をしていれば定年前と給与は変わりません。やはり報酬が同じであることはやりがいにつながりますし、能力を発揮できる働きやすい環境をつくることが大事だと思っています」と語る。  働きやすさへの配慮は報酬だけではない。いくら元気だといっても現場作業は危険がともなう。高齢社員の安全確保と身につけた知識や経験を活かし、いかに長く働いてもらうかが建設業界の大きな課題になっている。同社が取り組む安全確保策の一つが作業時に装着する保護具の軽量化だ。保護帽や防塵・防毒マスクなど法的に義務づけられている装備品のなかで、体に装着するフルハーネスと呼ぶ墜落制止用器具が最も重い。  「今年の2月から高所での作業はフルハーネスの着用が義務づけられましたが、できるだけ軽量で性能も優れた最新型の保護具を支給する取組みをしています」(大沼氏)  それでも年齢を重ねるごとに肉体的負担は増していく。高齢社員の次のステージとして用意しているのが関連会社の株式会社ディッグだ。安全・昇降設備や関連資機材のリース・販売を行う会社だが、つちかった経験と知識を活かして製品開発業務に従事してもらうことを想定している。まだ転籍した高齢社員はいないが、忠武建基の70歳の社員が提案したアイデアから開発された製品が、実用化されている。大沼氏も「関連会社が高齢社員の受け皿となり、そこで独自の資材や機材が開発・製品化されることは当社のバリューを高めることにつながります」と期待する。 スキルの習得と業務の効率化のため高齢社員のための「IT講習会」を開催  高齢社員の働きやすさの追求と長期的就労を可能とした安心感の提供は、働く意欲の向上につながる。さらなる業務の効率化と生産性を高めるために取り組んでいるのが、高齢社員のITスキルの向上だ。前述したように、社員の日々の就業場所は建設現場であり、本社に戻ることはない。業務をスムーズに遂行するためには、現場との密な連絡や情報共有が欠かせない。従来は紙媒体による報・連・相が主流であったが、電子日報のシステムを導入したことを契機に2015年から「IT講習会」をスタートさせた。  同社は現場の担当者1人が毎週月曜日に集まる「定例会議」と、2カ月に1回全員が集まる代理人・職長研修会」を開催しているが、代理人・職長研修会(午後開催)が行われる日の午前中にパソコンとスマートフォン操作を学ぶIT講習会を開催している。講師は大沼氏が務める。  「本社への提出書類として工事日報以外に毎週作成する週間工程表があります。以前は本社では、各現場の工程表をまとめたものと定例会議の議事録をFAXで現場に送っていました。また、それ以外にも資格証が必要なときは郵送でやりとりしていました。しかし、パソコンやスマートフォンが使えると、工程表を最初から作成しなくてもコピー&ペーストにより必要な部分を入力するだけでよいので時間も短縮されます。本社も手書きした書類を入力する必要がなくなり全現場の工程表をメールで送信できます。さらに定例会議の議事録には、各現場で発生したヒヤリ・ハットなどの安全や品質に関する情報などを追加し、全員で共有することができます」  現場の写真や資格証を送る場合もデジタルカメラではなくスマートフォンで撮影すれば瞬時に送付できる。さらにSNSの活用によって会社の伝達事項の共有だけでなく、社員間の情報交換も可能になる。高齢社員にとっては、「若手に教える」立場から、逆に教わる立場になることで、立場や年齢を超えて、コミュニケーションも円滑になった。  ただし、パソコンの習得は奨励しているが講習会への参加は強制ではなく、あくまで希望者に限定して開催している。さらにノートパソコン、スマートフォン、タブレットも希望者に支給している。参加者は毎回6〜7人。とくに決まったプログラムがあるわけではなく、個人の習熟度に合わせて教えている。  「集まる人によってスキルが違います。スマートフォンの操作を覚えたい人もいれば、エクセルを使って図面を作成したい人もいますので、堅苦しい講義形式ではなく、個別の質問に答える形で教えるようにしています。すでに我流でパソコンを使っていても、新しい方法を教えることで飛躍的にスキルが向上する人もいます」(大沼氏)  ITスキルは年輩者ほど苦手意識が強い。目標を設定して習得するのではなく、本人の意欲や事情に応じて徐々に覚えてもらうスタイルだ。  「いきなり『パソコンを覚えましょう』といってもむずかしいので、当初はスマートフォンから始めました。それでも入力方法を教えたときは渋い顔をする人もいました。いまでは使えると便利なことがわかっているので、最近はスマートフォンだけではなく、タブレットを持つ高齢社員もいます。画面が大きく字も大きく見えるので好評です。それが手放せなくなったら大成功です。そうなると意欲が湧いて『パソコンをやろうかな』という気になります」(大沼氏)  現在は個々のスキルレベルは異なるが、全社員のスマートフォン利用率は8〜9割、週間工程表の7〜8割はパソコンで入力して送ってくるという。それにともない業務の効率化も進んでいる。一方、フィーチャーフォンを使っている人も数人、パソコンを使っていない人もいる。当面の目標は全員のスマートフォン利用だ。  「まずは全員がスマートフォンを使いこなすことですが、ストレスなく徐々に学んでもらいたいと思っています。スマートフォンを使っている人はストレスなく移行できていますが、フィーチャーフォンを使う人にもいろいろな事情があります。逆にフィーチャーフォンを持つ人でもパソコンを使っている人もいます。全員がスマートフォンを利用すれば、SNSを使って一気に情報が送れるようになります。最終的に全員がパソコンを使えるようになればペーパーレス化も可能になります。  また、高齢社員も事務的な作業の負担が軽減され、時間も短縮されますし、その分、工事に集中できます。そのためにもねばり強く講習を続けていきたいと思います」(大沼氏) 高齢者活用のヒントに富んだ忠武建基の取組み 同社の高齢者雇用の取組みには、働く意欲とスキル習得に向けた多くのヒントがある。一つは、働く意欲の基盤となる、処遇を含めた働きやすさをとことん追求していることだ。肉体的負担をともなう建設業界にあって、省力化する取組みに加え、現場引退後の知識と経験を活かすための職場の用意も、長期就労への意欲を向上させる仕組みである。  また一方で、ITスキルの向上は会社の業務の効率化にとどまらず、スキルを学ぶことによって本人の作業負担も軽減する。さらにそのスキルによってほかの現場の情報を共有することで、直面する課題の解決など自らの技能を磨く効果も期待できる。  スキル習得過程においても大沼氏がいうように、強制することなく、あくまで本人の自主性を尊重し、個々の進捗状況をふまえつつ学んでもらうという姿勢が貫かれている。時間はかかっても本人が自覚して進化する成長意欲が、結果的に会社の生産性向上につながっているといえる。 ※ 株式会社忠武建基は平成29年度高年齢者雇用開発コンテストで高齢・障害・求職者雇用支援機構理事長表彰優秀賞を受賞しました。詳しくは本誌2017年11月号をご覧ください エルダー 2017年11月号 検索 総務部 大沼正典氏 2カ月に1回開催する代理人・職長研修会の様子。高齢社員を含む全社員が一堂に会する 建物の重量を地中の支持層に伝達する杭を、地中深くに施工する大口径深礎工法 第2回 ソニー株式会社(東京都港区) 人事ジャーナリスト 溝上(みぞうえ)憲文(のりふみ) ベテラン社員のキャリア形成をサポートするCareer Canvas Program  シニア層を含む高齢社員の長期就労を見据えた能力開発をうながすには、あくまでも自主性や能動性を尊重した自律的なキャリア形成が前提となる。ソニーはもともと「自分のキャリアは自分で築く」という文化があり、自律的なキャリア形成を積極的に支援してきた。  それをベースに、新たに50歳以降のベテラン社員のキャリア形成をサポートする「Career Canvas Program」を2017(平成29)年5月にスタートさせた。その背景について、人事センターEC人事部の大塚康統括部長はこう語る。  「ソニーの社員の平均年齢は約43歳ですが、年々上昇しています。バブル期入社組も50代に突入し、ベテラン社員の比率が増えていく流れは避けられません。これまで20年、30年と経験を長く積んだ社員に戦力としてどのように活躍してもらうのか、人事上の重要な課題の一つとして、50歳を超えたベテラン社員自らが、今後のキャリアを築くための施策について2015年から検討を始めました」  プログラムは大きく分けて、新たなスキル習得を含む経験や知見の広がりを支援する制度と、それらを下支えする研修などの意識改革の二つから構成されている。