新連載 シニアのキャリアを理解する 事業創造大学院大学 教授 浅野 浩美  健康寿命の延伸や、高年齢者雇用安定法の改正による70歳就業の努力義務化などにより、就業期間の長期化が進んでいます。そのなかで、シニアの活躍をうながしていくためにも「キャリア理論」への理解を深めることは欠かせません。本企画ではキャリア理論について学びながら、生涯現役時代におけるシニアのキャリア理論≠ノついて浅野浩美教授に解説していただきます(編集部)。 第1回 シニアの働く現状は? 1 はじめに  2021(令和3)年4月から改正高年齢者雇用安定法が施行され、70歳までの就業機会の確保が努力義務となりました。企業は、70歳まで働いてもらえるよう努力をしなければいけないこととなったのです。  実際に何歳まで働くかは個人がそれぞれ決めることですが、「70歳まで働く」となると、55歳定年時代に比べ、引退年齢が15年高くなったことになります。この間、高学歴化などによって、社会に出る時期も少し遅くなっていますが、それを差し引いたとしても、職業人生は、当時からは考えられないくらい長くなりました。  現段階では、70歳までの就業機会の確保については、様子見の企業が多いようです。『労政時報』編集部が同誌の定期購読者向けサイト登録者から抽出した人事労務担当の部課長クラスを対象に、2021年5月末から6月にかけて行った調査によると、70歳までの就業機会の確保については、「制度として導入・実施」が10.7%、「試験的に導入・実施」が4.3%、1〜2年以内に導入実施予定が10.0%であるのに対し、検討中・情報収集中が60.0%となっています。その一方で、人事関連の最重要課題として「シニア社員の処遇」をあげる企業は多く、さらに、人事労務担当の部課長クラスが個人的に興味・関心をもっていることがらとしては、54.3%の者が「70歳までの就業機会の確保」をあげています。これは、このところ注目が集まっている「ジョブ型の人事制度」(56.4%)に次いで多い数字です(『労政時報』4018号(2021年7月23日))。関心は大いにあるけれども、取り組むのはこれから、といった様子が読み取れます。  高齢者雇用に関しては、さらに、2021年1月からは、一定の要件を満たす、複数の事業所に雇用される65歳以上の労働者を対象とする「雇用保険マルチジョブホルダー制度」※1がスタートしました。また、まだ少し先ですが、65歳までの雇用確保措置の進展などをふまえて、2025年度から、高年齢雇用継続給付を縮小していくこととされています。  こうしたことを企業からみると、「働いてもらえる時間が長くなった」、「より本格的に働いてもらうことが期待できるようになった」、「働いてもらわなければいけない時間が長くなった」などととらえられるわけですが、いずれにしても、ここまで長く働いてもらうこととなったからには、シニアのキャリアについて理解することが必要です。  本連載では、シニアの働く現状を改めて整理したうえで、キャリアについて考える視点を与えてくれるキャリア理論の世界でシニアはどう扱われているかについて紹介します。そのうえで、シニア自身はキャリアをどうとらえているのか、また、どうしているのかについて紹介するとともに、企業はどう考え、何をすべきなのか、考えてみたいと思います。 2 働くシニア  「『70歳就業時代』が到来した」などといわれていますが、実際に、高齢者のうちどのくらいの人が働いているのか、みてみましょう。図表1は、男女別、年齢層別に、人口に占める就業者※2の割合を示したものです。男女とも、このところ、60〜74歳の各年齢層で、就業率が高まってきていることがわかります。  さらに、シニアは、長く働くことを希望しています。働いていない者を含む60歳以上の男女のうち、2割強の者が、働けるうちは「いつまでも働きたい」と回答し、「70歳くらいまで」もしくはそれ以上との回答と合計すれば、約6割が長く働きたいという意欲を持っています(図表2)。 3 ところでシニアとは  ところでシニアとは3と、ここまで、「シニア」という言葉を使ってきましたが、「シニア」というと、みなさんは、何歳くらいの人を思い浮かべるでしょうか。  シニアについて、明確な定義はありません。何歳から「シニア」と呼ぶかは、職場でのシニアなのか、地域でのシニアなのかなど、場面によって異なります。  高齢化の進展とともに、シニアといわれて思い浮かべる年齢は上がっています。また、聞かれた人の年齢が高いほど、シニアといわれて思い浮かべる年齢は高い傾向にあります。企業ではどうか、というと、私が聞いたかぎりでは、55歳が多く、50歳からと答える人もいました。その下のミドルと一緒にして、「ミドル・シニア」といういい方をすることもあります。  ちなみに、高年齢者雇用安定法では、施策などの関係から、高年齢者を「55歳以上」と定義しています。人材紹介会社など人材ビジネスの業界でも、55 歳が一つの区切りとなっていることが多いようです。世の中全体をみると、65歳以降を高齢者として扱うことが多く、それでも若すぎるといった意見もありますが、職場では、それよりもかなり若い段階から、「シニア」扱いすることが多いようです。  しかし、職場で働く人の年齢は上がってきています。国税庁の調査によると、1年を通じて企業で働いている人の平均年齢は徐々に上がり、いまや46.8歳となっています(図表3)。仮にシニアを55歳以上とすると、シニアは働き手の3割以上を占めてしまいます(図表4)。職場では、シニアを意識するようになってからがとても長く、かつ、シニアの仲間はもちろん、シニアのより先輩も非常に多い、ということがわかります。  会社によっては、50歳を超えるあたりから役職定年などもみえてきて、「シニア」扱いすることもあるようですが、そこから、「シニアだから……」ということで、十分に力を発揮してもらえなくなっては、仕事が回らなくなる可能性があります。  シニアは、働く期間だけでなく、体力的にも若くなっています。図表5は、65歳以上の男女の新体力テストのスコアを示したものですが、各年齢層とも、20年前に比べて、5歳以上若返っていることがわかります。 4 キャリア理論でみたシニア  働く人の割合が増え、より長く働くことを希望し、肉体的にも以前に比べて若々しいシニアですが、キャリア理論の世界では、シニアはどのようにとらえられているのでしょうか。  キャリアについては、たくさんの理論がありますが、大きく、個人の側からみるものと、組織の側からみるものに分けられます。個人の側からみるものは、さらに、「何を選択するか」、「どう選択するか」という選択の観点のものと、「どのようにキャリアを発達させていくのか」という発達の観点のものに分けられます。  この発達の観点の理論は、職業選択のプロセスを発達的にとらえるところから始まりました。職業的発達理論を提唱したのは、エコノミストであったエリ・ギンズバーグですが、彼は、「職業選択は、長期の発達的なプロセスであり、そのプロセスは後戻りしないものだ」としました。また、「個人の欲求と現実の折り合いをつけ、それを最適化していくものだ」としました。  そうして、空想期(11歳以下)、試行期(11歳〜17歳)、現実期(17歳〜20代初期)の各段階を経て発達していくものだと考えました。空想の段階から、興味をもち、実際に現実の世界を調べ、選択する、というわけです。  このギンズバーグの職業的発達の考えを発展させ、キャリアについて包括的な理論を打ち立てたのが、ドナルド・E・スーパーです。  とても有名な方ですし、キャリアについて学んだという人事担当者も増えてきているので、ご存じの人も多いと思います。スーパーは、キャリアを、役割と時間軸でとらえました。シニアは、どのようにとらえられているのか、気になるところです。  次回は、そこから話を進めたいと思います。 ※1 雇用保険マルチジョブホルダー制度……複数の事業所で勤務する65歳以上の労働者が、所定労働時間等の要件を満たす場合に特例的に雇用保険の被保険者になることができる制度 ※2 就業者には、実際に仕事をした従業者のほか、休業者も含まれる 図表1-1 年齢別就業率(男性) 2020年 60〜64歳 82.6% 65〜69歳 60.0% 70〜74歳 41.3% 図表1-2 年齢別就業率(女性) 2020年 60〜64歳 59.7% 65〜69歳 39.9% 70〜74歳 24.7% ※東日本大震災の影響により2011年の数値は掲載されていません 出典:総務省「労働力調査」 図表2 何歳まで収入をともなう仕事をしたいか 全体(n=1755) 65歳くらいまで 25.6% 70歳くらいまで 21.7% 75歳くらいまで 11.9% 80歳くらいまで 4.8% 働けるうちはいつまでも 20.6% 仕事をしたいとは思わない 13.6% 不明・無回答 1.9% 出典:内閣府「令和元年度 高齢者の経済生活に関する調査」(60歳以上の男女) 図表3 高齢者雇用を取り巻く状況(30年前から現在まで) 1990年 2000年 2010年 2020年 平均寿命 男子75.9歳 女子81.9歳 男子77.7歳 女子84.6歳 男子79.6歳 女子86.3歳 男子81.6歳 女子87.7歳 通年で働く民間給与所得者の平均年齢 41.4歳 42.9歳 44.7歳 46.8歳 定年年齢 60歳定年 (努力義務) 60歳定年(義務) 継続雇用年齢 ― 65歳までの継続雇用措置(努力義務) 65歳までの雇用確保措置(義務。ただし、選択可) 65歳までの雇用確保措置(義務。