AI・ICTで働き方が変わる ―高齢者から始まる働き方改革― 東京大学 先端科学技術研究センター 講師 檜山(ひやま) 敦(あつし)  生涯現役時代を迎え、就業を希望する高齢者は、今後ますます増えていくことが予想されます。そんな高齢者の就業を支援するうえで期待が集まるのが「AI・ICT」※1。AI・ICTの活用で、高齢者が持つ知識や技術、経験を効果的に活用できる働き方が実現すれば、現役世代の負担軽減につながります。それが、高齢者から始まる働き方改革≠フ姿です。 第1回 AI・ICTを活用した高齢者への就労支援の意義と課題 若者の働き方を支えるためにW元気高齢者Wの柔軟な働き方の実現へ  今月から6回にわたり、高齢者就労、ひいては日本全体の働き方改革の促進へ向けた情報科学的アプローチの話題を連載することになりました。  筆者は、学生時代から20年にわたり現実世界と情報世界を融合させる「拡張現実感」という技術やそれを実現する装置であるウェアラブルコンピュータ(身につけられるコンピュータ)、いまではIoT(Internet of Things:モノのインターネット)と呼ばれるユビキタスコンピューティング※2の研究開発にたずさわってきました。  超高齢社会にかかわる研究を始めたきっかけは、博士号の取得後に産学連携で立ち上げられた、少子高齢社会を支える情報技術・ロボット技術の研究開発に参画したことです。そこでは、学生時代より研究していた、人の位置に応じた情報提示を行うための屋内測位の技術を用いて、家事支援ロボットやパーソナルモビリティと呼ばれる移動支援ロボットが、人と共生する空間で行動するための位置情報インフラの研究開発に取り組んでいました。この研究を通して超高齢社会について知るうちに、「いまのシニア世代は、どうやら若いわれわれや学生よりも発言力があり、世の中のことをよく知っていて強そうだ」ということや、65歳以上の90%近くは自立した生活を営んでいる、ということが分かってきたわけです。  全人口に占める割合も少なく、人材が流動化する風土を育てないままに拡大する非正規雇用にあえぐ若者が支える社会よりも、逆三角形の人口ピラミッドをひっくり返した大勢の元気高齢者が、不安定な若者を助ける新しい社会構造の方が安定しているのではと思い始めました。そして2011(平成23)年からICT(情報通信技術)を活用して、元気高齢者の柔軟な働き方を実現する研究開発に取り組み始めました(図表1)。 多様化するシニアの就労観に対応可能な就労支援システムを  2014年の内閣府の「高齢者の日常生活に関する意識調査」によると、仕事をしているシニア(60歳以上)の42%が「働けるうちはいつまでも働きたい」と回答しました。「70・75・80歳くらいまで働きたい」を含めると、仕事をしているシニアのうち79・7%が働き続けることを望んでいます。  私が高齢者就労の研究を始めた当初、東京大学高齢社会総合研究機構が千葉県柏市在住の60歳以上の高齢者を対象に開催した「就労セミナー」において、実際の定年退職後の就労に関するモチベーションを調査する機会を得ました。その結果から、シニアは収入を得られることよりも、健康維持、達成感、新しい人と知り合いになれること、自己成長や世の中への貢献を重視していることがわかりました(図表2)。  このように定年退職後のシニアの就労意識は多種多様であるため、それぞれのニーズに合った形で仕事とつなぐ必要があることがわかります。そのためには、一人ひとりが仕事を探すにあたって大事にしていることを引き出し、それに見合った仕事を探し出す必要があります。これは手間を要する作業であり、現役世代を対象とした画一的なジョブマッチングのシステムでは対応がむずかしい問題です。  健康が維持できることを特に重視しているシニアが多く、実際に就労をはじめとする社会とのつながりのある活動に参加することは、高齢期における健康維持に寄与するものになっています。  東京大学高齢社会総合研究機構ではフレイル※3リスクと身体活動、文化活動、地域活動との関係の調査分析を行っています。5万人近くのデータ分析結果から、ジムでのトレーニングや散歩など個人で行う要素が強い身体活動に取り組んでいなくても、ボランティアなどの地域活動や文化活動など社会とのつながりのなかで行われる活動に参加している集団の方が、フレイルリスクが低いという結果が得られています※4。  就労することは、社会とのつながりという意味では、ボランティアと比較して責任の重い部類になりますが、ボランティアなどの地域活動や趣味などの文化活動であってもフレイルリスクを抑えることに寄与していることになります。  私は高齢者の就労を考えるときに「就労」という言葉を、「社会参加」という意味にまで広くとらえる必要があると感じています。高齢期においては、一人ひとりの置かれた心身の状況や、経済的な状況、そして社会とのつながりは多様になっています。退職後にいきなり新しい仕事に取り組み始められる人もいれば、起業する人もいる。逆に、新しい仕事や地域社会との関係をどのようにつくればよいのか戸惑う人もいる。一人ひとりの置かれた状況に寄り添い、段階をふみながら社会参加から就労へという流れをつくるシステムが必要だと考えています(詳細については、第2回で解説します)。 シニア人材の知識・経験をホワイトカラーの仕事で活用するためには  将来、企業にとって人材の確保がさらに大きな課題になります。日本はすでに人口減少が始まっていますが、2030年代には年間100万人を超えるペースで人口減少が加速していきます。毎年政令指定都市が一つ日本から消えていくことをイメージすると、そのスピードは驚くべきものでしょう。少ない現役世代の能力を活かすためには、社員の職務の選択と集中が必要です。そして、革新的な人材を正社員として抱え込んで、社会への影響をかぎられた範囲に制限するのではなく、プロジェクト単位で複数の企業の仕事を推進するインディペンデントコントラクターとして働く道筋をつくることが求められます。  そのとき、シニア人材は、現役世代がキャリア形成のために集中するべき職務の周辺作業をサポートできる存在になります。シニア就労というと、企業の状況によっては、企業の経営相談のような非常に高度な仕事か、特にスキルを要しない作業の両極端な業務が求められるケースも少なくありません。しかし、多くのシニアはその中間の現役時代につちかってきた経験も活かせるホワイトカラーの仕事を求めています。ホワイトカラーの仕事の開拓は、現役世代の働き方の改革と車の両輪を成す形で進んでいくものになるでしょう。新しい働き方へ向けた価値観の転換に関するお話しは第5回に詳しくまとめたいと思います。 高齢者の就労支援の成功はITスキルの習得がカギとなる  働きたいシニア、働き手を求める社会、その両者を効率的に結びつけられるICTと、新しい社会を形づくる役者はそろって来ているのですが、なかなか社会全体としてその動きがつながりません。お互いに必要性を感じつつも、向いている方向が違っている印象があります。前述のように求人側がホワイトカラーの仕事の切り出しができていないことが一つの課題です。  もう一つの課題はシニア層へのICTの普及促進です。シニア就労の研究を始めた2011年当初、研究開発したシステムの実証評価で連携している柏市のシニアコミュニティでスマートフォンを活用している人はほんの数%程度でしたが、いまではかなり増えています。ただ、それでもウェブサービスのアカウント作成や、アプリのインストールは敷居の高い作業のようです。  例えば、地域のシニアの社会参加を促進するウェブサービスとして研究開発した「GBER(ジーバー)」(詳細は第2回で紹介)について、熊本県のシニア約30名に対して使い方の講習会を開きました。みなさんご自身のスマートフォンを持って受講されましたが、サービスへのログイン画面で正しく入力しているにもかかわらず、スマートフォンの自動文字校正機能が働いて、近い英単語に変換されたり大文字や小文字に変換されたりするため、入口からつまずいてしまうことがありました。20年後のシニアは使いこなせるかもしれませんが、人口が最も多い現在のシニアの社会参加と健康寿命の延伸が世の中にとっては大きな効用だと考えます。そのためにも全国各地のシニア向けIT教室と連携したサービスの普及促進のモデルづくりにも着手しました。 社会貢献・地域貢献にシニア人材の力を活かす  企業内のホワイトカラーの仕事の開拓も課題ですが、地域コミュニティの活性化・再生へ向けて新しい仕事が地域で創出されていく可能性もあります。すでに高齢化率が30〜40%を超えて将来の日本の姿を先行して見せているニュータウンや、人間ならぬ施設の老朽化に対応した大規模再開発などが進む地域などで少子高齢社会に対応した地域づくりが考えられ始めています。  特に若い人材が都会に流出しているような地域では、ICTを活用したサービスの展開は必要不可欠な状態にあります。インフラなどのハードウェアレベルでのコミュニティ機能の設計に加えて、サービスなどのソフトウェアレベルでの機能設計が模索されています。地域住民同士の助け合いや、地域企業やサービスの活性化のために、そこを生活の拠点としているシニア人材に期待が寄せられています。社会貢献、地域貢献という観点からやりがいを感じさせる仕事が開拓される可能性があります。  すでに人材や求人を抱えている団体や企業に対しては、前述のGBERのようなサービスを比較的展開しやすいのですが、地域コミュニティの活性化に適用する場合はその地域を動かす、熱意のあるキーパーソンの存在が欠かせません。また、持続可能なサービスとして地域に定着させていくためには、人事手続きの簡略化や決済機能の導入など、小規模な店舗や個人が利用しやすい機能の充実が求められる要素としてあります。そのようなサービスを指向し、若い人たちの間で広がり始めているシェアリングエコノミー※5については第3回で解説していきます。 