下支えの部分が、50歳以降のキャリアを自ら考えるワークショップ型研修とメンタリング※1だ。ワークショップ型キャリア研修は50〜53歳と57歳時点の2回実施されるが、同社の最大の特徴は、研修後一人ひとりにメンター※1をつけて定期的に面談などでフォローアップを行っている点だ。  「せっかく研修で将来のキャリアを考える気づきを得ても、職場に帰ると日常に戻ってしまう人もいます。そうならないようにマネジメント経験者がメンターとなって研修後も定期的にフォローアップします。メンターにはキャリアカウンセリングの国家資格を取得してもらい、メンティ※1が先々のキャリアを主体的に考えることができるようにフォローしています」  50歳時点の研修受講者は約1000人。メンターは約30人。本業との兼任で全受講者にメンターがつくが、同じ部署の社員がつくことはなく、相談内容について人事部は一切関知していない。人事や上司以外の軸で本気でキャリアに向き合う機会が提供されている。  そのうえで将来のキャリアを考え、新たな経験や知見を獲得する制度として兼務案件を公募する「キャリアプラス」と、新たなスキル取得を金銭的に支援する「Re−Creationファンド」がある。 社内兼業「キャリアプラス」で本業のパフォーマンス向上にも期待  ソニーは社内求人募集に応募して部署間を異動する「公募制度」を1966(昭和41)年に導入しているが、キャリアプラスに応募して採用されると、現部署の仕事を継続しつつ、業務の1〜2割程度をほかの部署のプロジェクトなどの業務と兼務する。現部署の上司の許可を得て応募し、兼務の際は各部署と調整し、週1〜2回といった一定の曜日や1日の労働時間など、働き方を決める。制度の目的について、大塚統括部長は「経験や知見を広げ、能力向上につながる兼業・副業の社内版」と位置づける。  「従来の公募制度は完全異動ですが、ベテラン社員にとっては重要な選択ですし、慎重になる人もいます。そこで1〜2割を新しい仕事に割くのであればやってみようという人が増えるのではないかと考えました。同じ部署にずっといると、自分にどの程度の能力があるのかが見えにくいのですが、違う仕事を経験することで自分の市場価値に気づくこともできます。そこで頼りにされると、キャリアに対する意識も芽生え、本業にも活かそうとするかもしれないし、新しいチャレンジをしてみようという動機づけにもなり、仕事のパフォーマンスにもよい影響を与えることを期待しスタートしました」  制度がスタートして約2年が経過した。1件の募集に複数名採用されることもあり、利用者は累積で約100人に達する。仕事の内容は大きく分けると、@仕事以外の趣味・特技を活かした業務、A新規ビジネスのサポート、B全社プロジェクトの三つに分類されるという。@の例として、ソニーの商品にアニメーションの要素を採り入れたらマーケットニーズがあるのではという発想でメンバーを募集したところ、若手やベテランが多数集まり、プランニングした商品が実際に発売された。  「その職場の人がアニメを勉強するより、アニメが好きな人が参加したほうが、より良い企画や商品につながる可能性が高いですし、本人も趣味を仕事に活かすことができるのでモチベーションの向上につながる面もあると思います」(大塚統括部長)  比較的小さい新規ビジネスにおいては予算の関係から人を固定的に雇うのはむずかしい。しかもユニークなアイデアや発想を事業として軌道に乗せるには経験者の能力も必要だ。キャリアプラスを活用することで「若い人のアイデアを製品化して期日までにリリースできるベテランの力を借りたいという案件がけっこうある」(大塚統括部長)という。また、全社プロジェクトは参加する社員が所属する組織のアウトプットとは異なる目的で行われることが多く、モチベーションの維持がむずかしいときもあるが、キャリアプラスで募集すると、本当にやりたい人だけが集められるという効果もある。  先に紹介したフォローアップを担当するメンターもキャリアプラスで募集した。シニアソフトエンジニアの岡島寛明(ひろあき)氏もメンターの一人だ。岡島氏は職場を活性化するために何かできないかと思い、キャリアコンサルタントの養成講座を受講した。  「自分が学んだことを会社のなかで活かしてみたいと思ったのです。いざやるとなると、本業と兼務の仕事を主体的に自分自身で調整する能力が必要になってきます。もともと技術屋ですが、実際に違う業務に取り組んだことで、以前に比べて仕事に対する考え方がおおらかになりましたし、仕事のメリハリがつくようになりました」(岡島氏)  大塚統括部長も「兼務先でも活躍する人は、いまの仕事もしっかりとやりながら新しい仕事に挑戦する。ということは効率よく仕事をこなし、その分生産性も上がっているのではないか」と評価する。 「Re−Creationファンド」で多様なスキルの習得を支援  キャリアプラスが現在の仕事の幅や能力を広げる場であるとすれば、将来のキャリアを見据えてスキル習得を後押しするのが「Re−Creationファンド」だ。キャリアプラスは若手も応募できるが、こちらは50歳以上に限定しており、保有スキルの向上や新たなスキルの獲得のための学びに自己投資をした場合、10万円を上限に補助する。しかも、いまの業務に関連するものだけではなく、新しいスキルやまったく異なる分野のスキルも対象とするなど幅広い。  実際に社員のファンド申請例(図表)を見ても多様なスキルや資格の取得を認めている。  「将来目ざしたいキャリアを広くとらえて、いまの仕事以外でのスキルアップを目的としてもよいことにしています。ベテラン社員も今後の長い職業人生での活躍を自ら考え、過去の仕事や実績にとらわれず勉強してほしいというメッセージです」(大塚統括部長)  例えば、「歴史遺産検定」もその一つ。海外駐在経験のある社員が「定年後に自宅を改装して民泊を経営し、訪日外国人観光客のためのインバウンドビジネスを展開したいので、日本の歴史を学びたい」との趣旨で申請し、認められた。  「歴史が好きだから勉強したいということではなく、この資格を自分のキャリアのなかで活かしたいというように、何のためにその勉強をしたいのか、理由が明確であれば認めている」(大塚統括部長)  もちろん仕事と関係するスキルアップのために制度を利用する人も多い。EC人事部キャリアサポート課の山下弘晃キャリアサポートマネジャーはこう語る。  「中国語会話を勉強している社員は、自分がたずさわっているビジネスの範囲を国内から海外に拡大していきたいという思いがあり、中国語で流暢(りゅうちょう)に話せなくても挨拶や日常会話ぐらいは勉強したいということで申請しています。また『MSオフィススキル』を学んでいる人のなかには、日々使っているワードやエクセルのさらに深い技術を学ぶことによって自分の業務の効率化に役立てたいという人もいれば、他社に再就職する場合にも資格があれば有利になるという目的で受講している人もいます」  制度の利用者は累積で100人を超えている。いまの仕事に直結するスキル研修は上司が許可すれば受講できるが「ベテラン社員のなかには、スキルアップ・習得は若い人を優先させようとし、自分のためにお金を使ってくださいとは言いづらい雰囲気があるが、ファンドは50歳以上に限定しているので使いやすい」(大塚統括部長)という魅力もある。 重層的で多様な選択肢を整えベテラン社員の「キャリア自律」を後押し  前述したように、現在の仕事に直結するスキルアップだけではなく、定年後も見据えた生涯キャリアに役立てることも意識している。プログラムの検討にあたっては、会社にいる間の仕事の充実に役立つものに限定してはどうかという意見もあったという。しかし、せっかくソニーに入社し、今後も長い職業人生を送る可能性があるなかで、「よりよい人生を送るにはどうするか」という観点から制度を設計したという。  また、同じようにキャリア支援策全体も60歳からの再雇用後の活躍だけを期待しているわけではない。  「あくまでベテラン社員の『キャリア自律』がキーワードです。60歳以降もソニーに残ってがんばる人がいてもよいし、あるいは身につけたスキルを活かして別の会社で仕事をしてもよい。自分自身でさまざまなキャリアを選択し、それに向けてチャレンジしてほしいという思いがあります。逆に全員が65歳まで残って働きますというのは、ソニーは多様性を強みにしている会社ですので個人的にはあまりおもしろい会社ではないかなと思っています。いろんなキャリアのバリエーションを持った人が出現してほしいと考えています」(大塚統括部長)  実は、キャリアについてベテラン社員同士で考えるサークル活動も生まれている。ソニーではもともとオフタイムを使って本業以外のことに自主的に取り組む活動が盛んで、2017年の制度のスタートと同時にベテラン社員同士で自主的に活動する「社内分科会」もスタートさせた。