新連載 高齢社員の賃金戦略 学習院大学名誉教授 学習院さくらアカデミー長 今野(いまの)浩一郎  高齢者雇用を推進するうえで重要な課題となるのが高齢社員の賃金制度です。豊富な知識や経験を持つ高齢社員に戦力として活躍してもらうためには、高齢社員の能力や貢献を適切に評価・処遇し、高いモチベーションを持って働いてもらうことが不可欠となります。本連載では、高齢社員戦力化のための賃金戦略について、今野浩一郎氏が解説します。 第1回 高齢社員の賃金を考える二つの視点  今回の連載は賃金がテーマです。まず最初に、読者のみなさんには次の仮想事例について考えていただきたいと思います。 * * *  ある会社のことです。同じ賃金をもらう営業スタッフのAさんと技術者のBさんは、社長に次のことを訴えています。  Aさんはこういいます。「技術部門が魅力的な製品を開発できていないのに、会社として利益が上がっているのは、営業部門のがんばりがあるからで、営業部門の会社に対する貢献は技術部門より大きいといえます。その営業部門でこれだけの成績を上げているのに、Bさんと同じ賃金では納得できません」  他方、Bさんはこういいます。「営業部門が売上げを上げられるのは、技術部門が売れる製品を開発したからで、技術部門の会社に対する貢献は営業部門を上まわります。その技術部門でこれだけ新製品を開発しているのに、Aさんと同じ賃金では納得できません」  そして最後に、2人はともに社長に対して、「なぜ2人の賃金が同じなのか」について納得できる説明を求めました。 * * *  読者のみなさんが社長だったら、この2人の苦情にどのように答えますか。2人が納得できる回答ができれば、高齢社員の賃金の問題にも対応できるはずです。なぜそうなのかについては、連載を通して考えてみてください。 1 連載のねらい〜高齢社員の賃金は「賃金の基本」から考える〜  今回の連載では、60歳以上の高齢社員の賃金はどうあるべきかを考えたいと思います。ここで60歳以上を高齢社員としたことには理由があります。いまでも多くの企業が60歳定年制をとり、定年を迎えた社員を嘱託などの非正社員として再雇用し、定年前の正社員と異なる人事管理を適用しています。しかも定年を延長する企業でも、旧定年年齢である60歳を契機に賃金の決め方などを変える企業が少なくないからです。  いま、多くの企業が高齢社員の賃金をどうするのかに苦労し、すぐにでも「賃金はこうあるべき」という解答を求めていると思います。しかし、どの企業にも通用する「あるべき賃金」はありません。「あるべき賃金」は、それぞれの企業がそれぞれの事情に合わせて苦労してつくりあげるものです。それは、賃金は社員をどのように育成し活用するのかにかかわる個々の企業の考え方に沿って決められ、この考え方は個々の企業がとる経営のビジョンや戦略に沿ってつくられるからです。  このように「あるべき賃金」は会社によって異なりますが、どの企業も、それをつくりあげる際に準拠すべき考え方や手順があります。これが「賃金の基本」であり、「賃金の基本」がわかっていれば、経営の状況がどんなに変わっても対応できる応用力がつきます。また、後述するパートタイム有期雇用労働法は、企業に正社員と非正社員の処遇の違いを社員に説明することを義務づけていますが、「賃金の基本」を知ることは、この説明する力を高めることにもつながります。  このようなことから、連載では「賃金の基本」にこだわって高齢社員の賃金を考えたいと、また読者のみなさんには、具体的な制度や施策にとどまらず、それを支える「賃金の基本」についても理解していただきたいと考えています。 2 高齢社員の賃金問題は「社員の多様化」問題の一タイプ  「賃金の基本」とともに重視したいことは、高齢社員の賃金問題は会社全体の賃金問題の一部であるという視点を持つことです。特にいまは、どのような賃金が企業にとって合理的で、社員にとって公正なのかについて、高齢社員以外のさまざまな場面で問題になっています。  例えば、複線型人事管理をとる企業では、働く地域が限定されず転勤のある総合職と、勤務地が限定され転勤のない一般職の賃金の違いはどうあるべきかが問われています。同様のことは、非正社員を雇用する企業では正社員と非正社員の間でも、短時間正社員制度をとる企業ではフルタイム勤務の正社員と短時間勤務の正社員の間でも問われています。  このように、正社員と非正社員などの処遇の違いをどうすべきかは、企業が自ら取り組むべき重要な経営課題なのですが、パートタイム有期雇用労働法はその動きを促進しています。さらに同法は、定年後に非正社員として再雇用された社員にも適用されるので、高齢社員の賃金に与える影響も大きいといえます。そこで、42頁のコラムで同法の内容を簡単に説明しています。詳細については厚生労働省作成の「不合理な待遇差解消のための点検・検討マニュアル」※を参照してください。  ここで重要なことは、これまで紹介した総合職と一般職、正社員と非正社員、フルタイム勤務の正社員と短時間勤務の正社員の賃金格差の問題はすべて、担当する仕事、キャリア形成の仕方、あるいは働き方などで決まる社員タイプ間の問題であるということです。いま、社員が求める働き方やキャリアの多様化が進み(つまり「社員の多様化」が進み)、企業はそれをふまえて人事管理を変えていかねばならない状況に置かれています。そのため、ここにきて企業は社員タイプ間の賃金の違いを点検し、見直すことが必要になっているのです。  本連載で取り上げる高齢社員の賃金は、こうした「社員の多様化」に合わせて人事管理を再編するという大きな変化のなかで問われている問題であるという視点を持ってほしいと思います。さもないと高齢社員の賃金を、人事管理全体の視点からではなく、高齢社員の事情しか見ない狭い視点から考えるということになるからです。くり返しになりますが、人事管理は複数のタイプの社員を対象にし、各タイプ間のバランスを考えてつくられているシステムなので、そのなかの一タイプである高齢社員の人事管理は、ほかのタイプの社員との関係のなかで考えねばならない、ということを常に意識してほしいと思います。 3 「賃金の基本」の第一歩  企業が賃金を決めるにあたって問われる最も基本的なことは、最初にとりあげた仮想事例のなかのAさんとBさんの苦情に集約されています。つまり2人の苦情にどう答えるかは、賃金を考える際に企業が対応しなければならない最も基本となることなのです。しかし、それにどう答えるかはむずかしく、その背景には次のことがあります。  AさんとBさんは、会社の経営成果に貢献するために、異なる仕事(営業と技術)を通して、異なる形態の価値(「売上げを上げること」と「新しい商品を開発すること」)を生み出しています。ここで大切なことは、2人が生んだ価値は形態が異なるために、直接比較してどちらが大きいかを決めることができない、ということです。それにもかかわらず会社は、@形態の異なる2人の貢献を何らかの方法で貢献の大きさに換算する、A2人の貢献の大きさを比較する、B2人の貢献の大きさが同じであったので同じ賃金とする、という手順をふんで2人の賃金を決めています。このように見てくると2人は、会社がどのような換算の方法をとっているのか、その方法がなぜ公正で合理的であるのかを説明してほしいと社長に求めている、ということになります。  賃金を考えるときには、賃金を決める仕組みと、その仕組みを通して決定される賃金額を分けて考えることも必要です。賃金制度というのは、前者の賃金を決める仕組みのことを指します。例えば、ある会社は勤続給をとり、勤続10年目の社員に毎月10万円の賃金を支給しているとすると、この会社は勤続年数にリンクして賃金を決める仕組みの賃金制度をとり、その制度のもとで勤続10年目の社員の賃金額を10万円としているのです。さらに同じ勤続給をとっても、勤続10年目の社員の賃金を10万円とすることも、15万円とすることも、20万円とすることも可能です。ですから前述したように、賃金制度と賃金額は分けて考えることが必要になるのです。  賃金制度をこのようにとらえたうえで、勤続給を仮想事例に当てはめると、社員の貢献の大きさは勤続年数に比例するので、AさんとBさんは仕事内容、つまり会社に対する貢献の形態は違うが勤続年数が同じなので同じ賃金にする、というのが社長の回答になります。ただし社長のいう、異なる形態の貢献を勤続年数で貢献の大きさに換算する方法に、2人が納得するかはわかりませんが。  