加齢による心身機能の低下をカバーしシニア人材を活用するテレワークの未来  5年後、10年後の未来ではインターネットはさらに高速化し、バーチャルリアリティ技術やロボット技術を駆使して、空間を超えて遠隔地からあたかもその場にいるような感覚でコミュニケーションを取れるようになりそうです。運動機能が衰えてなかなか外出ができなくなっても、諦めることなく社会とのつながりを維持できるようになりますし、好きな場所に旅行を続けながら遠隔地で仕事に従事することができるようになります。その際には、「人間拡張技術」と呼ばれる技術により、衰えた感覚や運動機能を補綴(ほてい)するだけでなく、より高度化する形でロボットの身体やコンピュータグラフィックスで表現された自分の分身であるアバターの身体を通じて拡張できるようになるでしょう。そのためには遠隔地をリアルに体験できるだけの技術の成長はもちろん、手軽に利用できるようになることが求められます。未来のテレワーク※6の姿については連載の第4回で技術開発の動向を紹介していこうと思います。 おわりに  経験と知識が豊富で意欲的なシニア人材が活躍できる環境が整えば、一人ひとりのシニアの生きがいと健康増進だけでなく、地域コミュニティの活性化や若年層の働き方改革の促進を加速する意義があります。そのためにも、従来型の働き方と価値観の変換、馴染みのないICTスキルの習得などの課題を乗り越えようとする、シニア一人ひとりの挑戦を応援していく必要があるのです。 ※1 AI・ICT……AI(Artificial Intelligence)は人工知能、ICT(Information and Communication Technology)は情報や通信に関連する科学技術の総称 ※2 ユビキタスコンピューティング……環境に遍在するコンピュータ ※3 フレイル……加齢により心身が老い衰えた状態 ※4 吉澤裕世、田中友規、高橋 競、藤崎万裕、飯島勝矢「地域在住高齢者における身体・文化・地域活動の重複実施とフレイルとの関係」日本公衆衛生雑誌、2019・66巻・6号・p.306-316 ※5 シェアリングエコノミー……物やサービスを共有・交換して利用する仕組みのこと。自動車を共有するカーシェアリングなどが代表。本企画では、高齢者個人が持つ知識や技能を活用した働き方の形を紹介する予定 ※6 テレワーク……インターネットを介して自宅やサテライトオフィスなどで働く、時間や場所の制約を受けない働き方 図表1 逆転させた人口ピラミッド(2025年の日本の人口) 男性 女性 年齢 0 2 4 6 8 10 12 14 16 18 20 22 24 26 28 30 32 34 36 38 40 42 44 46 48 50 52 54 56 58 60 62 64 66 68 70 72 74 76 78 80 82 84 86 88 90 92 94 96 98 100 102 104 (千人) 1,000 900 800 700 600 500 400 300 200 100 0 0 100 200 300 400 500 600 700 800 900 1,000 出典:国立社会保障・人口問題研究所「出生中位(死亡中位)推計(平成29年度推計)」より作成 図表2 柏市での就労意識調査 あなたが働くとしたら、次にあげる理由はどのくらい重要ですか。 重要でない あまり重要でない ふつう やや重要 とても重要 自分が成長できること 達成感が得られること 周りの人から認められたり、評価されること 収入が得られること 世の中に貢献できること 働く仲間に貢献できること 働いている会社などの組織に貢献できること 健康が維持できること 新しい人と知り合いになれること 0 20 40 60 80 100(%) 出典:檜山敦『超高齢社会2.0 クラウド時代の働き方改革』(平凡社) 第2回 AI・ICTの可能性としての「モザイク型就労」 複数人で一人分の仕事を分担する「モザイク型就労」  前回、人口ピラミッドを逆転して描くことで、大勢の元気高齢者が不安定な就労環境のなかを生きる若者を助ける、という新しい社会構造をイメージしました。当事者であるシニアも、「働けるうちはいつまでも働きたい」と就労に意欲的であり、働くうえで重視することがそれぞれに異なるシニア像も見えてきました。また、2012(平成24)年の総務省による「就業構造基本調査」では、6割の65歳以上の未就労者はパートタイムなどの柔軟に働ける環境を求めていることが報告されました。  そのような背景のもと、ICTを活用したシニア層が活躍する新しい社会構造を模索し、研究開発を進めていくなかで、具体的な構想として浮かび上がってきたのが、「モザイク型就労」という働き方です。これは、「空いている時間」に「好きな場所」から「自分の得意な能力」を活かして、無理なく活躍する環境をICTによって構築しようというものです。一人ひとりがフルタイムで雇用されて働くのではなく、複数人で一人分の仕事を分担してこなす働き方に対して、一人ひとりをモザイクのピースと見立てて「モザイク型就労」と名づけました。  「空いている時間に好きな場所から自分の得意な能力を活かして」というように、モザイク型就労の形として、三つのモザイク要素を提唱しました。一つめは一人ひとりのシニアが働くことのできる時間を組み合わせて、複数人でフルタイムの仕事をこなす「タイムシェアリング」の要素。二つめは、インターネットを通じてロボットやアバターの身体を遠隔操作して行う「遠隔就労」の要素。三つめは一人ひとりの得意なことや興味関心に応じてマッチングする要素です。働き方改革という言葉もまだないころでしたが、社会の中でシニアから柔軟な働き方を実践していくことを目ざしていきました。  一般的な労働市場においてシニア人材のジョブマッチングを行おうとしても、フルタイムで何でもそつなくこなす人材を求めている企業からすると、働き方の条件面で合致させるのはむずかしくなります。また、年齢の問題から時間をかけて会社のやり方に合うように育成することもできないので、即戦力としてどれだけの仕事をこなすことができるのかを事前に知る必要もあります。そのため、人材側、企業側の条件を細かく精査し合わせていく作業にコストをかけなければなりません。さらに、柔軟な働き方を取り入れようとすると、マッチングの頻度が必然的に高くなるので、そのコストがさらに高まります。  だからこそ、お互いの求めている条件を可視化してモザイクのピースを効率よくあてはめるために、AI・ICTの活用が効果的なのです。働きたい時間、就労のために移動できる範囲、働きたい仕事、それらの情報を集約して地域における潜在的な求人情報とつき合わせていく作業を瞬時に行えるようにすること。これがモザイク型就労の実現へ向けたAI・ICTの役割になります。 モザイク型就労の支援に向け「GBER」が誕生  私たちは、2011年の研究開発の当初より東京大学高齢社会総合研究機構が開催する就労セミナーを通じて集まった、定年退職をして地域での就労を希望している千葉県柏市の住民を対象に、ジョブマッチングにおけるAI・ICTの可能性と試作システムの紹介とその評価に取り組んできました。2013年には、セミナー参加者を母体として柏市でのシニア就労の活性化を目ざして設立された「一般社団法人セカンドライフファクトリー」(千葉県柏市)との連携を開始しました。会員である地域住民との議論を重ね、試行錯誤を行いながらメンバーのモザイク型就労を支援するシステムの研究開発を進め、2016年に誕生したのが「GBER(ジーバー)」というプラットフォーム※2です。GBERとは「地域の元気高齢者を集める」という意味の英語、「Gathering Brisk Elderly in the Region」の頭文字を取って名づけられました。GBERはまさに当事者である地域のシニアを交えたインクルーシブデザイン※3の過程で形づくられていきました。  GBERを活用しているのは、セカンドライフファクトリーのなかで地域の植木の剪定(せんてい)の仕事を請け負っている、30名ほどのコミュニティです。地域住民から寄せられる依頼に応じて、参加するメンバーをGBERで調整し、地域の現場に出動するモザイク型就労を実践しています。小規模なコミュニティではありますが、運用開始から2019(令和元)年10月までの3年半で、延べ3441人がGBERを通じて社会参加を達成しました。特にこの半年で延べ800人ほどの就労実績が伸びるほど活発に活用されており、この連載が終わるころには4000人を超えそうな勢いです(写真)。 「時間」と「場所」、利用者の「情報」をもとにマッチングを支援  GBERには三つの機能が用意されています。一つめが最も基本となるカレンダー機能です。カレンダー上の日付をタップするだけで、この日は「1日中空いている」、「午前だけ」、「午後だけ」、「空いていない」という情報を登録することができます。それにより迅速に就労チームを編成することができます。  二つめは地図機能で、現在募集されている仕事の地理的関係を把握することができます。  三つめはQ&A機能です。現在は植木の剪定の仕事に限定されていますが、将来、たくさんの職種や地域活動が登録されるようになったときに、そのなかから手をあげたくなる仕事を効率よく探し出すことが必要になります。その際に、利用者が応募する可能性が高そうな求人を優先的に表示することができれば、利用者は就業先を探しやすくなります。しかし、利用者が何に興味を持っているかをリサーチするためには情報が必要です。さらに、多くのシニアはインターネット上に自分の情報を発信することには慣れていません。そこでこのQ&A機能を開発しました。潜在的な地域活動をいくつかのカテゴリに分類し、そのカテゴリごとの興味関心の有無をシステムの方から「はい」か「いいえ」で答えられる質問として投げかけるようにしました。