人事部門はホームページでの紹介や場所の提供を行うが、内容や運営には一切タッチしない。現在、異業種交流会や働く女性の会など12の分科会が活動している。前出のメンターを務める岡島氏は、分科会第1号の「愉快になるライフキャリアの会」をつくった。  「キャリア面談を通じて50代の社員が職場のなかで多種多様な課題や悩みなどを抱えていることを知り、なんとかしたいなと思ったのがきっかけです。職場の上司や同僚にはなかなか話せない悩みや相談をみんなで語り合う場として、いまでは30数人の登録者がいます」(岡島氏)  こうしたボトムアップ活動がキャリア意識の醸成やスキル習得に向けたインキュベータ※2的役割を果たしている。  ソニーの「Career Canvas Program」の最大の特徴は「キャリア自律」を基本に、それを後押しする重層的かつ多様な選択肢が用意されている点だ。長い職業生活でつちかった経験や知見は個々に異なり、今後のキャリアに対する考え方も多様である。そのうえでどのようなキャリアを目ざすのか、そのためにどういうスキルアップが必要なのかを自ら考えて行動できる仕組みが整備されている。  シニア社員の活性化につながる自発的なスキル習得に向けた取組みとしては参考になる施策といえるだろう。 ※1 メンタリング……人材育成手法の一つ。経験豊かな年長者(メンター)が、組織内の若手や未熟練者(メンティ)に対し、対話や助言により、自発的な成長を支援するもの ※2 インキュベータ……新規事業や起業を支援するための制度や仕組み 図表 多様なキャリアの実現に向けたRe-Creationファンド申請例 現在 新しいことへのチャレンジ いまと同じ仕事 ●ISO国際標準化人材育成 ●中国語会話 ●ホームページ/Webデザイン講座 ●キャリア支援 ファシリテーター養成講座 ●ITパスポート 保有スキルのメンテナンス いまと同じ仕事 ●ソフト(アプリ)技術習得 ●3D CAD講座 ●電気回路技術講座 ●組織・人材プロフェッショナル養成講座 新しいことへのチャレンジ これまでと違う仕事 ●「家具の学校」授業料 ●国家資格「全国通訳案内士」 ●歴史遺産検定 ●登録販売者合格指導講座 保有スキルのメンテナンス これまでと違う仕事 ●MSオフィススキル向上(MOS取得) ●英会話 ●キャリアカウンセラー ●セミナー講師養成研修 左から山下弘晃キャリアサポートマネジャー、大塚康統括部長、岡島寛明氏 第3回 株式会社TMJ(東京都新宿区) 人事ジャーナリスト 溝上みぞうえ)憲文(のりふみ) 研究に基づき採用・育成プログラムを構築高齢人材「エルダー」の採用を本格化  高齢人材の活用において、加齢による認知機能の低下など、心身の変化に応じた能力・スキル開発が重要な課題になりつつある。そうした高齢者の特性を考慮した独自の育成・研修プログラムを開発し、高齢人材の戦力化に取り組んでいるのが「株式会社TMJ」である。  同社はコールセンターや事務処理センターの受託・運営を行うアウトソーシング事業を展開している。全国13拠点に約7000人のスタッフが従事しているが、もともとスタッフは若年層が主体となっていた。しかし、地域によっては人手不足が顕在(けんざい)化し、高齢人材の活用を決断。  子育てが一段落した50代から70代の主婦層や、定年退職後のセカンドキャリアとして仕事をしたいシニア層など、就労に意欲的な人材を積極的に採用していくこととし、特に採用状況が厳しい北海道・札幌地区において、2017(平成29)年1月から、「エルダー」と呼ぶ50歳以上の人材の採用を本格化した。  現在、エルダーのスタッフは約1800人。以前から50歳以上も採用していたが、2017年の本格採用以降は、毎年スタッフが前年の2倍以上になるなど倍増している。エルダーの採用と定着を支えているのが同社の採用・育成プログラムだ。実はプログラムの開発にあたっては、2011年から東京大学の産学ネットワーク「ジェロントロジー(老年学)」に参画し、コールセンターにおける高齢者対応に関する研究が大きく寄与している。  人材本部の木下(きのした)哲(さとし)本部長は、産学ネットワーク参画の経緯についてこう語る。  「当初はコールセンターに電話をかけてくる高齢者にいかに対応するか≠ニいう観点から、高齢者の特性を学ぶためにスタートしたものでした。その後、高齢者が的確な仕事ができるようにするにはどうするか≠ニいう就労に関する課題について研究するとともに、実際に当社で働いている70代など高齢者の就労の実態を調査してきました。そこで得られた知見やデータを集約し、採用の基準や研修のプログラムに活かす取組みを重ねてきました。そうした5〜6年の取組みの蓄積を体系化し、2017年1月から高齢人材の採用・育成の本格的スタートにふみ切ったのです」 「くり返し」の学びで理解度を深める通常採用の人材とは異なる研修プログラム  通常の採用活動では、早期離職の防止やパフォーマンスの発揮などの採用基準に基づいた採用検査システムで判断するが、エルダーは許容範囲を広げて柔軟に採用している。人材本部人事戦略部TMJユニバーシティの川添(かわぞえ)千寿子(ちずこ)氏は、採用の判断についてこう語る。  「コールセンターの仕事なので、聞き取りが困難な人はむずかしいのですが、基本的にはコミュニケーション能力を重視します。また、早期離職の要因となる持病や家族の介護を抱えている人は確認しながら判断します。業務に不可欠なパソコンスキルについてはタイピングテストを実施していますが、通常の採用よりも基準を下げて柔軟に判断しています」  そうして採用した人材を一人前に育成するには、研修や職場での教育が大事になるため注力しているのが入社後の研修だ。コールセンターのオペレーターの仕事は、顧客からの問合せに対応する「受信業務」と、営業などの電話をかける「発信業務」の二つに分かれる。研修は「プレ研修」と、配属後の「業務研修」が行われるが、通常のプレ研修が3時間半なのに対し、エルダーに対しては3日間かけて行っている。また、1回の研修参加者数は通常は約50人だが、エルダーは約10人と少人数にしている。  エルダーの研修を長時間かつ少人数としているのは、トライアルのテストケースをふまえてのもの。木下本部長は、「テストケースでは、通常と同じ研修で『やはり無理です。私は覚えきれません』といって離脱した方もいました。試行錯誤を重ねながらプログラム化を進めました」と話す。研修は同じ内容をくり返し学び、理解度に応じて進めることを基本にしている。  「プログラムはほかの年代層と同じレベル感で、業務研修に参加できることを目標に設計しています。基本的には同じ内容をくり返し練習することで上達しますし、そのために長めの時間を設定しています。また、疲れないように60分ごとに10分の休憩を設け、休憩中には、記憶を活性化させるために、手を使った体操なども実施しています」(川添氏)  3日間のプログラムは図表の通りだ。初日は丸1日、2日目と3日目は半日研修で構成されている。初日に行われる会社の理念や概要の説明に続いて目を引くのが「マインドセット」だ。コールセンターの役割を理解し、業務に対してやりがいを感じてもらうのが目的。また、エルダーは、保有する知識や経験が一人ひとり異なっているケースが多い。  「これまで組織のなかで働いたことがない主婦の方もいれば、管理職の経験が長い人もいます。一方で、指導役の管理者は若手が多い。コールセンターでの仕事は、年齢や経験を問わずチームとして成果を出していく仕事であり、管理者と目標を共有し、チームの一員として協力して仕事をすることの重要性を理解してもらうように努めています」(川添氏)  次の「脳の活性化トレーニング&タイピング」も、高齢者仕様のメニューの一つ。いわゆる脳トレとタイピングのトレーニングを組み合わせて、記憶力やパソコンの処理速度の向上を目ざしている。  「年齢を重ねると、筋肉と同じで記憶力などの機能が衰えていくこともあります。パソコンを使ったトレーニングによって脳の活性化を図り、同時にマウス操作もスムーズにできるようにします。プレ研修後の業務研修では覚えることも多いので、このトレーニングを通じて脳を活性化してもらいます」(人材本部人事戦略部TMJユニバーシティ・山田敬三(けいぞう)氏)  電話応対の基本である、顧客との話し方や聞き方などのコミュニケーションの方法については、エルダーでもわかるようにロールプレイングを交えながら理解してもらう。高齢者のなかには、口の開き方がうまくできずに滑舌(かつぜつ)がよくない人もいるので、声の出し方や抑揚のつけ方など、発声練習をくり返して行う。