新連載 ジョブ・クラフティング JOB CRAFTING 入門 釧路公立大学 准教授 岸田(きしだ)泰則(やすのり)  働く人が、自ら仕事に対する認知や行動を変えることで、仕事をやりがいのあるものへと変える手法「ジョブ・クラフティング」。役職定年や定年後再雇用により、それまでの業務や役割が変更となり、モチベーションの低下が懸念されるシニア世代のパフォーマンスの向上に向け、ジョブ・クラフティングは効果的といわれています。本企画では、ジョブ・クラフティングの基礎知識について、釧路公立大学の岸田泰則准教授に解説していただきます。 第1回 1 はじめに  みなさんは「この仕事、もう少し自分らしくできないかな」と思ったことはありませんか。ちょっとした工夫で仕事の景色が変わり、昨日まで退屈だった作業をやりがいあるものに変えることができます。こうした「仕事を自分に合わせてつくり直す工夫」のことを、いま「ジョブ・クラフティング」と呼び、注目が集まっています。本稿では、ジョブ・クラフティングの意味や方法、効果などをわかりやすく紹介します。 2 ジョブ・クラフティングの定義  ジョブ・クラフティングとは、「働く人一人ひとりが、仕事や人間関係に主体的に変化を加え、自分にとってよりよい仕事経験に変えるプロセス」(高尾、2024)★1です。この概念は、Wrzesniewski & Dutton(2001)★2が提唱したもので、従業員を受け身で仕事を遂行する存在ではなく、自ら仕事を形づくる能動的な存在としてとらえる点に特徴があります。  ジョブ・クラフティングは、「業務クラフティング」、「関係性クラフティング」、「認知的クラフティング」と大きく三つの形態に分類されます。 ・業務クラフティング……仕事の内容ややり方を工夫することです。例として、エンジニアがプロジェクトのために同僚に技術を教えるといった行動があげられます。 ・関係性クラフティング……仕事における人間関係の質や範囲を工夫することです。美容師が客との会話を通じて信頼関係を築くことなどが該当します。 ・認知的クラフティング……自分の仕事のとらえ方や意味づけを変えることです。例えば、病院の清掃員が「自分は医療行為を支えている」と認識するようなことなどです(Wrzesniewski & Dutton,2001)。 3 ジョブ・クラフティングの具体例  ジョブ・クラフティングは決して理論上の概念だけではなく、実際の職場で広く見られる行動です。例えば、テーマパークの清掃スタッフは、「きつい・きたない」といった2K職場と呼ばれる仕事を、「お客さまを保護する」、「快適な空間をつくる」という誇りある仕事へと意味づけています。こうした認知的クラフティングにより、スタッフは笑顔で業務に取り組み、結果的に顧客満足度の向上にもつながっています。  また、新幹線の清掃を担当する株式会社JR東日本テクノハートTESSEIのスタッフは、清掃を単なる作業としてではなく「お客さまの旅を盛り上げる劇場のキャスト」ととらえています。この事例は、仕事の意味づけを変えることで新たな誇りを得た典型的なジョブ・クラフティングの実例です。 4 ジョブ・クラフティングの効果  ジョブ・クラフティングは、従業員の心理的・身体的健康や組織成果に多大な影響を及ぼすことが、研究を通じて明らかになっています。具体的には以下のような効果が報告されています。  第1に、エンゲイジメントの向上に寄与します。ジョブ・クラフティングにより、仕事に没頭し、活き活きと働く状態を高めることができます。  第2に、パフォーマンスの向上につながります。従業員が主体的に工夫することで、組織全体のパフォーマンスも向上する可能性があります。  第3に、ウェルビーイングを上昇させることができます。ジョブ・クラフティングにより、ストレスが軽減され、活力や幸福感が増すことが報告されています。図表に示すように、多くの研究でジョブ・クラフティング介入プログラムにより参加者のエンゲイジメントや職務満足度が高まることが示されています。 5 ジョブ・クラフティングが注目される背景  ジョブ・クラフティングが近年特に注目を集めているのは、次に説明する社会的・組織的背景があるためです。  第1に、組織と個人の関係性が変化していることがあげられます。従来のように組織がキャリアを一方的に設計する時代は終わり、個人が自律的にキャリアを形成する必要性が高まっています(高尾、2023)★3。そのなかで、自ら仕事を再設計するジョブ・クラフティングは重要な意味を持ちます。ジョブ・クラフティングは、自分のキャリアを主体的に築く有効な手段となるのです。  