このように見てくると、賃金制度とは「異なる仕事を通して異なる形態の価値を生み出し、異なる仕方で経営成果に貢献している」状態をお金(賃金)に変換する仕組みであることがわかります。AさんとBさんが同じ仕事であれば、どちらが多くの価値を生み、経営成果に対して多くの貢献をしたかを見極めることは容易ですが、仕事の異なるAさんとBさんのどちらが多くの価値を生み、多くの貢献をしたかを見極めることはむずかしいことです。それにもかかわらず、最後には2人のどちらが経営成果に対する貢献が大きいか、同じか、小さいかを決めないと2人の賃金は決まりません。「あるべき賃金制度」を考えるということは、この問題の解答を考えることなのです。  これまでは仕事内容の違う場合を例にあげて説明しましたが、労働時間などからみた働き方の違いでも、職務・配置の変更範囲の違いでも同じことがいえます。  こうした違いによって社員の会社に対する貢献の仕方の形が異なる場合に、賃金の決め方はどうすべきであるのか。これが「社員の多様化」が進むなかで、いま会社が対応を迫られている課題であり、そのなかの一つが高齢者の賃金なのです。このことを正しく理解することが「賃金の基本」の第一歩です。 ※ 厚生労働省「不合理な待遇差解消のための点検・検討マニュアル(業界別マニュアル)」https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_03984.html コラム パートタイム有期雇用労働法のポイント  パートタイム有期雇用労働法は、正社員と非正社員の間の『同一労働同一賃金』、つまり正社員と非正社員は同じ仕事であれば同じ賃金にしなければならないことを求めている。こう考える読者が多いかもしれませんが、同法の求めていることは、そうではありません。求めていることは、正社員と非正社員の間の「不合理な待遇差」の解消です。ですから正社員と非正社員は同じ仕事であっても賃金に違いがあってもよいのですが、その違いは「不合理な差」であってはならないということなのです。  そうなると「不合理な差」をどのように判断するかが問題になります。この点についての同法のポイントは以下の二つです。  第一は、正社員と「職務内容」、「職務内容・配置の変更範囲」が同じ場合には、非正社員の待遇は正社員と同じ取扱いにするという『均等待遇規定』です。第二は、それ以外の場合には、非正社員の待遇を、「職務内容」、「職務内容・配置の変更範囲」、「その他の事情」に応じて正社員とバランスがとれる形で決定するという『均衡待遇規定』です。  現状を見ると均等待遇の対象になる非正社員はかぎられるので、多くの非正社員で問題になるのは均衡待遇になります。そうなると、正社員と非正社員の待遇差が均衡がとれているか否かをどう判断するかが問題になりますが、基本的には、@個々の待遇ごとに、A当該待遇の性質目的に照らして、「職務内容」、「職務内容・配置の変更範囲」、「その他の事情」の考慮要素から適切な考慮要素を選び、Bその考慮要素に基づいて判断する、という手順をとります。  以上のことに加えて、会社の社員に対する待遇についての説明義務が強化されたこともパートタイム有期雇用労働法の重要な点です。例えば、正社員との待遇差の内容と理由などについて非正社員から説明を求められた場合には、会社は説明することが義務づけられています。 第2回 高齢社員の活用戦略は「需要サイド型」に 1 はじめに 〜賃金の前に「活用の明確化」を〜  前回の連載では、高齢社員の賃金を考えるにあたっては、以下の三つの視点を持つことが重要であることを強調しました。第一は、「あるべき賃金」は会社の人材活用の考え方(以下、「活用戦略」)に沿って決める、第二は、「あるべき賃金」は「賃金の基本」をふまえて設計するという視点です。これら二つはどの社員にも適用される原則ともいえる視点なので、高齢社員でも考慮される必要があります。  第三は、高齢社員の賃金は会社全体の賃金の一部である、つまり高齢社員の「あるべき賃金」は高齢社員のみを見るのでなく、社員全体を見て考えるという視点です。特に企業はいま、女性社員や非正社員などが増えるなかで、「社員の多様化」に対応する賃金の構築が求められています。高齢社員の「あるべき賃金」はそれとの関連のなかで検討される必要があります。  連載はこれら三つの視点に沿って進めますが、今回取り上げるのは第一の視点です。この視点が重視していることは、賃金は活用戦略に合わせて決めるべきということなので、高齢社員の「あるべき賃金」の検討は賃金からではなく活用戦略から始めることが必要です。さらに、これは、育成や活用の仕方の違いによって社員を複数のタイプに区分し、異なるタイプの社員には異なる人事管理(もちろん、このなかには賃金も含まれます)を適用するという人事管理の基本原則に沿った考え方です。  以上の点に関連していま最も問題になっているのは、前回の連載でも取りあげた正社員と非正社員の賃金です。正社員は管理職などの幹部社員になることを期待して、長期的な観点から育成し基幹的業務で活用する社員。非正社員は特定の定型業務を継続的に担当する社員。正社員と非正社員の活用戦略をこのように設定すると、両者にはそれに合った異なるタイプの賃金が適用される必要があります。例えば、正社員の場合には、長期的に幹部社員に向かって能力を高めることが大切なので能力に合わせて賃金を決める、非正社員の場合には、担当する業務が明確なので仕事内容に合わせて賃金を決めるというのが適切かもしれません。 2 「福祉的雇用」型人事管理の限界 ■現状の雇用は「福祉的雇用」  高齢社員の活用戦略を考えるには、まずは活用の現状を理解しておく必要があります。それは、現状の何に問題があり、その問題を解決して、あるべき方向に向かうには何をすべきかを考える必要があるからです。  高齢社員の人事管理の基本骨格は高年齢者雇用安定法が求める「希望者全員を65歳まで雇用する」に規定されます。具体的には、「定年制を廃止するのか」、「定年年齢を65歳超に引き上げるのか」、「定年年齢を65歳以下に設定し、その後は継続雇用で対応するのか」の選択になり、どれを選択するかによって人事管理の基本骨格が決まります。多くの企業は「60歳定年後に再雇用し、65歳まで有期契約社員(つまり非正社員)として雇用する」(「60歳定年+再雇用」)という継続雇用の方法を採り、そのもとで、定年前の正社員(以下、「現役社員」)と定年後の高齢社員に異なる人事管理を適用しています。このため、同じ企業のなかに現役社員用の人事管理と高齢社員用の人事管理が共存するので、現状の人事管理は「一国二制度型」と呼べる人事管理になります。  現役社員と高齢社員は社員タイプが異なるので、前述の「異なるタイプの社員には異なる人事管理を適用する」の基本原則に立てば、「一国二制度型」を採ることには合理性があるといえますが、問題はその内容です。多くの企業が採ってきた「一国二制度型」の平均的な人事管理像は次のようになります。 @現役社員時代と同種の業務に従事するが、職責や期待成果は低下する A転勤、残業がないなど、働く場所、働く時間、仕事内容から見て働き方は制約化する B評価はなく、賃金は定年直前の一律減の水準になり、働きぶりが反映されない  職責が低下する、評価がない、働きぶりが賃金に反映されないなどからわかるように、この人事管理像は、企業が高齢社員に対して「成果を期待しない」活用戦略を採ってきたことを示しています。ですから賃金は、この活用戦略に合わせて働きぶりを反映しない賃金として設計されているのです。  経営に対する貢献(つまり成果を上げること)を期待して社員を雇用するのが雇用です。このことからすると、高齢社員の「成果を期待しない」雇用は雇用とはいえず、「希望者全員を65歳まで雇用する」という法的要請に対応するためにやむを得ず雇用する、「福祉的雇用」と呼ぶにふさわしい雇用です。 ■活用戦略は「戦力化する覚悟」から  企業がこうした「福祉的雇用」型の人事管理を採れば、高齢社員はそれに合わせて働くことになり、とうてい労働意欲の高い高齢社員を期待することはできません。この状況はかなり改善されつつありますが、まだまだ企業の取組みは十分ではありません。それは高齢社員が大きな社員集団化しているという状況に対応できていないからです。大きな社員集団化した高齢社員が「福祉的雇用」のもとで労働意欲の低い社員として登場したら、企業の人材力は大きく劣化し、経営に深刻な影響を及ぼします。  つまり高齢社員の戦力化は、企業にとっては避けて通れない経営課題なのです。