希望者全員) 70歳までの就業確保措置(努力義務) 出典:国税庁「民間給与実態調査」、総務省「労働力調査」、厚生労働省「令和2年度簡易生命表」を元に筆者作成 図表4 年齢階層別就業者割合(2020年) 15〜19歳 1.6% 20〜24歳 6.9% 25〜29歳 8.1% 30〜34歳 8.3% 35〜39歳 9.3% 40〜44歳 10.9% 45〜49歳 12.7% 50〜54歳 11.1% 55〜59歳 9.7% 60〜64歳 7.9% 65〜69歳 6.2% 70歳以上 7.4% 出典:総務省「労働力調査」 図表5 65歳以上の新体力テストスコアの推移 出典:文部科学省「平成30年度体力・運動能力調査」 第2回 キャリア理論でみたシニア 1 スーパーの職業的発達とライフ・キャリア・レインボー  ドナルド・E・スーパーは、エリ・ギンズバーグの職業的発達の考えのほか、ロバート・J・ハヴィガーストの発達課題など、それまでの発達理論を整理し、キャリアについての包括的な理論を打ち立てました。  スーパーは、職業的なことだけでなく、ライフをも含めて、キャリアをとらえ、キャリア発達は、「自己概念」を実現するプロセスであると考えました。自己概念というのは、個人が家庭、学校、地域、職場などで体験したことや周りの人からフィードバックされたことからつくられる自己イメージのことです。長い時間をかけて形づくられるもので、肯定的な自己概念は人を積極的に行動させ、否定的な自己概念は人を消極的にするとしました。 (1)職業的発達  また、スーパーはキャリアを、職業選択を行ったあとも、生涯にわたって発達し、変化するものだと考え、次の五つの発達段階からなるとしました。そして、これを「マキシ・サイクル」と呼びました。スーパーは、人は成人になって仕事に就き、キャリアを確立した後も、発達し、変化すると考えたのです。 @成長段階(児童期〜青年前期。14歳ごろまで)  自分がどのような人間であるかを知る。働くことの意味について理解を深める。 A探索段階(青年前期〜成人前期。14〜25歳)  いろいろな職業について知り、絞り込みを行い、その仕事に就くための準備を行う。 B確立段階(成人前期〜40歳代中期。25〜45歳)  仕事に就いて、職責を果たし、能力を高め、昇進していく。 C維持段階(40歳代中期〜退職まで。45〜65歳)  確立した地位を維持していく。 D解放段階(65歳以上)  退職し、新たなキャリア人生を始める。地域  活動、趣味・余暇活動、家族との時間を過ごす。  これをみると、65歳を過ぎると退職し、引退してしまうかのようにみえますが、そうではありません。目安となる年齢は示されていますが、あくまでも、発達段階とゆるくつながったものだとされています。また、解放段階では、労働の役割から完全に解放されるようにみえますが、退職・引退するほか、より深いレベルで自己実現的な仕事を行ったり、仕事量を減らして専門的な仕事だけをする、といったことも含まれています。  さらに、スーパーは、それぞれの発達段階の間には、「移行期」があり、さらに、移行期のなかには、より小さく、また、くり返されるミニ・サイクルがあるとしました(図表1)。つまり、ある発達段階から次の発達段階に進む際などに、新たな成長に向けて、再探索し、再確立する、という小さなサイクルをくり返すと考えました。 (2)ライフ・キャリア・レインボー  スーパーは、キャリア発達の期間だけでなく、「キャリア」という概念の幅も拡げました。キャリアを、職業に関することだけにとどまらず、より広く、「役割(ライフスペース、ライフロール)」と「時間軸(ライフステージ、ライフ・スパン)」の二つの次元でとらえました。そして、これを、ライフ・キャリア・レインボーとして、視覚的にわかりやすく示しました(図表2)。  「役割」は、子供、学生、余暇人(余暇を楽しむ人)、市民(地域活動など地域に貢献する役割を果たす人)、労働者、家庭人、親、その他からなります※1。「時間軸」の方は、発達的なプロセスに焦点をあてたものです。  ライフ・キャリア・レインボーの図は、それぞれの発達段階における役割を視覚的に示したものです。何種類かのヴァリエーションがありますが、いずれも、わかりやすくするために、キャリア・パターン研究をもとに、当時一般的であった者のキャリアについて、発達段階における役割を記載しています。筆者が確認したかぎりでは、いずれも、おおむね65歳から70歳の間のあたりで退職し、年金生活などに入っています。  これをみると、スーパーの概念は65歳以降のキャリアのことを考えていない、70歳まで働くいまの時代に合っていない、という感じがするかもしれません。しかし、当時の平均寿命を考えると、それをだいぶ上回る年齢まで、年齢の目盛を設けています。また、スーパーが1950年代後半に書いた著書※2をみると、「60代半ばごろは、一般に、年を取ることの影響がはっきりわかる年頃、と受け取られている」といった微妙な書き方がされており、70歳近くまで元気に働いている女性のことなどを例に、人によって差がある、といったことを記載しています。  さらに、スーパーは、60歳の者の平均余命は15年くらいだが、今後伸びると考えられるので、65歳以降のことはより重要な問題となる、と書いています。また、退職金制度などもあるのに好んで働いている者、働かざるを得ない者を合わせると、65歳以降の者※3の約半数は雇われている、と記述しています。仕事の内容ややり方を変える者も多くみられるが、外部から役割の変化を強いられるとうまくいきにくい、といったことを書いていて、60年以上前の、別の国のこととは思えない気がします。 (3)キャリア・アダプタビリティ  スーパーは、青年期におけるキャリア発達において、キャリアの問題に取り組もうとする態度や考え方である「キャリア成熟」が重要であることを見いだしました。これに対し、成人期以降のキャリア発達においては、社会環境の変化に対応することが重要であるとし、それを「キャリア・アダプタビリティ」と名づけました。成人になって仕事に就き、キャリアを確立した後も、キャリアは発達し、変化するが、その際に重要なことは、さまざまな変化に適応していく力だということを指摘したのです。  このキャリア・アダプタビリティの概念は、マーク・E・サビカスに引き継がれ、発展していきます。 2 シャインの「仕事・キャリア」の九つの段階モデル  スーパーだけでなく、多くのキャリア研究者が、発達段階モデルを提唱しています。  キャリア・アンカー(個人がキャリアを選択する際に、どうしても譲ることのできない価値観や欲求のこと)などで有名なエドガー・H・シャインも、その一人です。外的キャリア(一般的に現実社会で認知される職業や地位、処遇など外的な基準で示されるキャリア)と内的キャリア(人のキャリアの内的側面、内的価値に焦点をあてる主観的なキャリア)を提唱したことなどでも有名な組織心理学者です。  シャインは、組織内でのキャリア発達について、@垂直方向(係長、課長、部長などの職に就くなど職位や職階を上がる移動)、A水平方向(営業部から人事部へに移るなど横の移動)、B中心方向(支店から本社に移るなど中心に近づき、組織にとってより重要な人物となる移動)からなるとし、それを3次元モデルで示しています。  また、組織と個人のニーズの調和に関して、「仕事・キャリア」のサイクルのほか、「生物学的・社会的」なサイクル、「家族関係」のサイクルについても考える必要があることを指摘しました。そして、それぞれのサイクルは重なり合い、影響し合うとして、これらが相互に作用するモデルを示しましたが、このうち「仕事・キャリア」のサイクルの段階を、九つの段階にまとめています。 @第1段階「探索期」…成長、空想、探究(0〜21歳) A第2段階「参入期」…仕事の世界へのエントリー(16〜25歳)(役割:新人) B第3段階「基礎訓練期」…基本訓練(16〜25歳)(役割:初心者) C第4段階「初期キャリア」…正社員資格の獲得(17〜30歳) D第5段階「中期キャリア」…キャリア中期(25歳〜) E第6段階「中期キャリア危機」…キャリア中期の危機(35〜45歳) F第7段階「後期キャリア」…キャリア後期(40歳〜)(指導者と非指導者に分かれる) G第8段階「下降期」…衰えおよび離脱  (40歳〜。衰えの始まる年齢は人により異なる) H第9段階「退出期」…引退  各段階において、目安となる年齢が示されていますが、衰えの始まる年齢は人により異なる、とされていますし、重複もあります。さらによくみると、組織のなかでの役割も、あわせて示されています。シャインは、年齢と段階を結びつけるというよりも、むしろ組織内の役割と段階を結びつけています。 3 年齢とキャリア発達段階との関係についてどう考えるか  キャリア発達段階モデルに対しては、少子高齢化が進んだ現代では年齢的に違和感がある、年齢に縛られている感じがする、などといった批判もあります。  たしかに、当時のアメリカといまの日本の平均寿命を比べると十数年違います。また、おおよその年齢を念頭に段階が設定されています。しかし、年齢と段階との関係はそこまで強いものではなく、個人差についての指摘もなされています。ほかにも、白人男性が中心なのではないかなどといった指摘もありますが、それよりも、ここでは、変化への適応力や役割との関係が重要であることが指摘されていたことを心に留めておきたいと思います。  キャリア発達については、改めてもう一度考えてみたいと思いますが、さまざまな変化があるなかで、人はどうやって発達し続けるのか、ということも気になります。次回は、そこから考えたいと思います。 【引用・参考文献】 ●Nevill,D.D. & Super,D.E.(1986)The Salience Inventory - Theory, Application and Research-Manual (Research Editi on), CA, Consulting Psychologists Press. ●Schein E. H.