第2に、「VUCA(ブーカ)※」などと巷(ちまた)ではいわれていますが、変化の激しい時代に対応する必要があります。市場の変化が激しいなかで、トップダウンの指示だけでは十分な対応ができません。現場で働く従業員が柔軟に職務を見直すことが必要とされています。ジョブ・クラフティングは、現場発の柔軟な対応を可能にする手法として注目されています。  第3に、経営・人事課題への解決策としての期待です。日本企業の従業員のエンゲイジメントは、国際比較調査においてもつねに最低レベルに位置しています。エンゲイジメントは「仕事に対するポジティブで充実した心理状態」を意味しています。日本企業の従業員は海外と比べ、仕事にポジティブな心理状態にはなく熱意が不足していることを多くの調査は示唆しています。そのため、多くの企業でエンゲイジメントの向上が経営・人事課題として取り上げられています。近年、その解決策として、ジョブ・クラフティングの実践を試みる企業が増えてきました。  あるいは、健康経営といった課題にもジョブ・クラフティングは有効なアプローチとして期待されています。なぜならば、ジョブ・クラフティングの実践により仕事と自分のミスフィット感を軽減できたり、仕事に意義を見つけることができるようになり、それがメンタルヘルスの維持・向上につながるからです。 6 ジョブ・クラフティングは巷にあふれている  ジョブ・クラフティングの考え方は、じつは私たちの日常の働き方や意識のなかにすでに広く浸透しています。一田(いちだ)(2015)★4がジョブ・クラフティングという言葉を使わずに、ジョブ・クラフティングの核心を突いた説明をしていますので、紹介します。「いまの仕事には、きっともうひとつの方法がある」という発想は、まさにジョブ・クラフティングそのものです。与えられた仕事をそのまま受け取るのではなく、自分なりの工夫を加えることで、同じ仕事がまったく異なる意味や魅力を帯びることがあります。  ここで重要なのは、どのような仕事にも「A面」と「B面」があるという点です。A面とは自分が本当にやりたいこと、B面とはできれば避けたいと思うことです(一田、2015)。多くの人はB面の存在に目を奪われがちですが、ジョブ・クラフティングを通じて、B面の仕事をA面に近づける工夫を行うことが可能です。例えば、単調に思える事務作業でも、顧客にとっての利便性を意識したり、同僚との連携の場として活用したりすることで、新たな意味づけが可能になります。  さらに、「『いい仕事』の定義を自分で決めてよい」(一田、2015)という視点は大きな転換点になります。従来は「上司や会社が評価する基準」が仕事の良し悪しを規定していました。しかし、自分自身が「このやり方は自分らしい」、「この工夫は価値がある」と実感できれば、それがその人にとっての「いい仕事」となります。この主体的な解釈が、働きがいの源泉となり、長期的なモチベーションを支えるのです。  また、「やりたいのにブレーキを踏んでいるのは自分自身」(一田、2015)という言葉は、ジョブ・クラフティングに取り組むうえでの心理的障壁を端的に表しています。自分にしかできない工夫や、自分らしい働き方を形にすることは、往々にして周囲との摩擦や評価への不安をともないます。しかし、勇気を持って一歩踏み出すことで、仕事は「他人事(ひとごと)」から「我が事」へと転換し、働く意味が大きく変わっていきます。 7 シニア社員とジョブ・クラフティング  筆者が特に関心を持つのは、シニア社員におけるジョブ・クラフティングの重要性です。シニア社員は豊富な経験や知識を持ちながらも、加齢にともなう身体的制約や組織内での役割縮小に直面することがあります。こうした状況において、ジョブ・クラフティングはキャリアを持続的に発展させる有効な手段となります。  例えば、シニア社員が自身の専門知識を若手に伝授することは、単なる業務遂行を超えた「教育者」としての役割を見出すことにつながります。また、社外のネットワークを活用して新たな活動を始めることで、セカンド・キャリアを形成することも可能です。こうした取組みは、サステナブル・キャリア(持続可能なキャリア)の実現にもつながっていきます。  ジョブ・クラフティングの実践は、定年後の活躍にも大きく貢献します。仕事に自ら工夫を加え、役割を再定義する経験を積むことは、定年後の転身や再雇用の場面で、新しい職場環境にスムーズに適応する力につながります。  さらに重要なのは、ジョブ・クラフティングが「働く意味づけ」を変える点です。