Leaders Talk No.125 シニア人材活用にもつながるHRテクノロジー 人事パーソンに求められる変化とは 慶應義塾大学大学院経営管理研究科 講師、山形大学 客員教授、KIパートナーズ株式会社 代表取締役社長 岩本 隆さん いわもと・たかし 日本モトローラ株式会社、日本ルーセント・テクノロジー株式会社勤務などを経て、2012(平成24)年より大学教員。慶應義塾大学大学院経営管理研究科特任教授などを経て、2023(令和5)年より現職。HRテクノロジー大賞審査委員長をはじめ、HRテクノロジー関係団体理事などを歴任。  人事業務の効率化や人材活用を支える「HRテクノロジー」。勤怠管理や人事評価を効率化するだけではなく、従業員のエンゲージメント向上やキャリア形成支援にも活用できることから、今後ますます重要になると考えられます。今回は、HRテクノロジーの第一人者として活躍する岩本隆さんに、HRテクノロジーの最新事情や展望とあわせて、シニア人材活用におけるHRテクノロジーの可能性についてお話をうかがいました。 勤怠管理からエンゲージメントの測定まで進化するHRテクノロジー ―人事管理や人事業務の効率化のための「HRテクノロジー」が注目を集めています。そもそもHRテクノロジーとはどのようなものなのでしょうか。 岩本 HRテクノロジーとは、人事の業務にテクノロジーを活用する手法であり、人事データを使った情報通信システムのことです。アメリカでは2000(平成12)年前後に「HR TECHNOLOGY」、「HR TECH」が、商標登録されています。初期のころは、勤怠管理や給与計算業務などのシステムが多かったように思います。2010年代になると、AIの進化により人事のさまざまなデータが分析できるようになり、飛躍的に発展していきますが、それでも日本ではあまり知られていませんでした。  私が慶應義塾大学のビジネススクールで経営学の研究をしていた2012年に、民間企業から資金提供を受けて、人材マネジメントの研究に着手しました。スポンサー企業から人事データを提供してもらい、統計学やAI技術を駆使し、研究を担当した学生が最終的に修士論文にまとめたのですが、これに大きな反響がありました。その後、自社の人事データを分析してほしいという依頼が殺到したのですが、私も手が回らないので民間企業による「HRテクノロジーコンソーシアム」を立ち上げました。そして2015年4月に慶應義塾大学の日吉(ひよし)キャンパスで開催したHRテクノロジーシンポジウムを契機に、HRテクノロジーという言葉が日本で広く知られるようになったのです。さらに2016年10月には、私が審査委員長を務めた「HRテクノロジー大賞」の授賞式をきっかけにメディアでも注目され、経済産業省の「働き方改革2.0」と呼ぶ生産性革命の一つにHRテクノロジーが産業政策としても取り上げられることになりました。 ―HRテクノロジーの具体的な活用例ではどのようなものがありますか。 岩本 例えば、勤怠管理のためのタイムカードをオンラインで管理したり、最近ではパソコンのオン・オフで出退勤を管理する会社もあります。また、個々の社員が持つスキルや経験、人事評価などの人事情報をデータベース化し、育成・異動・配置に活かすタレントマネジメントシステムも普及しています。  いま、世界的に流行しているHRテクノロジーの一つが、従業員エンゲージメントの測定です。「エンゲージメント」とは、職場や会社で働くことに価値を感じ、自ら貢献する意思を持って働いている状態をあらわすものですが、クラウドアプリ上で定期的にエンゲージメントを測定し、AIを使って分析するサービスがあり、エンゲージメントを高めるのに有効です。また、コロナ禍で増えた1on1ミーティングツールなども伸びています。上司が部下に対して一方的に話をするのではなく、部下がどんなことを話したいかをチェックし、ミーティング終了後に良かった点、悪かった点などのデータを集積し、改善につなげるものです。