電話応対の基本は業務の根幹であり、2日目も同じ時間を割いて学ぶ。また、すべてのメニューにおいて振返りの復習を行うことで、業務研修への不安感を払拭(ふっしょく)することに主眼が置かれている。 講師を務める現場責任者向けの研修でエルダーを育成するためのスキル≠習得  業務研修は、受入先の各センターで実施される。発信業務の研修は1〜2日程度だが、受信業務を学ぶ研修は1〜3カ月間の長期におよぶ。発信は定められた内容を顧客に対し案内することがメインだが、受信はカスタマーサポートなど、顧客の質問に対応するために学習する専門的知識も多いからだ。研修は実践をともなうOJTとOFF−JTを組み合わせて行われ、1週間に1回、進捗状況を確認するための個別面談も開催される。  業務研修でも、高齢者の特性に応じたさまざまな工夫がなされている。一つは研修テキストの読みやすさの工夫だ。通常のスタッフよりも字を大きく表示し、さらに図やイラストをできるだけ多用し、理解しやすくしている。また、黄色や青・緑など一定の色が識別しにくいという高齢者の特徴を考慮し、見えにくい色を使わないようにしている。  さらに業務研修や指導を行う現場の責任者に対し、エルダー対応の事前研修も実施している。これも東京大学の産学ネットワークの研究から生まれたものだ。  近年では若者の多くがパソコンやスマートフォンを活用するため、コールセンターに電話をかけてくる比率は高齢者が必然的に高くなる。そこで産学ネットワークを通じて、高齢の顧客に対し、どうすればわかりやすく説明し、納得してもらえるかの研究を行っていたという。その研究をベースに、エルダーが気持ちよく学び、仕事をしてもらうために、マネジメントをする側≠ェエルダー特性を理解するための、マネジメント研修がスタートした。  研修の対象はエルダーを受け入れる札幌地区のセンターのマネージャーとリーダーの96人。採用が本格化する前年の2016年から始まった。エルダーには親子ほど年齢が違う人もいれば、つちかってきたキャリアに対する自負心が強い人もいる。相手の話を「そうですね」としっかりと受け止めつつ、わからないところは素直に聞いてもらえるような関係性をつくり上げることを重視している。  また、前述したテキストを読みやすくする以外にも、「プロバイダー」、「HTML」といった専門用語のカタカナ言葉をわかりやすく言い換えて伝えるようにしている。  実際に同社の研修・育成プログラムはエルダーにも好評だ。川添氏は「プレ研修については『こんなにていねいに教えてもらった経験がないので非常にありがたい』という声もいただいています。また、学ぶことに前向きな人が多く『研修資料を家に持ち帰って勉強したい』という人もいます。社外秘なので持ち出せないというと、早めに出社して勉強したいという熱心な人もいるんです」と語る。  プレ研修の成果だけではなく、エルダー自身の仕事に対する意欲の高さに改めて驚かされたという。  「センターの報告では、受信・発信業務ともに1カ月目のスキル修得状況は若い人よりも若干落ちますが、2カ月目以降はほかの世代と比べても遜色(そんしょく)なく伸びていきます。特に発信業務は若い人よりもスキルの上達が早い人が多いのです。やはり人生経験が豊富なので、コミュニケーション能力に優れているのでしょう。トップレベルの成績を出している人も多くいます」(川添氏)  若年層のスタッフと変わらないパフォーマンスに加えて、定着率も若年層に比べて3倍程度高いという効果も生まれているそうだ。 定着率の高いエルダーの活用で安定したコールセンター運営の構築をめざす  同社としては札幌地区を皮切りに、エルダーの採用を全国の拠点で展開していく予定だ。だが、そのための課題もある。一つは管理者の年上のスタッフに対する抵抗感だ。もちろんクライアントが嫌がるという事情もあるが、年上のスタッフを採用し、指導することに躊躇(ちゅうちょ)する管理者も少なくない。川添氏は今後の取組みとしてマネジメント教育の充実をあげる。  「現在の研修は、高齢者の特性を知り、その気持ちに配慮した対応をメインに行っていますが、実際に受け入れてからどのように業務を進めていくのか、具体的な事例を通じて学んでもらうようにしたい。例えば、エルダー層を受け入れるための業務の切り分けなど、活用策を工夫する方法も提示していきたいと考えています」  一方、少子高齢化が進むなか、今後の高齢者の活用策について、木下本部長はこう語る。  「エルダーが増えてくると、エルダーのなかで、後期高齢者を前期高齢者が支える、ということも可能になるのではないかと思います。そこまで行くにはまだ道半ばですが、その準備はできつつあります。まずは高齢のオペレーターが経験を積んで管理者になるためにどうしていくのかという方法論を検討していきたい。人手不足のなかで、定着率の高いエルダーの比率を上げることで、安定したセンター運営を構築していきたいと考えています」  同社は競合他社に先駆けて、コールセンター業務での高齢者の雇用にふみ切った。最大のポイントは、科学的分析により高齢者の特性を把握し、その対応方法や人材育成の手法を過去のデータを参考に時間をかけて構築したことである。そして高齢者の意欲をベースにしたスキル開発で高齢者を戦力化することによって、若年層主体のコールセンター業務でも成果を出すことに成功している。  同社の取組みは、高齢者ではむずかしいとされる業務でも、方法次第で生産性向上をともなう働き方が可能となる好事例といえるだろう。 図表 プレ研修カリキュラム 初日 9:00-17:00(実働7H無給休憩60分) 8:30〜9:30 入社手続き 60分 9:30 オリエンテーション 20分 10:00 TMJについて 40分 11:00〜12:00 マインドセット(コンタクトセンターの仕事とは?) 65分 12:00〜13:00 昼休憩 13:00〜14:00 脳の活性化トレーニング&タイピング 50分 14:00〜15:30 電話応対の基本 110分 15:30〜16:30 振返り 40分 2日目 9:00-13:00(実働4H無給休憩0分) 9:00 1日目の振返り 30分 9:30〜11:00 電話応対の基本 100分 11:30 アウトバウンド業務とは 30分 12:00 わかりやすい説明の仕方とは 20分 12:30 演習 40分 3日目 9:00-13:00(実働4H無給休憩0分) 9:00 2日目の振返り 30分 9:30〜12:30 総合演習(ロールプレイング) 180分 12:30 3日目の振返り 40分 左から人材本部人事戦略部の山田敬三氏、川添千寿子氏、木下哲本部長 第4回 大正(たいしょう)建設株式会社(宮城県石巻(いしのまき)市) 人事ジャーナリスト 溝上(みぞうえ)憲文(のりふみ) 震災後の社員の生活を守るため定年を65歳に延長  人手不足や社員の高齢化が進行するなかで、いかに生産性を向上させるかが大きな課題となっている。その一つの方法が、新技術導入による省力化や業務の効率化の推進である。だが、新技術や機械の導入による省力化は従業員が長年つちかってきた知識・経験やスキルを活かすことがむずかしくなるだけではなく、新たなスキルも習得しなければならない。  ソフトランディングするには高齢社員の新技術に対する理解と意欲の喚起(かんき)がきわめて重要になる。建設業界でいち早く新技術を導入し、生産性向上に果敢に挑戦しているのが宮城県石巻市にある大正建設株式会社だ。同社は建築・土木などの総合建設業と一般貨物運送事業を営む社員40人の会社。うち60歳以上が14人と35%を占め、65歳以上の社員も8人いる。  同社は2013(平成25)年1月に定年年齢を65歳に引き上げ、66歳以上の社員は継続雇用とする制度を導入した。大槻(おおつき)正治(まさじ)社長はその理由についてこう語る。  「一つめは、少子高齢化のもとでの人材確保です。特に石巻市は毎年人口が流出しており、東日本大震災による津波浸水地域として、被害者の数も多く、にない手不足が深刻です。二つめは、団塊の世代が定年時期に入り、中堅・若手社員への技術の継承が思うように進まないという事情があります。三つめは、被災により家を失った若い社員がたくさんおり、家を建て直す必要がありました。住宅ローンを組むなど生活再建のためには収入確保が必要なため、継続雇用で70歳ぐらいまで働くことができればローンの支払いが終わります。こうしたさまざまな事情をふまえて、定年を65歳に引き上げました」  定年を65歳に延長しても給与は毎年昇給する。一方、66歳以降は本人の希望により上限年齢を設けない継続雇用とし、原則として昇給はしないが65歳時の給与を保証している。