(1978)Career Dynamics : Matching individual and organizational needs, Addison-Wesley(エドガー・H . シャイン著、二村敏子、三善勝代訳(1991)『キャリア・ダイナミクス:キャリアとは、生涯を通しての人間の生き方・表現である。』白桃書房) ●Super,D.E.(1957) The psychology of careers; An introducti on to vocational development. Harper & Bros.(日本職業指導学会(翻訳)(1960)『職業生活の心理学―職業経歴と職業的発達』誠信書房) ●Super,D.E.(1985)New dimensions in adult vocational care er counseling. Occasional Paper No.106 Ohio State University, Columbus, National Center for Research in Vocational Education. ※1 役割については、初期のものには九つの役割が記されている ※2 Super,D.E.(1957) The psychology of careers; An introduction to vocational development. Harper & Bros. ※3 男性についてのみ言及している可能性がある 図表1 五つの職業的発達段階 出生 4 成長 14 仮の決定 探索 25 試行と安定 確立 45 保持 維持 65 減速 解放 死 4 11 14 能力 興味 空想 18 25 移行 移行 試行 30 40 移行 45 進歩または不安 堅実 50 60 移行 65 革新的または沈滞または時節にあっている 70 移行 75 退職または専門化 解放 出典: Super,D.E.(1985)New dimensions in adult vocational career counseling. Occasional Paper No.106 Ohio State University, Columbus, National Center for Research in Vocational Education.P.19. 図表2 ライフ・キャリア・レインボー 状況的決定因:間接的―直接的 社会構造 歴史的変化 社会経済的組織・状況 雇用・訓練 学校 地域社会 家庭 ライフステージ 5歳 成長 10歳 探索 15歳-20歳 確立 30歳 維持 45歳 解放 70歳 その他の役割 家庭人 労働者 市民 余暇人 退職 学生 子ども 個人的決定因 気づき 態度 興味 欲求・価値 アチーブメント 一般的・特殊的適性 生物学的遺伝 出典: Nevill,D.D. & Super,D.E.(1986)The Salience Inventory − Theory, Application and Research − Manual (Research Edition), CA, Consulting Psychologists Press.P.4 を一部改訂 第3回 転機(トランジション)とシニア 1 キャリアにおける「転機」の考え方  人は、転機(トランジション)に、選択と意思決定をくり返すことによって発達し続ける、という考え方があります。  本連載第2回のキャリア発達理論で扱った、ある発達段階から次の発達段階への移行についても、転機ととらえることができますが、今回は、転職、失業、結婚、離婚、定年など、人生で起きる出来事を転機としてとらえて、キャリアについて考えてみたいと思います。 (1)ナンシー・K・シュロスバーグ「四つのS」  シュロスバーグは、人生はさまざまな転機の連続からなっており、それを乗り越える努力と工夫を通してキャリアが形成されると述べています。彼女は、長い人生において、キャリアを形成していくためには、キャリア転機のプロセスをよく理解して、キャリア転機を上手に行い、それをマネジメントできるようになることが大切だと考えました。  そして、転機には、@予測していた転機、A予測していなかった転機、B期待していたものが起こらなかった転機がある、と整理しました。そのうえで、重大な転機は、「自分の役割」、「人間関係」、「日常生活」、「考え方」のすべてに影響するものであり、これらのうち一つか二つが変わる程度であれば、重大な転機とまではいえないとしました。  また、転機に対処するためには、キャリア転機がどのようなものであるか見定めたうえで、「Situation(状況)」、「Self(自己)」、「Support(支援)」、「Strategy(戦略)」の四つの資源を点検し、活用することが重要であるとし、頭文字を取って、これを「四つのS(4Sモデル)」と呼びました(図表1)。そして、「四つのS」は、転機を乗り切るために利用できる資源であるとし、これらをそれぞれ点検することを推奨しています。「四つのS」について、順にみていきましょう。 @状況(Situation)  転機の原因は何か、役割・人間関係・日常生活・考え方の変化はどうなのか、転機を予測することはできたのか、期間はどのくらいなのか、これまで経験したことはあるのか、総合的にみてどのような状況なのか、など。 A自己(Self)  仕事はどのくらい重要なのか、仕事とそれ以外のこととのバランスはどうなのか、どのように変化に対応するのか、自分に対する自信はあるのか、人生に対してどのように考えているか、など。 B支援(Support)  他者からの励ましはあるのか、周りの人間関係はよいか、仕事探しなど自分を支援してくれる機関はあるのか、キーパーソンとなる人はいるのか、全体として役に立ちそうな支援はあるのか、など。 C戦略(Strategy)  仕事探しをする、何かを学ぶなど行動しているか、転機を前向きにとらえようとしているか、転機をプラスに変えようとしているか、ストレス解消を図っているか、など。  シュロスバーグは、スーパーのもとで学んだのち、転機への対処に着目しました。この背景には、社会の変化があると考えられます。社会の変化のスピードが速まり、人生においても転機に直面することが多くなったことから、転機のプロセスを理解し、転機に対処するためにどうするか、考えることの必要性が高まったということではないでしょうか。  近年は、シュロスバーグが転機への対処を提唱したころよりもさらに変化が激しさを増しています。シニアについても例外ではなく、予定通り定年を迎え、考えていた通り働き方を変え、地域の活動に軸足を移していこうといった場合(予測していた転機)もありますが、あと数年で定年というところで思いがけず転職することとなった(予測していなかった転機)、定年が延長されてこれまで通り働くこととなった(期待していたものが起こらなかった転機)など、さまざまな転機に直面することが考えられます。いずれの場合であっても、四つのSを用いて転機をうまく乗り越え、新たな展望を切り開いていくことが求められます。 (2)ウィリアム・ブリッジズ「ニュートラルゾーン」  アメリカの心理学者で、コンサルタントとして有名なブリッジズは、転機は変化によって生じるが、変化が外からやってくる外的なものであるのに対して、転機は心のなかに生じる内的なものだとしました。そして、転機は、「終わり(終焉)」から始まって、「ニュートラルゾーン(中立圏)」を経て、「始まり(開始)」という3段階からなるとしました(図表2)。  「終わり」は、何かがこれまで通りいかなくなるときから始まる。そして、「ニュートラルゾーン」を経て、新しく生まれ変わり、「始まり」にたどり着く、というわけです。  ブリッジズは、「『終わり』は、『過去に成功した仕事への取り組み方や達成感を手放す』こと」だともいっています。これに続く「ニュートラルゾーン」は、これまでのやり方などを捨て去ったものの、新たなスタートを切ることができない、という状況です。人々は、混乱したり苦悩したりしますが、新たな始まりのために必要なプロセスであり、この時期をいかにうまくマネジメントできるかが重要であるとしました。  彼は、ニュートラルゾーンをマネジメントする際のヒントとして、七つのことをあげています。 ・ニュートラルゾーンで過ごす時間の必要性を認める ・一人になれる時間と場所を確保する ・ニュートラルゾーンの体験を記録する ・過去を顧みて、これまでどう生きてきたかをふり返る ・この機会に、本当にやりたいことを見い出す ・もしいま死んだら、心残りは何かを考える ・数日間、あなたなりの通過儀礼を体験する  ブリッジズの理論は、転機の心理プロセスを整理し、それによって転機の課題を解決していこうとするものです。  ブリッジズは、「終わり(Ending)は、最終的な終わり(Finality)ではない」、「転機においてまずすべきことは、アンラーニング(学び直し:これまで学んできた知識を捨てて、新しく学び直すこと)」ともいっています。  ブリッジズの七つのヒントには、何かが終わったあと、まだ次が始まっていない時期を大事にする、といった印象があります。何かが終わってから始まる、というのは、逆説的なようですが、変わること、終わることには不安がつきものです。終わらないことには新たなことは始まらない、というふうに考えることには大きな意味があると思われます。  シニアのキャリアにあてはめると、定年や期待される役割の変化などの転機では、過去の成功体験などを一度手放し、アンラーニングする、そのプロセスを大事にする、というふうに考えることができそうです。 (3)ナイジェル・ニコルソン「転機のサイクル」  ニコルソンは、仕事のうえでの役割の移行(Transition〈トランジション〉)について、準備(Preparation)→遭遇(Encounter)→適応(Adjustment)→安定化(Stabilization)→次の準備(Preparation)というサイクルで展開されると考えました(図表3)。 @準備……変化に対応するための準備の段階。  (例)定年を前に心構えを持ち始める、など A遭遇……実際に新しい環境に入る段階。  (例)新たな役割が期待されることとなる、など B適応……仕事や人間関係などになじんでいく段階。  (例)新たな役割に少しずつ慣れる、など C安定化……日常化した段階。  (例)新たな役割にすっかり慣れて落ち着く、など  @の段階では次に向けてどのような心構えを持つか、Aの段階では新たな環境をどのようにとらえるか、Bの段階では新たな役割にどう慣れるか、Cの段階ではどう役割を果たすか、がそれぞれ鍵となるとされています。  ニコルソンのモデルには、一つのサイクルの最後の段階が次のサイクルの最初の段階につながる、前の段階は次の段階に影響を与える、それぞれの段階の体験には特殊性がある、という特徴があります。すなわち、サイクルは何度もくり返され、また、前の段階がうまくいったかどうかで次の展開が影響を受けるとされています。  彼のモデルには、全体として変化に順応していくイメージがありますが、単に順応するだけでなく、それが、次につながっています。シニアは、これまで、大小さまざまな転機に対応してきたと考えられます。それらをもとに、新たな転機に臨み、新たな役割に順応していく、といったところでしょうか。 2 高齢者にとっての転機(定年、退職、働き方の見直しなど)を考える  ここまで、代表的な転機の理論をもとに、転機とキャリアの関係についてみてきました。ざっくりいえば、転機においては、これまでと違う何か新しいことを選び取ったり受けとめたりし、それをスタートさせる、ということが求められます。定年や退職、加齢にともなう働き方の見直しなどは、転機の代表的なものの一つです。  転機には、リスクとチャンスの二つの要素が含まれています。転機を乗り切ることに失敗すると面倒なことになりますが、うまく乗り切ることができれば、新たな展望が開けます。予期できるものであれ、予期できないものであれ、また、何かが生じた場合であれ、生じなかった場合であれ、転機に対して、何らかの対応が必要なことには変わりはありません。自らが置かれた状況と折り合いをつけながら、課題を乗り越えていくことが求められます。  転機には、ライフ・トランジション(人生の節目)と、狭い意味でのキャリア・トランジション(仕事生活の節目)とがあります。両者は、互いに関係しており、サニー・S・ハンセンは、これらを統合した、統合的キャリアプランニングを提唱しています。そのようななか、今回は、狭い意味でのキャリア・トランジションに絞るかたちで理論を紹介しました。今回は外国の研究者を紹介しましたが、日本にも、転機などに着目して、キャリアを検討している優れた研究者がいます。また、年齢を重ねても活躍し、成長を続ける者についてその要因を検討した理論もあります。  次回以降は、これらについてみていきたいと思います。 【引用・参考文献】 ●Bridges,W.(2004)Transitions Making sense of life's changes 2nd ED Da Capo Press.(ウィリアム・ブリッジズ著、倉光修、小林哲郎訳(2014)『トランジション:人生の転機を活かすために』パンローリング) ●Bridges,W. & Bridges,S.(2019)Transitions(40th Anniversary Edition):Making Sense of Life's Changes(English Edition). ●Bridges,W. & Mitchell,S. (2000) Leading transition: A newmodel for change. Leader to leader, 16(3), 30-36. ●Nicholson,N. & West,M. (1989)9 Transitions, work histories, and careers. Handbook of Career Theory, 181-201. ●金井壽宏(2001)「キャリア・トランジション論の展開:節目のキャリア・デザインの理論的・実践的基礎」『国民経済雑誌』184(6),43-66. ●Schlossberg,N.K.(1989)Overwhelmed : Coping With Life's Ups and Downs. New York : Lexington Books.(ナンシー・K・シュロスバーグ著、武田圭太、立野了嗣監訳(2000)『「選職社会」転機を活かせ 自己分析手法と転機成功事例33』日本マンパワー出版) ● Schlossberg,N.K., Waters,E.B., & Goodman,J.(1995) Counseling adults in transition. Springer Publishing Company. ※ Bridges,W.(2004)Transitions Making sense of life's changes 2nd ED Da Capo Press. 図表1 転機のフレームワーク(四つのS) 変化をもたらす出来事が生じる・生じない個人の転機 個人の転機 4S 支援 戦略 自己 状況 転機のプロセス(時間による変化) 出典:Schlossberg,N.K., Waters,E.B., & Goodman,J.(1995) Counseling adults in transition. Springer Publishing Company.p.27 図表2 転機の3段階 終焉 何かが終わる時期 中立圏 混乱や苦悩の時期 開始 新しい始まりの時期 出典:金井壽宏(2001)「キャリア・トランジション論の展開:節目のキャリア・デザインの理論的・実践的基礎」『国民経済雑誌』184(6),43-66. 注)ブリッジズの著作※の考えに基づき、金井が図にまとめたもの 図表3 転機のサイクル 第5段階/第1段階 準備 第2段階 遭遇 第3段階 適応 第4段階 安定化 出典:Nicholson,N. & West,M.(1989) Manegerial job change:Men and women in transition.Cambridge University Press.p.9 第4回 生涯発達の理論からみたシニア 1 はじめに  ここまで主に、キャリアの視点から理論を紹介してきましたが、より広く、生涯発達の観点から、成人期以降の発達やトランジションについてみる見方もあります。  多くの優れた研究がありますが、誌面もかぎられていますので、エリク・H・エリクソン、ダニエル・J・レビンソン、日本の岡本祐子の理論を紹介し、生涯発達の視点からシニアのキャリアについて考えてみたいと思います。 2 エリクソンの8段階モデル  アイデンティティ(自我同一性)などで有名なエリクソンは、人間のライフサイクルを8段階に区分し、それぞれの段階で心理的・社会的危機を克服することによって、次の段階へと進む動機づけが得られるとしました。  エリクソンは、精神分析の創始者であるジークムント・フロイトや、人生の後半期に初めて着目したカール・G・ユングの流れを汲む精神分析学者であり、発達心理学者でもあります。  彼が示した8段階は、乳児期(Infancy)、幼児期初期(Early childhood)、遊戯期(Playage)、学童期(School age)、青年期(Adolescence)、前成人期(Young adulthood)、成人期(Adulthood)、老年期(Old age)です※1。  エリクソンは、これらのうち、基本的信頼感の獲得が課題である幼児期初期とアイデンティティの獲得が課題である青年期を重視しましたが、ここでは、もう少し上の年代について見てみましょう。  彼は、「成人期の発達課題は世代性(Generativity※2)である」としました。世代性という言葉は、エリクソンの造語ですが、単に子孫を生み育てるだけでなく、自らつくり出したものを責任を持って次の世代に伝えていくことをさします。後輩の指導、育成などもこれに含まれます。エリクソンの妻で共同研究者だったジョウン・M・エリクソンは、夫との共著※3のなかで、「この世代性という概念は、発表が迫った段階で気づいたもので、これが加わったことによって、7段階が8段階となり、モデルが完成した」と書いています。  成人期のあとの老年期の発達課題は、統合(Integrity)です。物事を一つにまとめることによって、英知を備えるというものです。その一方で、後年、エリクソンは、8段階モデルを理論化した時代をふり返り、(いわゆる長老ではなく)「年齢より相当若く見える単なる年配者」が増え「世の中の老年期に対するイメージはすっかり変化した」といっています。そして、だれもがきわめて高齢まで生きる時代が到来する時代に向け、統合の意味について考えておくべきだと指摘しています。  エリクソン自身は、「80歳になったころに老人になったことを初めて認識し始めた」といっています。また、ジョウン・M・エリクソンは、夫と話したことをもとに、彼の死後、「80代や90代はそれまでとは異なる」として、老年的超越を課題とする第9段階(80〜90歳)を付け加えています。実際に、エリクソンは90歳ころまで、研究・執筆活動を続けています。  いまの日本は、まさに、「だれもがきわめて高齢まで生きる時代」そのものであり、「年齢より相当若く見える単なる年配者」が数多くいて、より長く働くことを求められている時代だといえます。  