そうすると時間のあるときに随時回答を発信してもらえるようになり、地域活動を推薦するに十分な情報を集められるようになりました。技術的な工夫としては、質問は一度聞いたら終わりではなく、その後の応募活動によって、利用者の事前の意思表示と実際の行動との食い違いを修正していくモデルを組み込んでいることです。例えば、クラシック音楽に興味があるといっているのに、もっぱらコンサートに行くのは演歌だったりするような場合に対応して、実際の行動のトリガーとなる情報を重視していく仕組みになります。 就労から地域活動まで幅を広げた熊本版「GBER」もスタート  3年を超えて活発に利用してもらえると、セカンドライフファクトリーのメンバーからシステムの使い勝手に関するフィードバックが集まりました。また、他地域の方の目にもとまるようになり、「地域で扱っている仕事や働き方に活用できないか」といった問合せも受けるようになりました。そこで、多くの方の声をふまえて、画面をぱっと見て得られる情報や必要な操作をイメージできるように、新しいGBERのデザインを進めています。新しいGBERではカレンダー機能で午前・午後以上に細かい時間帯を扱えるようにし、地図機能やQ&A機能も見やすく、操作しやすいようにリニューアルしました。この新しいGBERは、今年の9月から熊本県で社会実装が本格的に動き始めました。熊本版GBERでは、県という自治体が運用主体に入ってくることで、前回お話しした、ボランティアや生涯学習など就労にとどまらない、地域活動への参加の活性化につながる展開を、具体的に実証することができるようになります。熊本では現在、「一般社団法人夢ネットはちどり」(熊本県熊本市)における介護周辺領域の仕事のマッチングから始めつつ、地域活動の情報についても県の協議会から広く発信できるように体制を整えています。  GBERのようなプラットフォームに求められるのは単純なビジネス上のマッチング機能ではないと考えています。地域のなかで100年の人生を生きるにあたり地域とどのようにかかわっていくのか、一日一日の人生をどのようにデザインしていくのか、利用者の生き方に寄り添う機能だと考えています。  シニアにとっては「今日行くところ」という意味のキョウイク≠ニ、「今日用があること」という意味のキョウヨウ≠ェ大事とよくいわれます。その二つをサポートしつつ、そこに地域というステージをからめ、イベントなどに参加することを通じて地域を知り、そこで自分はどのように参加していきたいかイメージを膨らませやすくすることを目標に、熊本モデルの構築を進めています。現役時代の延長線上で与えられた仕事をこなすだけでなく、自分たちの住む地域を活気づけるような活動に参画していくことができたら、それこそ充実した退職後の生き方につながるのではないでしょうか。 大切なことはAI・ICTを活用してどんな未来を描いていくか  定年退職した柏市の住民が就労に求めることのうち、健康が維持できることを重要視する人の割合が高かったことは第一回で紹介した通りです。一人ひとりの就労の先に求めるものが多様化していることは、一人ひとりの価値観を見出し、それに沿って地域活動を推薦するAI・ICTが必要になってくることを示しています。現在、日々参加している地域での活動がどれくらいの健康活動に相当するのか、自分の身体のコンディションからするとどの程度身体的な負荷がかかる地域活動が適しているのか、マッチング機能に新たな視点を加えるべく、社会参加を通じたヘルスケア機能をGBERに追加していく研究に取り組んでいます。これからは、ウェアラブル機器※4を通じて集められるヘルスケアデータと組み合わせることで実現することができそうです。  もう一つ、熊本県でのGBERの展開をはじめるきっかけとなった出来事として、2016年に発生した熊本地震があります。観測史上で初めて震度7の地震に2回見舞われ、県のシンボルである熊本城も大きく崩れる大災害でした。震災直後にベンチャー企業が救援物資やボランティアのマッチングを行うツールをつくり現場に持ち込んでいたようですが、混乱している現場では新しいツールを取り入れる余裕はなく、その効果は限定的だったと聞きます。  しかし、例えばGBERのもつ三つの機能が、ボランティアとのマッチングや、救援物資のニーズ発信、ボランティアのスキル抽出などに適用できるように設計しておけば、普段から使い慣れているものがそのまま災害時にもライフラインとして機能させられるようになるのではないかと考えています。災害時に心身への負荷が大きくかかるシニアだからこそ、日常的に活用できるICTプラットフォームが必要だと感じています(図表)。  今年は関東に二つの大きな台風が上陸し、千葉県をはじめ複数の都県で大きな被害が発生しました。そのようなときに、柏市のセカンドライフファクトリーのシニアたちがGBERを通じて、台風で荒れた地域住戸の庭の片づけなどで活躍していました。ICTを通じて、地域のなかでシニア同士が支え合う未来は、確実に近づいてきています。  テクノロジーの発展に対して、「AIは人の仕事を奪うのか」という議論が世界中で巻き起こっています。しかし、視点を変えれば逆にGBERのようにAI・ICTは人と仕事、人と社会をつなぐテクノロジーとして成長させることができます。本当に議論すべきことは、私たちが発展するテクノロジーを活用してどのような未来を描いていくか、そこにあるのではないでしょうか。 ※1 AI・ICT……AI(Artificial Intelligence)は人工知能、ICT(Information and Communication Technology)は情報や通信に関連する科学技術の総称 ※2 プラットフォーム……コンピュータにおいて、ソフトウェアが動作するための土台(基盤)のこと ※3 インクルーシブデザイン……高齢者や障害者、外国人など、社会的弱者やマイノリティを、各種サービスのデザインプロセスの上流から巻き込んでいく手法 ※4 ウェアラブル機器……衣服状や腕時計状で、装着・着用できるコンピュータのこと 図表 熊本版GBERの三つの機能とライフラインとしての活用可能性 出典:筆者作成 写真のキャプション GBERを活用して地域で活躍するセカンドライフファクトリーのメンバー 第3回 高齢者を対象としたシェアリングエコノミーの展開 場所や物、能力を共有するシェアリングエコノミー  「シェアリングエコノミー」とは、個人や団体が所有している場所や物、そして能力を、インターネットを通じて、それを求めている人とマッチングを行い一時的に提供するサービスです。シェアリングエコノミーという言葉自体はあまり馴染みがないかもしれませんが、タクシーの配車や相乗りサービスを提供する「Uber(ウーバー)」や、空いている部屋を観光客などに宿として提供する「Airbnb(エアビーアンドビー)」というサービスは、ニュースなどで耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか?  日本では「Uber」は白タクにあたり、「Airbnb」は民泊となるため、サービスをそのまま提供するには法律上の問題がありました。法改正するにあたってもそれぞれタクシー業界、ホテル業界を脅かすという世論が強く、限定された利用にとどまっています。  「Uber」については、シンガポールでも既存のタクシー業界を脅かすという批判がありましたが、日本とは対照的に「Uber」を利用可能にしてもタクシードライバーは「Uber」のドライバーになるだろうから職を失うのではなく、逆に「Uber」から提供されるマッチング機能に決済機能や評価機能のインフラ※2を利用できるようになることで、利便性はドライバーにとっても旅行者にとっても高まる方向に変わるという判断がなされ、積極的に受け入れられました。  「Airbnb」の方は、日本では2018(平成30)年に住宅宿泊事業法が制定されたことで、正しく届け出がなされた施設のみが掲載されるようになり、安心して利用できるようになってきています。インバウンド※3観光客の増加による宿泊施設の枯渇と空き家問題も重なって地方創生を助ける手段としても期待されています。  日本において多くのシェアリングエコノミー企業が成長しているのは、能力のシェアリングの領域になります。特に、「ランサーズ※4」、「クラウドワークス※5」や「ココナラ」と呼ばれるサービスが有名です。これらはシェアリングエコノミーという言葉が広がる以前から、インターネット上でつながることができるたくさんの働き手(群衆=クラウド)に、仕事をアウトソーシングする「クラウドソーシング」として広がっていったものです。むしろシェアリングエコノミーは能力のシェアリングであるクラウドソーシングから始まり、その仕組みがさまざまな分野に展開していったことで生まれた言葉ともいえます。前回紹介したGBER※6はこの能力のシェアリングにあたるサービスですが、上記のクラウドソーシングサービスとは異なる点として、インターネット上のオンラインの仕事ではなく、もっぱら地域の現場に出るオンサイトでの仕事を扱っているところが特徴になります。  物のシェアリングに関するところでは、「メルカリ」のように使わなくなった物を販売するオンラインのフリーマーケットが有名です。お金を物の一種と考えると、インターネットを通じてたくさんの人から少しずつ目標とするプロジェクトを実現するための資金を集めるクラウドファンディングというサービスもあります。 可能性を秘めている高齢者とシェアリングエコノミー  ほとんどのシェアリングエコノミーサービスは、特に高齢者をサービスのにない手として、あるいはサービスの受け手として特別意識したものではありません。高齢者をサービスの受け手とするものには、介護離職ゼロを目ざして、生活に手助けが必要な高齢者世帯の支援サービスを提供している「クラウドケア」があります。