定年後には役職や肩書きが外れることで、自己の存在価値を見失うシニアも少なくありません。しかし、現役時代から「自分なりの仕事の意味」を見出してきた人は、再雇用後や転職先でも「ここでも自分らしい役割をつくり出せる」と前向きに適応できます。  このように、ジョブ・クラフティングは単なる現役時代の工夫にとどまらず、セカンド・キャリアを活き活きと過ごすための基盤となるのです。 8 おわりに  ジョブ・クラフティングは、個人の自発的な工夫だけでなく、組織が支援することでより大きな効果を発揮します。近年では、ジョブ・クラフティングをうながす研修やワークショップが企業などで導入され、一定の成果が報告されています。また、デジタル化の進展によりリモートワークや副業が広がるなかで、働き手が自ら仕事の枠組みを再設計する必要性はいっそう高まっています。  ジョブ・クラフティングは、働く人が主体的に仕事を再構築し、よりよい働き方を実現するための営みです。その実践は、個人の幸福感や健康を高めると同時に、組織のパフォーマンス向上や持続的な成長にもつながります。  そして何よりも、ジョブ・クラフティングは自分の経験や強みを再確認する貴重な機会となります。特にシニア社員にとっては、これまでの知識や人脈を活かしながら「いまの自分だからできる工夫」を見つけることが、これからのキャリアを前向きに築く礎となります。企業にとっても、シニア社員が活き活きと働き続けられる環境を整えることは、人材不足を補うだけでなく、多世代が学び合う豊かな組織文化の醸成につながります。  ここまでお読みくださったみなさんも、ぜひ日々の仕事をふり返り、「小さな工夫」を一つ探してみてください。その一歩が、自分らしい働き方を形づくる第一歩になるはずです。ジョブ・クラフティングは、現場からの自発的な工夫を尊重し、多様な働き方を支える基盤として、今後ますます重要性を増していくでしょう。 【参考文献】 ★1 高尾義明(2024)『50代の幸せな働き方―働きがいを自ら高める「ジョブ・クラフティング」という技法』ダイヤモンド社 ★2 Wrzesniewski, A., & Dutton, J. E. (2001). Crafting a job: Revisioning employees as active crafters of their work. Academy of Management Review, 26(2), 179-201. ★3 高尾義明(2023)「ジョブ・クラフティングとは」『看護管理』, 376, 1052-1055. ★4 一田憲子(2015)『「私らしく」働くこと―自分らしく生きる「仕事のカタチ」のつくり方』マイナビ ※VUCA……「Volatility(変動性)」、「Uncertainty(不確実性)」、「Complexity(複雑性)」、「Ambiguity(曖昧性)」の頭文字をとった言葉。未来の予測がむずかしく、不確実な状態であること 図表 ジョブ・クラフティングの効果 いきいき活力 ジョブ・クラフティング 健康 パフォーマンス ストレス 社員の力も健康もアップ 出典:島津明人・櫻谷あすか(2019).『ジョブ・クラフティング介入プログラム』.p.7.スライド4を筆者が加筆修正 ジョブ・クラフティング JOB CRAFTING 入門 釧路公立大学 准教授 岸田(きしだ)泰則(やすのり)  働く人が、自ら仕事に対する認知や行動を変えることで、仕事をやりがいのあるものへと変える手法「ジョブ・クラフティング」。役職定年や定年後再雇用により、それまでの業務や役割が変更となり、モチベーションの低下が懸念されるシニア世代のパフォーマンスの向上に向け、ジョブ・クラフティングは効果的といわれています。本企画では、ジョブ・クラフティングの基礎知識について、釧路公立大学の岸田泰則准教授に解説していただきます。 第2回 シニア社員のジョブ・クラフティングの実践 @はじめに  「定年を過ぎても、まだ働き続けたい」、「再雇用で戻ってきたけれど、以前のような役割は任されない」、こうした声を耳にする機会が増えています。日本の企業は定年延長や定年後再雇用制度を整備し、シニア社員のキャリア時間軸を延長させています。しかし、役職を離れたり、体力が以前ほど続かなくなったりするなかで、「自分の存在意義をどう見つけるか」という悩みを抱えるシニア社員も少なくありません。  そのとき役立つのがジョブ・クラフティングです。ジョブ・クラフティングとは、自分の仕事のやり方や周りとのかかわり方、仕事に対する考え方を、自分なりに工夫して働きがいを再発見する方法です。