退職金は定年時に支給するのではなく、定年後も継続して積立てを行い、退職時に支給する。手厚い処遇の背景には、「体力の続くかぎりは現役としてがんばってほしい」(大槻社長)という期待がある。 生産性向上と職場環境改善を目ざし最新のICT建機の導入を決断  社員の仕事はパワーショベルやブルドーザーなどの建設機械のオペレーター、ダンプトラックの運転などに分かれるが、実際は、一人ひとりに、建築・土木作業などあらゆる仕事をこなせる多能工的役割が期待されている。それだけに高齢者の負荷も少なくない。  現役として長く活躍してもらうには、職場環境の改善が必要との認識から、これまでさまざまな取組みを実施してきた。その柱が「安全衛生会議の活性化」、「新技術の導入」、「休日の確保」の三つである。  建設従事者の安全性の確保は不可欠の条件だ。労働安全衛生法に基づく安全衛生責任者や職長の講習は1回受講すれば終わりではなく、定期的な受講が義務づけられており、高齢者も受講する。同社では安全衛生会議が定期的に開催されているが、安全意識を徹底するための会議の活性化策も工夫している。例えば、会議では必ず司会と書記を設けるが、高齢社員と中堅・若手社員の二人一組で担当し、年齢に関係なく意見をいい合える雰囲気づくりに努めている。  2番目の新技術の導入とは、最新の「ICT(情報通信技術)機器」※を搭載した建設機械のことだ。建設業界では「情報化施工」と呼ぶ。通常の建設作業は、現場の調査・設計・測量の後、施工を経て検査が行われる。情報化施工は簡単にいえば、設計や測量データなどバラバラになっている情報を同じ規格でまとめて現場施工に利用するものだ。具体的にはどのように施工するかという調査・設計データを機械にインプットすれば半自動的に施工が可能になる。  同社には全部で40台の建設機械があるが、うち20台がICT建機だ。駐車場には十数台の建機が並んでおり、実際にパワーショベルの運転席に座らせてもらった。外観や内部はまったく普通の建機と同じである。座席の前にレバーがあり、通常はこのレバーを手で操作し、先端部分の土砂をすくい上げるバケットを動かして掘削(くっさく)、整地、地固めなどの作業を行う。だがこの機械には左側にモニターが二つついている。一つは入力したデータを表示するもの、もう一つは機械の周囲360度を映し出す。  機械の操作は半自動だが、実際は人がレバーを動かす。大槻昌克(まさかつ)副社長は機械の機能について次のように説明する。  「モニターからデータを出し入れして調整します。人の操作は必要ですが、例えば間違って深く掘ろうとしたら、設定したデータの数値以上に掘らないように制御され、設計図通りの高さで掘ることができます。バケットの傾きや位置を設計図面に合わせてくれるので効率よく作業ができます。通常の機械操作はレバーを縦横に動かしながら機械を旋回したり掘削したりするなど操作が複雑なので、ベテランになるには5〜10年の経験が必要です。しかしICT建機は間違った動きを制御し、機械に従って動かすことができるので、1年程度で習得できますし、高齢者や女性でも操作が可能です」  建機の四方には小型カメラが設置され、360度監視によって人が近づくと油圧モーターやエンジンが停止するなど、セキュリティ機能は万全だ。同社がICT建機を最初に導入したのは2014年。東北地域では最も早かったという。だが、作業効率や安全性に優れているといっても価格は通常の建機の2倍以上だ。なぜ導入したのか。  「団塊世代の社員が退職したことで技能の継承がむずかしくなったためです。建機のスキルは頭で覚えられるものではなく、五体を使って覚えるのでどうしても時間がかかります。技能の継承が追いつかない場合は生産性や収益性も低下します。さらに高齢者や経験不足の社員が増えることで現場での事故など災害リスクも高まります。ICT機械はたしかに高額ですが、にない手がいないという現実をカバーするために導入することにしたのです」(大槻社長)  また、高い技能を持つ高齢者でも、事故を起こさないように気を張りつめて作業をするので精神的、肉体的負担も軽くはない。退職した高齢社員から「社長、若い人たちについていけなくなった。そろそろ卒業させてもらいたい」といわれたことも大槻社長の記憶にあった。 長年の知識・技術・経験があるからこそ高齢社員のスキル習得は若手より早い  にない手不足と技能の継承、高齢社員の負担の軽減という課題を解決するためとはいえ、巨額の投資に違いない。また、機械の性能がよくても動かすのは人である。ICT建機の技能習得も必要になる。当初は1台購入し、その後建機の数を増やしていったが、新しい建機を購入するごとに機能がバージョンアップする。機械が変わるたびに必要な技能を学ばなければならない。  最初のICT建機を購入した2014年10月には、翌年の稼働に向けて勉強会をスタートした。メーカーの担当者が講師となり、同社の2階の会議室で社員を集めて学んだ。  「参加者は、現場のオペレーターや技術管理者など12人。そのときは元請け企業の担当者も呼んで、一緒に勉強しました。当時元請け企業でICT建機を持つところはなく、発注する側も機械の機能を知る必要があったのです。座学だけではなく、元請けの現場を提供してもらい、機械を使った実践学習も行いました」  だが、最初からすんなりと運んだわけではない。当初はベテランの高齢社員は面倒くさいといって学ぶことを嫌がったという。  「なぜなら、高齢社員にとっては、これまでつちかった自分の技能が否定されるようで、嫌なのです。自分のスキルが機械に負けてしまうというショックもあったのでしょう。彼らに対して私は、『あなたが機械を使わなくても構わない。でも、何十年の経験を持つあなたが前に進むことなく逃げてしまったら、若い人は決してついてこないよ』と話して納得してもらいました」  こういえるのは、大槻社長自身が創業時からあらゆる建機を使いこなしてきた第一人者だったからでもある。だが、長年つちかったスキルを否定されることほど辛(つら)いものはない。建設業界にかぎらず、どの産業でも起こり得ることだ。その精神的な壁≠乗り越えるために、大槻社長は発破をかけ続けた。ベテラン社員の背中を押し、みんながやる気になると逆に成長も早かった。  「やる気になれば、覚えるのにそれほど時間はかからないのです。なぜならベテラン社員は機械操作の長年の経験があるため、基礎力は80〜90%持っているのです。90%の知識と経験があればプラス10%の知識を学ぶだけでよい。逆に若い人は基礎力が10%しかなければ、残りの90%を学ばないといけません。ベテラン社員がいったん操作を覚え、ICT建機を使うと、だれもが快適で楽だと話しています」(大槻社長) ICT建機の導入で生産性が向上し従業員の休日確保に貢献  2016年4月には、本社を会場に、外部の人を集めて100人規模のICT建機のセミナーを開催した。宮城県の職員をはじめ元請け業者や同業者が集まり、ICT建機の機能と操作の学習会を経て、同社の社員による機械の実演を披露した。宮城県内ではICT建機がまだどういうものか知らない人も多く、参加者は一様に驚きを隠せなかったという。  もちろん機械操作は一度マスターすれば終わりというものではない。前述したように新たな機械を購入するたびに進化していく。大槻副社長は「最初に購入した機械も使えないわけではありませんが、機械の機能は毎年のように増えていきます。機械を動かす基本操作は変わりませんが、モニターを見ながらデータを呼び出し、操作をするので、モニター操作が理解できなければ、せっかくのICTがただの機械になってしまいます。その都度、操作をマスターしていく必要があるのです」と語る。  2018年には3月から11月にかけて5台を導入しているが、その都度研修会を開催している。現在でも1カ月に1回は研修会を開催し、いまでは高齢社員を含む社員全員がICT建機を操作できるようになっている。  また、高齢社員にかぎらず、だれもが覚えやすいように工夫もしている。  「重視しているのは見える化≠フ徹底です。必要な操作については必ず、写真を撮って丸印をつけ、『このボタンを押せばこうなる』といった説明を機械に貼りつけています。文字だけではわかりにくいので、イラストで説明するのもポイントです」(大槻副社長)  ICT建機では、前述したように最初のデータ処理も重要になる。データ処理も含めて研修の指導役となっているのが40代の管理者たちだ。先ほどの覚えるための見える化≠煌ワめて、若手への指導や高齢社員への機械の説明などを行う。「ごく自然体でやっているので、教えてもらう高齢社員も自然体で学んでいますよ」(大槻社長)  従来はスキルの高いベテラン社員が後輩に教えるのが一般的だったが、ICT建機導入後、ベテランを含めてみんなで学び教え合う風土が醸成(じょうせい)されている。