まさに介護領域へのシェアリングエコノミーの進出が始まった段階にあります。サービスのにない手としてシニア層をメインターゲットに据えているものはほとんど見られず、GBERだけかもしれません。  しかし、シニア層が比較的活躍しやすいシェアリングエコノミーサービスはいろいろあります。短時間でビジネス上の相談に乗るスポットコンサルティングサービスの「ビザスク」は、ほかのクラウドソーシングサービスと比べて経験を積んだ年齢層の登録が多くなっていきます。また、「タスカジ」を始めとする家事支援のクラウドソーシングは、子育てを終えた中高年層が活躍しやすいサービスでしょう。冒頭であげた「Airbnb」も地方の空き家問題とリンクさせていくことで、持ち家のあるシニア層がサービスのにない手として活躍しやすい条件を持っているといえるでしょう。クラウドファンディングについても、社会的価値の高い若者のプロジェクトに寄付をしたり、逆に定年退職後の夢を応援してもらったりすることに活用できるものです。  多くのシェアリングエコノミーサービスが高齢者を特別意識していないということは、高齢者もサービスの提供者として参加することを妨げている訳ではないということでもあります。シェアリングエコノミーに参加するにはまず、サービスとして一人ひとりの日常で役立てられそうなものにどのようなものがあるのか情報を得られることが必要です。そして、インターネットやスマートフォンのアプリをインストールしたり、クレジットカード決済の登録を行ったり、サービスの利用画面や使われている言葉が若者向けのデザインでわかりにくかったりするハードルさえ乗り越えれば、だれもがサービスの提供者として参加することができます。 高齢者ならではの知識・経験をオンラインサービスに出品  シェアリングエコノミーが、どのような概念で、利用するにはどのようにすればよいのか、実際にサービスに触れて学べる機会があればよいのですが、そのような機会が乏しいのが現状の課題です。東京大学の柏キャンパスで、地域のシニアを集めてシェアリングエコノミーサービスの一つである「ココナラ」の体験ワークショップを開いたことがあります。  ココナラは、インターネット上に自分の得意なことをサービスとして出品し、出品されたサービスを求める利用者からの依頼に応じてインターネット上で売買を行うサイトです。イラストを描いたり、相談に乗ったり、コピーライトを考えたり、というような、それぞれの人が得意なことが出品されています。  ワークショップの冒頭では、ココナラ代表取締役の南章行(あきゆき)さんからココナラとはどういうサービスか解説していただきました。それから、4人ほどのグループに分かれて一緒に得意なこを出品する作業に取り組んでいただきました。  参加者の方々はグループワークを始めてすぐのうちは、「私には出品できるような得意なことはないですよ」と口々にいっていました。しかし、グループワークのなかで、それぞれのこれまでの人生経験を語っていただいて、それを聴いたほかのグループメンバーがお互いの出品できそうな経験を提案し合う形で、どんどん得意なことが出てくるようになりました。「仕事を辞めずに介護をする方法」や「行政に提出する文書の添削」、さらには「日中合弁会社の人事の相談」まで、参加してくださった世代の方々特有の、それぞれの人生経験に基づくスキルの出品案が集まりました。  写真1はワークショップ参加者のなかで、インターネット上の「ココナラ」に得意なことを出品した第1号となった方のその瞬間の様子です。出品に必要なことを入力し終わって、出品ボタンをクリックすると全世界に公開されてしまうことにしばらくためらいながらも、思い切ってクリックしてしまった、というその瞬間の興奮冷めやらぬ表情です。身近にこのようなワークショップがシニア向けに開催されるようになっていくことで、シェアリングエコノミーへのシニア層の参加が大きく前進することになるでしょう。 地域のシニアとシェアリングエコノミーを結ぶための仕組みづくり  私はGBERの研究開発の一環として、シニア層とシェアリングエコノミーサービスとの接点をつくる仕組みづくりにも取り組んでいます。GBERの地域での普及促進を考えると、まずGBERの存在を知ってもらわなければなりませんし、使い方を学ぶ機会を提供できなくてはなりません。毎回大学から研究開発スタッフが地域に出向いて講習会を開催するのは持続可能な形ではありません。  そこで、地域に数多(あまた)あるシニア向けIT教室と連携した仕組みづくりを始めています。一般財団法人ニューメディア開発協会は「シニア情報生活アドバイザー」という、全国のシニア向けIT教室で講師として活躍できる資格認定制度と、そのための教材やカリキュラムの作成を行っています。現在、熊本県でのGBERの社会実装においては、熊本県におけるシニア向けIT教室のネットワークである熊本シニアネットとの連携を皮切りに、ニューメディア開発協会との共同事業でGBERの全国展開を見すえて教材とカリキュラムの制作と講習会の開催を進めています。熊本県でのモデルができあがることで、今後、他地域においてGBERを活用したシニアの社会参加の活性化の依頼があったときに、ニューメディア開発協会を通じて当該地域のシニア向けIT教室に教材とカリキュラムを提供し、その地域のシニア情報生活アドバイザーが講習会を展開できるようになります。そして、この仕組み自体もITを得意とするシニアが、講習会の講師として就労する機会を拡大するものになります。  写真2は熊本シニアネットの講師によるGBER講習会の様子です。熊本シニアネットの講師陣はシニアにとってわかりやすい説明の仕方や、シニアがつまずきやすいポイントを熟知していて、本当に頼もしい存在です。GBERにかぎらず、世の中のさまざまなシェアリングエコノミーを紹介して、利用者として日常生活にどのように役立てられるか、そしてサービス提供者としてどのように活躍できるか、という視点で、各地のシニア向けIT教室のカリキュラムに取り入れていただけたらと思っています。 シェアリングエコノミーで地域課題の解消と持続的な発展を  新しい働き方や資産の効率的な活用法であるシェアリングエコノミーは、2010年以降急速に世界的に広がり始めました。経済産業省の調査によると、2017年の日本での市場規模は716・6億円と推計されたことに対して、お隣の中国では2017年の市場取引額が81・7兆円を超え、爆発的に盛り上がってきていることが報告されています。車の相乗りや民泊だけでなく、自転車や傘、バッテリーなどのさまざまなシェアサービスが誕生しているそうです。日本では、既存サービスのインフラが整っていることと、法制度の対応に時間がかかる側面から新しいサービスの参入障壁が大きいのかもしれません。  これから人口減少が始まるなかでますます高齢化が加速していきます。特に地方では生活インフラのにない手として、これまでのように企業や自治体の力だけでは、公共交通機関を維持できなくなったり、福祉サービスを行き渡らせることができなくなったりと、限界を迎えようとしています。さらに、地域経済を活性化する観光客のニーズが高まっていても、対応できる宿泊施設や飲食店、そして働き手の不足が現実問題として起こっているのです。これからの日本では、都会における便利なツールとしてのシェアリングエコノミーから、地域の課題と利用者の地域での暮らしに合わせて持続可能な社会を構築していくようなシェアリングエコノミーの展開が求められるでしょう。  そのためには、地域においても新たに登場したサービスを利用するだけではなく、地域課題や住民のニーズを発信することも必要です。地域のニーズを受けることで新たなサービスが立ち上がることにつながります。そして、国や自治体にはそれらのサービスを安心して利用できるような法制度の整備へ向けた動きが求められるのです。 ※1 AI・ICT……AI(Artificial Intelligence)は人工知能、ICT(Information and Communication Technology)は情報や通信に関連する科学技術の総称 ※2 インフラ……インフラストラクチャの略。「基盤」や「下部構造」の意味を持つ言葉で、道路や水道などの公共・公益的施設・設備をさすほか、IT分野ではシステムを運用するための機材やソフトウェア、通信環境などの総体をさす ※3 インバウンド……外国人が旅行などで訪れること ※4 ランサーズ……ランサーズ株式会社が運営するクラウドソーシングサービスの一つ ※5 クラウドワークス……株式会社クラウドワークスが運営するクラウドソーシングサービスの一つ ※6 GBER……就労を希望する高齢者のモザイク型就労を支援するジョブマッチングシステム。詳細は本誌2019年12月号38頁〜参照 写真のキャプション 写真1 ココナラワークショップでの出品の様子 写真2 熊本シニアネットの講師陣によるGBER講習会 第4回 VR・ロボットが変えるテレワーク2・0 テクノロジーを活用したテレワークへの期待  柔軟な働き方を加速するテクノロジーとして、近い将来に社会実装が進むことが期待されるのが、バーチャルリアリティ(VR)やロボット技術を活用した「テレワーク」です。すでに「Skype(スカイプ)※2」や「Zoom(ズーム)※3」などのビデオ通話サービスは日常的に利用できるようになり、簡単な議論は場所を選ばずに進められるようになりました。GoogleやMicrosoftが提供するクラウドサービスにより事務書類は必要な人と迅速に共有して、同時に編集を進めることも可能になりました。  Brookings analysis of O*NET and OES data※4によると、アメリカ産業界における仕事内容の変化として、仕事のデジタル化のさらなる進展が予測されています。2002(平成14)年では、もっぱらデジタルデータを扱う仕事の割合は4・8%程度でしたが、2016年には23%と、急速に延びました。