新連載 地域・社会を支える高齢者の底力 The Strength of the Elderly 第1回 銚子市地域おこし協力隊・榊(さかき)建志(けんじ)さん(63歳)  少子高齢化や都心部への人口集中などにより、労働力人口の減少が社会課題となるなか、長い職業人生のなかでつちかってきた知識や技術、経験を活かし、多くの高齢者が地域・社会の支え手として活躍しています。そこで本連載では、事業を通じて地域や社会への貢献に取り組む企業や団体、そこで働く高齢者の方々をご紹介していきます。 建設会社を60歳で定年退職 生まれ故郷で「地域おこし協力隊」に  榊建志さんは、2022(令和4)年4月に千葉県銚子市から地域おこし協力隊※の委嘱を受け、現在は「銚子協同事業オフショアウインドサービス株式会社(通称C-COWS=シーコース)」の取締役として活動している。C-COWSは、銚子沖で洋上風力発電事業がスタートするのにあわせ、銚子市、銚子市漁業協同組合、銚子商工会議所が共同で設立した会社。地元企業として、洋上風力発電事業に参画し、地域の活性化につなげるのがねらいだ。  風の力で風車を回転させ、そのエネルギーを発電機に伝えることで電力を生み出す風力発電は、再生可能エネルギーの切り札として期待されている。四方を海で囲まれる日本では、海上での拡大に注力しており、2019(平成31)年4月、洋上風力発電事業を推進するための法律が施行された。2020年7月に、同法に基づく促進地域に銚子沖が指定され、公募で発電事業者に選定された三菱商事洋上風力株式会社(東京都)を代表企業とするコンソーシアムが、2028年の運転開始を目ざし、事業を進めている。  「洋上風力発電施設をどう受け入れるか―」。完成すれば一般海域では国内初となる洋上風力発電をめぐり、銚子市では、市、漁協、商工会議所の幹部らによる積極的な意見交換が行われたという。当時の幹部から榊さんが聞いたところによれば、「せっかくの事業も『建てたら終わり』では、地元には何も残らない。建設は一過性のものだが、メンテナンスであれば長く続く」との見解で一致し、発電施設のメンテナンスや運転管理業務を地元で請け負うことを目ざし、2020年9月にC-COWS を起ち上げた。榊さんは2022年より同社の取組みに参画。発電事業者との交渉、メンテナンスのノウハウや人材育成のための情報収集などをになっている。 きっかけは旧知からの誘い 漁協と商工会議所の橋渡し役に  榊さんの前職は会社員で、1984(昭和59)年、建設大手の株式会社竹中工務店(大阪府)に入社。東京、兵庫、神奈川、千葉、栃木の拠点を渡り歩き、大阪本社の部長などを歴任した。キャリアのなかでは、建設費の管理などにかかわる工務分野の担当が長かったという。2021年に60歳で同社を定年退職し、それまで約4年間住んでいた大阪府から、生まれ故郷である銚子市に戻った。定年後も雇用を延長するという選択肢もあったが、「延長せずに辞めることは、ずっと前から決めていた」と話す。  高校卒業まで銚子で生活し、竹中工務店東関東支店勤務時代には同市内のプロジェクトにたずさわった経験もある榊さんは、市内に友人や知人が多い。当初は「地元で魚釣りでもして過ごそうと思っていた」そうだが、退職を決めたタイミングで、旧知の一人である銚子商工会議所の会頭から「仕事を手伝ってくれないか」と声をかけられた。会頭とは、支店勤務時のプロジェクト以来の知り合いだ。「C-COWSを軌道にのせてほしい。地域おこし協力隊に応募してくれないか」と頼まれ、特に気負いもなく応募したそうだ。  C-COWSは「オール銚子」のメンバーで構成され、代表取締役には漁協の組合長、取締役には榊さん、商工会議所会頭、漁協副組合長理事、監査役には市長がそれぞれ名を連ねる。市の洋上風力推進室主査の林(はやし)慶彦(よしひこ)さんに聞くと、地域の漁協と商工会議所が共同で事業を実施するのは「全国的にも珍しいケース」だという。しかも日本有数の漁獲量を誇る銚子の漁協の取組みとあって注目度も高く、全国から多くの関係者が視察に訪れている。「漁協の組合長と商工会議所の会頭が一緒に写真に写っているのって、すごいですね」と、視察者からいわれることもあるそうだ。  その漁協と商工会議所、そして市も含めた連携では、榊さんも重要な役割を果たしている。