もちろん効果はそれだけではない。若い世代も含めて技術を習得するスピードも早まり、現場作業の効率化が図れることで生産性も向上した。大槻社長は「例えば5カ月かかる工事が1カ月短縮できるなど生産性は確実に向上しています。もちろん機械ですべて対応できる工事だけではありませんし、道路に側溝を入れる細かい工事では、いまもベテランの熟練スキルが必要です」と語る。  ICT建機の導入により同社の生産効率は高まり、建設業で一般的となっている「4週4休」からの改善が進み、現在では全社員が「4週8休」をほぼ達成しているという。  ICTと高齢者の就業は一見、結びつかないように見えるが、最新のテクノロジーを駆使することによって職場環境の改善につながり、高齢者の働く意欲を向上させる。同社の取組みは、今後の高齢者就業のあり方を考えるうえで、大きなヒントを与えてくれる。 ※ ICT(情報通信技術)機器……ネットワーク通信による情報・知識の共有が可能な機器 大槻昌克副社長 大槻正治社長 ICT建機のための勉強会の様子 第5回 立教セカンドステージ大学(東京都) 人事ジャーナリスト 溝上(みぞうえ)憲文(のりふみ) 生涯現役時代だからこそ重要な「学び直し」とは  人生100年時代のなかで、長い職業生活や地域での生活を充実させるための「人生の再設計」の契機となる「学び直し」が注目されている。具体的な学び直しの機会として、大学や専門学校に通う、通信教育やオンライン講座の受講、各種セミナーへの参加、独学など、さまざまな方法がある。そのなかでリベラルアーツ(教養教育)を基礎に「学び直し」、「再チャレンジ」、「異世代共学」を目的としてシニア世代を対象に開学したのが、立教セカンドステージ大学だ。  創設は2008(平成20)年。満50歳以上を入学要件とし、本科(1年)と本科修了後の専攻科(1年)にわかれ、本科で約100人、専攻科で約50人が学んでいる。本科入学者は50歳から上は80歳すぎまでと幅広く、平均年齢は62〜63歳。就業している人が約30%、残りは定年を迎えた人や主婦などである。男女比は約半々の構成だ。創設以来、今年で12期目を迎え、修了生も約1000人を数える。入学の目的は「教養・生涯教育」、「これからの生き方探し」、「人との出会い・ネットワークづくり」などさまざまだ。  立教セカンドステージ大学の特徴と学び直しの意義について、同大学の野澤正充(まさみち)副学長(立教大学副総長)はこう語る。  「生涯学習講座はさまざまなところで開催されていますが、ほとんどが一過性の学びで終わります。本学では1年間を通じて体系的に学び、市民としての教養を高めてセカンドステージに向けた考え方≠身につけることを目的にしています。大学を出て就職すると、二度と大学に戻ってこないまま引退するのが一般的ですが、いまでは就業環境も変わり、終身雇用も崩れつつあります。リカレント教育※1の意義は二つあり、一つは大学を出た後のある段階でもう一度大学で学び直すことで職業のスキルアップを図ること。もう一つは人生100年時代になり、60歳、65歳の節目で今後どのように生きていくかという自分の基軸を見つけるための学び直しです。本学では後者に重点を置いています。さらにファーストステージでつちかった経験やノウハウを、どのようにして社会に還元していくか、社会貢献に結びつけていくかということも、本学の大きな目標の一つです」 多彩なカリキュラムと異世代共学で受講生の価値観を広げる  創立の趣旨にも「受講生が〈自由な市民〉としての生き方を自らデザインできるようにサポートする」と謳(うた)う。ではどのようにしたら生き方を自らデザインできるようになるのか。同大の教育システムを見てみたい。  一つは多彩なカリキュラムである。「エイジング社会の教養科目群」、「コミュニティデザインとビジネス科目群」、「セカンドステージ設計科目群」の三つ(各15科目)があり、自由に選択できる。教養科目群には「古典として読む旧約聖書」、「東洋思想からの問い」など古今東西の知的財産に加え、「壮年期・老熟期の生涯発達心理学」など、シニア層を意識した独自の科目もある。コミュニティデザインとビジネス科目群は、ソーシャル・ビジネス、NPO活動、各種のボランティア活動について実践的に学ぶ。「シニアが輝くライフスタイル」や「修了生が語るアクティブシニアの生き方」などユニークな科目もある。  セカンドステージ設計科目群は、食・健康・住まいなど自分の将来を見据え、活き活きと生活するシニアの「人生設計」の立案を支援する。「食と健康の科学」、「セカンドステージの住まいづくり」、「健康長寿とアンチエイジング」、「高齢者の生活と介護保険」など実用的な科目が用意されている。こうした専門科目以外に必修科目として各教員が毎回違うテーマで講義するオムニバス講義※2「学問の世界」がある。野澤副学長も「現代社会と民法」の科目を担当している。講義の特徴についてこう語る。  「講義は問題を一緒に考えていくスタイルでやっています。これまで法科大学院で教えていましたが、法科大学院では法律家になるための知識の伝授が中心です。本学では知識の詰め込みよりも、むしろ考え方を身につけてほしいと思い、じっくりと考える素材を与えて議論するようにしています。こちらから絶えず質問し、考えて答えてもらうのですが、社会経験が豊富なみなさんですので本当にいろいろな考え方や意見が活発に出てきます。教える側にとってもおもしろいし、よい刺激になっています」  講義は4時限(15時20分〜16時50分)と5時限(17時10分〜18時40分)の時間帯に実施される。春学期と秋学期のほか、8〜9月には夏期集中講義が行われる。さらに上記の科目以外に立教大学の全学部学生を対象に開講している授業(全学共通科目)も一定の範囲内で受講できる。これを同大では「異世代共学」と呼んでいる。これこそ親子、孫と子ほど世代も違う学生がともに学ぶことで異なる価値観や考え方などを知る多様性を受容する場となっている。 受講生の「気づき」と「発見」をうながすためのゼミナール  2番目の特徴は、すべての受講生のゼミナール参加と修了論文の作成だ。受講生は八つのゼミナールのいずれかに所属し、担当教員の指導を受け、1年をかけて修了論文の作成を目ざす。一つのゼミナールの定員は10人前後。教員が出席する本ゼミと受講生だけで運営する自主ゼミが交互に開催され、あくまで受講生の自主的・主体的活動が基本であり、担当教員は論文テーマの選定や、そのための学習・フィールドワークの方法から論文作成の指導について徹底してサポートする。  野澤副学長は「ゼミナールの仲間と議論すると、いろいろな考え方の人がいることがよくわかります。自分の考えを主張しても必ずしも受け入れられるわけではありません。異なる意見や考え方を知ることで新たな気づきと発見があり、受講生相互の絆が深まります。シニアになって長い論文を書くことは大変ですが、『論文を書く』という行為は、クリエイティブな活動ですし、『自分とは何か』という自らの内面に迫るものでもあります」と、その意義を語る。  実際にゼミナール参加と修了論文の作成は受講生にとっても得がたい経験となっているようだ。同大に2017年に入学した佐藤勇一(ゆういち)氏(69歳)はゼミナール活動についてこう語る。  「修了論文のテーマを何にするのかを決めるのですが、ゼミのメンバーがそれぞれ中間発表し、みんなで批評しながら固めていきます。私は国内旅行をするなかで古い町並みがどのように保存されているのかに興味をもったのですが、その話を先生にすると、それをまとめてみればどうかと示唆されました。テーマが決まると執筆に入りますが、その内容や文章の書き方ついての指導は非常に厳しく、文章を書くのが苦手な人にとっては1年間苦しんで書き上げることになります。それでもいままで漠然と興味があっただけの段階から、先生の指導やアドバイスを通じて、きちんとまとめ上げるきっかけをつくっていただいたことに感謝しています」  佐藤さんは本科の論文完成後、専攻科でも論文作成に重点を置き、「日本の近代化遺産」というテーマで論文を書き上げた。「本を読むだけではなく、教室の外でも各地を訪ね歩いて話を聞くフィールドワークを通じて学ぶというステージをつくってもらった」と語る。 社会貢献活動サポートセンターが学習活動の継続を支援  3番目の特徴は、受講生・修了生による自発的な社会貢献・研究活動である。その一つの母体となっているのが「社会貢献活動サポートセンター」だ。受講生や修了生が社会との交流や社会貢献活動を促進するために設置され、登録された団体の活動を担当の教員や顧問がサポートする。現在13の登録団体があるが、団体の発足から運営まですべてをメンバーが自主的に行う。