その反面、ほとんどデジタルデータを扱わない仕事の割合は55・7%から29・5%に減少しました。  また、デジタルデータを扱う仕事ほど、高い平均年収を得ていることがわかっています。2016年の調査では、もっぱらデジタルデータを扱う仕事に従事している人の年収は、およそ7万3000ドル(約800万円)であるのに対して、ほとんどデジタルデータを扱わない仕事に従事している人の年収は、3万ドル(約330万円)と倍以上の開きが出ています。  デジタルデータを扱う仕事が増えれば増えるほど、インターネットを介したオンラインで作業を行いやすい業務が増えていきます。このことは、オフィスに出勤しなくとも自宅や旅先で仕事を行えるテレワークを促進する要素になります。  さらに、音声認識や自動翻訳などの技術の発達により、視覚機能や聴覚機能を補助するアクセシブルなインターフェース※5を、作業ツールに組みこめる点で、高齢者や障害者に優しい働き方であるととらえることができます。  テレワークは今後、高齢者や障害者、柔軟な働き方を志向する労働者の間で、高い収入が得られる働き方として急速に増加することが期待されます。 仕事・ツールのデジタル化がテレワークの課題を解消する  テレワークを阻害する要因としては、遠隔であるために働き手が真面目に仕事を行っているのか労務管理をするのがむずかしいことと、働き手の間でのコミュニケーションが希薄になることによる業務効率の低下を懸念する声があげられます。  労務管理に関しては、仕事の報酬の評価基準を従来の仕事に費やした時間分を支払う時間給から、仕事の速さと内容に基づいた報酬体系に転換していくことが一番の解決策になります。働き手にとっては、短時間で求められる成果を出していく方向にインセンティブが働くことになるからです。時間給という報酬体系からの脱却は、テレワーカーにかぎらず、オフィスに勤務する働き手にとっても生産性を向上する方向に変化をうながすと考えられます。  一方で、働き手との間のコミュニケーションの支援については、一緒に働いている感覚を共有するための技術が、働き手同士の心理的な距離を縮める手段となります。企業へのテレワーク導入をコンサルティングしている株式会社テレワークマネジメントでは、「Sococo(ソココ)※6」と呼ばれるオンラインで画面に表示されるバーチャルオフィス環境を紹介しています。VRやロボットは、この働き手との間のコミュニケーションを拡大するもので、遠隔からできる業務を大きく拡大する技術として期待されています。  また、テレワークだけでなく、仕事のデジタル化そのものを阻害する日本特有の要因として根強く残っている判子(はんこ)文化は、事務手続きを効率化させ生産性を高めるうえでいち早く変えていかなければなりません。 ロボットとタブレットの活用で遠隔コミュニケーションを円滑に  テレワークにおけるロボットの活用は、「テレプレゼンスロボット」と呼ばれる、遠隔に存在感を伝えるロボットの研究開発により実現されていきます。従来テレプレゼンスロボットは100万円を超える価格帯で研究開発用に販売されていましたが、2010年ごろに欧米を中心に5〜50万円の価格帯のテレプレゼンスロボットが商品化され、一般にも知られるようになってきました。  Double Robotics社の「Double(ダブル)」というテレプレゼンスロボットは、iPadにセグウェイのような倒立二輪車の足を取りつけることで、iPadがロボットの顔となり、遠隔操作者はiPadのカメラ越しに周囲の様子を見ながら自由に動き回ることができます。Revolve Robotics社の「kubi(クビ)」というテレプレゼンスロボットは、レンズの向きを左右に動かせる台座にタブレット端末を装着することで、卓上の首振りロボットになります。遠隔操作で周辺の様子を見回しつつビデオ通話によりコミュニケーションが可能になります。  2014年から2015年にかけて、これらのテレプレゼンスロボットを駆使して、シニアのテレワーク実験をわれわれの研究グループとIBM東京基礎研究所(東京都)との連携で行いました。テレワークの内容は、宮城県仙台市の仙台シニアネットクラブというシニアのITエキスパートのグループが、兵庫県西宮市清瀬台の老人会の人たちにタブレット端末の使い方を遠隔講習で行うというものでした。  清瀬台のようなニュータウンでは、若い世代の都会への移住が進み高齢化率がすでに30%〜40%に達している地域もあります。清瀬台では周囲にタブレット端末の活用方法を教えてくれるシニア向けIT教室がないのに対し、仙台では仙台シニアネットクラブのようなシニア向けIT教室の草分け的なコミュニティで、多くのIT講師が育ち、活躍の場を求めています。そこでこの二つの地域をインターネット上で結びつけて遠隔講習会を開くことで、互いのニーズを満たすことをねらいました。  遠隔講習会では、仙台側のメイン講師1名と受講生をサポートするサポーター講師2名のチームで講習会を行いました。それぞれが写真1に示すように、異なるテレプレゼンスロボットを活用して遠隔講習を行います。講習は、メイン講師が実演した後で受講生の実習に移る形式で進行。サポーターは2〜3名の受講生の実習時の様子を観察したり、適宜質問に答えます。メイン講師の講師用ロボットはIBM東京基礎研究所が研究開発したもので、講師はロボットの操作ではなく、説明に専念できるようにハンズフリーで自動的に作動する仕組みになっています。 ロボット(タブレット画面)の目線の動きがコミュニケーションの肝(きも)  写真2は、講師用ロボットの遠隔操作を行っている様子です。メイン講師が遠隔地の様子を映すディスプレイを窓と見立てて、のぞきこみたい方向が見えるように顔を動かすと、ディスプレイ上部のカメラが講師の顔の動きを計測し、その動きからのぞきこもうとしている方向に、講師用ロボットの首を振ることでカメラを動かします。そうすると講習会会場側では、講師が見ようとしている方向にロボットの画面に映し出された顔が向くので、受講生が講師の目線を意識しやすくなり講師の存在感が感じられるようになります。2名のサポーター講師は前述の市販されているテレプレゼンスロボットのDoubleとkubiを用いました。  遠隔講習におけるテレプレゼンスロボットの効果を評価するにあたり、一般に浸透しているSkypeで同様に遠隔講習会を行った場合とで比較を行いました。Skypeを使った遠隔講習では、仙台側のサポーターは、カメラ映像だけでは受講生が困っているのかどうか判断しにくいことや、受講生の注意を自分に向けさせることのむずかしさを感じていました。テレプレゼンスロボットを活用した場合では、仙台側のサポーターは一人ひとりの受講生にロボットを向けて様子をうかがえるようになりました。清瀬台側の受講生もロボットの動きで仙台側の講師やサポーターが自分に注意を向けているのかどうかがわかり、お互いが会話をするタイミングをつかみやすくすることができました。  実際に講習時間中にテレプレゼンスロボット を活用した方が、Skype使用時よりも仙台 側と清瀬台側とでコミュニケーションの頻度が 増加することが確認されました。結果として、 講習の内容に関する会話だけでなく、雑談も講 師・サポーターと受講生との間で見られるよう になりました。空間を超えて心理的な距離が近 づくようになり、講習会の終わりには写真3の ように、テレプレゼンスロボットを通して遠隔 地にいる講師と記念撮影を行う受講生も見られ るようになりました。  当初は欧米を中心にテレプレゼンスロボットの商品化が先行していましたが、現在は日本を中心に首振りだけでなく身振り手振りを使って作業ができるテレプレゼンスロボットの商品化を進める企業が登場するようになりました。  Telexistence株式会社は、1980年から「テレイグジスタンス」という、あたかも現場で作業をしているかのような臨場感を持って遠隔操作を行う技術を研究開発されてきた舘ワ(たちすすむ)東京大学名誉教授によって設立され、テレイグジスタンスロボットの商品開発と実証実験を進めています(https://tx-inc.com/en/home/)株式会社メルティンMMI(東京都)では、巧みな手の動きを伝達し遠隔作業を行えるロボットの商品化を行っています。(https://www.meltin.jp/)。  株式会社オリィ研究所(東京都)では、「OriHime(オリヒメ)」と呼ばれる遠隔コミュニケーションロボットを商品化しています(https://orylab.com/)。OriHimeは主に障害者のコミュニケーション支援や社会参加支援を対象として開発されました。現在、カフェなどで障害者が自宅からOriHimeを遠隔操作して接客の仕事を行う実証実験などが行われ、メディアからも注目されています。 身近になったVRゴーグル拡張していくバーチャル空間  もう一つ、世の中の変化として注目しておきたいことがあります。これまで研究開発用途が中心で数百万円の価格帯で販売されていたVRゴーグルが、数万円で一般向けに販売されるようになり、2016年はVR元年と呼ばれるようになりました。学生の間では、手ごろに入手できるVR機器を使ってVR chatというバーチャル空間での遠隔コミュニケーションを楽しむ姿が研究室でみられるようになってきました。離れた場所にいる学生同士が、バーチャル空間で思い思いのアバターという3次元CGの姿に変身して、身振り手振りを交えながら会話をすることができます。  そして、2019(令和元)年12月14日には、バーチャル学会という、完全にバーチャル空間のなかだけで参加してプレゼンテーションを行う学会が開催されるようになりました。当研究室の稲見(いなみ)昌彦教授もバーチャル空間のなかで基調講演を行いました。完全にバーチャル空間でのコミュニケーションになると、生身の身体にとらわれる必然性がなくなります。