ちょっとした工夫や発想の転換で、仕事の意味が大きく変わることがあります。 Aなぜシニア社員にジョブ・クラフティングが必要なのか  シニア社員にとって、ジョブ・クラフティングが必要になる理由は三つあります。  第1に、仕事そのものの変化です。役職定年や再雇用によって、これまでのリーダー的な役割から外れ、与えられる仕事が変化します。  第2に、自分自身の変化です。年齢を重ねることで体力や集中力が落ちてきたり、健康面の配慮が必要になったりします。  第3に、周囲の変化です。家族の介護、同僚世代の入れ替わりなど、自身を取り巻く環境そのものが変わっていきます。  このような変化に直面したとき、「以前と同じように働けない」と思うのではなく、「いまの自分に合った働き方をつくり直す」ことが求められます。これこそが、ジョブ・クラフティングの出番なのです。 B業務の工夫【業務クラフティング】  シニア社員は、長年つちかった経験を活かせる領域で力を発揮できます。例えば、ある製造業のベテラン社員は、体力的に重労働がむずかしくなった代わりに、現役世代が見落としがちな「安全点検のチェックリストづくり」に取り組みました。現場の知恵を活かした工夫は若手にも重宝され、「自分だから気づける仕事がある」としてやりがいを感じるようになりました。  また、体力が落ちてきたと感じたシニア社員が、自分の仕事量を調整し、重点的に得意分野を担当させてもらうよう上司に相談した例もあります。これは縮小的クラフティングと呼ばれ、無理をせず長く働き続ける工夫です。  次に、長年営業として活躍してきたシニア社員が、再雇用後は顧客訪問よりも資料作成や後輩の提案書添削に役割をシフトした事例もあります。シニア社員にとっては外回りの体力的な負担が減り、一方後輩社員はベテランのノウハウを吸収できるという、双方にメリットのある一挙両得のジョブ・クラフティングとなりました。  ITに苦手意識を持つシニア社員が、あえてオンライン研修に参加し、会議用のデジタルツールの操作方法を学びました。その結果、若手に頼らず自分で資料共有ができるようになり、「時代についていける」という自信が回復しました。本人は「もう年だから」とあきらめずに挑戦したことが、周囲にもよい刺激を与えました。  こうした姿勢を象徴するのが、世界最高齢のプログラマーとして注目を集めた若宮(わかみや)正子(まさこ)さんの事例です。若宮正子さんは60代からパソコンを独学で学び、80代でシニア向けスマートフォンアプリ「hinadan」を開発しました。ITを通じた社会参加の新しい形を体現し、高齢になってからでも学び直しや挑戦は可能であることを世に示しました。 C人との関係の工夫【関係性クラフティング】  人間関係の工夫も重要です。例えば、会議で若手の発言を尊重し、自分はサポート役に回るシニア社員の姿勢は、職場によい空気を生みます。一方で、自分の知識や経験を積極的に若手に伝えることも大切です。ある企業では「メンター制度」を通じてシニアが若手を育て、逆に若手からデジタル技術を学ぶ「リバース・メンタリング」も実施されています。こうした関係性の工夫によって、世代を超えた学び合いが生まれ、シニアの存在感も高まります。  別の職場では、シニア社員が毎朝「おはよう」、「昨日はどうだった?」と声をかけるようにしました。小さなきっかけでしたが、若手からは「気にかけてもらえて安心する」という声が出るようになり、チームの一体感が強まりました。シニア社員は大きなプロジェクトを任されなくても、日常の人間関係を調整する役割として存在感を発揮しています。  また、あるシニア社員が他部署の仲間との昼食会を企画し、部署横断的なつながりを広げた事例もあります。若手からは「横のつながりができて相談しやすくなった」と好評で、本人にとっても「人の輪をつなぐことが自分の仕事」と再定義するきっかけとなりました。 D仕事のとらえ方を変える【認知的クラフティング】  シニア期に入ると、仕事の意味づけを見直すことが必要となります。ある病院の清掃員は、自分の仕事を「単なる清掃」ではなく「医療行為を支える大切な役割」ととらえ直しました。その瞬間から仕事に誇りを持ち、笑顔で取り組めるようになったといいます。同じように、再雇用社員が「自分は会社に再び所属している」、「次世代へ知識を継承している」と考えることで、日々の業務に意味を見いだすことができます。逆に、仕事に比重を置きすぎず「仕事は生活の一部」と考えることも、心のゆとりを保つ工夫の一つです。  また、別の会社で清掃業務を担当する再雇用社員は、単なる掃除ではなく「職場を快適に保つことで働く人を支える仕事」と考えるようにしました。