榊さんは、商工会議所会頭に加え、漁協の副組合長とも地元の友人を通じたつながりがある。さらに、市長とは同い年で、高校の同級生。これまでつちかった人間関係を背景に、それぞれの組織の橋渡し役としても、事業を支えている。 洋上風力発電所から地域活性化 経験、人脈を活かした活躍に期待  榊さんは現在、銚子市地域おこし協力隊の委嘱を受けた個人事業主として、C-COWSの取締役をにない、活動している。基本的には常勤で、商工会議所内に設けられた専用デスクで執務を行う。業務量は多く、「前の会社にいたときより、忙しいぐらいです」と笑う。  実際、洋上風力発電事業において、メンテナンス業務への参入を実現するのは、簡単なことではない。「発電事業者からすれば、メンテナンスも発電機メーカーにすべて任せたほうが効率的だし、わざわざ地元の企業を使う必要はない」と榊さん。洋上風力推進室の林さんも「何もしなければメンテナンス業務も、メーカーが確保した外部からの人たちで実施することになってしまう」と話す。  一方で銚子市にとって、雇用の確保は喫緊の課題だ。特に若い世代の流出が激しく、林さんによれば、高校卒業と同時に進学などで都内に行って、そのまま帰ってこない人も多いという。その原因はやはり、市内に「魅力のある働き場所」が少ないことで、「C-COWSが徐々にメンテナンスの請負割合を増やして、地元の人が一人でも多くそこに就職して、市外に出なくてもそれなりの収入を得られるようになってほしい」との願いは強い。  地元の期待を背に、榊さんは風力発電のメンテナンスについて、一から勉強。すでに稼働している北海道や秋田県の洋上風力発電所の関係者から情報収集なども精力的に行っている。同時に、銚子の洋上風力発電プロジェクトの発電事業者との話合いも進め、現在は、実際に発電機メーカーと交渉できる段階までたどり着きつつある状況だ。  「これまでに外部との交渉もありましたが、榊さんが経験を活かして、ぐんぐん引っ張ってもらってきた」と林さん。「C-COWS=榊さんといっても過言ではありません。C-COWSは榊さんなくしてあり得ないと思っています」と、信頼の厚さをにじませる。  今後は、2028年の洋上風力発電の稼働に向け、人材の確保、育成を行っていく計画だが、さらなるミッションもあるという。「せっかく国内初の施設ができるのだから、継続的に人や情報が銚子に出入りするような仕掛けをつくれないかと、市と漁協と会議所から宿題を出されています」とのこと。榊さんは、洋上風力発電を軸とした、さらなる地域活性化の取組みも模索中だ。今後のさらなる活躍が期待される。 ※地域おこし協力隊……都市部から地方部に住民票と生活拠点を移し、伝統産業の継承、地場産品の開発協力などの地域おこしを行いながら、地域への定着、定住を図る総務省の制度 写真のキャプション 銚子市地域おこし協力隊の榊建志さん(左)と銚子市洋上風力推進室主査の林慶彦さん(右) 地域・社会を支える 高齢者の底力 The Strength of the Elderly 第2回 株式会社小川(おがわ)の庄(しょう)(長野県)  少子高齢化や都心部への人口集中などにより、労働力人口の減少が社会課題となるなか、長い職業人生のなかでつちかってきた知識や技術、経験を活かし、多くの高齢者が地域・社会の支え手として活躍しています。そこで本連載では、事業を通じて地域や社会への貢献に取り組む企業や団体、そこで働く高齢者の方々をご紹介していきます。  地域の食文化の支え手は生涯現役で働く高齢社員  長野県の北部、長野市と白馬村(はくばむら)のほぼ中間に位置する小川村(おがわむら)。ここで約40年間にわたり、信州の食文化の象徴ともされる「おやき」の製造販売を行っているのが、株式会社小川の庄だ。社員数は78人で、平均年齢は55歳。そのうち60〜80代の社員は約30人にのぼる。同社には定年がなく、いずれも正社員として働き、郷土食を通じた地域活性化にも貢献している。  小川村はもともと養蚕が盛んな地域だったが、安価な海外製品や化学繊維の普及によって養蚕業が衰退。村の行く末に危機感をもった地元住民、地元農協、食品加工会社が共同出資して、1986(昭和61)年に株式会社小川の庄を設立した。