企業においても、「年齢より相当若く見える単なる年配者」たちに、どんな役割を果たしてもらうべきか、考えるべきだということでしょう。 3 レビンソンの「人生の四季」  レビンソンは、工場労働者・会社の管理職・学者・小説家という四つの職業グループの中年男性合わせて40人のライフ・ヒストリーを分析し、その結果をもとに、人間は成人した後も変化し続け、一定の段階をふんで発達していくことを明らかにしました。  そして、人間の発達段階を「人生の四季」にたとえ、男性のライフサイクルを、プレ成人期(Era of preadulthood:0〜22歳)、成人前期(Era of early adulthood:17〜45歳)、成人中期(Era of middle adulthood:40〜65歳)、成人後期(Late adulthood:60歳以上)に分け、境目にある最初の5年間を「過渡期」(次の段階へ進む準備期間)としました(図表1)。  レビンソンは、この過渡期は、不透明で不安定な時期だが、立ち止まって自分をふり返り、次の安定期に向けた選択を行うチャンスでもあるとしています。また、40代前半に迎える人生半ばの過渡期を、特に重要な時期であるとしました。  過渡期というのは、第3回(2022年3月号38〜41頁)で扱った「転機」のようなものと考えられますが、彼によると、老年への過渡期は、老年期へ向けての生活設計を行うべき時期ということになります。レビンソンは、各発達段階の開始年齢や終了年齢には、「意外なほど個人差がなかった」といっていますが、逆にいえば、かなり違いがあることを想定していたということかもしれません。年齢は示されていますが、彼の著書※4によると、彼が重視しているのは順序であって年齢ではありません。  エリクソンとレビンソンは、同時代の研究者で、互いに影響を受け合っていますが、成人発達について、エリクソンが内面を見ているのに対し、レビンソンは生活構造の発展ととらえているという違いがあります。彼らのモデルは階段を上っていくようにも見えますが、エリクソン、レビンソンとも「ある発達段階がそれ以外の発達段階よりもレベルが高いということはない」といっています。 4 岡本のアイデンティティのラセン式発達モデル  日本の発達心理学者である岡本祐子は、中年期、定年退職期以降にも、アイデンティティが問い直されるとし、そのプロセスを明らかにしました。図表2は、彼女が提唱した、アイデンティティのラセン式発達モデルです。このモデルによると、中年期、定年退職期にもアイデンティティの確立が行われますが、そのプロセスは、同一主題を反復的にくり返し、ラセン式に発達していく、というふうになります。  岡本は、定年退職期は、人生後期の主要な転換期であるとして、これに焦点をあてた研究もしています。そして、調査結果をもとに、定年退職を第二の人生の出発点であると積極的に歓迎するタイプ、気楽になると受動的に歓迎するタイプ、一つの区切りと淡々ととらえるタイプ、人生の終わりであると悲観的にとらえるタイプなどがあることを見出し、同じように定年退職を経験しても、アイデンティティの問い直しを行う者とそうでない者がいるとしています。また、退職年齢の定められ方によってとらえ方が異なり、自分で決められる場合に比べて、自分で決められない場合の方が悲観的にとらえやすいことも報告しています。また、実際に定年退職を経験した者は、定年前の者ほどは意識していないことなどについても報告しています。  彼女がこの研究を行ったのは1980年代であり、当時は55歳定年からようやく60歳定年が一般的になりつつあった時代です。これに対して、いまや、70歳就業時代です。役職定年、就業規則でいう本当の定年、さらに、継続雇用された場合はその上限年齢というふうに複数の定年を経験することも一般的になりつつあります。シニア社員については、十把一絡げにして考えがちなところもあろうかと思います。歳もずっと上で、場合によっては管理職であったりする彼らが迷っているということ自体、若い人にとっては想像しにくいところがあるかもしれませんが、彼らにも、アイデンティティの問題があることについて、たまには思いをはせてみてはどうでしょうか。 ◇◇◇  ここまでいくつかのモデルを見てきましたが、背景も含めてくわしく見てみると、成人期のあとをさらにくわしく見ていく必要性が示唆されています。  アンドリュー・J・スコットとリンダ・グラットンは、彼らが2021(令和3)年に刊行した『LIFE SHIFT(ライフ・シフト)2 ―100年時代の行動戦略』のなかで、「中年期の後半と老年期の前半が長くなったといったほうが実態に近い」と書いていますが、まさにその通りで、ここをどう過ごすか、そのためにどうすればよいかが課題になっているわけです。  今回は、ライフ全体の話を扱いました。また、シニアに関係の深い部分を中心にみてきましたが、人はいきなりシニアになるわけではありません。ミドルからシニアにかけての職業を中心としたキャリアについての研究も、数多くあります。また、キャリアについて理解するのもよいけれど、ではどうすればよいのかについても考える必要があります。当連載は残り2回となりましたが、こうしたことについても考えてみたいと思います。 【引用・参考文献】 ●Levinson,D.J.(1978). The seasons of a man's life. Random House Digital, Inc.(南博訳(1992)『ライフサイクルの心理学〈上・下〉』講談社) ●Levinson, D. J. (1986). A conception of adult development. American psychologist, 41 ( 1 ), 3. ●Erikson, E. H., & Erikson, J. M. (1998). The life cycle completed (extended version). WW Norton & Company.(村瀬孝雄・近藤邦夫訳(2002)『ライフサイクル、その完結〈増補版〉』) ●Erikson, E. H., Erikson, J. M., & Kivnick, H. Q. (1994). Vital involvement in old age. WW Norton & Company. ●岡本祐子・山本多喜司(1985)「定年退職期の自我同一性に関する研究」,『教育心理学研究』, 33 (3), 185-194. ●岡本祐子(1994)「生涯発達心理学の動向と展望 成人発達研究を中心に」,『教育心理学年報』, 33, 132-143. ●Scott, A. J., & Gratton, L. (2021). The new long life: a frame work for flourishing in a changing world. Bloomsbury Publishing.(池村千秋訳(2021)『LIFE SHIFT2―100年時代の行動戦略』東洋経済新報社) ※1 エリクソンは、各段階について、発達課題が達成されない場合に生じる問題点を、対立概念として示している。成人期の対立概念は「停滞(Stagnation)」、老年期の対立概念は「絶望(Despair)」である ※2 エリクソンの造語。「生殖性」と訳されることも多い ※3 Erikson, E. H., & Erikson, J. M.(1998). The life cycle completed( extended version). WW Norton & Company. ※4 Levinson,D.J.(1978). The seasons of a man's life. Random House Digital, Inc. 図表1 レビンソンの発達段階 〜17 (児童期と青年期) 17〜22 成人への過渡期 22〜40 成人前期 22〜28 大人の世界へ入る時期 28〜33 30歳の過渡期 33〜40 一家を構える時期 40〜45 人生半ばの過渡期 45〜60 中年期 45〜50 中年に入る時期 50〜55 50歳の過渡期 55〜60 中年の最盛期 60〜65 老年への過渡期 65〜 (老年期) 出典:Levinson, D. J.(1986). A conception of adult development. American psychologist, 41(1), 3.p.8 図表2 アイデンティティのラセン式発達モデル 出典:岡本祐子(1994)『成人期における自我同一性の発達過程とその要因に関する研究』風間書房 第5回 シニア期に向けてのキャリアをどうとらえるか 1 はじめに  前回まで、主にシニア部分に焦点をあてて見てきましたが、人はいきなりシニアになるわけではありません。ミドル期を経てシニア期を迎えます。働く期間が延び、このミドルの時期は長くなってきています。  今回は、シニア期のキャリアをとらえるうえで、変化への対応という視点から、ヒントとなりそうな、いくつかの理論を紹介したいと思います。 2 サビカス〜キャリア・アダプタビリティ  第2回(本誌2022年2月号)のスーパーのところで「キャリア・アダプタビリティ」という概念を紹介しましたが、これを中核的概念の一つとし、さまざまなキャリア理論を統合して、「キャリア構築理論(Career Construction Theory)」を組み立てたのが、マーク・L・サビカスです。  キャリア構築理論は、「職業パーソナリティ(vocational personality)」、「キャリア・アダプタビリティ(career adaptability)」、「ライフテーマ(life theme)」という三つの主要概念から成り立っています。  一つ目の「職業パーソナリティ」は、どんな職業が自分に合っているのか(What)に関係する概念です。  