例えば1期生から在学生までの音楽好きが参加する「ウクレレ合唱団」は演奏と合唱の練習だけではなく、高齢・障害者施設での公演も行っている。そのほかに「かがやきライフ研究会」、「日本に住む外国人を考える会」、「ソーシャルビジネス研究会」など多様な活動を展開している。  驚くのは修了生の学習活動の継続性とネットワークの広がりである。受講して終わりという一般的な生涯学習講座とは異なり、大学での学びを契機に日常的な学習意欲を絶やすことなく継続し、その活動を大学時代に築いたネットワークで互いに支え合う仕組みを構築している。野澤副学長は「千人いる修了生のうち約400人が何らかの研究会に所属し、定期的に活動している。サポートセンターは修了生を社会につなげていくために設置したが、その広がりは予想以上の成果を上げている」と評価する。  また、講義以外に2泊3日の清里(きよさと)合同ゼミ合宿、クリスマスパーティー、修了パーティーなどのイベントがあるが、こうした課外活動は受講生たちが委員会を組織し、運営を行っている。セカンドステージ大学の情報発信の機関誌も受講生で組織する「ニューズレター編集委員会」が取材・執筆依頼・レイアウトまでこなしている。 シニア世代の「学び直し」は企業の人材育成のヒントになる  このように大きく三つの特徴を持つ同大の教育システムは修了生にどのような影響を与えているのか、佐藤さんに話を聞いた。一級建築士の資格を持つ佐藤さんは勤務先の建築設計事務所の代表を65歳で退き、66歳で同大に入学した。入学の動機は「これまでの仕事中心の人生を切り替えようと、仕事のウエイトを抑えつつ学び直そうと思ったのです。もう一つは地元の自治会活動を積極的にやりたいと考えていたので、この大学で社会貢献や地域貢献活動について学べると思いました」という。  大学の講義はどれもおもしろく、市民活動について語る教員の熱意にも圧倒された。そして前述したように本科の修了後、専攻科に進み、2本の修了論文を書き上げた。この2年間に得られたものは何か。佐藤さんはこう語る。  「これまで仕事ばかりやってきた人生に比べ、本当に豊かな時間を過ごすことができましたし、何より学ぶ姿勢を身につけたことが大きな成果です。いまも自身で見つけたテーマについていろいろな本を読むなどして追いかけています。もう一つ自分にとって大きかったのはゼミの仲間と出会えたことです。本科のゼミ員は10人ですが、専攻科が終わったいまでも自主的な研究会を続けています。昨年の研究会のテーマは『色』ですが、仲間がそれぞれ色に関する研究結果を発表し、みんなで議論します。こんな研究ができる仲間はなかなか見つけられるものではありませんし、私にとっては人生の宝です。もちろん研究会後の懇親会も楽しいですが、この仲間と巡り会い、いまも交流が続いており、本当によかったと思っています」  ゼミの仲間には、専攻科を修了後に大学院に進んだ人、別の大学の通信課程で勉強している人、通訳案内士の資格を取得し、美術館で働いている人、NPO法人の立上げに奔走している人など多様だ。佐藤氏も仕事を継続しつつ、土・日は自治会活動に参加、その一方、個人では「マンションの老朽化」をテーマに研究活動を続けている。  立教セカンドステージ大学の学び直しの取組みは、少なくとも二つの大きな効果を発揮しているように思う。一つめは教育学者の天野郁夫(いくお)東京大学名誉教授が「学ぶことにおいて最も身につくのは自ら教えることだ」といっているが、講義を聴く、本を読む以上に自分の意見や研究した成果を発表する機会が随所に設けられていることだ。ゼミ活動における研究テーマの発表などにおいて、考え方の違う他者の理解と共感を得るには、あらゆる検証に耐えうる、人一倍の準備作業と理論の体系化など、テーマの深掘りが求められる。さらに第三者の示唆を受けることで知への欲求をかきたてられ、知性が研ぎ澄まされていくのだと思う。  二つめは、いま企業が社員に求めている「変化対応行動」※3を養ううえで最適な環境を提供している点だ。「知的好奇心」、「チャレンジ力」、「学習習慣」の三つの要素は、変化対応行動に有効であるという研究結果がある(エルダー2019年4月号8頁参照)。そしてこの三つの能力は同質的価値観を共有する社内より、社外の異なる価値観の人と積極的に交流することで磨かれることも明らかになっている。まさに同大の取組みにより、過去の経歴や職歴・社内での役割が異なる人たちがともに学び合うことで知的好奇心や学習習慣が高まることが実証されている。同大の取組みは企業のキャリア教育においても重要な示唆を与えるものとなっている。 ※1 リカレント教育……義務教育の終了後、生涯にわたって教育とほかの諸活動を交互に行う教育システム ※2 オムニバス講義……毎回教えるテーマが変わる形式の講義 ※3 変化対応行動……社会の変化に適切に対応していくこと。「知的好奇心」、「チャレンジ力」、「学習能力」の三つが重要となる(本誌2019年4月号特集「佐藤博樹教授特別インタビュー」参照) 写真のキャプション 野澤正充副学長 佐藤勇一さん 最終回 NTTコミュニケーションズ株式会社(東京都千代田区) 人事ジャーナリスト 溝上(みぞうえ)憲文(のりふみ) ベテラン社員のモチベーション向上へ1人で延べ1800人と面談  65歳までの雇用が一般化している今日、働く意欲が失われやすい50歳前後のベテラン社員のモチベーションの向上が大きな課題になっている。対策としてキャリア研修などによってマインドチェンジに取り組む企業も多いが、期待する効果を上げられない企業も少なくない。そのなかで、一対一の面談を軸に着実に成果を積み上げているのが「NTTコミュニケーションズ株式会社」だ。  同社の平均年齢は44・5歳(2018(平成30)年)。40歳以上が全体の7割を占め、50歳以上が37%とシニアの比重も高く、50歳到達者は毎年200〜300人に上る。2014年から非管理職の50歳全員を対象に面談をスタートしている。面談が終了した3〜4カ月後に実施している面談対象者の「行動変化」に対する上司へのアンケート調査によると、常に7〜8割の上司が前向きな行動変化があったと回答しているという。  なぜこうした成果が生み出されるのか。プログラムは、「キャリアデザイン研修」、「キャリア面談」、「面談結果の上司へのフィードバック」の三つの流れで構成される。研修はあくまで面談のための動機づけであり、中心となるのは面談だ。しかも同社ヒューマンリソース部人事・人材開発部門の浅井公一(こういち)担当課長が一人で、全員と直接面談をしているのが大きな特色だ。  なぜ一人で全員と面談をしているのか。浅井氏はそのきっかけについてこう語る。  「経営課題として中高年の活性化策を人事部が提案したとき、当時の副社長から『ベテラン社員のモチベーションが本当に下がっているのか、取組みの前に現状を調べてほしい』といわれたことがきっかけです。そこで、現状を把握するために、年齢的に節目となる50歳の非管理職全員の面談をすることになりました。その方針を副社長に報告すると、『複数人で面談をすると、一人ひとりの見る目や秤(はかり)が違うので現状の把握にならない。秤の正確さは問わないので、面談は一人が担当するように』、『全員と面談を行い、当社のベテラン社員の働き方や価値観に精通した人材がいれば、会社としても有用で心強い』といわれたのです」  そこで白羽の矢が立ったのが、長年労働組合の幹部として活躍し、中高年問題に関心を持っていた浅井氏だった。だが、スタート当初は社員の本音を引き出すべく面談に臨んでも、「机を叩いて怒る人、途中で席を立つ人など、全然うまくいかなかった」(浅井氏)という。そこで、一念発起してキャリアコンサルタントの資格を取得。面談の前には、面談対象者の上司に人となりについてヒアリングし、うちとける雰囲気を工夫するなど、経験を重ねながらノウハウをつちかっていった。スタートから6年目を迎えるが、面談した社員は延べ1800人に上るという。 面談の効果を高めるために「キャリアデザイン研修」を実施  面談を軸とする同社の仕組みは、毎年4〜5月に開催される「キャリアデザイン研修」から始まる。期間は1日で、1回の参加者は20〜30人。50歳になった全員が参加するので、対象者が300人の場合は10〜15回開催される。プログラムは、自分を客観視するためのオリジナル動画の視聴に続き、同社のヒューマンリソース部長が会社のビジョンと方向性について話し、50代社員への期待を熱く語る。その後、講師による講義とグループごとに課題を与えるワークショップへと続く。  研修のねらいは、あくまでも面談の動機づけだが、最大の効果を得るための検証を徹底している。