「村のお母さんやおばあちゃんたちが、生涯現役で生きがいをもって働ける職場づくり」、「村の宝である地元の特産物を活かした商品づくり」という創業のコンセプトは、現在の会社経営の基礎にもなっている。 80歳、10年間でおやき「50万個」 観光客でにぎわう郷土料理店  小川の庄の直営店の一つ「おやき村」。農家を改造した「こたつ部屋」と、縄文時代をイメージした竪穴式住居風の「囲炉裏の館」から成る店舗で、おやき製造所、そば打ち処も併設されている。店内では、掘りごたつで郷土料理を食べたり、囲炉裏端で「おやき作り体験」をしたりすることもでき、観光客にも人気だ。  2024(令和6)年は11月3日から、店内で新そばの提供が開始され、当日は連休中ということもあって大勢の人が訪れた。囲炉裏端にも、おやきを買い求める客が後を絶たず、「野沢菜」に「あんこ」、季節限定の「うの花」から好きな具材を選び、囲炉裏の火で焼かれたおやきを味わう観光客らでにぎわった。  その囲炉裏のそばに座り、慣れた手つきで丸いおやきをつくるのは、入社して10年の大日方(おびなた)文子(ふみこ)さん(80歳)。「平日はだいたい100〜200個、土日・祝日は300〜500個のおやきをつくります。単純計算はできないけれど、10年間でおそらく50万個ぐらいはつくっています」と話す。勤務時間は朝8時から夕方5時までで、体力的にはまったく問題ないそうだ。  大日方さんらがつくったおやきを、大きな囲炉裏の上で焼き上げるのは、2023年に入社した小林(こばやし)昭仁(あきひと)さん(62歳)。料理人として働いていた小林さんは、60歳で前職を辞めたのをきっかけに、小川の庄に入社した。「60歳になってから、再就職で壁にぶつかったのですが、よいご縁があり、ここで働いています。定年退職がないので、できるかぎり、ずっと働きたいと思っています」と話す。  同社の権田(ごんだ)公隆(こうりゅう)社長は、「会社にとっての財産はやはり社員。だれもが生涯現役を貫き、一人ひとりが輝ける職場をつくっていきたいと思っています」と強調する。現在50代の権田社長自身、「50年後も働いていたい」とのこと。「60歳からの40年間をいかに輝かせるか」が、権田社長の目標なのだ。 おやきとともに約40年 夫婦で郷土の味を広める  おやきを、全国に広めた立役者の1人が、おやき村の「村長」を務める大西(おおにし)隆(たかし)さん(81歳)。1986年の創業当初からの社員だ。大西さんの妻・明美(あけみ)さん(78歳)はおやき村の厨房長を務めており、夫婦でおやきを通じた地域活性化の一翼をになっている。  もともと小川村の西山地域の料理だったおやきに目をつけ、商品化を目ざしたのは、同社の先代社長。「おやきは家でつくって食べるもので、それを商品にするなんて、当時は思ってもみないことでした」と、明美さんは創業当初をふり返る。  大西さんは営業担当として、おやきのPR役をになった。「とにかく、おやきを知ってもらおうと、地元のおばあちゃんを連れて、全国のデパートに実演に行きました」と、大西さん。おやきを焼くための機材を車に積み、自ら運転して、北は北海道から南は九州まで走り回ったそうだ。そんな大西さんらの活動が実を結び、おやきは県の特産物として徐々に浸透。現在は、販売網が全国に広がり、通信販売などでも売上げを伸ばしている。  大西さんは60歳を過ぎて営業から退き、2024年4月に、99歳で亡くなった先代から村長を引き継いだ。「まだまだ若いのに、いきなり村長を仰せつかりましたよ」と話す大西さんだが、「村長」と呼ばれるのには、少しプレッシャーもあるそうだ。一方で、自分が地域のために役立っているという手応えも感じているという。今後も「自分が動ける間は、なんとかがんばっていきたいです」と心構えを話す。  妻の明美さんは現在、厨房長として、おやき村の「味」をになっている。店内で提供される食事には、明美さんが考案したメニューもあり、なかには商品化されたものもある。「自分が好きでつくったものを、先代の社長が『評判がよい』と、商品にしてくれました。そうやって評価してもらえるのは、すごくうれしいことですね」と明美さん。「好きな仕事だし、やれるまでやる。楽しいですから」と笑顔で語っていた。 「高齢になればなるほど輝く」 「お互いさま」の気持ちが大切  権田社長は、「飲食業は、年を重ねれば重ねるほど味が出ます。