若者のアバターを使って若返った気分で遠隔就労したり、性別を変えたり、SFのキャラクターに外見を変えることができます。  さらには、音声変換技術を活用することで自分の声を変えて話をすることができるようになりました。最近ではバーチャルなキャラクターに変身したYouTuber※7であるVTuber※8として活躍する人も見られます。  2030年ごろには、ロボットの身体を通じて経験を積んだ高齢の職人が、遠隔から技能伝承を行うようになるかもしれません。そしてますます社会的な活動がバーチャル空間に広がっていき、心身に不安を抱えていても働く機会を得て、社会とのつながりを維持できるようになっていくでしょう。 ※1 AI・ICT……AI(Artificial Intelligence)は人工知能、ICT(Information and Communication Technology)は情報や通信に関連する科学技術の総称 ※2 Skype……マイクロソフト社が提供するインターネット電話サービス ※3 Zoom……Zoom社が提供するインターネットを活用したWeb会議ツール ※4 Brookings analysis of O*NET and OES data……アメリカ合衆国労働省が運営する職業に関するデータベースに対するブルッキングス研究所(アメリカ合衆国のシンクタンク)による分析 ※5 インターフェース……異なる機器・装置をつなぎ交信を可能とする装置やソフトウェア ※6 Sococo……バーチャルオフィスを通して、オフィス勤務者と在宅勤務者をつなぐコミュニケーションツール(https://www.telework-management.co.jp/services/tool/sococo/) ※7 YouTuber……動画共有サービスYouTube上で独自に制作した動画を公開している人または組織 ※8 VTuber……バーチャルYouTuberのこと。CGで作成したキャラクター(アバター)を用いて動画を制作・公開しているYouTuber 写真のキャプション 写真1 遠隔講習会で3種類のテレプレゼンスロボットを使用 Double 講師用ロボット Kubi 写真2 講師用ロボットのハンズフリー操作の仕組み 講師の顔の動きを計測するカメラ 写真3 テレプレゼンスロボットの画像に映る仙台側講師との記念撮影 第5回 ジョブの開拓と就労観の転換 「働く」=社会参加の形の一つ AI・ICTがシニアの社会参加を活性化  ひとりの一生が100年もの長さになってきたといわれる今日、高齢期の時間をどのように過ごしていくかを考えることは、生きるうえで一大テーマとなります。退職後の心身の健康維持向上には、社会とのつながりを持ち続けることが鍵となっています。  「働く」ということは、わかりやすい深いレベルでの社会参加の形です。これまでの連載で取り上げてきたように、インターネットを中心にした情報通信技術の発達が、シェアリングエコノミーという新しい柔軟な働き方を生み出し、広がり始めています。仕事のデジタル化もますます加速していくと同時に、ロボット技術とVR技術が発展していくことで、従来のテレワークでできる仕事の領域が急速に拡大されていく可能性も見えてきました。一人ひとりが心身のコンディションや生活する環境に合わせて、無理なく不安なく働けるように、新しい柔軟な働き方を支援するツールは発展し続けるでしょう。  当連載の第2回で紹介した、シニアの社会参加・就労を活性化するマッチングプラットフォーム「GジーバーBER」も、そのようなツールの一つとして研究開発を進めています。これまで実証実験として、「一般社団法人セカンドライフファクトリー(千葉県柏市)」では4年にわたって運用を続けており、熊本県では自治体と連携した広域展開を始めています。柏市や熊本県での運用がきっかけとなって、現在多くの自治体やシニアコミュニティ、民間企業から、地域でのGBERの展開を希望する問合せが集まってきています。教育研究活動の一環で行っているため、なかなかみなさまの要望にお応えできていない面がありますが、これからはシニア就労とGBERの活用に関心のある自治体、シニアコミュニティ、企業とコンソーシアム※2を形成し、GBERを社会実装するスタートアップを立ち上げることも考えていく必要があると感じています。 多様化するシニアのニーズ 単一のコミュニティでは対応できない  30名以上のメンバーを抱えて、仕事などの地域活動への参加に積極的に取り組んでいるコミュニティは、活動を活性化させるツールとしてGBERを展開しやすい環境にあるといえます。地域のシルバー人材センターなども、登録している会員が自ら興味のある仕事を探して応募するマッチングのフローを効率化する意味で、導入しやすい環境といえるでしょう。  その一方で、地域のシニアコミュニティやシルバー人材センターへのヒアリングを行っていると、「定年退職していく人が年々増加しているにもかかわらず、新規会員登録者数の減少が課題となっている」と耳にすることがあります。シニアの社会参加に対する多様なニーズに応えることが、一つのコミュニティではカバーできなくなってきているのです。  例えばシルバー人材センターの場合、その仕事は「臨・短・軽」といわれる簡易な仕事が中心となりますが、それではシニアの参加意欲をかき立てられないことが課題といわれています。シニアの働き方を考える際、「臨・短」であることは柔軟な働き方を志向するうえでは欠かせない視点なのですが、いまの日本の労働市場においては、臨・短の二つを決めると、必然的に軽微な仕事になってしまう傾向があります。軽微な仕事では、今日のバイタリティあふれる多くのシニアの労働意欲を刺激することができなくなってきているのです。  かといって、より高度なスキルが求められるシニア向けの仕事となると、「臨時で短期の経営相談」のように、極端に高度なスキルが求められる仕事になってしまいます。多くのシニアが満足できる「適度なレベルの仕事の開拓」も大きな課題の一つです。 適度なレベルの仕事の開拓≠阻害する日本式就労観  「適度なレベルの仕事の開拓」という課題は、シニア就労にかぎらず、現役世代の働き方改革や、ライフイベントに直面している労働者、障害のある労働者にとっても、働き続けることに対する大きな壁として存在しています。その壁をつくっている根源的な要素が、日本における就労観の特徴でもあります。  その就労観の要因の一つが、給与体系が仕事の内容に対応した「職務給」ではなく、働く役職によって決まる「職位給」となっていることです。職務定義が曖昧であるため、現役世代はあらゆる業務をこなせる人材であることが要求され、フルタイムで何でもできる人材でないと、就労機会を得づらい社会であるといえます。人件費を職務単位で計算できないため、職務の分担がやりにくくなり、働き手の減少が進む現役世代においてはその負荷が高まっていきます。  職位給を支える就労観が、新卒一括採用、年功序列、終身雇用という、流動性の低い単線型の労働市場です。かつての高度経済成長期においては、効率的に機能していたシステムが、今日では成長を抑制する仕組みとなっています。こうした就労観のもとで会社のメンバーとして社員を迎え入れるということは、逆にフルタイムでどんな仕事でもこなせる働き方ができなくなると、単線的なキャリアパスからはじき出されてしまうということであり、一旦はじき出されると元に戻りにくいということでもあります。  本来であれば、非正規雇用という仕組みが柔軟な働き方をサポートするシステムとして機能することが期待されるわけですが、その仕組みが「非正規」雇用と名づけられたこと、そして「働き方改革」という言葉と概念が世の中にさらに遅れて出てきたことによって、そのプラスの側面に日が当たりにくくなり、労働格差を生み出し、ますます働き手を企業メンバーとしての正社員に固執させる悪循環を生み出しています。 多様な働き方に関する意識調査労働格差の拡大で既存の就労観に固執  われわれの研究グループで、多様な働き方に関する800名規模の意識調査を行ったことがあります※3。  調査の結果からは、男女とも「仕事を通した技能や経験の獲得への関心」などのキャリア志向が高い人材ほど、副業・複業・兼業に対する関心が高く、フレックスタイム制度・育児休業・テレワークなどの柔軟な働き方を支援する仕組みを「利用したい」、「利用したかった」という回答が多くなりました。逆にキャリア志向が低い人材は「利用したくない」、「知らない」という回答が多くなりました(図表)。  また、現在正社員である人、役職についている人、キャリア志向が高い人ほど「可能な限り正社員が良い」という考えに賛同し、仕事に対する自信・積極性が高い人ほど反対する有意な関連が見られました。さらに、小学生以下の子どもがいる人、健康に不安がある人ほど、「職務単位での働き方」や「主体的なキャリア形成」に消極的であることがわかりました。  「非正規雇用」と呼ばれている制度が、自分の経験やスキルに自信があって、積極的にキャリアを開拓していきたい人材の活躍の場を広げるためのものとして紹介されたなら、労働格差は拡大する方向ではなく是正され、生産性は高まったのかもしれません。  現実には、職務給を導入することなく職位給を維持したまま非正規雇用が拡大し、正社員との間の労働格差が広がってしまいました。本来は無理なく仕事とのつながりを維持したいと考えている人ほど、そのための柔軟な働き方を支援する制度の情報を知ることができにくいこと、労働格差のなかで自己を守るために既存の就労観に固執してしまう傾向に陥りやすいことが示唆されています。 働くシニアのキャリア構築に向け日本式就労観からの転換を  話をシニア就労に戻すと、よく耳にする「役職定年」や「定年延長」、「再雇用」というシステムは、既存の働き方や給与体系にメスを入れることなく、従来の就労観を維持する方向で考えられたものだといえます。  