取組み開始1年目は、7人の外部講師に依頼したうえで、同社の風土に合う・合わないなどを観察。2年目は3人に選別し、3年目以降はさらに2人に絞った。また、各講師が担当する対象社員やワークショップのクラス分けも、ランダムではなく事前に調整している。  「職場には、順調にがんばっている人もいれば、何らかの悩みを抱えている人もいます。それにふさわしい講師と内容を毎回検討しています。また、ワークショップでは、キャリアを選択するための軸となる価値観である『キャリアアンカー』が近い人同士を事前にグループ分けします。昇進することに価値観を置いている人、ワークスタイルを重視している人、キャリア自律に関心がある人など、同じ価値観を持つ人同士なのでワークショップも活性化します。私自身も後ろのほうで研修風景を観察し、参加者が特徴的な発言をした場合はメモを取って、面談の参考にしています。研修終了後は講師と反省会を行い、時間配分やテキストの中身について見直すなど、課題を深く掘り下げながら、意見交換をしています」(浅井氏)  企業によっては、研修の最初と最後の部分だけ人事担当者が立ち会うケースもあるが、面談の材料とするため、最初から最後まで見守り、研修中の一人ひとりの言動を浅井氏自身が観察している。研修の最後には参加者全員に「キャリアビジョン」を書いてもらう。ただし「1年後や10年後のことなど、どのように書くかは本人の自由に任せ、漠然とこうしたいと思うことを書いてもらいます。面談までの間にじっくり考えてもらうのが目的です」という。 前向きに働けるようになるなら目標が「毎朝挨拶をする」でもよい  全員対象の個人面談は、研修が終わった1〜2カ月後の6月ごろから始まる。面談時間は30分〜1時間程度。面談では、自分が「こうなりたい」というビジョンを聞き、実現するための短期的目標などを設定する。面談を通じて組織・業績に貢献することが最終的な目標であるが、何よりも目標に向けて本人が自律的に行動するようにうながすことを主眼としている。  本人が書いたビジョンシートに基づいて話し合うが、面談での最初の質問は「この前の研修はどうでしたか」に決めているという。  「経験則でいうと、『楽しかったです』という人は職場でもがんばっている人が多く、逆に『辛かったです』という人は活躍できていない人が多い。その答えでどういう人なのかがわかりますし、昇進の状況や評価などの人事データと照らし合わせながら、コミュニケーションの内容を決めます」(浅井氏)  面談の進め方としては、例えば財務系の社員の場合、「後輩の役に立つようになりたい」という目標だけでは具体性に欠ける。そこで「後輩に対して毎月第三水曜日に財務勉強会を開きます」と、客観的に実行しているかどうかがわかるように具体的な目標にまで落とし込んでいく。ただし、目ざす目標やレベル感は人によって異なり、まさに百人百様。浅井氏が常に意識しているのは、本人の置かれた状況や能力を見極めたうえでアドバイスすることだ。  「本人のレベルに合わせて個別に対応するようにしています。極端な例ですが、朝の出社時に挨拶をしない人が、『おはよう』というだけでも、『チームの雰囲気が変わった』と上司から感謝されることもある。前向きに仕事をするためなら、『毎朝、おはようと挨拶をする』という目標設定もあり≠ネのです」(浅井氏)  あるいは肥満気味の社員に「英語を勉強するよりもウォーキングをしなさい。時間が余ったら英語の勉強をしては」とアドバイスしたこともある。同社では英語力の習得を奨励しているが、「本当に英語をやりたいのか疑問でした。アドバイスを受けて本人は熱心にジョギングをやり、半年後には『体重が8s減り、身も軽くなり腰痛もなくなりました。おかげで仕事も充実しています』と報告を受けました。50歳にとってはやはり健康も重要。その人にとって何が幸せなのかという視点は大切です」と語る。  面談では本人の悩みの解決も重視しているが、悩みの7割がプライベートに起因するものだという。老親の介護、腰痛による通勤の辛さ、再雇用後の住宅ローンの返済など多岐にわたる。それぞれの悩みをどうやって乗り切っていくのかを考えさせ、解決に導いていくのも浅井氏の役割だ。また仕事の面で「高い評価を得て、昇進したい」という人もいる。それがむずかしいと思われる人には、あえて目標を修正するようアドバイスすることもある。  「出世したいというのはサラリーマンとしては健全だと思いますが、客観的に見てその可能性が低いと思われる場合は、私の判断で別の可能性を提案することもあります。例えば『昇進するにはマネジメントスキルが必要になりますが、それに向けて努力するよりもITリテラシーをもっと磨いたほうが業務を進めるうえで役に立つし、会社からも評価されますよ』と話す。本人にとって何が一番幸せにつながるのか、自分にふさわしい生き方をどのように見つけていくのか、キャリア指導というよりも、考え方、思考法をアドバイスするのが私の役割だと思っています」(浅井氏) 社員自身が現状と向き合い新たな目標を設定できるようサポート  同社のボイス&ビデオコミュニケーションサービス部の森川裕子(ゆうこ)氏も浅井氏のアドバイスによって当初の目標を修正し、新たな目標を発見した一人だ。  「ずっと働き続けたいと思っていますが、会社で何が活かせるのかわからなくて、『英語は仕事のためにも必要かも』と勉強はしていましたが、なかなか身につかない状態でした。面談のときに浅井さんから『かも≠ノは投資しないで。50歳ですよ』といわれたのです。たしかに、周りには流ちょうに英語を話すことができる人はたくさんいるし、そのような人たちにいまから追いつくことはできないことに気づきました。同じ時間を使うなら、別の『勝てるもの』に投資を、と指摘され、では何をやろうかと考えていったのです」  話し合ううちに森川氏の頭に浮かんだのは大学時代に経験した家庭教師の思い出だった。  「成績がよくない子を一対一で教え、成績を大きく伸ばすことが得意だったことを思い出しました。人の成長にかかわれること、それを支えることが自分にとってはうれしいし、頭の隅で『いつかカウンセラーのような仕事をやってみたい』と思っていました。また、50歳まで長年企業で働いた経験も何か活かせるのではないかと考えました。浅井さんもカウンセラーはいいねといってくださり、キャリアコンサルタントの仕事の話を聞いて、チャレンジしたいという思いが強くなりました」  浅井氏からも「AIの時代に代わることができない仕事として、これからも必要になるし、60歳以降も活躍できる可能性がある」とアドバイスされた。面談を契機に森川氏はキャリアコンサルタントの資格取得を目ざして勉強をスタートし、今年の8月に見事に合格している。 ベテラン社員の活躍に必要なのは人事担当者の熱意と経営ポリシー  面談は一回で終わりではない。「1時間経過してもまだ考え込んでいる人は、一皮剥(む)けそうだなというところまで何度も実施し、計10時間やった人もいます。その人なりに何かの感触を掴(つか)むまで逃がさないようにしています」(浅井氏)。一方、社員からももう一度面談をしてほしいと依頼されることも多いという。  面談終了後、対象者の上司に浅井氏が書いた「面談所感」をフィードバックしている。対象者の人となり、どんな価値観を持っているのか、あるいは「どんな仕事に向いているのか、本人への接し方を含めて、『こうすれば力を発揮すると思います』というアドバイスも入れます。また、上司も含め、前向きに仕事に取り組む環境を整えるため本人の了承を得て、『上司にこういう不満を持っています』など、あらゆるメッセージを書き込んでいます」(浅井氏)。  また、面談で設定した目標を実行しているかどうかについて、メールや電話で定期的に確認している。実行日にまだやっていなければ「ダメじゃないか、やらないと」と発破をかけることもある。  面談を軸とするプログラムは、冒頭に述べた上司調査でも7〜8割が「行動に変化があった」と答えるなど成果を上げている。それでも浅井氏は「裏を返せば2〜3割は変えることができていない」と自らを戒める。  同社の最大の特徴は、一対一の面談を軸にキャリア開発の仕組みを構築していること、また浅井氏のようにこの業務に全力を傾けられる専任のスタッフが存在すること、そして何より会社がベテランの活躍に期待し、経営トップを含めて全面的にこの仕組みをバックアップしていることだ。  単に制度を構築するだけではモチベーションは向上しない。それに命を吹き込む担当者のエネルギーと、それを信じて行動を起こす社員を支える経営ポリシーがいかに大事であるか、改めて教えてくれる。 キャプション ヒューマンリソース部人事・人材開発部門の浅井公一担当課長 ボイス&ビデオコミュニケーションサービス部の森川裕子氏