高齢になればなるほど輝くのです」と話す。特に、古くからある郷土料理を商品化してきた同社の場合、高齢者の知恵や経験、知識は重要な資源でもある。  70歳、80歳を超えた社員の力を活かすためには、「それぞれ通院や介護、あるいは孫の世話などの事情はありますが、『お互いさまだからがんばろう』という気持ちが必要」と、権田社長は強調する。「だれかが休んでも職場がまわるよう、80歳の人でも『私はこれしかできない』ではなくて、何でもできるように学んでいってもらいたい」との考えだ。  「年を重ねても、自分たちで考えて仕事をしていくことで、もっともっと輝いていく―」。権田社長は、生涯現役社会への期待を語った。 写真のキャプション 夫婦で働く、おやき村村長の大西隆さんと、厨房長の明美さん 株式会社小川の庄の権田公隆社長 地域・社会を支える The Strength of the Elderly 高齢者の底力 第3回 本橋(もとはし)テープ株式会社(静岡県)  少子高齢化や都心部への人口集中などにより、労働力人口の減少が社会課題となるなか、長い職業人生のなかでつちかってきた知識や技術、経験を活かし、多くの高齢者が地域・社会の支え手として活躍しています。そこで本連載では、事業を通じて地域や社会への貢献に取り組む企業や団体、そこで働く高齢者の方々をご紹介していきます。 「細幅(ほそはば)織物(おりもの)」のオールマイティ 地場産業を牽引する会社で35年  静岡県の中部に位置する吉田町(よしだちょう)。東は一級河川の大井川、南は駿河湾に面した、人口約2万9000人、面積約20km2の小さな町だ。櫻井(さくらい)豊(ゆたか)さん(71歳)は現在、吉田町の地場産業である「細幅織物」の専門メーカー、本橋テープ株式会社の営業グループで、出荷関連の業務全般を担当している。細幅織物一筋で、同社が設立(1986〈昭和61〉年)されて間もない、1989(平成元)年の入社から35年。「製品の売りも買いもすべてわかるオールマイティな存在」として活躍中だ。  細幅織物とは、主として綿糸、絹糸、麻糸、レーヨン、合成繊維糸などで製造される幅13cm未満の織物(テープ)のこと。本橋テープは、ナイロンやポリプロピレンの合成繊維糸による、幅0.5〜10cmの製織を得意としており、アパレル分野では、カバンのショルダーベルトなど革や天然繊維に代わる素材として、産業分野でも金属などに代わる素材として、多種多様な用途で活用されている。  櫻井さんはもともと、細幅織物業を個人で経営。関連の組合などを通じて、本橋テープの先代社長と知り合い、同社の仕事を引き受けるようになったそうだ。その後、櫻井さんを含む、地域の細幅織物業者計4人の加盟により、本橋テープが「静岡繊維工業株式会社」を設立したのがきっかけで、同社に入社することになった。  「細幅織物業者を集めて会社をつくるといった例はなく、本橋テープが初めてでした。当時は3交替制で、機械を自動で動かしての24時間操業。忙しかったですね。商品がたくさんあるので、お客さんがどんどん集まってきて注文も増え、会社はずいぶん大きくなりました」と、櫻井さんはふり返る。  本橋テープが地元業者の集約で発展を遂げた一方で、地域の細幅織物業全体は、生産拠点の海外シフトなどにともない衰退傾向。最盛期には、吉田町とその周辺地域で計150社以上あったメーカーも、いまでは15社となり、10分の1まで減少した。  そんななか、本橋テープでは、自社テープを使ったオリジナルバッグの商品開発や独自のアウトドアブランドの展開など、従来の製品に付加価値をつける新分野にも挑戦。好調を保っており、地場産業の牽引役として地域の期待を集めている。 定年後も年齢上限なく雇用 熟練社員の活躍が社業を支える  その本橋テープを支えているのが、櫻井さんをはじめとするベテラン社員だ。同社は2013年度の経営計画書で、社員を「人財」と位置づけ、ダイバーシティ経営を進める方針を打ち出し、女性や高齢者の積極雇用・登用を続けている。  2024(令和6)年9月現在の社員数は49人で、うち60代が3人、70代が5人。最高年齢者は76歳となっている。  現在の定年は60歳だが、2025年5月には65歳に引き上げる予定だ。