リクルートワークス研究所が注意喚起した「次世代シニア問題」という言葉があります※4。現在のシニアは、日本が世界第2位の経済大国である時代にキャリアを形成し、いまの若い世代よりも多くの貯蓄を形成することができました。昨年の金融庁の報告書から老後30年の必要資金2000万円問題がメディアを賑わすようになりました。現在保有している貯蓄から、さらに追加で2000万円の資産を形成する必要があると解釈している人もいるでしょう。2015(平成27)年の総務省の家計調査によると、60歳以上の平均貯蓄額は2396万円で中央値は1592万円となっています。ということは、貯蓄額の中央値で考えると65歳で定年退職してから30年生きるとした場合、30年間で400万円程度稼ぐ必要が出てくることになります。つまり1カ月あたり1・1万円の収入を得ることで、老後資金2000万円を準備することができることになり、試算をするとそれほど非現実的なことではないということがわかります。  ただし、国際競争力と労働生産性の低迷が、キャリア形成と重なってしまった世代にとっては状況が変わってきます。老後の備えが十分にできていないと感じているだけでなく、職位給の仕組みのなかで、管理職以上に多くの人材が詰まってしまい、昇進・昇級の機会が減っていることが、労働意欲の減退を引き起こしています。これからのシニアが定年退職するときまでに、いかに健康的なシニア就労市場を形成できるかがポイントになります。  2019(令和元)年には、経団連会長やトヨタ自動車社長が相次いで「終身雇用の維持はむずかしい」ということに言及しました。人材派遣会社との議論のなかでは、新卒でいきなり派遣労働を選ぶ若者が出始めたという話も聞いています。  雇用側としても、旧来の就労観を維持していくことに限界を感じているし、労働者側も旧来の就労観に基づく働き方からの脱却を求め始めています。それにもかかわらず、旧来の就労観を手放すことに対しては、根強い不安感が渦巻いていることで、双方とも最初の一歩をふみ出すことができないようです。 シニア世代のジョブ開拓が現役世代の働き方改革につながる  企業の一員として就職するという従来の就労観から、職務単位での就労への転換を進め、シニアが働く意欲をかき立てるジョブ開拓を広げていくためには、各企業や組織において仕事の目標を明確に定めつつ、いま現在取り組んでいる作業を一つひとつ明文化していくことが必要になります。そして、その一つひとつの作業に対し、目標を達成することに必要な作業なのか、逆にほかに実施するべき作業はないかを吟味します。次に、現在の組織内の人材の力を集中させるとよい作業は何で、外部人材の助けを借りた方が効率がよい作業は何なのか判断します。  たいへん手間がかかる作業ではありますが、組織内の仕事分析を行っていくことがはじめの一歩と考えています。新たな求人を出すタイミングで、あいまいなコミュニケーション能力を求めて、応募する人材が組織のなかでの役回りを見出すことに期待するのではなく、具体的な作業を提示して遂行可能かどうかを判断してもらうところから始めるとよいでしょう。  多様な人材の多様な働き方を広げていくシステムの研究開発に一緒に取り組んでいる、同じ先端科学技術研究センターの近藤武夫先生は、上述のジョブ開拓方法を開発し、障害者が無理なくできる仕事をできる範囲で従事することを助ける「超短時間就労」を提唱しています。川崎市や神戸市などでは、フルタイムでの就労や組織内のコミュニケーションを苦手としている人材に適した作業を発掘することで、障害者の就労機会を広げていっています。  この手法をツール化し、シニアや柔軟な働き方を求める若手人材に広げていくことで、一人ひとりが前向きに取り組むことのできる仕事や働き方に結びつけていけると考えます。  若手人材に対しては、社会の多方面に影響を与えられる人材を正社員として企業が無理をして抱え込むのではなく、社会のなかのさまざまなプロジェクトに従事し、複数の企業でイノベーションを起こすことを推進するインディペンデントコントラクター※5としての活躍を助けることに寄与するでしょう。  シニア世代は、現役世代の成長とキャリア形成のために集中できるとよい職務をサポートできる頼もしい人材です。シニアの多くは特に、現役時代につちかってきた経験も活かせるようなホワイトカラーの仕事を求めています。ホワイトカラーの仕事の開拓は現役世代の働き方の改革と車輪の両輪を成す形で進んでいくものになるでしょう。 ※1 AI・ICT……AI(Artificial Intelligence)は人工知能、ICT(Information and Communication Technology)は情報や通信に関連する科学技術の総称 ※2 コンソーシアム……同じ目的を持つ、二つ以上の個人や企業、団体からなる団体 ※3 菅原育子、今城志保、檜山敦、秋山 弘子「多様な働き方への態度とその関連要因」、産業・組織心理学会第35回全国大会(2019年) ※4 リクルートワークス研究所 2014年度『Works Report』より ※5 インディペンデントコントラクター……高度な知識や専門性を持ち、複数の企業と契約して仕事を請け負う働き方をする人、個人事業主 図表 多様な働き方を支援する制度の利用経験・利用希望 育児休業 現在利用している3% 過去利用した6% 利用したい(したかった)49% 利用したい(したかった)と思わない32% 制度を知らない10% 介護休暇 現在利用している0% 過去利用した2% 利用したい(したかった)55% 利用したい(したかった)と思わない28% 制度を知らない15% 病気療養の休暇 現在利用している1% 過去利用した1.1% 利用したい(したかった)51% 利用したい(したかった)と思わない24% 制度を知らない13% 短時間勤務制度 現在利用している2% 過去利用した3% 利用したい(したかった)51% 利用したい(したかった)と思わない28% 制度を知らない16% フレックスタイム制度 現在利用している4% 過去利用した5% 利用したい(したかった)50% 利用したい(したかった)と思わない24% 制度を知らない17% テレワーク 現在利用している2% 過去利用した2% 利用したい(したかった)49% 利用したい(したかった)と思わない28% 制度を知らない19% 副業・複業・兼業 現在利用している7% 過去利用した6% 利用したい(したかった)46% 利用したい(したかった)と思わない28% 制度を知らない14% 資料出典:産業・組織心理学会第35回全国大会講演資料(2019年)「多様な働き方への態度とその関連要因」菅原育子、今城志保、檜山敦、秋山弘子 最終回 多様な人材が不安なく生活を維持できる未来社会へ向けて 新型コロナウイルスがあぶり出した現代社会の課題  これまで5回にわたって、AIやVR、そしてロボットなどの最新のICTが変えていく高齢者を中心とした未来の働き方についてお話ししてきました。最終回となる今回は、これまでの内容を総括しつつ、未来社会の向かう方向をまとめようと思います。  この原稿を執筆しているまさにこの瞬間、中国武漢市で大流行した新型コロナウイルスは、世界中にその猛威を拡大しています。米国の医学雑誌『JAMA(The Journal of the Americ an Medical Association)』に掲載されたCDC(Chinese Center for Disease Control and Prevention)からの論文では、調査を行った80歳以上の感染者1408人のうち208人が亡くなり(致死率14・8%)、70〜79歳の感染者3918人のうち312人が亡くなった(致死率8%)、という統計が報告されています※2。  高齢者や基礎疾患を持ち免疫力に不安を抱えている方にとっては、特に予防対策を意識する必要がありますが、一方で外出することがはばかられ、社会参加の機会が奪われて身体を動かす機会が減ること自体が健康によくないことです。その意味では、WHOからパンデミックと認定された新型コロナウイルスによる「働くこと」への影響は、本連載でお話ししてきたトピックと密接に関わるところが多く、触れないわけにはいきません。  新型コロナウイルスの感染は、瞬く間に世界に飛び火しました。2020年3月現在でイタリアでは死者が1万人を超え、アメリカでは感染者数が中国を抜き30万人を超えました。若年層の感染者は無症状であることもあり、気づかないうちにウイルスをばらまいてしまう可能性があります。日本においては2月下旬から、市中感染の発生が確認されると、不要不急の外出や人が集まるイベントを中止・延期する動きが全国的に広がりました。早期から社内外での対面での会議や出張を禁止し、オンラインでの会議に切り替える企業が多く出てきました。3月2日からは、小中高校の春休みまでの一斉休校が要請され、卒業式・入学式の中止や新学期の開始の延期も行われるようになりました。開催予定だった東京五輪の延期も決まり、感染者数も急速に増加してきています。本稿が掲載される段階でもおそらくまだ、外出の自粛要請は続いていることでしょう。  目に見えた状況の変化が起きないと次の一手を打たない、打てないことは、疫病のように指数関数的に変化するものへの対応としてはまったくの手遅れになります。しかし、世の中の経済のシステムが平常時しか想定していないことが、安全な方向に手を打つことを妨げています。職場や学校は混乱し、最終的にしわ寄せは家庭に降りかかっていきます。この一連の動きのなかで、ICTを活用した柔軟な働き方の促進を取り巻く課題が見えてきました。 非常事態で溶け始めた旧来の就労観  現役世代においては、突然の一斉休校が行われたことから、非正規雇用の労働者や、子育てを行っている共働きの家庭の働き方に大きな影響が出ました。