これが、高齢社員の「あるべき賃金」を検討する際に想定しなければならない活用戦略のポイントになります。考えてみれば社員を戦力化するということは当たり前のことです。しかし、高齢社員の場合には、戦力化に本気で取り組む覚悟を持つことが活用戦略の重要な出発点なのです。「福祉的雇用」型は「成果を期待しない」活用戦略に合わせてつくられた人事管理であると説明しました。そのため高齢社員を戦力化する活用戦略を採るのであれば、企業は「福祉的雇用」型の人事管理から脱却することが必要になり、賃金の決め方も変わることになります。  改めて強調します。高齢社員を戦力化するには、賃金の前に、高齢社員をどう活用するかを明確にする必要があります。多くの企業、多くの専門家が高齢社員の賃金には問題があると考え、賃金の改革案を検討していますが、現行の賃金には問題がないのかもしれません。それは「福祉的雇用」型の活用戦略には適合しているからです。ですから、活用戦略から始めるという視点は忘れないでください。 3 高齢社員活用の方向 ■活用戦略を考える視点  それでは、高齢社員の活用についてどう考えるべきでしょうか。どのような業務につけるのかなどの具体的な活用内容は、会社の事業内容や人事管理の考え方によって異なりますが、活用を検討する際に必ず準拠してほしいことがあります。  多くの企業が採る「60歳定年+再雇用」を前提にすると、「再雇用とは定年を契機とした労働契約の再締結である」ということが、活用戦略を考える出発点になります。労働契約を新たに締結するという点からみると、高齢社員を再雇用するということは、企業にとって社内から高齢社員を中途採用することに等しいのです。ただし、一般の中途採用であれば企業は採用しない裁量を持ちますが、高齢社員の再雇用の場合には、希望者を必ず採用しなければならないので、企業には採用しない裁量はありません。  このように、再雇用を一種の中途採用であるととらえると、業務ニーズを満たす人材を高齢社員から確保し配置するという対応が基本になります。業務ニーズ(つまり人材に対する需要)に確保・配置を合わせることを重視するので、これを「需要サイド型」の活用戦略と呼ぶことにします。  それに対して高齢社員に合わせて仕事を探して、あるいは仕事をつくって配置するという、いまでも多くの企業が採る対応もあります。会社が自分に合った仕事を用意してくれると考えている高齢社員が多くいますが、それも同じことです。この対応は高齢社員の希望(つまり労働サービスを供給する人材側のニーズ)に合わせて人材の確保・配置を決めることを重視するので「供給サイド型」と呼べる活用戦略になります。  しかし、一般の中途採用では企業が応募者に合わせて仕事をつくることはありません。このことからわかるように、「供給サイド型」は望ましい活用戦略とはいえません。しかも「供給サイド型」を採ると、業務上必要でないのに雇用するという傾向が強まり、「福祉的雇用」の状況に陥りがちになります。  したがって再雇用であっても、現実にはなかなかむずかしいとは思いますが、できるかぎり「需要サイド型」の活用戦略を採ることが求められます。つまり、会社は社内の人材ニーズを洗い出し、「高齢社員に何を期待するのか」、「高齢社員の何の能力を活用したいのか」を明確にし、それに合った人材を高齢社員から探すことが必要です。もちろん高齢社員には「会社に自分の何を売るのか」、つまり「会社にどのような能力をもって、どのように貢献するのか」を考えてもらう必要があります。この会社と高齢社員のニーズを擦り合わせて配置を決める。これをどの程度上手にできるかが、企業が高齢社員を戦力として活用する、高齢社員が高い労働意欲をもって活躍する鍵になります。 ■活用方法の基本  次に以上の視点に立つと、どのような活用方法が望ましいのかを考えてみます。これまで蓄積してきた経験と能力を活かすために、現役時代と同じ分野の仕事に配置する現職継続型の活用方法を採る。企業にとっても高齢社員にとっても最も効果的な方法です。しかも高齢社員が少数の場合には他分野の仕事に配置する方法を基本とすることも考えられますが、高齢社員が多くなるほどそれはむずかしく、現職継続型が基本にならざるを得ません。  そうなると、職場責任者が人事部門の支援を得ながら個別に対応するということになります。そのときに職場責任者は、@「職場では、どのような問題に対応するために、どのような人材が必要なのか」の人材ニーズを精査する、A高齢社員の働くニーズ、つまり仕事と働き方の希望を把握する、B職場の人材ニーズと高齢社員の働くニーズを擦すり合わせる、という手順を採って配置を決めることが必要です。また両者のニーズが一致しない場合が多いので、擦り合わせの際には、高齢社員には人材ニーズに合わせて働くニーズを調整してもらうことが必要になります。そのためには、どのような業務なのか、その背景には何があるのか、なぜ働くニーズを調整してもらう必要があるのかなどについて、職場責任者は高齢社員にていねいに説明し、話し合うことが必要です。  さらに高齢社員は自分の経験、スキルを理解したうえで、職場の業務ニーズにどう貢献するかを考え、提示することが必要です。企業には高齢社員がこの行動を採れるように支援することが求められ、それを検討するにあたっては、(独)高齢・障害・求職者雇用支援機構が日本電子デバイス産業協会に委託して開発した、@会社・職場による業務上の課題のリストアップ、A高齢社員による課題の選択、B当該課題にどう取り組むかの検討と提案、Cそれを通しての「使えるスキル」の自己認識の4段階からなる『シニア期の「使えるスキル」発見法』の研修プログラムの考え方が参考になります(同協会「電子デバイス産業における高齢者雇用推進ガイドライン」2019年を参照※)。  高齢社員の活用を決めるにあたっては、以上の職場責任者による個別対応が基本になりますが、制度的に対応する企業もあります。その典型的な方法は高齢社員版の社内公募制度です。すべての高齢社員の配置を社内公募で決めている企業もありますし、基本は上記の個別対応ですが、それを補完する方法として社内公募を活用する企業もあります。さらに、ほかの職場、ほかの企業の仕事に挑戦する場合などに、事前に仕事の内容を知ってもらうためにインターン制度を導入している企業もあります。  今回は「賃金の前に、どう活用するかを明確にする」の原則にしたがって、活用戦略を検討する際のポイントについて説明しました。高齢社員の賃金を見直したいと考えている読者は、高齢社員の雇用の現状を点検したうえで、まずは、これらのポイントに沿って活用戦略を検討してみてください。賃金はそれからです。 ※ https://www.jeed.or.jp/elderly/research/enterprise/devicer1.html JEED 電子デバイス ガイドライン 検索 第3回 賃金決定の基礎理論 1 はじめに〜なぜ基礎理論が必要か〜  前回は、「賃金の前に活用戦略を明確にすることが必要」の視点に立って、活用戦略を検討するにあたって注意すべきことを説明しました。そこで、これからは賃金をどう設計するかを考えることにします。  今回はその第一歩として、賃金を設計する際に準拠すべき「賃金決定の基礎理論」について説明したいと思います。基礎理論というとむずかしく聞こえますが、賃金を合理的に設計するにあたって採るべき考え方や手順のことです。高齢社員の活用戦略は企業によってさまざまなので、それに対応する「あるべき賃金」の具体的な形態もさまざまです。しかし基礎理論はそれを超えてどの企業でも活用できます。例えば以下のような場合に頼りになります。  高齢社員の賃金は基礎理論からすると応用問題の一つです。ですので、基礎理論を学習しておけば、高齢社員の賃金をどう設計すべきかを体系的に理解することができますし、経営状況が変わり「あるべき賃金」が変わっても対応できるようになります。それに対して、基礎理論を学習することなく賃金を設計すると、設計された賃金が合理的であるのか、合理的でないとすると何に問題があるのかを見極めることがむずかしくなります。  さらに、基礎理論を学習すると、「なぜ、その賃金なのか」を高齢社員に説明する力がつきます。連載の第1回※でも説明したように、正社員と非正社員の不合理な待遇差の是正を求めるパートタイム・有期雇用労働法が施行され、企業はこれまで以上に「なぜ、その賃金なのか」を社員に説明することが求められます。