総務アドバイザーの山本(やまもと)正己(まさき)さんによれば、「定年後の継続雇用は、形のうえでは1年ごとの有期契約ですが、実際には上限を設けているわけではありません」と話す。定年後も、働くことができれば、何歳まででも受け入れる方針で、ハローワークへの同社報告書には「99歳まで」と記載されているそうだ。  櫻井さんは入社後約5年間、製造を担当し、その後は15年にわたり営業職をになった。「おもに問屋さん回りです。東京と大阪に分かれて、最初は大阪を担当していました」という。製造にも製品にも精通していた櫻井さんは、「自分で、その場で結論を出すことができたので、遠方の社長さんに呼ばれるようなこともありました」とのこと。顧客から厚い信頼を寄せられる存在だった。  製造、営業のほか、自社テープを使用した新規事業では商品加工にもたずさわった。60歳の定年を迎えてからは、現在の出荷関連の業務を担当。具体的な仕事の内容は、出荷品のピッキング、点検、荷造で、出荷品管理の統括をしている。さらに、加工グループのサポートや、各現場の連絡・調整役も兼任。本橋テープの広い社屋で、色とりどりのテープが積まれた棚の間をきびきびと移動し、作業を続ける櫻井さんには、熟練社員の風格があった。 楽に楽しく働くのが一番 「なんでも自分でできる」仕事の醍醐味  総務アドバイザーの山本さん、総務グループの本間(ほんま)和幸(かずゆき)さんは、櫻井さんを評し「スーパーマンなんです」と口を揃える。櫻井さんの1日を聞くと、朝は3時に起床し、午前5時半ごろまで日課の外出で、午前6時に朝食を取り、午前6時半からは筋トレとウォーキングを行う。読書家で、登山にバイク、社交ダンス、釣りなど、趣味も幅広い。「食べることも好き」といい、最近は、釣った魚のさばき方を練習しているそうだ。  勤務時間は8時から17時。櫻井さんがつねに意識しているのは「会社が儲かるにはどうしたらよいか」で、作業上では「ムダ(無駄)・ムラ(斑)・ムリ(無理)を避ける」ことをモットーとしている。「仕事が楽しくてしょうがないんですよ」という櫻井さん。「どうやって早く作業をするか、間違わないためにはどうするか。自分の行動を決めて、なんでも自分でできるのが楽しい。働くのが好きなんです」と話した。  櫻井さんについて、「とても貴重な存在です。それだけのキャリアがあり、みんなのお手本になっています」と、山本さんは強調するが、本人としては、技能継承や後身の指導からは一歩引いたスタンスのようだ。「工場に責任者はいるし、営業も技術者もいます。そういう人たちに任せて、出しゃばったことはいわないようにしています。それが長く平和に過ごせる秘訣です」とのこと。  本間さんは、「誠実、堅実で、心がいつも安定しているのがすごいと感じています」と話す。「きっと怒りたくなることもいっぱいあると思うのですが(笑)」と、櫻井さんへの信頼感を口にしていた。  今後について櫻井さんは、「普通の人と同じように働けるうちはいいですが、それよりも衰えれば辞めます」と考えているという。しかし一方で、「慣れている仕事ならまだまだ大丈夫かな」と、生涯現役への自信ものぞかせる。「楽に楽しく働けるのが一番で、それが会社のためになっていれば最高ですね」と、笑顔で語った。 写真のキャプション 左から総務アドバイザーの山本正己さん、櫻井豊さん、総務グループの本間和幸さん 地域・社会を支える高齢者の底力 The Strength of the Elderly 第4回 首都高トールサービス東東京株式会社(東京都)  少子高齢化や都心部への人口集中などにより、労働力人口の減少が社会課題となるなか、長い職業人生のなかでつちかってきた知識や技術、経験を活かし、多くの高齢者が地域・社会の支え手として活躍しています。そこで本連載では、事業を通じて地域や社会への貢献に取り組む企業や団体、そこで働く高齢者の方々をご紹介していきます。 高速料金を管理する公共性の高い業務 シニアの落ち着いた物腰が信頼につながる  総延長327.2km、1日あたりの通行台数は100万台を超える首都高速道路。首都高トールサービス東東京株式会社は、そのうち東東京地区内の56料金所を管轄し、料金収受とETCの監視業務をになっている。同社で料金所係員として働くスタッフは2025(令和7)年3月時点で563人。