育児中の共働きの家庭では、家庭での保育のため、出社が困難になる状況が引き起こされました。正規雇用者のテレワークは広がりましたが、非正規雇用者は、テレワークがそもそも認められておらず、仕事の結果ではなく会社での勤務時間で給与が支払われているため、出社できないと給与が支給されなくなる問題が議論されるようになりました。  非正規で育児を行っている労働者にとっては本当につらい状況です。わが国の労働環境は、配慮や支援が必要な人材であるほど配慮や支援を受けにくい、厳しい労働環境であることが明るみに出ました。  第5回の連載でお話しした、日本式就労観に内在される、フルタイム男性正社員を基準に考え、女性偏重の子育てや介護を暗に想定した対策が打ち出されるようでは、ダイバーシティを目ざす世の中の流れにまだ追いついていないことが分かります。  このような状況をふまえ、IT大手のヤフー株式会社や人材大手のパソナグループは子どもの預け先に困っている社員に対して、会社の共有スペースなどを活用して子どもを連れて出勤できるよう対応を始めました。  多くの企業で在宅勤務の適用範囲を広げ、有給の特別休暇を取得できるようにする動きが広がっていきました。裁量労働制が適用される私のような研究者の間では、普段から遠隔ビデオ会議ソフトを駆使して、ほとんどのミーティングをオンラインで対応しています。  遠隔ビデオ会議を日常的に使って気づいたことがあります。会議が時間通りに始まり時間通りに終わるようになりました。対面だと雑談が始まったり話が脱線したりすることがありますが、オンラインの方が議題に集中できるようです。また、打合せのための移動時間がなくなるので、いままで失われていた時間を別の仕事に当てることができるようになりました。これによってこなせる仕事の量が増やせますし、参加できなかった会議にも参加できるようになりました。  遠隔ビデオ会議の適用範囲が広がったことで、労働生産性とQOLが高まりました。また、参加者一人ひとりの表情を画面で確認できることは、多人数であるほど対面より心理的距離感を縮める印象があります。 非常事態を想定したシステムの再構築が必要  4月からは新学期を迎えますが、東京大学では遠隔講義の推奨から原則として遠隔講義に切り替える方針に変わってきました(3月末時点)。すでに教育の一環で学生にパソコンやタブレット端末などが配付できている学科や専攻であれば、急な遠隔講義への移行に対応する障壁が少なくなります。全学的にも多人数の講義を遠隔で実施できるように、500人まで同時に接続できるよう、遠隔ビデオ会議ソフトのアカウントを提供するなど準備を進めています。  不安要素は、東京大学だけでも何万人という学生がさまざまな講義で一斉にインターネットに接続することです。そして全国の大学で講義のオンライン化が進むことになるでしょう。  新入生は自宅に遠隔講義に対応できるパソコンやインターネット環境を持っているとはかぎりません。まして小中高校においてはもっと環境は整備されていないことでしょう。遠隔講義で講習をするために教室に児童・生徒・学生を集めては本末転倒です。  新年度が始まるこの時期に、急を要する対応に心血を注いでいる現場の教職員には本当に頭が下がります。現場の教職員の安全確保と働き方改革という観点からも、もっと制度やルールを柔軟にして時間的にも精神的にも余裕を確保することは優先されるべきことと考えます。  また、いままでの教育をそのままオンラインで展開することに固執する必要もないと思います。この状況だからこそ、児童・生徒の主体的な学びをつくる機会ととらえ、学びをアップデートしていくことも教育関係者のコミュニティで議論されています。日本には、豊富な経験を持つ定年退職した教師が大勢います。その人たちがICTを活用して自由な発想で新しい学びを世の中に発信し、現場の教師をサポートしていくことで、日本の教育は変わっていくかもしれません。教育は国の基本です。退職された先生たちの力を積極的に活かすことも重要な選択肢の一つでしょう。  企業においても教育機関においても、このような非常事態へ対応できるかは、第2回の連載で紹介した「GBER(ジーバー)」※3の設計に関わってくるように、平時からの備えと活用にあります。テレワークを行うために必要な装置がなければ、業務を停止せざるを得ません。たとえ用意はできていても普段から活用していなければ業務のなかでテレワークを機能させることはむずかしいでしょう。  新型コロナウイルスのワクチンの実用化までは数年はかかるといわれています。ましてや医療崩壊を起こさないスピードでの集団免疫の獲得までは、途方もない年月を要することになります。それまでは断続的に経済活動の自粛と再開が行われる可能性が高いです。私たちの経済の仕組みそのものも、オンラインで動かす領域を拡大しアップデートしていかないといけません。GBERでは、オンラインで扱う仕事へも対応できるようにアップデートしました。教育分野など、シニア向けのオンラインの仕事の開拓にも力を入れていこうと思います。 テレワークを妨げる事務手続きの慣習  就労の話に戻りますと、オンラインでの仕事を妨げる最も大きな要因は、押印や直筆サインが求められる事務書類の提出が本当に多いことです。そのためだけに満員電車に乗って移動することが強いられます。書類を電子的に作成していても、負のレガシーが残っていて、なぜか最終的に書類を印刷して押印やサインを求める運用をしている職場もあるでしょう。  結果として常時出社せざるを得なくなり、本人とその家族を不安にさせてしまいます。組織にとってもこれは感染者が出た場合に業務が完全に停止してしまう脆弱(ぜいじゃく)な仕組みであり、完全オンライン化に向けた早急な変更が求められます。  事務手続きのための電子システムはオフィスでないとアクセスできないこと、前述の通り非正規の事務職員にはテレワークが基本的には認められていないことは制度上の課題です。  新型コロナウィルスの感染拡大を受けて、多くの組織で規制緩和や所得補償を検討する動きが出てきました。東京都知事からも可能なかぎり在宅勤務の要請が行われました。通院だったり、健康のためだったり、物流だったり、ライフラインの維持のため外出が必要な人、求められる人が安全に外出できるように、組織や社会には配慮が求められます。  アメリカではニューヨーク州をはじめ企業には在宅勤務を義務づけるドラスティックな意思決定が行われました。CNNからは何百万人もの労働者が在宅勤務に切り替えた結果、大気汚染が改善されたという報道がなされ、衛星写真が公開されました※4。一方日本では、パーソル総合研究所の調査によるとテレワークの実施率は首都圏でも正社員の20%に満たないと報告されています。 流動性の高い労働市場が雇用のセーフティネットに  現在、打撃を受けている外食産業に対して、シェアリングエコノミーの宅配サービスが、レストランの経営維持と外出できない住民との間をつなぐニーズを満たしています。  文化芸術の分野の働き手にも大きな影響が出ています。劇場やスポーツイベントでは、多くの観衆を一カ所に集めることになります。舞台の役者が、興行できないために大量解雇されたという報道も複数出てきています。  複業・兼業や雇用の流動性が確保されていれば、事態が終息するまでの一時的な期間、異なる形で収入を得ることができます。いままでにない状況に社会が直面したことで、いまだから新たに必要な人手もあることでしょう。自分に合った、自分ができる仕事を検索するジョブマッチングの仕組みが身近に利用できることは生活をつなぐツールになり得ます。 年齢や性別、障害の有無に関係なく多様な人材が活躍できる社会へ  新型コロナウイルスが引き起こした危機は、思いがけず働き方改革を進めることになりました。ただ、この事態が終息しても、せっかく進んだ働き方改革の流れを元に戻すような動きは起きてほしくないと切に願います。私たちが多くの犠牲を払って得た学びであり、人々の生活基盤を強くするものであり、多様な人材の社会とのつながりを強化する変化であります。この動きを定着し、加速する方向で、社会は歩みを進めていってほしいと思います。  本連載は、現在私が代表者として科学技術振興機構の未来社会創造事業から支援を受けている研究開発プロジェクト「人材の多様性に応じた知的生産機会を創出するAI基盤」の展開と並行して行ってきました※5。これからも、年齢や性別や障害の有無を超えて、だれもが無理なく働けて不安なく100年の一生を送れるように、人から仕事を奪うのではなく、人と仕事とをつなぐテクノロジーの研究開発とその導入へ向けて取り組んでいきたいです。  いま現在、自由に外出ができない、家族や友人と会うこともままならないシニアの読者のみなさまも多いと思います。インターネットの世界のなかでは年齢も性別も国籍も障害の有無も関係ありません。個人や仲間とつながることで、工夫次第で新しい経験や、世の中の必要に応える場を見出すことができるかもしれません。外出の自粛が要請されている日曜日の東京の窓越しに、満開の桜と季節外れの大雪が降りゆく風景を眺めて、多様な一人ひとりの働きやすい生きやすい世の中の訪れを願いつつ、この連載の筆を置きます。 ※1 AI・ICT……AI(Artificial Intelligence)は人工知能、ICT(Information and Communication Technology)は情報や通信に関連する科学技術の総称 ※2 https://jamanetwork.com/journals/jama/fullarticle/2762130 ※3 GBER……就労を希望する高齢者のモザイク型就労を支援するジョブマッチングシステム。詳細は本誌2019年12月号38頁〜参照 ※4 https://www.cnn.co.jp/usa/35151251.html ※5 https://el.rcast.u-tokyo.ac.jp/