二つ目の「キャリア・アダプタビリティ」は、自分のなかで起こることだけでなく、外で起こるさまざまなできごとにも目を向けたもので、どのようにして絶えず変化する社会環境に適応していくのか(How)にかかわる概念です。サビカスは、キャリア・アダプタビリティに対して、段階的に、関心(concern)、統制(control)、好奇心(curiosity)、自信(confidence)という四つの次元があるとしています(図表1)。自分のキャリアに関心を持ち、コントロールすることができ、探求する好奇心を持ち、自信を持つということです。  四つの次元は、それぞれ、それに関連する「態度と信念」(Attitudes and Beliefs)、「能力」(Competencies)で構成されます。サビカスはこれらの頭文字を取ってキャリア構築のABCと呼び、このABCが、個人が発達課題や転機(トランジション)に対処する際に役に立つとしています。  三つ目の「ライフテーマ」は、個人にとって「重要なこと」であり、なぜその職業を選んだのか、なぜ働くのか(Why)にかかわる概念です。  サビカスは、人は「キャリアストーリー」(発達課題や職業上の転機〈トランジション〉が語られたもの)を語ることを通じて、その人にとっての働く意味を再構成するとしました。キャリアストーリーで語られることは、個人的な考えを含んだ物語的真実(narrative truth)ですが、これがあることによって、個人は変化に柔軟に適応しながら、未来に向けて、一貫性、連続性を持ったキャリアの物語を構築していくことができるとしました。  サビカスの理論は、特にシニアを念頭に置いたものではありませんが、変化に対応するなかで、人生の目的・意味をどうとらえるかを重視するものです。シニアになる前から続くキャリアについて一連のストーリーとして解釈することは、シニア期のキャリアをとらえるうえで大いに役に立つものではないかと思います。 3 ハンセン〜多元性と包含性  「統合的ライフ・プランニング(ILP:Integrative Life Planning)」を提唱したサニー・S・ハンセンについても、紹介したいと思います。統合的ライフ・プランニングとは、人生やキャリア設計にあたって、仕事に関することだけでなく、より全体的なアプローチをすべきであるという考えです。その背景には多くの領域で早いスピードで変化が生じ、これに社会が追いついていないということがあります。  この理論では、@ Labor(労働)、A Learning(学習)、B Leisure(余暇)、C Love(愛)を人生の四つの要素(「人生の四つのL」)であるとし、この四つが統合されること、すなわち、「働き、学び、余暇を楽しみ、愛することを大事にする」ことによって、人は意味のある人生を送ることができるとしています。  彼女は、人生における六つの重要課題として、以下のことをあげています。 @グローバルな視点でキャリア選択を行う A多様な役割を組み合わせ、意味のある人生とする B家族と仕事のつながりを意識し、男女の役割を見直す C多様性を活かす D仕事に精神的な意味を見出す E個人の転機(transition)と組織の変革にうまく対処する  ハンセンの理論は、男性中心、仕事中心的発想で、精神性について考えなかった従来のキャリア理論からみると新鮮なものでした。女性や民族、LGBTQだけでなく、シニアにも目を向けており、Cの多様性には、高齢労働者も含まれています。  彼女は、著書※1のなかで、多様性に関して、「現在、特に差別をされているのが高齢労働者である」と書いています。米国には、年齢差別禁止法があっても、不当に解雇されて裁判に訴え、勝訴した話や、再訓練する価値のない人間とみなされ、機会を与えられない、などといった例があること、その一方で、高齢労働者が有益であることを認識している会社が出てきたこと、などが記載されています。  米国には年齢差別禁止法はあるものの、解雇規制が緩やかです。それに対して、日本には定年制があるものの、事実上定年年齢やさらにそのうえの65歳までの雇用が確保されています。法制度は異なりますが、共通する問題があることについては、考えさせられるところです。 4 イバラ〜暫定自己(可能な自己を探る)  サビカス、ハンセンでもみたように、世の中の変化が激しくなるなかで、それにどう適応していくのかは、年齢を問わず、キャリアについて考えるうえで大きな課題となっています。働く期間が延びたことから、これにも対応していくことが必要となりました。  このような状況下では、これまでよりも長い視点でキャリアについて考え、常にキャリアを変化させ続けることが求められそうです。また、ときにはキャリアを大きく変化させるようなことが必要になってくることもあるでしょう。  こうした視点でキャリアの問題について探究している研究者のひとりに、組織行動学者のハーミニア・イバラがいます。  彼女は、その著書※2で、「なりたい自分」に向けて、「可能な自己を探り、それを試し、大きな変化のための土台をつくる、そのうえで、また、可能な自己を探る、というサイクルを回し続けることが必要だ」といっています(図表2)。  「可能な自己を探る」というのは、どうなりたいか自分に問いかけたり、可能性のあることをリストアップしたりするようなことです。彼女は、別の論文※3で「暫定自己(Provisional Selves)」という言葉を使っています。「可能性のある自己のなかから、仮の暫定自己を選び出し、それを試しながら、大きな変化のための土台をしっかりつくっていく、これをくり返すことによって、新たなアイデンティティを獲得することができる」というのです。彼女は、「アイデンティティは不変のものでなく、多くの可能な自己からなるものだ」、「キャリアを変えることは、アイデンティティを変えることだが、別のものに取り替えてしまうものではなく、再構築するものだ」ともいっています。また、再構築にあたっては、「小さな規模で試し、新しいネットワークをつくって仲間を見つけ、自分のストーリーをつくり直すのがよい」としています。さらに、問いかけ続けること、取り組み続けることの重要性についても指摘しています。  キャリアについて考える際は、「これまで」をふり返ったうえで、自分が積み重ねてきたものをどう意味づけするかを考えることが多いように思われますが、「可能な自己を探る」というのは、「これから」を考えることといえます。また、続けることの重要性は、より長い期間、キャリアについて考えることともつながります。  先にあげたイバラの書籍では、主にミドルのキャリア・チェンジが扱われており、特にシニアのキャリアについて検討しているというわけではありません。しかし、世の中の変化が激しくなるなかで、今後、これまでよりもずっと長い期間、ミドル期以降も「これから」を考え続けていくことを考えると、大いに考えさせられるものがあります。 5 クランボルツ〜計画された偶発性  誌面の関係もあり、ここではあまり多くの理論を取り上げることはできませんが、ジョン・D・クランボルツにも触れておきたいと思います。  クランボルツは、1999年に、「計画された偶発性(プランドハプンスタンス理論〈Planned Happenstance Theory〉)※4」を提唱しました。「予期せぬ出来事がキャリアの機会に結びつく」という理論です。彼は、予期せぬ出来事によってキャリアが決定されるが、偶発的な出来事を自らの主体性や努力によってキャリアを最大限に活用していくことを強調しています。クランボルツは、「『偶然の出来事』を『計画された偶発性』とするためには、@好奇心、A持続性、B柔軟性、C楽観性、D冒険心の五つのスキルが必要である」としています。すなわち、「好奇心を持って努力し続け、フレキシブルに考えたり行動したりし、物事を楽観的にとらえ、ときにはリスクを取って行動することが必要だ」というのです。  この背景には、変化のスピードが速まり、将来起こることが見通せなくなってきたということがあります。  ヒトは学習し、行動を変化させることができる存在です。従来の行動を変化させたり、新しい行動を獲得したりすることによって、変化し続ける環境に対応することができるという考え方は、変化の激しい現代においてキャリアの問題に直面している人々に勇気を与えるものだといえるでしょう。 ◇  ◇  ◇  ここまでいろいろ見てきましたが、連載も残すところあと1回となりました。  シニア期になってもキャリアは発達するということ、変化に対応し続けなければいけないことはわかりました。さらに、キャリアをとらえるための考え方などについても学びました。  では、これをふまえて実際にどうすればよいのでしょうか。最終回ではそれを考えたいと思います。 【引用・参考文献】 ●Hansen,L,S.(1997). Intergrative Life Planning:Critical Tasks for Career Development and Changing Life Patterns, Wiley. (サニー・S・ハンセン著、平木典子、今野能志、平和俊、横山哲夫監訳、乙須敏紀訳(2013)『キャリア開発と統合的ライフ・プランニング−不確実な今を生きる六つの重要課題』福村出版) ●Ibarra, H.(1999). Provisional selves:Experimenting with image and identity in professional adaptation. Administrative science quarterly, 44(4), 764-791. ●Ibarra, H. (2003). Working identity: Unconventional strategies for reinventing your career. Harvard Business Press. ●Krumboltz J.D. & Levin Al S.