その理論武装のためにも、基礎理論を理解しておくことは大切です 2 賃金決定の第一の原則〜「同じ価値には同じ賃金」の内部公平性原則〜  まず会社は賃金をどう決めているかを、改めて考えてみます。社員は賃金を生計費にみあって決めてほしいと思うかもしれませんが、会社はそうはいきません。社長になったつもりで、ある社員に多くの賃金を、ほかの社員に少ない賃金を払うのはなぜかを考えてみてください。  会社の経営を考えると、経営にとって価値の大きい社員には多くの賃金を、価値の小さい社員には少ない賃金を払うことが合理的な賃金の決め方になるはずです。つまり、賃金は、社員の会社にとっての価値の金銭的表現なのです。そのため同じ価値の社員には同じ賃金を払うという「同一(価値)労働同一賃金」が原則になり、それは人事管理では「内部公平性原則」と呼ばれます。いま「同一(価値)労働同一賃金」が問題になっていますが、人事管理からすると「何をいまさら」という感じがします。  そうなると次に、社員の会社にとっての価値はどう決まるかが問題になります。それは社員の会社に対する貢献の大きさ(貢献度)で決まります。問題はそこから先で、貢献度をどう測るかです。  次の2人の営業スタッフについて考えてみてください。Aさんは顧客との長期的な信頼関係を築くことはできていませんが、今期は大きな売上げをあげています。それに対してBさんは、今期の売上げはたいしたことありませんが、長期的な視点に立って顧客との信頼関係を築くことには成果をあげています。あなたが社長であれば、どちらの社員を会社にとって価値の大きい社員としますか。短期の貢献度からみるとAさんが、長期の貢献度からみるとBさんが価値の大きい社員ということになります。つまり貢献度には短期の貢献度と長期の貢献度があり、どちらの貢献度をとるかによって社員の価値つまり賃金の決め方が異なることになります。  しかも、どちらが正解ということはなく、どちらを選択するかは経営の考え方に依存します。例えば、社長であるあなたが、社員にいまの成果をあげることを期待するのであれば短期の貢献度によって、長期的な成果を期待するのであれば長期の貢献度によって社員の価値を決めることになります。  このことは「内部公平性原則」(つまり「同一(価値)労働同一賃金」)という原則は一つでも、貢献度を測る方法が多様であるため、この原則に沿って決まる賃金には唯一最善はなく、賃金の合理的な決め方には多様な方法があることを示しています。賃金に対するこうした見方はたいへん重要です。これを「賃金決定方法の多様性の視点」と呼ぶことにします。 3 価値と貢献度と賃金決定方法の多様性  貢献度を測る方法は多様であるといいましたが、多様であるというだけでは賃金を設計できません。先に説明した短期の貢献か長期の貢献かはあくまでも例示なので、なぜ方法が多様になり、多様な方法にはどんな方法があるのかを体系的に理解する必要があります。そのために用意したのが次頁の図表です。これは仕事のプロセスと貢献度(つまり社員の価値)との関係を整理したものです。  社員が能力を持ち、会社の指示に従ってその能力を仕事に投入し、仕事を遂行し、成果をあげる。これが図表に示した仕事のプロセスです。このなかの「成果」は会社に対する貢献そのものなので、「成果の大きさ」が社員の価値を決める基準になります。また、「成果」は仕事のプロセスを経てすでに実現した貢献(つまり実現した価値)であるので、図表では、「成果の大きさ」で表す価値を「結果価値」と呼んでいます。  社員の価値を表すのは、それだけではありません。会社にとって重要な仕事に就く社員ほど、また、能力の高い社員ほど、将来、大きな成果をあげることが期待できるので、「仕事の重要度」も「能力レベル」も価値を決める基準になります。さらに、会社にとってみると、業務ニーズに合わせて働ける(つまり、能力を仕事に投入できる)社員は生活などの事情から働けない社員に比べて価値の大きい社員になるので、「労働給付能力レベル」も価値を決める基準になります。  ここで注意してほしいことがあります。「仕事の重要度」、「能力レベル」、「労働給付能力レベル」は成果そのものを表しているのではなく、それらが大きいほど大きな成果を将来期待できるという観点から価値の大きさをみています。ですから、図表ではそれらを「期待価値」と呼んでいます。  このようにみてくると「価値を決める基準」のどれを選択するかによって賃金の決め方が異なることになりますし、どの基準に基づく賃金であっても、社員の価値に基づく賃金であるということから、「内部公平性原則」(つまり「同一(価値)労働同一賃金の原則」)に基づく合理的な賃金ということになります。そうなると、企業はどの選択をすべきかが問題になります。ここで登場してくるのが、社員に何を期待するのかにかかわる活用戦略です。社長であるあなたが、将来にわたって能力や「会社のために」意識を高めていく社員を大切にしたいと思うのであれば「能力」を重視すればいいですし、いま経営に貢献している社員を大切にしたいと思うのであれば「仕事」や「成果」を重視するという選択を採ることになります。これが「賃金決定方法の多様性の視点」の背景にあることです。  では具体的には、どのような賃金が考えられるのか。それを考えるときに重要なことがもう一つあります。どの国でも同じなのですが、賃金は安定的な賃金要素と、短期的な成果に対応して決まる、変動の大きい賃金要素から構成されます。前者は一般的に基本給と呼ばれています。後者は業績給などと呼ばれ、日本であれば賞与、アメリカであればインセンティブ給にあたります。  以上のことと図表との関係をみると、賞与やインセンティブ給は「成果の大きさ」に対応する賃金になります。さらに基本給については、「仕事の重要度」の基準をとれば、アメリカで主流を占める職務給になります。また、わが国で広まりつつある役割給もこのタイプにあたります。さらに、わが国で主流を占めてきた職能給は「能力レベル」に対応する賃金ですし、いわゆる年功給も勤続や年齢とともに高まる能力に対応して決まる賃金ととらえると、このタイプに該当します。最後の「労働給付能力レベル」に対応する賃金は、業務ニーズに合わせて機動的に働くことができる社員に多く払うという趣旨の賃金なので、会社の指示に従って転勤する社員に払う全国社員手当などがこれにあたります。 4 賃金決定の第二の原則〜人材確保に関わる外部競争性原則〜  このようにして賃金の決め方が決まっても、実は賃金は決まりません。例えば「仕事の重要度」を基準とする職務給を採ったとすると、まず「仕事の重要度」を測るために職務評価を行います。その結果、仕事Aの重要度が10点、仕事Bが5点であるとすると、仕事Aに就く社員の賃金は仕事Bに就く社員より高くします。これが職務給の決め方です。しかし、これでは賃金額からみた社員の序列は決まりますが、各仕事、社員にいくらの賃金額を払うかが決まりません。  つまり内部公平性原則は賃金からみた社員序列を決める原則であり、その序列にいくらの金額をつけるかには別の原則が必要になります。それが、賃金額は人材を確保できる水準とするという「外部競争性原則」です。先の例でいえば、仕事Aを10円、仕事Bを7円にすると市場相場に比べて低すぎて人材が採れないので、市場相場をみて仕事Aを20円、仕事Bを15円にするということになります。  このようにみてくると内部公平性原則は、同じ価値の社員の賃金は同じにすることによって社内における社員間のバランス(つまり内部均衡)をとる原則、外部競争性原則は市場相場とのバランス(外部均衡)をとる原則ということになりますが、それぞれの原則からみた賃金額が同じにならないということが普通に起こります。全国展開する、職務給をとる会社を考えてみてください。職務給なので、同じ仕事に就く社員は、社内では同じ価値の社員になるので同じ賃金になるはずです。まさに「同一労働同一賃金」です。  ここで、その仕事に就く地方事業所の社員Aと東京事業所の社員Bを想定してください。社員Aはその地方で、社員Bは東京で採用されます。このときには、たとえ仕事が同じであっても、同じ賃金というわけにはいきません。それは地方の労働市場と東京の労働市場では相場が異なるので、人材を確保するには異なる賃金額にせざるを得ないからです。つまり、賃金額を決めるにあたっては、どの労働市場から人材を確保するかが重要になるので、内部均衡とともに市場との外部均衡もみて総合的に考えることが必要になります。これを「市場均衡の視点」と呼ぶことにします。  これまで内部公平性原則に関わる「賃金決定方法の多様性の視点」と、外部競争性原則に関わる「市場均衡の視点」を持つことが必要であると説明してきました。