平均年齢は64歳で、60歳以上のスタッフは455人にのぼる。  同社が経営方針として掲げるのは「お客さまサービスの向上」、「安全管理の徹底」、「的確な料金収受」の三つ。通行料金にかかわる公共性の高い業務のため、「お客さまに理解していただき、信頼されるよう取り組むことが重要で、シニアの係員は落ち着いた和やかな人柄の方が多く、落ち着きのある対応が、お客さまの信頼につながっています」(総務部総務課)という。  実際に働いている係員は、中途採用者が100%。前職は公務員、サービス業、介護・福祉関係などさまざまだ。具体的な応募動機では、「社会貢献ができる」、「正社員登用制度がある」などのほか、「研修制度が整っている」、「福利厚生が充実している」、「プライベートな時間を確保できる」と、働きやすさをあげているケースが多い。  係員の仕事は、料金所ブース内での通行料金の収受とETCの監視が柱。ほぼ全員が未経験で入社するため、研修できめ細かく対応している。まずは7日間の事前研修で、現金などによる支払い対応、ETC機器などの操作の手順、トラブルへの対応、車種の判別方法などを実践的に学習。その後、各営業所に配属され、指導役の先輩係員とともに実地で勤務につき、不明な点を確認しながら業務を習得していく。  同社では研修以外でも、新入社員と役員の昼食会を開催するなど、会社に対するエンゲージメント(帰属意識、信頼度)を高めるための取組みを積極的に展開。また、社員同士で、趣味の同好会を立ち上げたり、食事会を開いたりして交流を深めており、それが業務上の助け合いにもつながっているそうだ。 接客業の経験も活かして月10日間の勤務 仕事もプライベートも充実  埼玉県東南端の八潮(やしお)市にある同社の八潮営業所は、首都高6号三郷(みさと)線全線および中央環状線の一部の六つの料金所を所管する。料金所のブースで働く料金収受係員は約70人。高山(たかやま)加洋子(かよこ)さんはその一人として、3日に1回の日夜勤務に就いている。  朝8時に出社すると、制服に着替え、朝礼で注意事項などの連絡を受けた後、料金所ブースに移動して、翌朝まで2人1組体制での収受業務にあたる。仮眠時間を含む休憩時間は計約8時間で、2人が交替で取る。翌朝は8時半ごろにブースから営業所に戻り、売上金を手渡して業務報告を行い、午前9時に退社となる。次の日は休み。またその次の日の朝8時から勤務するという「勤務」、「明け」、「休み」のサイクルで、1カ月あたりの勤務は10回ほどとなる。  高山さんは結婚をしてから、長く専業主婦だったが、子どもが高校生になったのをきっかけに、40代のころから仕事をするようになった。まずは、企業からスポットで配送を請け負う仕事に就き、「そのころはずっと運転をしており、首都高でもよく運転していました」と話す。配送の仕事を5年間ほど続け、子どもの受験をきっかけに退職。その後、大手クリーニング店のカウンタースタッフとして、約10年間接客業務にたずさわった。そして、娘の結婚が決まり同居することになったのをきっかけに、「毎日出勤するのは少しきついかなと考え、出勤日数が少ない仕事を探した」そうだ。そして、新聞の求人欄で見つけたのが、首都高トールサービス東東京株式会社の求人だった。3日に1回、月10回の働き方に魅力を感じたことに加え、「仕事でも利用していた首都高での仕事にとても興味がありました」という気持ちで応募し、2017(平成29)年7月から働き始めた。  「特殊な勤務シフトの仕事なので、最初は少したいへんでしたがすぐに慣れました。1日仕事をしたら、その後は47時間休みになるので、プライベートの予定が組みやすく、ありがたいなと思っています」と高山さん。現在、3歳のお孫さんがおり、サービス業で働く娘夫婦と休みの日をずらし、保育園の送り迎えのサポートも行っている。さらに休みの日には、会社の仲間とウォーキングや食事、カラオケなども楽しみ、充実した毎日のようだ。 「首都高の顔」として大切な存在 やりがいある仕事に「年齢への意識はない」  長く接客業も経験してきた高山さんの仕事への評価は高く、いまではベテランとして頼られる存在となっている。「現金収受はとにかく、間違いがないことが基本です。ブースでの接客は一瞬ですが、その一瞬で間違いなく対応することに気を遣っています」と高山さんは話す。