視点を変えることで、日常の業務に誇りを感じられるようになり、「単調な作業が自分の役割を表す大切な仕事」へと変わりました。  そして、メーカーに勤務し、ある製品の修理・点検業務をになっているシニア社員は、自らの仕事を「製品の外科医・内科医」と意味づけています。仕事を「単なる修理・点検」から、「製品を延命化する医療的役割」と意味づけを変えることで、誇りを持って仕事をすることにつながっています。ほかにも、別の会社のある工場で再雇用されたシニア社員は、「単純作業のくり返し」に見えていた検品業務を、「製品品質の最終防波堤」ととらえ直しました。「自分が確認を怠れば、お客さまの信頼を失う」と考えるようになり、作業の一つひとつに責任感が生まれました。  こうした認知の変化は、「仕事のなかに新しい価値を見いだす」ジョブ・クラフティングの核心です。自らの役割を再定義し、「いまの自分にしかできない貢献」を見つけることが、シニア期の働きがいを支える原動力となるのです。 ESOC理論とジョブ・クラフティング  シニア社員がジョブ・クラフティングを実践する際には、加齢にともなう変化への適応が欠かせません。その手がかりとなるのが、心理学者バルテスらが提唱したSOC理論(選択・最適化・補償理論)です(図表)。SOC理論は、人が年齢を重ねるなかでかぎられた資源を有効に使い、失われたものを補いながら適応していくプロセスを説明します。具体的には、目標を絞り込む「選択」、持てる資源を活かす「最適化」、そして失われた能力をほかの手段で補う「補償」の三つの方略です。この考え方は、シニア社員のジョブ・クラフティングにも直結します。  例えば、役職定年後にマネージメント業務を手放す代わりに、経験を活かして後進指導に注力することは「選択」と「最適化」の実践といえます。また、体力的にむずかしい作業を若手に任せ、自分は安全点検や知識の伝承をになうことは「補償」にあたります。  さらには、シニアのジョブ・クラフティングは、「拡張的」と「縮小的」の二つの側面が交錯するのが特徴です。筆者の研究調査でも、定年後の再雇用社員が拡張的クラフティング(新たな役割を引き受ける工夫)と縮小的クラフティング(仕事の比重を減らす工夫)を組み合わせながら、無理なく職場に適応していることが明らかになっています★1。  例えば、次世代への知識継承や新しい役割をになうことは拡張的クラフティングであり、仕事量を調整したり生活全体での仕事の比重を下げたりする工夫は縮小的クラフティングです。拡張と縮小をうまく組み合わせることで、シニア社員は喪失感や不安を抱えながらも、無理なく働き続けることができるのです。 Fシニア社員とジョブ・クラフティング  シニア社員がジョブ・クラフティングを実践すると、次のような効果が期待できます。  第1に、シニア社員本人への効果として、ジョブ・クラフティングの実践は働きがいの向上、心身の健康維持、仕事への前向きな姿勢といったものにつながります。  第2に、組織への効果として、知識や技術の伝承、若手の成長支援、チーム全体の活性化が期待できます。  第3に、社会への効果として、シニアのジョブ・クラフティングの流る布ふにより、高齢者雇用の持続可能性を高め、生涯現役社会の実現に資することになります。  このようにジョブ・クラフティングは、多くの場面で働きがいや健康の向上に寄与しますが、薬に副作用があるように、ジョブ・クラフティングにも副作用があります。例えば、自分なりの工夫が「やりすぎ」になると、周囲の業務との調和を乱してしまうことがあります。森永(2023)は「3つの『すぎ』にご用心」として、@やりすぎ、Aこだわりすぎ、B抱え込みすぎ、の3点を指摘しています★2。  実際、製造ラインで従業員が独自に工程を省略した結果、全体の生産効率を下げてしまった例や、サービス業で自分なりの接客を強調しすぎてマニュアルとの齟齬が生じた例も報告されています。また、個人の工夫が強くなりすぎると、「周囲の理解を得られない」、「勝手な行動だと思われる」といった摩擦を生む可能性もあります。  したがって、ジョブ・クラフティングは「自分のため」だけでなく、「職場全体のため」に行う視点が欠かせません。小さな工夫を積み重ねつつ、必要に応じて上司や同僚と共有し、調整することが大切です。副作用に気をつけながら実践することで、ジョブ・クラフティングはより健全で持続的な効果をもたらすのです。 Gおわりに  これからの時代、シニア社員のジョブ・クラフティングはますます重要になります。