それらは合理的な賃金決定方法を設計する際に注意すべきあたり前のことなのですが、往々にして忘れられがちです。例えば「同一労働同一賃金」の議論を聞いて、同じ仕事は同じ賃金とすべきであり、それが唯一最善の決め方であると考えていませんか。もし、そのように考えているとすれば、もう一度、「賃金決定方法の多様性の視点」と「市場均衡の視点」の意味を考えてください。  今回は賃金を合理的に設計する際の原則と視点、さらには賃金決定方法の多様性について説明しました。会社にとって高齢社員はどのように活用する社員であるのか、つまり活用の面からみるとどのようなタイプの社員であるのかを明確にしたうえで、それに合う賃金決定方法を原則と視点をふまえて多様な賃金決定方法のなかから選択する。これが「あるべき賃金」を決める手順になるので、高齢社員の場合にも、社員タイプ特性と賃金決定方法の関係を考えることが必要になります。 ※2020年7月号に掲載 JEED エルダー 2020年7月号 検索 図表 仕事のプロセスからみた価値の基準 仕事のプロセス 能力 能力の仕事への投入 仕事の遂行 成果 価値を決める基準 能力レベル 労働給付能力レベル 仕事の重要度 成果の大きさ 期待価値 結果価値 ※筆者作成 第4回 日本型賃金の現状と行方 1 はじめに〜賃金の決め方を変える二つの力〜  前回は「賃金決定の基礎理論」について説明したので、これからは、その道具をもって「あるべき賃金」を検討します。まずは定年前の正社員の賃金についてです。連載で問題にしている高齢社員の多くが正社員から非正社員に転換するものの、定年をはさんで雇用を継続している社員であるため、定年後の賃金は定年前とどのように関連づけて決定するかが問われるからです。  正社員の賃金は徐々にですが確実に変化してきました。そのため正社員の賃金は、現状とともに変化の方向も把握し、高齢社員の「あるべき賃金」はこの現状と変化の方向の両者を念頭にいれて考える必要があります。  ではなぜ、賃金は変わりつつあるのか。これまで説明したように社員の仕事の内容や働き方は、会社の「こう働いてほしい」という社員に対するニーズ(つまり労働サービスの需要構造)と、「こう働きたい」という社員のニーズ(労働サービスの供給構造)をふまえて決まります。さらに社員に対する需要構造は会社の経営の考え方や戦略に、供給構造は社員の生活やキャリアに対する考え方に規定されます。例えば、いまある商品やサービスを顧客に間違いなく届けることを重視する経営をとるのであれば、会社は社員には決まった手順に沿って間違いなく働くことを求めることになりますし、仕事と生活の両立を図ることを重視するのであれば、社員は生活の事情に合わせて柔軟に働くことを求めます。  賃金はこうして決まった仕事の内容や働き方に合わせて決定されるので、賃金の決め方は労働サービスの需要構造あるいは供給構造が変わると変化することになります。つまり、この二つが賃金の決め方を変える力なのです。 2 現状の賃金の決め方を確認する  わが国の企業の賃金の決め方は、勤続年数を積むにしたがって賃金が増える年功賃金であるといわれてきましたが、それでは賃金の決め方を正確に表したことになりません。それは、賃金を成果と関係なく勤続年数にリンクして決めたのでは、企業は経営を維持することがむずかしいからです。わが国の企業が長期にわたって年功賃金をとり、そのもとで経営を維持できた背景には次のことがあります。  社員は勤続を積むほどに、多くの訓練と仕事を経験し能力を高めるので、より大きな成果をあげることが可能になります。その向上した能力に合わせて賃金を決めるのが年功賃金なので、賃金は成果とリンクして決まることになります。このことがあるので、いま多くの企業は、社員の能力に合わせて賃金を決める、年功賃金の一タイプである職能給をとっているのです。  さらに、向上した能力は将来にわたって発揮され成果に結びつく、つまり能力が向上した時点とそれが成果に現れる時点がずれるので、年功賃金のもとでは、時点、時点でみると賃金と成果は一致しないことになります。それをモデル的に示すと図表1になります。そこでは賃金は年齢とともにS字型に上昇する、社員の貢献度(つまり成果)は年齢とともに上昇するが年齢が高くなると停滞する、ということが想定されています。  まず若手社員の時代は訓練期にあたるため賃金が成果を上まわります。両者の差にあたる「A」は会社が、教育のために負担する費用にあたります。次の中堅社員になると、訓練期に獲得した能力を発揮して成果は向上しますが、賃金はそれより低い水準に設定されます。そのため成果は「B」の部分だけ賃金を上まわることになります。さらにシニア社員になると、賃金は上り続けますが成果は停滞するので、賃金は成果より「C」だけ多く払われます。  ここで重要なことが二つあります。第一は、賃金が成果を上まわる(いわば、社員が会社から借りた)「A」+「C」と、成果が賃金を上まわる(社員が会社に貸した)「B」が等しくなるように賃金が設定されていることです。ですから図表1では、「B=A+C」を会社と社員の間の貸し借りが等しくなる「長期決済条件」と呼んでいます。さらに以上のことは、賃金が入社から定年までの長い期間のなかで成果にリンクして決定されることを示しています。これが年功賃金の最も重要な点です。  第二は、図表1をみて分かるように、定年時の賃金が成果を上まわる、つまり定年時には成果を上まわる賃金が支払われていることです。このことは、定年後の高齢社員の賃金は、少なくとも、この上まわる部分だけ削減する必要があることを示しています。高齢社員の賃金を考える際に考慮すべき重要な点です。 3 賃金の決め方を変える二つの力 ■会社が求めること  こうした年功賃金は、前述した二つの力によって変化しつつあります。まずは会社が社員に求めること、つまり労働サービスの需要構造の変化です。会社はこれまでにも増して変化が速く、不確実性の大きい市場環境の下にあります。そのため、これまでと同じように社員を教育し、能力の向上を図っても、能力が将来にわたって成果に結びつくことがむずかしくなり、能力に対して払われる賃金と成果の間に乖離(かいり)が発生するようになります。  このことは人材投資の観点からみると、次のようになります。成果の出る前に能力に対して賃金を払うことは一種の人材投資です。人材投資は設備投資や研究開発投資と同じように、市場環境の不確実性が大きくなると、成果に結びつかない可能性が大きくなります。その結果、能力に対して払った賃金(つまり人材投資)と成果の間に乖離が起こるということになります。  このことは、管理職レベルの職能資格に格づけされ、高い給与をもらっているにもかかわらず、管理職レベルの仕事に就くことができない多くの中高年社員が登場している、という現象に典型的に現れています。企業はこれに対応するため、能力より成果に直結する仕事の重要度を重視して賃金を決める傾向を強めます。管理職レベルの社員を中心にして、能力重視の職能資格制度と職能給に代わって仕事重視の役割等級制度と役割給をとる企業が増えているのはそのためです。これが人事管理や賃金の決め方の成果主義化です。 ■社員が求めること  社員の「こう働きたい」という労働サービスの供給構造の変化も賃金の決め方を変える大きな力になっています。これまでの人事管理は、正社員は会社の指示にしたがって働く場所、働く時間、仕事内容を柔軟に変えることのできる社員(これを「無制約社員」と呼ぶことにします)であることを前提につくられてきました。しかし、家事・育児、介護などの生活上の都合と両立を図りながら働くこと、つまり働く場所などに制約のある、多様な働き方を希望する社員(これを「制約社員」と呼ぶことにします)が増えています。  しかし、正社員は無制約社員であることを前提とする従来型の人事管理では、育児・介護に苦労する社員が仕事との両立に苦労していることから分かるように、制約社員の有効活用を図ることはできません。そうなると企業は多様な働き方に対応できる賃金の決め方をとることが必要になり、転勤のある総合職に対して転勤のない一般職の賃金をどうするのか、正社員に対してパート社員の賃金をどうするのかなどについていろいろな工夫をしてきました。  そうした工夫のなかの成功例をみると、共通することがあります。それは、年功や能力ではなく仕事の重要度を重視する賃金の決め方をとっていることです。