(2004). Luck is no accident:making the most of happenstance in your life and career. Impact Publishers(J・D・クランボルツ、A・S・レヴィン著、花田光世、大木紀子、宮地夕紀子訳(2005)『その幸運は偶然ではないんです!:夢の仕事をつかむ心の練習問題』ダイヤモンド社) ●Savickas M. L. (2011). Career Counseling, American Psychological Association(マーク・L・サビカス著、日本キャリア開発研究センター監訳 乙須敏紀訳(2015)『サビカス キャリア・カウンセリング理論:〈自己構成〉によるライフデザインアプローチ』福村出版) ● Savickas, M. L.(2013). Career construction theory and practice. In Brown,S.D. & Lent,R.W. (Eds.), Career Developmentand Counseling:Putting Theory and Research to Work, NJ:John Wiley & Sons. 147-183. ※1 Hansen, L, S.(1997) ※2 Ibarra, H.(2003) ※3 Ibarra, H.(1999) ※4 商標登録の関係で、クランボルツは、「Planned happenstance」ではなく、「Luck is no accident theory」と呼んでいた 図表1 キャリア・アダプタビリティ アダプタビリティ次元 態度と信念 能力 対処行動 キャリア問題 関心 計画的 計画能力 認識、関与、準備 無関心 統制 決断的 意思決定能力 主張、秩序、意思 不決断 好奇心 探求的 探索能力 試行、リスクテーキング、調査 非現実性 自信 効力感 問題解決能力 持続、努力、勤勉 抑制 出典:Savickas, M. L.(2013). Career construction theory and practice. In Brown,S.D. & Lent,R.W.(Eds.),Career Development and Counseling: Putting Theory and Research to Work, NJ:John Wiley & Sons. p.158. 図表2 アイデンティティの変遷 アイデンティティの実践 可能な自己を探る どうなりたいか自分に問いかける、可能性をリストアップする など アイデンティティの過渡期 可能性のあるアイデンティティをためす など 大きな変化のための土台づくり 成果:なりたい自分になる 出典:Ibarra, H.(2003). Working Identity.Garvard Business Review Press. Kindle版〔Kindleの位置 No.2428〕 最終回 シニア期のキャリアを納得いくものとするには 1 はじめに  ここまで、シニア期に焦点をあてつつ、キャリア理論を紹介してきました。  何歳からシニアというのかについて、はっきりさせないまま、連載を進めてきましたが、改めて感じるのは、「シニア」といわれる年齢は、時代によってかなり違い、また、ミドルの後期のような人からかなり年齢が上の人まで、年齢幅が広く、しかも多様であるということです。  生きていればだれもが、いずれその多様なシニアの一人になるわけですが、どうすればシニア期のキャリアを納得いくものとすることができるのでしょうか。  納得いくキャリアを歩むためには、それに見合うものも必要です。最終回の今回は、シニアの能力と、シニアの学びについて考えたうえで、シニア期のキャリアのために、企業側、働く側は何ができるのかについて考え、連載を終えたいと思います。 2 シニアと能力  アメリカの心理学者であるレイモンド・B・キャッテルは、ヒトの知能は大きく、流動性知能(Fluid intelligence)と結晶性知能(Cryst allized intelligence)に分類されるとしました。流動性知能というのは、記憶・計算・図形・推理などに関する問題によって測定することができる知能。一方、結晶性知能というのは、言語理解・一般的知識などに関する問題によって測定することができる知能です。  この二つの種類の知能については、たくさんの研究がなされています。そして、流動性知能は加齢にともなって低下していく一方、結晶性知能は、成人に達した後も上昇し、長く維持されることが確認されています。  アラン・S・カウフマンは、WAIS(ウェイス)−R(アール)※1という成人知能検査の結果を用いて、動作的IQは、30歳以降低下し続けるのに対し、言語的IQは、その後も長く維持され、そののち緩やかに低下することを明らかにしています。動作的IQは、処理速度などで測定できる知能、言語的IQは、言葉理解力などで測定できる知能です。さらに、カウフマンは、知能が教育年数によって影響を受けることから、教育レベルを調整した分析(各年齢層における学歴別の人数割合を合わせた分析)を行い、言語的IQは、むしろミドル期、シニア期にあたる年齢層の者の方が高いことや、その後の低下幅が小さいことを明らかにしました(図表1・2)。  新たなものを生み出す創造性についてはどうでしょうか。イノベーション理論を提唱したヨーゼフ・A・シュンペーターは、「『新しい知』は『既存の知と、別の既存の知の新しい組み合わせ』によって生み出される」と述べています。創造性に関しても、多くの研究がなされており、たくさん知っていればよい、といったものではありませんが、多くのことを知っていることは、創造性を発揮するうえで、プラスになる可能性があります。  シニアの創造性については、別の研究もあります。アメリカの心理学者であるディーン・K・サイモントンは、クラシックの作曲家の作品を分析し、シニア期にも創造性のピークがあると主張しました。そして、これは、死を意識するようになることによるものではないかと考え、ヨーロッパでは白鳥は死ぬときに美しい声で鳴くといわれていることから、これを「スワンソング現象」と名づけました。  「シニアになっても、言語理解力などは長く維持されるし、創造性を発揮できる可能性がある」といわれても、「本当かな?」と思った方もいらっしゃるかもしれません。  図表1・2をよく見ると、年齢別の学歴割合をコントロールしている方に比べ、コントロールしていない方では、言語的IQも年齢とともに低下しています。また、サイモントンは作曲家を研究対象としていますが、作曲家の方は、すぐれた曲をつくるために努力し続けている、ちょっと特別な人たちのように思われます。  かつてに比べ、教育水準が上がってきていることを考えると、今後、より長く能力が維持されることが期待できそうですが、世の中の変化の速度は増しています。変化に対応するために努力し続けることも求められそうです。 3 シニアと学び  シニアにかぎらず、社会人の学び直しが必要だといわれるようになってから、かなりの年月になります。  「年齢と学び」については、いくつもの調査結果があります。厚生労働省の能力開発基本調査を見ると、Off−JT、自己啓発とも、過去一年にこれを受講したり、実施した労働者の割合は、年齢とともに低下しています(図表3)。  高齢労働者の訓練などへの参加率が低い理由について、マテオ・ピッキオというイタリアの経済学者は、経済的な理由、態度的な理由、制度的な理由があると指摘しています※2。  経済的な理由というのは、学んでもそれを活用できる期間が短いということです。シニアにとっても、企業にとっても、学んだことによるコスト(時間、費用、労力など)を回収できない可能性が高い、ということです。さらに、高齢労働者と若年労働者が職業に関する訓練を一緒に受けた場合、高齢労働者は若年労働者に比べて、時間もかかり、成績もいまひとつ、といった調査結果もあります※3。労働者から見ると、学んだことによって収入が上がることが期待しづらいということもあります。  態度的な理由というのは、いわゆるバイアス※4のことです。「シニアはパソコンが苦手」、「シニアは新しいことを学びたがらない」などと年齢によって決めつけてしまうことのほか、「先輩にいまからこれを学んでもらうのは申し訳ない」などと気を遣ってしまうようなこともこれにあたります。シニア自身が、知らず知らずのうちに、こういったバイアスの影響を受けていることもあります。  制度的な理由というのは、シニアに合った訓練が用意されていない、シニアに合った方法で訓練がなされていない、などといったものです。  これらのうち、学んだことを活用できる時間については、職業人生が延びたことによって、大いに延びました。70歳まで働いてもらうのであれば、50代半ばからでも15年あります。若手・中堅の転職可能性などを考えると、「シニアだから学んでもらってもウチの会社で活かせる期間が短い」とは一概にいえなくなっています。  また、先ほど、一緒に訓練を受けた場合、高齢労働者は若年労働者に比べ、時間もかかり、成績もよくないなどと書きましたが、その一方で、講義に加えて、実際にやってみせる、参加させるなど複数の方法を用いたり、各人のペースで学んでもらったりするなど、やり方を工夫することによって、訓練効果を上げることができることもわかっています※5。  学ぶ側からみるとどうでしょう。本格的な学びである大学などでの学び直しについていえば、遜色ないようです。文部科学省委託調査※6によると、学び直しへの満足度は年齢が高い層ほど高くなっています。