AIやICTの普及によって新しい学びが求められる一方、地域活動や副業を通じて社会とのつながりを広げる機会も増えていきます。  「年を取ったから役割が減る」のではなく、「年を重ねたからこそできる工夫がある」と考えることが大切です。組織にとっても、シニアの工夫を支援することは、人材不足を補い、職場全体を元気にする力となるでしょう。  本稿で紹介した事例に共通するのは、大きな変革ではなく、小さな工夫や心がけが仕事の意味ややりがいを大きく変えるという点です。シニア社員にとってジョブ・クラフティングは、加齢による制約を受け入れつつ、経験や人間性を活かして新しい役割を生み出す実践知なのです。  シニア社員のジョブ・クラフティングは、シニア世代が「自分らしく働き続ける」ための大切な方法です。小さな工夫や発想の転換が、働きがいや健康を守り、次世代への貢献につながります。そして企業にとっても、シニア社員のジョブ・クラフティングを支援することは、組織の知恵と力を最大限に引き出すための大切な取組みです。「いまの自分だからこそできる工夫は何か?」、この問いかけこそが、シニア社員のキャリアを考える第一歩となるのです。 【参考文献】 ★1 岸田泰則(2022).『シニアと職場をつなぐ―ジョブ・クラフティングの実践』学文社 ★2 森永雄太(2023).「第5章 ジョブ・クラフティングを続けるための周囲の支援:副作用に注目して」高尾義明・森永雄太『ジョブ・クラフティング―仕事の自律的再創造に向けた理論的・実践的アプローチ』白桃書房 図表 SOC理論とジョブ・クラフティング 仕事への適用(ジョブ・クラフティング) 選択 仕事量を減らす 最適化 目標達成に必要なスキルを維持することに時間を使う 補償 他者の助けを借りる 出典:高尾義明(2024).『50代からの幸せな働き方ー働きがいを自ら高める「ジョブ・クラフティング」という技法』ダイヤモンド社.p.146.図表6-4.を加筆修正 ジョブ・クラフティング JOB CRAFTING 入門 釧路公立大学 准教授 岸田(きしだ)泰則(やすのり)  働く人が、自ら仕事に対する認知や行動を変えることで、仕事をやりがいのあるものへと変える手法「ジョブ・クラフティング」。役職定年や定年後再雇用により、それまでの業務や役割が変更となり、モチベーションの低下が懸念されるシニア世代のパフォーマンスの向上に向け、ジョブ・クラフティングは効果的といわれています。最終回となる今回は、ジョブ・クラフティングの支援について解説します。 最終回 シニア社員のジョブ・クラフティングの支援 @はじめに  日本社会は急速に高齢化が進み、企業では定年延長や再雇用制度により、高齢者雇用の取組みが進められています。一方で、「何を目標にすればよいのかわからない」、「以前のように力を発揮できない」と悩むシニアも少なくありません。  こうした状況で役立つのがジョブ・クラフティングです。自分の仕事のやり方を工夫したり、周りとのかかわりを変えたり、仕事の意味をとらえ直したりすることで、働きがいを再発見することができます。  しかし、ジョブ・クラフティングは本人の努力だけでは続けにくいものです。上司や組織からの支援があってこそ、日々の小さな工夫が長続きし、成果につながります。そこで、最終回となる本稿では、シニア社員のジョブ・クラフティングを支援するために重要な「マネジメント」と「研修」の二つの柱を解説します。 Aジョブ・クラフティングのマネジメント  ジョブ・クラフティングは、「やれ」と命じられてできるものではありません。むしろ、上司や組織が「安心して試せる環境」をつくることが大切です。ある地方銀行では、上司が「お客さま対応で工夫できることがあれば試してみてください」と伝えたことで、シニア社員が窓口業務に独自の工夫を加えました。具体的には、高齢の顧客に対してわかりやすい言葉で手続きを説明するカードを自作し、待ち時間に簡単に目を通せるようにしたのです。その結果、顧客からは「安心して相談できる」という声が増え、金融商品への信頼度も高まりました。シニア社員自身も「自分の工夫が顧客満足につながった」と感じ、新しい役割意識を得ることができました。支援の基本は環境づくりにあるのです。  森永(2023)はアソビ≠残したマネジメントの重要性を指摘しています。やりがいを感じるためには、ネジ穴のアソビのような余白をつくっておくことが大事なのです。アソビとは上司に逐一報告せずに進められる少しの自由度のことであり、アソビがあることでシニア社員は自分らしい工夫を試せます。逆に、すべてがマニュアル通りだと工夫が制限され、働きづらくなります★1。  