釣り銭などを瞬時に間違いなくドライバーに渡すコツは、「料金収受機からお釣りが出てくる間にほんの数秒の時間があり、そこで確認すること」だそうだ。そのほか、指差し、声出しで確認することも重要だという。  「会社が求めていることを、懇切丁寧にやってもらっていて、本当にありがたい存在です」と、同営業所の田端(たばた)守男(もりお)所長は話す。実際にトラブルが発生したときなども、高山さんのやさしい対応に安心感を覚えるドライバーも多いようで、「お客さまから『ありがとう』といってもらえるのが、やりがいになっていますね」と高山さんは話す。  八潮営業所が管轄する首都高6号三郷線から中央環状線の一部は、特に交通量が多く、料金収受係員は365日24時間、ブース内で多くのお客さまからの視線を受けての業務となる。「首都圏の人、物流の大動脈である首都高速道路をご通行されるすべてのお客さまが安全、安心してご通行いただくため、料金収受係員は、首都高の『顔』として笑顔でお客さまを出迎え、ていねいで親切、かつ的確な業務を行っています」と、同社の東條(とうじょう)正樹(まさき)部長は強調した。  田端所長も、高山さんも、「高齢という意識はない。年齢は気にしない」と口をそろえる。「健康やけがに気をつけて、元気なうちに何かお役に立てるのなら、70歳を過ぎても働いていきたいですね」と、高山さんは笑顔で語った。 写真のキャプション 八潮営業所所長の田端守男さん(左)と料金収受係員の高山加洋子さん(右) 地域・社会を支える高齢者の底力 The Strength of the Elderly 最終回 労働者協同組合上田(長野県)  労働力人口の減少が社会課題となるなか、長い職業人生のなかでつちかってきた知識や技術、経験を活かし、多くの高齢者が地域・社会の支え手として活躍しています。本連載では、事業を通じて地域や社会への貢献に取り組む企業や団体、そこで働く高齢者の方々をご紹介してきました。最終回となる今回は、長野県の労働者協同組合上田を取材しました。 「協同労働」という新しい働き方で地域の課題解決に取り組む  長野県の東部に位置し、約15万人の人口を擁する上田(うえだ)市。労働者協同組合上田(通称、「労協うえだ」)は、JR東日本の北陸新幹線などが乗り入れる上田駅から車で15分ほどの民家を拠点に、活動をしている。現在の組合員数は18人で、内訳は70代が8人、60代が7人、40代が3人。「こんな時代だからこそ 新しい働き方」を合言葉に、組合員それぞれの経験や趣味、資格を活かし、高齢者からの相談事などを仕事にし、地域の課題解決に取り組んでいる。  労働者協同組合は、2022(令和4)年10月に施行された労働者協同組合法に基づいて設立された法人で、「組合員が出資し、それぞれの意見を反映して事業を行い、自ら働くことを基本原理とする組織」とされる。組合員が3人以上集まれば、都道府県への届け出で設立することができ、労働者派遣事業を除くあらゆる事業を行うことが可能。働き手が出資して、自ら経営にたずさわる「協同労働」という新たな働き方を実現する制度で、介護、障害福祉、子育て支援、地域づくりなど、幅広い分野でのにない手の確保、シニア世代の仕事創出などの面からも期待されている。  労協うえだの代表理事を務める北澤(きたざわ)隆雄(たかお)さんは現在77歳。20歳のときに農協に就職し、労働組合の専従役員などを務めた後、40歳で広告宣伝などを扱う情報伝達サービスの会社に転職した。その会社が広告収入の悪化で倒産したのを受け、50歳のときに関連の会社を立ち上げ、その会社を63歳で定年退職。その後はアルバイトで、福祉施設の送迎にたずさわった。「さまざまな出会いもあり楽しかった」のだが、そこも70歳で定年となった。  2回目の定年後も、「まだ体も動きそうだから、どこかで働こうと思ったが、なかなか自分の思うような仕事に出会えなかった」という。週の何日か時間を区切られて、いわれたことをするだけの仕事しか見つからず、「ちょっとそれだと働きがいがないな」と感じていたそうだ。「やりがい」を求めて職探しをしていた2020年12月、北澤さんは、国会において労働者協同組合法が全会一致で可決・成立したというニュースを耳にした。  