そうなると多様な働き方を求める制約社員を有効に活用するには、正社員の賃金の決め方を能力重視から仕事重視に変えることが必要になります。 4 「これからの賃金」のモデル  最後に、これからの賃金の決め方がどうなるかを具体的に考えてみます。まずは、考える際にふまえるべき二つのポイントがあります。  第一のポイントは、これまで説明してきたように、会社の求めることからみても、社員の求めることからみても、賃金の決め方は年功賃金から仕事重視の成果主義型の賃金に転換しなければならない、ということです。  第二のポイントは、図表1で若手社員を訓練期としたように、わが国の企業が、職業経験のない若手社員を一人前の職業人に育てるという人事管理をとっていることです。これは日本型の人事管理の最も重要な部分であり、これからも維持されるべきと考えられます。そうなると、この訓練期はどのような仕事につき、どの程度成果を上げたのかより、能力をどの程度向上できたのかが重要になるので、賃金は能力に基づいて決めることが合理的になります。  このようにみてくると、賃金を仕事重視で決めることと、訓練期には能力重視で決めることを組み合わせた賃金の決め方を設計する必要があります。具体的には、若手社員には訓練期であることから職能給などの能力重視の賃金、それ以降は役割給などの仕事重視の賃金とするというのが賃金の決め方のこれからの方向になり、それをモデル的に示すと図表2になります。  その際には、能力重視の賃金から仕事重視の賃金にいっきに移行するという方法もありますし、段階的に移行するという方法もありますが、シニア社員にあたる管理職あるいは管理職相当の社員には仕事重視の賃金を適用することが求められます。そのため図表2に示すように、シニア社員の賃金は成果と一致するように決める必要があります。管理職などに年俸制や役割給を適用する企業が増えていますが、それは、ここで示した変化の方向に沿った対応といえます。  ここで図表1と図表2を比べてください。どちらの場合も若手社員は訓練期ととらえているので、企業が教育のために負担する「A」に違いはありません。しかし図表2では図表1にある「C」がなく「A=B」が長期決済条件になるので、「B」は図表1より小さくなります。このことは成果主義型の賃金は、年功賃金に比べて中堅社員の段階では上昇が急になり、シニア社員になると停滞するという特徴をもちます。  これまで説明した変化の方向は、高齢社員の賃金を考えるにあたって注意すべき重要なことを示しています。管理職などのシニア社員の段階では賃金は成果に見合って決定されるので、定年時の賃金が図表1の年功賃金と異なり成果を上まわる水準に設定されるということはありません。ですから現役社員の賃金が年功賃金であるのか、成果主義型の賃金であるのかによって、定年後の高齢社員の賃金の決め方は異なることになります。このことは高齢社員の賃金を具体的に設計する際に重要なので、忘れないようにしてください。 図表1 年功賃金のモデル図 (賃金/貢献度) 長期決済条件 B=A+C 貢献度(成果) 賃金 入社 若手社員 中堅社員 シニア社員 定年 A B C 図表2 成果主義型賃金のモデル図 長期決済条件 A=B 貢献度(成果) 賃金 入社 若手社員 中堅社員 シニア社員 定年 A B 第5回 賃金を決める社員特性 1 はじめに〜高齢社員の活用戦略の二つのポイント〜  第3回で説明した「賃金の基礎」に沿って、高齢社員の賃金はどうあるべきかを考えてみます。まずは高齢社員の活用戦略を明確にする必要がありますが、それは高齢者がどのような仕事に就き、どのようなキャリアを積む社員として育成し活用するのかを、つまり高齢社員の社員特性を決めることになります。そうなると、正社員が会社の業務ニーズに合わせて、働く場所に限定なく働き、基幹的な業務に従事し、管理職などの幹部社員へのキャリアを積むという特性を持つ社員であるとすると、高齢社員は正社員と異なり、どのような特性を持つ社員なのかが問題になります。  これまでくり返し強調したように、高齢社員の活用戦略は企業によって異なりますが、高齢社員を取り巻く環境をふまえると、それには、どの企業にも共通するポイントが二つあります。第一は、福祉的雇用から脱して、高齢社員を経営に貢献する貴重な人材として位置づけることです。わが国の労働市場をみると、企業は平均すると「5人に1人は高齢社員」という現状にあります。企業にとって、これほど大きな社員集団化した高齢社員を、成果を期待することなく雇用する余裕はなく、戦力として活用する以外に選択肢はないはずです。ですから、企業には高齢社員を活用する「覚悟」が求められ、この「覚悟」が効果的な活用戦略をつくるにあたってのキモになります。高年齢者雇用安定法によって義務化されているのでやむを得ず雇用するという対応には未来はありません。これは第2回でも強調したことです。  さらに同法は、高齢社員の人事管理の基本骨格を規定し、現状をみると多くの企業は「60歳定年を契機に再雇用し、65歳まで継続雇用する」という基本骨格をとっています。したがって、それを前提に活用戦略、さらには「あるべき賃金」を考える必要があります。これが第二のポイントです。  このようにいうと、これらのポイントは定年延長や定年制廃止をとる企業には関係のないことと思われるかもしれませんが、そうではありません。定年を延長しようとも、あるいは廃止しようとも、社員は高齢期のある時期に役割とキャリアを転換することが求められます。この転換後の社員がここでいう高齢社員にあたり、企業はその社員の活用戦略や「あるべき賃金」を新たにつくる必要があります。 2 「短期雇用型」の特性に合わせた「仕事原則」 ■高齢社員は「短期雇用型」社員  そこで「60歳定年を契機に再雇用し、65歳まで継続雇用する」という基本骨格のもとで、企業はどのような活用戦略をとり、それによって高齢社員はどのような特性を持つ社員として雇用されるのかを考えてみます。  まずは、高齢社員は「短期雇用型」の特性を持つ社員として雇用されるという点が重要です。「60歳定年を契機に再雇用し、65歳まで継続雇用する」が人事管理の基本骨格なので、雇用される期間は最大5年と短期になります。そうなると、「いまある能力を、いま活用する」が企業のとる活用戦略の基本になり、高齢社員は「いまある能力を、いま発揮して会社に貢献する」社員ということになります。「いまある能力」を活用するのですから、定年前と同じ分野の仕事で働くことが活用の基本になります。ここでは、この特性を「短期雇用型」と呼んでいます。それに対して正社員は、「長期的な観点から育成し活用する」という活用戦略のもとで「長期雇用型」社員としての特性を持ちます。  このようにいうと、高齢社員には教育は必要ないと思われるかもしれませんが、そのようなことはありません。職場の戦力として活躍している高齢社員に共通することの一つは、常に新しいことを学ぶ姿勢を持っていることです。したがって、ここでは新規採用された若者のように、遠い将来を見据えて基礎的なビジネススキルや専門知識を教育することはないという意味で、高齢社員を「いまある能力を、いま活用する」社員としているのです。  ですから、高齢社員といえども、いま従事している仕事に必要とされる新しい知識・スキルを習得することは必要です。このことは次のようにいうこともできます。会社にとって社員教育は、将来の成果を期待して行う人材に対する投資であり、それには、すぐ成果に現れる短期投資と成果が現れるまで長い時間が必要な長期投資があります。この観点からみると、正社員は長期投資の対象になりますが、高齢社員は雇用期間が短いので長期投資の対象にはならず、もっぱら短期投資の対象になります。 ■賃金決定の「仕事原則」  「短期雇用型」の特性は高齢社員の「あるべき賃金」を規定します。図表は「あるべき賃金」を考える枠組みです。この枠組みは本連載第3回の「賃金の基礎」のなかで説明した考え方で、仕事プロセスに対応して賃金決定要素が示されています。  例えば正社員であれば、「長期的な観点から育成し活用する」社員であるので「将来に期待して払う」、つまり将来の成果に結びつくことが期待される「能力レベル」に対して払う職能給などが合理的な賃金ということになります。しかし「いまある能力を、いま活用する」社員である高齢社員には「いま払う」が、つまり成果に直結する「『仕事の重要度』に基づいて払う」が賃金の合理的な決定方法になります。これを高齢社員の賃金を決める「仕事原則」と呼ぶことにします。  