例えば、小売業のシニア社員が「接客中にお客さまにひとこと声をかける」という工夫を自主的に始めました。決められたセリフではなく、天気や地域の話題を織り交ぜることで、常連客との会話が弾みました。これが売上げにもつながり、同僚も「真似したい」と取り入れるようになります。アソビがあるから工夫ができるのです。  前回※1でも解説しましたが、ジョブ・クラフティングにも副作用があります。例えば、「やりすぎ」、「こだわりすぎ」、「抱え込みすぎ」といった状態に陥ると、かえって職場全体に悪影響を及ぼすことがあります。  「やりすぎ」のケースでは、シニア社員が独自に接客方法を工夫しすぎて標準マニュアルを逸脱し、ほかの社員との対応に差が出てしまうなどの例があります。顧客に混乱を与える結果となり、本人の意図に反して職場全体に負担をかけてしまいます。  「こだわりすぎ」のケースでは、あるベテラン社員が自分なりのやり方に強く執着し、新しいシステムの導入を受け入れられず、組織の指示に従わないことがありました。その結果、チーム全体の生産性が下がり、職場に不協和音が生じました。  「抱え込みすぎ」のケースでは、後輩を思いやるあまり、自分一人で業務を引き受けすぎたシニア社員が過労状態になり、結局は体調を崩して長期休職につながってしまったことがありました。善意からの行動でも、過剰になると本人も職場も苦しくなります。  このような副作用を防ぐためには、上司が個人の工夫の意図は評価しつつ、職場全体とのバランスを見て調整する役割を果たすことが欠かせません。ジョブ・クラフティングは自律的な行動ですが、社員のジョブ・クラフティングが組織の許容できる範疇を超えたときには、上司がその業務を適正なレールに戻してあげることが必要です。その結果、本人の意欲を損なわずに組織にとって健全な方向へ導くことができるのです。  マネジメントにできる支援は次のようなものが考えられます。第1に行動を起こす支援です。まず試してみるように社員の背中を押すのです。第2に行動を方向づける支援です。成果や課題を上司が一緒に確認し、改善の方向を示してあげることができます。第3に心理的安全性の確保です。上司は、社員が失敗を恐れず工夫できる雰囲気をつくる必要があります。これには、年齢や立場にかかわらず多様な工夫を認めるインクルーシブ・リーダーシップというスタイルをとるといいでしょう。実務的にいえば、「まずやってみよう」といえる上司がいる職場ほど、シニア社員のジョブ・クラフティングは広がりやすいのです。 Bジョブ・クラフティング研修  シニア社員にとって、ジョブ・クラフティング研修は「新しい挑戦を始める場」であると同時に、「これまでの経験を整理して次に活かす場」でもあります。若手向けの研修がスキル習得や行動変容に重点を置くのに対し、シニア向けの研修では「自分の強みや価値観をどう活かすか」、「役割の縮小をどう受け入れ、意味づけを変えるか」といった視点が重視されます。  一般的な研修の流れは共通しています。まず導入では、ジョブ・クラフティングの考え方や事例を紹介します。「小さな工夫で仕事の意味が変わる」ことを理解することで、受講者は安心して学びに取り組めます。続いて自己診断の時間を取り、日々の業務や人とのかかわり方をふり返りながら、「ここは自分に合っている」、「ここにストレスがある」と棚卸しします。  そのうえで、各自がジョブ・クラフティング計画を作成します。シニア社員の場合、例えば「若手への指導を自分の役割として明確化する」、「体力的に厳しい作業は補助に回り、代わりに作業チェックをになう」、「患者への声かけにひとこと工夫を加える」といった小さな目標が設定されるとよいでしょう。計画はSMART(具体的・測定可能・達成可能・関連性・期限を意識する)※2の原則で具体化し、翌日からすぐに実行できるようにします。  ジョブ・クラフティング研修では、「まずは自分の手持ち業務から工夫していこう」というように、「背伸びしすぎない目標設定」が重要です。また、シニア社員にとっては、研修を通じて同じ立場の仲間と体験を共有できることが大きな励みとなります。「ほかの人も工夫している」と知るだけで、モチベーションが維持されやすくなります。そして、シニアのジョブ・クラフティング研修に必要なことは、「これまでつちかった経験を棚卸しして活かすこと」と「新しい自分なりの工夫を見つけること」の両方を後押しする仕組みです。研修の場はあくまできっかけにすぎませんが、その後の実践と上司や職場の支援があれば、シニア社員は自分の役割を再定義し、活き活きと働き続けることができます。 