「さっそく制度の資料を取り寄せました。自分で主体的に新しい働き方で働ける―。『ああ、これだな』と感じて、ぜひ地元で具体化してみようと思いました」(北澤さん)  現役時代の先輩を通じて、日本労働者協同組合連合会からの紹介を受け、労働者協同組合ワーカーズコープ・センター事業団の北陸信越事業本部を訪問。2021年に、任意団体として「ワーカーズ上田地域応援隊」を立ち上げ、法律施行後の2023年3月に、労協うえだを設立した。 地域の高齢者の相談事を仕事にメンバーの個性、経験を活かし楽しんで働く  ワーカーズ上田地域応援隊でまず取り組んだのは、農協出身の北澤さんが得意とする農業分野。上田市内の知人から広い休耕田を借り受け、応援隊のメンバーで木を抜き、トラクターで耕して家庭菜園にした。現在は「市民ふれあい体験型家庭菜園」として希望者を募り、2000円の年会費で農業体験に活用している。さらに、応援隊に加入したメンバーに電気工事の資格保持者がいたことから、市内のコミュニティスペースのリフォームと空調設備工事を請け負うことができ、営繕に関する仕事もするようになった。  労協うえだは、応援隊発足の約2年後に設立。当初の組合員は5人で、営繕の事業が中心だった。それが市の地域包括支援センターと連携するようになり、地域の高齢者の相談、困りごとに対応する形で、仕事が増えてきた。北澤さんによれば、「『庭の草を刈ってほしい』とか、『エアコンを直してほしい』とか、いろいろな相談事が地域包括支援センターを通じて入ってきます。それをみんなで、できることをやって、お金をもらい配分をして、事業収入を得ながら回していく」という仕組みで活動が広がっている。  北澤さんたちが、労協うえだの活動で大切にしているのは、「組合員それぞれの個性を活かすこと」だ。「自分の個性や経験を活かしながら参加できれば、主体的に動けるし、楽しいじゃないですか。そういう働き方があって初めて、活動が広がっていくと思っています」と北澤さんは強調する。  実際、組合員には多種多様な人材が名を連ね、例えば設立当初からのメンバー、矢口(やぐち)毅(たけし)さん(70歳)は警察OB。「元気のよい高齢者が、少し弱っている高齢者と助け合うという活動の趣旨を聞いて、自分も健康なうちに、何か社会に役立てたらよいと思った」という。  地域包括支援センターが主催した会議をきっかけに、労協うえだに加わった平林(ひらばやし)浩(ひろし)さん(67歳)は元小学校教諭。「もともと労働者協同組合法には興味があったのですが、こんな身近でやっている人がいると知ってびっくりした」と話す。土屋(つちや)一夫(かずお)さん(60歳)は兼業で活動する組合員で、本業はワーカーズコープ・センター事業団北陸信越事業本部の事務局次長。本業で労働者協同組合を県内に広める仕事をしつつ、実際に自分も労協うえだに入って活動をしている。「本業の定年後、いずれ軸足をこちらに移していこうと考えている」そうだ。 地域の課題は地域のみんなで解決 老いても自立し仲間をつくり楽しく  労協うえだでは今後、市内に10カ所ある地域包括支援センターと連動する形で、5人以上の組合員で構成する10の地域支部を立ち上げる計画で、総勢50人の組織を目ざしている。仕事もメンバーも増やし、「地域の課題は地域のみんなで解決できる。労協うえだを、そんな組織にしていきたい」というのが組合員共通の思いだ。  さらに北澤さんは、「高齢者も元気なうちは労働者協同組合のような形の活動に加わり、地域をになっていくのが、ふさわしい超高齢社会のあり方ではないか」と訴える。矢口さんも「やはり老いても、自立ということを捨ててはいけないと思うのです。自立して仲間をつくって、楽しく生きないとね」と強調した。  労働者協同組合の活動などで、「支える側」に立つ高齢者が増えれば、地域で好循環が生まれる。そのために北澤さんは、「定年前に、定年後の地域での暮らし方、地域と自分のかかわり方を考えていくべき」と指摘する。「人生100年時代、定年後の残り30年をどう生きていくかは非常に重要な問題です。企業のなかでも、地域が抱える問題、地域で生きていくのに必要なスキルなどについて、研修などを行ってもらいたい」との願いを語った。 写真のキャプション 左から、矢口毅さん、北澤隆雄さん、平林浩さん、土屋一夫さん