この「仕事原則」に基づくと、企業にとって重要な仕事に就く高齢社員には高い賃金、重要でない仕事に就く高齢社員には低い賃金ということになりますが、定年を契機に仕事内容が変われば賃金が変わるということも示しています。そうなると「仕事の重要度」を評価することが必要になります。そのための方法が職務評価です。職務評価にはいくつもの手法がありますが、最も代表的な手法は要素別点数法です。これは、@仕事の内容を「どの程度の専門性が必要とされるのか」、「対人関係がどの程度複雑なのか」などの要素ごとに評価し得点化する、Aこの要素ごとの得点を合計して「仕事の重要度」を表す指標とする、という手順をふむ手法です。これにはいくつものタイプがあるので、自社に合ったタイプを選択することが重要です。  なお厚生労働省は、同一労働同一賃金に対応するための「職務評価を用いた基本給の点検・検討マニュアル」(平成31年3月発行)※を作成しています。要素別点数法による職務評価の方法がていねいに解説されているので、参考にしてください。 3 「制約社員」特性に合わせた「制約配慮原則」 ■「制約社員」と賃金決定の「制約配慮原則」  高齢社員には、もう一つ重要な「制約社員」という特性があります。定年前には、業務ニーズに合わせて機動的に活用するという活用戦略のもとで、転勤などによって働く場所を変える、残業や休日出勤を行うなど、会社の指示にしたがって柔軟に働いていました。しかし定年を契機に企業の活用戦略は変わり、さらに高齢社員の働くニーズに合わせて、転勤、残業・休日出勤がないなど、働く場所、働く時間、仕事内容からみて働き方が制約的になります。  連載の第2回でも紹介したこの現状は、高齢社員が働く場所などに制約なく働く「無制約社員」から、制約を持って働く「制約社員」に転換することを意味しています。このように社員特性が変われば、それに合わせて「あるべき賃金」は設計される必要があります。  この「無制約社員」であるか「制約社員」であるかは図表の「労働給付能力レベル」の違いを示しています。第3回の「賃金の基礎」で説明したように、「労働給付能力レベル」が高い「無制約社員」は、業務ニーズに合わせて労働サービスを提供できるという点で会社にとって価値の大きい社員なので、たとえ仕事が同じであっても、「労働給付能力レベル」の低い「制約社員」に比べて賃金は高く設定される必要があります。この賃金決定の原則を図表に示したように「制約配慮原則」と呼んでいます。  さらに社員にとってみると、「無制約社員」であると、会社の指示にしたがって働く場所を変えるなどによって、生活上の負担や新しい仕事に対応する負担を負うリスクが大きくなります。「無制約社員」の賃金が「制約社員」より高いのはこのリスクに対する報酬であるので、「無制約社員」が「制約社員」を上まわる賃金部分を「リスク・プレミアム手当」と呼ぶことにします。 ■「制約配慮原則」は多様な社員に適用される原則  ここで注意してほしいことは、「制約配慮原則」は高齢社員のみに適用される原則ではないことです。例えば、転勤のある(つまり「無制約社員」としての)総合職と、転勤のない(「制約社員」としての)一般職は、同じ仕事、同じ能力であれば同じ賃金とするのが基本になりますが、総合職の賃金は「リスク・プレミアム手当」分だけ一般職より高く設定されます。同様のことは、働く場所などが変わる正社員と変わらない非正社員の間でもみられます。このようにみてくると、社員の多様化が進み「制約社員」が多くなると、「制約配慮原則」が重要な賃金決定原則の一つになり、高齢社員はそのなかの一タイプということになります。  さらに、この原則にしたがって高齢社員の「あるべき賃金」を設計するにあたって問題になることは、「リスク・プレミアム手当」をどの程度の水準に設定するかです。これには会社を超えてあてはまる最善の水準などはありません。他社の状況、つまり市場相場を参考にし、自社の事情を考えて設定する必要があります。なお「制約社員」の賃金は「無制約社員」より1〜2割程度低いというのが市場相場の平均像ですが、その詳細なデータについては前述した「職務評価を用いた基本給の点検・検討マニュアル」を参考にしてください。企業規模別データ、産業別データが入手できます。  今回は社員特性が定年を契機に「長期雇用型」から「短期雇用型」へ、「無制約社員型」から「制約社員型」へ転換するので、高齢社員の「あるべき賃金」はそれに合わせて「仕事原則」と「制約配慮原則」に沿って設計される必要があることを説明しました。定年を契機に賃金が変化したとき(その多くは、低下ですが)、「定年したから」では高齢社員が納得できる説明にはなりません。高齢社員を戦力化するには賃金を合理的に決定する必要があり、ここで示した二つの原則はそれを実現するための原則なのです。  それでは、この二つの原則に基づいて高齢社員の賃金を設計するにはどのような手順をふむ必要があるのか、その結果できあがる「あるべき賃金」はどのような形態になるのか。最終回である次回は、この点について解説することにします。 ※ 第1回〜第4回はホームページでご覧になれます。 エルダー 高齢社員の賃金戦略 検索 ※ 「職務評価を用いた基本給の点検・検討マニュアル」( 平成31年3月発行)https://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/part_haken/pamphlet/guideline.html 図表 賃金決定の要素と諸原則 働く制約度が異なると賃金は異なる 制約配慮原則 同じ重要度の仕事には同じ賃金 仕事原則 仕事プロセスと賃金決定要素 仕事のプロセス 能力 能力の仕事への投入 仕事の遂行 成果 価値を決める基準 能力レベル 労働給付能力レベル 仕事の重要度 成果の大きさ ※筆者作成 最終回 高齢社員の賃金制度の設計と課題 1 はじめに〜考慮すべき二つのポイント〜  今回は連載の最終回です。これまで説明したことをふまえて、高齢社員の賃金制度を具体的に考えてみます。その際に考慮しなければならない重要なポイントが二つあります。  第一は、高齢社員は定年を契機に正社員から非正社員に転換するものの、継続して雇用される社員であるので、賃金は定年前の賃金に目配りして決める必要がある、ということです。連載の第4回では、正社員の賃金の現状と変化の方向を説明し、そのなかで次のことを強調しました。  現状の代表的な賃金制度である年功賃金をとる場合には、定年時の賃金が成果を上まわるので、高齢社員の賃金を決めるにあたっては、この上まわる払い過ぎの部分を調整する必要があります。それに対して変化の方向にある成果主義型賃金をとる場合には、定年時の賃金は成果と一致するように決定されるので、年功賃金の場合に行う払い過ぎの部分の調整は必要ありません。  第二は、高齢社員は正社員とは異なる特性を持つ社員なので、それに合わせた賃金制度を設計する必要がある、ということです。この点については連載の第5回で、高齢社員は期待されている雇用期間が短いので短期雇用型社員という特性、働く場所などの働き方に制約があるので制約社員という特性を持つ社員であるため、賃金制度は二つの特性に沿って決める必要があることを説明しました。  つまり短期雇用型社員の特性に対応するには、賃金は仕事の重要度によって決める必要があります。これが「仕事原則」です。制約社員の特性に対応するには、働き方の制約化にともなう労働給付能力レベルの低下に合わせて賃金を調整する必要があります。これが「制約配慮原則」です。なお第3回の「賃金決定の基礎理論」のなかで説明したように、労働給付能力レベルとは業務ニーズに合わせて働ける能力のレベルを示しており、それが高いほど会社にとって価値の大きい(したがって、賃金の高い)社員になります。また労働給付能力レベルの低下に合わせて調整される賃金部分は、第5回で説明したリスク・プレミアム手当にあたります。  ここまで準備すれば、高齢社員の賃金制度を合理的に設計することはむずかしいことではありません。それを示したのが図表です。 2 高齢社員の賃金制度の設計 ■正社員が成果主義型賃金の場合  まず、定年前の正社員の賃金が@成果主義型賃金をとっている場合を考えてみます。ここでは定年時の賃金は成果、つまり仕事の重要度に見合って決められているので、塗りつぶし部分で示してある賃金のすべてが「仕事に対応する賃金部分」と等しくなります。この賃金が、定年して高齢社員になると、どう変わるのかを考えてみます。  まず高齢社員の仕事が定年前とまったく変わらないとします。