また、筆者は、社会人大学院で教員を務めていますが、年齢が上の学生の理解度が低いと感じたことはありません。 4 シニア期のキャリアのためにできること (1)企業は〜機会を提供する  少子高齢化が進むなか、シニアにも戦力となってもらうことが不可欠です。定年延長など制度面の改善も進みつつありますが、それだけでは十分ではありません。シニアには、すでにできることがたくさんありますが、より長く活躍してもらうためには、シニアにも学ぶ機会やチャレンジングな経験をする機会を与えたり、次のキャリアに向けた支援を行ったりすることが求められます。さらに、シニアが実際に活躍している様子を、将来のシニアである若手・中堅に見せることも必要でしょう。  わが国においては、年齢や勤続年数にともなって処遇が上がり、さらに、それによって生じる処遇と生産性のギャップを解消するために、役職定年や定年など年齢で一律に扱う、といった人事制度が一般的です。しかし、それではシニアの力を活用しにくいところがあります。より力を発揮できる選択肢も加えたうえで、シニアに対しどうしたいかたずねることが必要になってくると思われます。 (2)働く側は〜年齢をいい訳にしない  「そうはいっても残り時間というものもあるではないか」といわれそうですが、締切があるからこそ仕事を完成させられる、ということは、だれもが経験するところです。家族を養う必要性が小さくなることで、働き方の選択肢が広がることなども考えられます。  人生100年時代の新たな生き方を提案したリンダ・グラットン&アンドリュー・スコットは、「人生で様々な活動を経験する順序が多様化すれば、『エイジ』と『ステージ』がかならずしもイコールでなくなる」といっています。  また、第5回で取り上げたイバラは、「変化の多いいまの時代は、考えてアイデンティティを探すのでなく、まず小さくやってみることが大事だ」といっています。  日本人は、年相応を気にするところがあるようですが、年齢をいい訳にせず、まず小さなことから何か始めてみてはどうでしょうか。 5 おわりに〜若手・中堅は明日のシニア〜  日本には、4月号で取り上げたエリクソン※7がいうところの「年齢より相当若く見える単なる年配者」がたくさんいます。医療人類学者のシャロン・R・カウフマンは、ヒアリング結果をもとに、高齢者の自己概念が若いままであることを報告しています※8。見かけだけでなく、気持ちも若いのです。  ここまで、ずっとシニアを中心に話をして来ましたが、若手・中堅は「明日のシニア」です。シニア期のキャリアについて、企業も、シニアも、「明日のシニア」である若手・中堅の社員も、本気で考えてみてはどうでしょうか。 【引用・参考文献】 ●Charness, N., & Czaja, S. J. (2006). Older Worker Training:What We Know and Don't Know.# 2006-22. AARP. ●Gratton, L. & Scott, A. J. (2016). The 100-year Life:Living and working in an age of longevity. Bloomsbury Publishing. (池村千秋訳(2021)『LIFE SHIFT−100年時代の人生戦略』東洋経済新報社) ●Horn, J. L., & Cattell, R. B. (1967). Age differences in fluid and crystallized intelligence. Acta Psychologica, 26, 107-129. ●Kaufman, A. S., Reynolds, C. R., & McLean, J. E. (1989). Age and WAIS-R intelligence in a national sample of adults in the 20-to 74-year age range: A cross-sectional analysis with educational level controlled. Intelligence, 13 (3), 235-253. ●Kaufman, S. R. (1994). The ageless self: Sources of meaning in late life. Univ. of Wisconsin Press. ●Kubeck, J. E., Delp, N. D., Haslett, T. K., & McDaniel, M. A.(1996). Does job-related training performance decline with age?. Psychology and aging, 11 (1), 92. ●文部科学省委託調査(2016).『社会人の大学等の学び直しの実態把握に関する調査研究』 ●Picchio, M. (2015). Is training effective for older workers? Training programs that meet the learning needs of older workers can improve their employability. Iza World of Labor. ●Simonton, D. K. (1990). Creativity in the later years: Optimi stic prospects for achievement. The Gerontologist, 30(5), 626-631. ※1 WAIS-R……Revised form of the WAIS(Wechsler Adult Intelligence Scale)のこと。1981年に開発された。対象年齢は16〜74歳。現時点でのWAISの最新版は、2008年に開発されたWAIS-Wである ※2 Picchio, M.(2015) ※3 Kubeck, J.E.S(1996) ※4 意識されているバイアスのほか、意識されていないバイアス(アンコンシャスバイアス)もある ※5 Charness, N., & Czaja, S. J.(2006) ※6 文部科学省委託調査(2016)「社会人の大学等の学び直しの実態把握に関する調査研究」。年齢計(n=7484)では「良い」(60.9%)、「まあまあ良い」(33.3%)だが、50歳以上(n=1536)では「良い」(69.6%)、「まあまあ良い」(26.4%)となっている ※7 エリクソン……アメリカの発達心理学者。詳細は2022年4月号を参照 ※8 カウフマンは、「エイジレス・セルフ(年齢を重ねない自己)」と呼んだ ★ 本連載の第1回から最終回までを、当機構ホームページでまとめてお読みいただけますhttps://www.jeed.go.jp/elderly/data/elder/series.htm 図表1 動作的IQに対する加齢の影響 動作的IQ 20-24(年齢) 教育レベル調整なし 101.1% 教育レベル調整あり 101.8% 25-34(年齢) 教育レベル調整なし 98.9% 教育レベル調整あり 98.9% 35-44(年齢) 教育レベル調整なし 93.3% 教育レベル調整あり 95.0% 45-54(年齢) 教育レベル調整なし 89.2% 教育レベル調整あり 92.4% 55-64(年齢) 教育レベル調整なし 84.2% 教育レベル調整あり 89.8% 65-69(年齢) 教育レベル調整なし 78.8% 教育レベル調整あり 82.4% 70-74(年齢) 教育レベル調整なし 75.6% 教育レベル調整あり 78.7% 出典: Kaufman, A. S., Reynolds, C. R., & McLean, J. E. (1989). Age and WAIS-R intelligence in a national sample of adults in the 20-to 74-year age range: A cross-sectional analysis with educational level controlled. Intelligence, 13(3), p.245 およびp.247 図表2 言語的IQに対する加齢の影響 言語的IQ 20-24(年齢) 教育レベル調整なし 95.6% 教育レベル調整あり 96.5% 25-34(年齢) 教育レベル調整なし 98.4% 教育レベル調整あり 98.4% 35-44(年齢) 教育レベル調整なし 94.5% 教育レベル調整あり 97.2% 45-54(年齢) 教育レベル調整なし 95.1% 教育レベル調整あり 99.4% 55-64(年齢) 教育レベル調整なし 92.6% 教育レベル調整あり 99.8% 65-69(年齢) 教育レベル調整なし 91.0% 教育レベル調整あり 98.6% 70-74(年齢) 教育レベル調整なし 89.5% 教育レベル調整あり 97.6% 出典:Kaufman, A. S., Reynolds, C. R., & McLean, J. E. (1989). Age and WAIS-R intelligence in a national sample of adults in the 20-to 74-year age range: A cross-sectional analysis with educational level controlled. Intelligence, 13(3), p.245およびp.247 図表3 年齢階級別Off-JT受講者、自己啓発実施者の割合 Off-JT 自己啓発 出典:厚生労働省「令和2 年度能力開発基本調査」