Cジョブ・クラフティング研修の事例紹介  筆者自身も、ある企業と共同でジョブ・クラフティング研修を企画、実施してきました。その研修の特徴は「上司を巻き込む仕組み」と「継続的なフォローアップ」を取り入れた点です。従来の研修は1日かぎりの集合型で終わることが多く、効果が数週間で薄れてしまう課題がありました。そこで、私たちは1回目の集合研修で各人にジョブ・クラフティング計画カード(図表)を作成してもらい、それを上司に説明する面談を必須としました。上司が計画の意図を理解し、承認やフィードバックを与えることで、現場での実践が進めやすくなります。研修効果を持続させるためには、上司を巻き込んだ研修デザインが必要となると考えたのです。その結果、シニア社員のジョブ・クラフティングの実践が職場に根づきやすくなります。あるシニア社員は「上司に『やってみればいいじゃないか』といわれただけで、自分の工夫に意味があると確信できた」と話しています★2。  さらに、1カ月後には半日のオンライン研修を実施し、そこでの実践をふり返りました。同時にオンラインサロンを立ち上げ、研修受講者と講師、キャリアコンサルタントが交流できる場を設けました。仲間同士の支え合いが「ほかの人もがんばっている」と実感できる後押しとなり、行動が継続されました。  研修受講者のジョブ・クラフティングの実践内容を見ると、シニア社員特有の「世代継承型ジョブ・クラフティング」が目立ちました。例えば、あるシニア社員は自らの担当業務を自主点検マニュアルにまとめ、暗黙知を形式知化しました。別のシニア社員は、顧客対応の場面で「雑談を増やす」という小さな工夫を取り入れ、周囲の反応を見ながらコミュニケーションのあり方を変えていきました。また、当初「職務の幅を広げたい」と大きな目標を掲げていたシニア社員も、研修を通じて「まずはいまの業務を楽しんで取り組むことから始めよう」と目標を調整しました。これは拡張的ジョブ・クラフティングと縮小的ジョブ・クラフティングをうまく組み合わせた実践であり、シニア社員が無理なく新しい役割を見つけていくプロセスそのものです。  このように、上司を巻き込み、仲間とつながる仕かけをつくることで、ジョブ・クラフティング研修は単なる学びの場にとどまらず、職場で持続する行動変容へとつながることが確認できます。 Dおわりに  ジョブ・クラフティングは大きな改革ではなく、日常の小さな工夫です。シニア社員がそれを続けるためには、上司の理解や同僚の協力が欠かせません。  例えば、ある再雇用社員が「自分の強みを活かして若手に資料作成を指導したい」と提案したとき、上司が「ぜひやってほしい」と承認しました。結果として若手はスキルを学び、シニアはやりがいを得るという好循環が生まれました。逆に、同じような提案に対して「そんなの必要ない」と突き放した上司もいました。その職場ではシニア社員が萎縮し、結局新しい工夫は生まれませんでした。上司の姿勢ひとつで結果が大きく変わるのです。  また、ある病院のシニア清掃員は、自分の仕事を「患者さんの療養を支える大事な役割」と考えるようになり、誇りを持って働いています。こうした事例は、ジョブ・クラフティングが日常の仕事に誇りと意味を与えることを示しています。  シニア社員が自分らしく働き続けるためには、ジョブ・クラフティングを「自分だけの工夫」に終わらせず、組織として支援することが欠かせません。マネジメントは伴走者として方向を示し、研修は小さな工夫を始めるきっかけと継続支援を提供します。「年を重ねたからこそできる工夫は何か?」、この問いかけに答えることが、シニア社員のキャリアを支え、組織の未来を強くしていくのです。 【参考文献】 ★1 森永雄太(2023)『ジョブ・クラフティングのマネジメント』千倉書房 ★2 岸田泰則・大野瑠衣(2025)「ジョブ・クラフティング研修の実践的課題の検討」日本労務学会第55回全国大会 ※1 https://www.jeed.go.jp/elderly/data/elder/book/elder_202511/index.html#page=50 ※2 具体的=Specific、測定可能=Measurable、達成可能=Achievable、関連性=Relevant、期限=Time-bound 図表 ジョブ・クラフティング計画カード ジョブ・クラフティング計画カード ・何をしますか? ・いつ? ・どこで? (上司からのコメント) 出典:岸田泰則・大野瑠衣(2025)「ジョブ・クラフティング研修の実践的課題の検討」日本労務学会第55回全国大会