これは図表の〔現職継続の場合〕にあたります。高齢社員の賃金は「仕事原則」にしたがうと定年前と同じ水準になりますが、「制約配慮原則」を考慮する必要があります。つまり定年を契機に制約社員に転換するので、高齢社員の賃金は「制約配慮原則」に基づいて労働給付能力レベルの低下に見合った分(図表の「制約化部分」に対応します)だけ低くする必要があります。したがって、高齢社員の賃金は図表に示してあるように「定年前賃金−制約化部分」になります。  しかし現状をみると、この〔現職継続の場合〕は少なく、多くの高齢社員は定年前と同じ分野の仕事に就いたとしても職責が低下する〔仕事が変わる場合〕にあたります。この場合には仕事の重要度が低下するので、高齢社員の賃金は「仕事原則」にしたがって、その低下に合わせて低下することになり、それを図表では「仕事変化部分」としています。さらに〔現職継続の場合〕と同様に「制約配慮原則」が適用されるので、高齢社員の賃金は「定年前賃金−制約化部分−仕事変化部分」になります。 ■正社員の賃金が年功賃金の場合  次に正社員の賃金がA年功賃金の場合を考えてみます。高齢社員の賃金制度を設計する基本は成果主義型賃金と同じですが、図表に示したように、「仕事変化部分」、「制約化部分」に加えて「後払い部分」を定年前賃金から控除することが必要になります。  年功賃金の場合には、定年時の賃金が成果を上まわるので、高齢社員の賃金を決める際には、この払い過ぎの部分を調整する必要があることを説明しました。「後払い部分」はこの払い過ぎの部分にあたり、この調整をしないと、いかに「仕事原則」と「制約配慮原則」を適用しても、高齢社員の賃金は「後払い部分」だけ払い過ぎの状態になります。したがって図表に示してあるように、高齢社員の賃金は、〔現職継続の場合〕では「定年前賃金−後払い部分−制約化部分」、〔仕事が変わる場合〕では「定年前賃金−後払い部分−制約化部分−仕事変化部分」になります。  このようにして骨格ができても、「後払い部分」、「制約化部分」、「仕事変化部分」をいくらにするかが決まらないと賃金制度を設計したことになりません。「制約化部分」は連載の第5回で説明したリスク・プレミアム手当にあたるので、その市場相場を参考にしつつ自社の事情を考えて決めることができます。「仕事変化部分」は仕事の重要度の低下にともなう調整部分なので、定年前後の仕事の職務評価の結果、あるいは同じ重要度の仕事に就く正社員の賃金を参考にして決めることができます。なおリスク・プレミアム手当の市場相場、職務評価の詳細については第5回をあらためて参照してください。  それらに比べて、「後払い部分」をいくらにするかを決めることはたいへん困難です。すでに説明したように、理論的に考えると、年功賃金の場合には、定年時の賃金が払い過ぎの状態にあるので、「後払い部分」の調整を行うことは不可欠です。しかし、それがいくらかであるかを理論的に確定することはできませんし、「制約化部分」のように市場相場を参考にすることも、「仕事変化部分」のように何らかの評価の結果に基づいて決めることもできません。そこで会社がとるべき対応は、労働組合あるいは社員と協議し、会社の実情をふまえて決めるという手順をふむことです。 3 残された二つの課題 ■高齢社員の納得性を得ること  このようにして賃金制度を合理的に設計しても、残された大きな課題が二つあります。その一つは、賃金が定年前に比べて低くなることを高齢社員に納得してもらうことがむずかしく、そのことが労働意欲に影響をおよぼすことです。高齢社員を活用するうえでの企業の課題については、これまでくり返し調べられてきました。どの調査でも、健康問題などとともに労働意欲の低下が主要な課題としてあがっていますが、その背景には、賃金低下に納得が得られないことがあるのです。  企業が高齢社員の戦力化を進めるには、この課題に何らかの対応策をとる必要があります。最も大切なことは、賃金をどのように決めているのか、賃金の低下の背景にはどんな理由があるのかを高齢社員にていねいに説明することです。そのためにも、「賃金決定の基礎理論」を理解し、それを応用することで高齢社員の賃金制度を設計するという連載で重視してきたアプローチが重要なのです。  しかし、高齢社員はこうした説明だけでは、十分に納得しないかもしれません。そこで高齢社員にも変わってもらう必要があります。高齢社員は定年を契機に役割が変わり、新しいキャリア段階に入ったことを理解し受け入れること、新しい役割に合わせて働く意識と行動を変えることが求められます。これは高齢社員が職場の戦力として活躍するために必要なことです。  このような高齢社員の変わる努力を支援することは企業の重要な役割であり、それは高齢社員の賃金に対する納得性を高めることにつながります。 ■高齢社員の賃金と総額人件費との関係  もう一つの課題は総額人件費との関係です。高齢社員の賃金のあり方が議論される際に必ずといっていいほど、高齢社員を雇用すると総額人件費が増えるということが問題になります。さらに、それを解決するには、定年前の賃金を減額し、そこで浮いた原資を高齢社員にあてること、そのために現役正社員の賃金制度を変えることが必要であるということが提案されます。  一見するともっともらしい指摘であり提案であるようにみえますが、その合理性や有効性についてはあらためて考える必要があります。連載の第2回で、これまで多くの企業は「成果を期待しない」福祉的雇用型の活用戦略、つまり高齢社員を業務ニーズに合わせて雇用するのでなく、法律に対応するために雇用するとの対応をとってきたと説明しました。この活用戦略をとる企業にとっては、高齢社員に払う賃金は成果に対する対価というより雇用を継続するためのコストであり、そのため高齢社員を雇用することが総額人件費の膨張という問題を引き起こすことになります。  つまり「定年前の賃金を減額し、そこで浮いた原資を高齢社員にあてる」ことは、働く期間が定年後に伸びたにもかかわらず、高齢社員に支払う賃金総額を一定にするという提案であり、そのことは定年後の高齢社員の働きが成果を生まないこと、あるいは成果を生むことが期待できないことを想定していることを示しています。  これまで、企業は高齢社員を戦力化せざるを得ない状況にあること、戦力化するには、業務ニーズに合わせる需要サイド型の活用戦略をとり、賃金は仕事の重要度などに見合って決める必要があることを説明してきました。企業がこうした方向に進むとすれば、高齢社員の賃金と総額人件費との関係に対する見方が変わります。それは、会社が必要とする仕事に就き、貢献に見合って賃金が払われるので、高齢社員を雇用することが総額人件費の膨張という問題につながることがないからです。このようにみてくると問題の核心は、会社が必要とする仕事で活用できているのか、賃金が貢献に見合って決められているのかにあり、総額人件費の膨らむことが問題になるのは、それができていないからなのです。 4 おわりに  これまで6回にわたって、高齢社員を戦力化するために賃金制度をどう設計するかについて説明してきました。高齢社員の活用に苦労されている会社には、それを参考にして賃金を決めてほしいと思いますが、それとともに二つのことを強調して、この連載を終えたいと思います。  法律の要請に応えることに手いっぱいで、ここで示された方向で対応することはむずかしいとする企業は多いと思います。しかし、そうであっても、賃金制度の整備は長期的な観点から取り組むべきテーマであるということを忘れないでほしいと思います。ですから「とりあえず」の対応を考えるにあたっても、長期的にはどうあるべきかを考え、そこから逆算するという取組みが大切です。  もう一つは、連載で示した方向は高齢社員が正社員なのか非正社員なのか、つまり従来型の定年制を前提にしているのか定年延長を前提にしているのかにかかわらないということです。高齢社員をどのように育成し活用する社員として雇用するのかを考え、それに合わせて賃金制度を設計する。これがすべての出発点です。 ※ 第1回(7月号)〜第5回(11月号)はホームページでご覧になれます。 エルダー 高齢社員の賃金戦略 検索 図表 高齢社員の賃金の決め方の概念図 定年前賃金 A年功賃金 仕事に対応する賃金部分 後払い部分 高齢社員の賃金 【現職継続の場合】 賃金 制約化部分 後払い部分 【仕事が変わる場合】 賃金 仕事変化部分 制約化部分 後払い部分 定年前賃金 @成果主義型賃金 仕事に対応する賃金部分 ※筆者作成