リモートワーク中のメンバーの業務の進捗状況などを把握するタスクマネジメントのツールなどもあります。大企業の人事部のなかには、従業員からのさまざまな問合せに対し、生成AIの機能を使い自動で回答するチャットボットを活用しているところもあります。 ―HRテクノロジーの進化・発達は、人事領域の業務を大きく効率化させますが、同時に人事部門の役割も変わっていくのでしょうか。 岩本 本当の意味で人に寄り添った仕事にシフトしていくのではないでしょうか。これまで自分のパソコンでエクセルなどを使って行っていた仕事は、すべてテクノロジーに置き換わります。一方で外資系企業では、「ピープルアナリティクス」という部門を立ち上げ、人事領域のデータ分析を行うデータサイエンティストを多く抱える会社も増えていますし、日本の大手IT企業では社内のエンジニアを活用しているケースもあります。そうしたなかで、人事部の役割は、“生成AIを活用して、社員一人ひとりの生産性や働き方をどう変えていくのか”という、これまで蓄積してきた人事のノウハウを活かした戦略的なものにシフトしていくのではないでしょうか。  人事部門にとどまるのではなく、各部門・ビジネス領域に入り込み、一人ひとりがどのように働き、キャリアをどのように形成していくのか。人事パーソンには、プロスポーツ選手のコーチのように人に寄り添った仕事にシフトしていくことが求められますし、逆にシフトできなければ人事パーソンとして生き残っていくのはむずかしくなると思います。 人事パーソンに求められる役割はデータを駆使し一人ひとりに寄り添うこと ―人事担当者の能力や求められる役割も変わるということですね。 岩本 大量の従業員を一人ひとり見ていくには、データの力を借りないとむずかしいでしょう。データを参考に一人ひとりを見て、データで補えないところをサポートすることになります。大学の学部に「人間科学部」というのがありますが、人事担当者は人間科学の専門家にならないといけません。データを駆使するサイエンティストとして、社員一人ひとりを観察し、サポートする能力が求められてくると思います。 ―中小企業が成長・発展していくために、HRテクノロジーを活用していくポイントとは何でしょうか。 岩本 HRテクノロジーのツールは山ほどありますが、何より大事なのは、いま、自社のビジネスがどういう状況にあり、どうしていきたいのかという中長期的な成長の方向性を明確にすることです。そのためには従業員一人ひとりが活躍できる環境をつくることが大切です。  中小企業の社長が、「うちの社員は全員まじめで指示通りに仕事をしてくれます」と話すのを耳にすることがあります。昔は下請け仕事が多く、それが機能しているうちはよいですが、大企業の下請け業務が外国に流れ、いまは減少しつつあります。取引先にいわれたことをまじめにやっているだけでは、仕事がなくなるという事態になりかねません。  そういう意味では、従業員一人ひとりが、自律的に考えて動き活躍できる環境をつくっていくことが大切です。そのために、会社としてすべきことを経営陣が議論し、明確化することが一番の肝になります。明確になれば取り組むためのテクノロジーはたくさんありますし、そのなかから最適なものを選んで活用していけばよいと思います。  私が具体的な取組みとして推したいのは、公平な人事評価の仕組みの導入と従業員エンゲージメントの測定です。  公平な人事評価の仕組みとは、業績評価と成長評価を軸に従業員の評価の納得性を高めるとともに、本人の成長をサポートするもので、人事評価のクラウドアプリに人材の成長をうながす機能や、業績評価とコンピテンシー評価のテンプレートなどが活用できるサービスもあります。  エンゲージメントの測定は、ツールごとに測る項目が異なります。従業員が会社や組織に対してどう思っているのか、周囲の人間関係、あるいは会社の福利厚生など人事諸制度についてどう思っているかを測定し、何がボトルネックになっているかを明らかにすることができます。 会社の業務に精通したシニア人材がHRテクノロジーを修得する意義 ―人手不足のなかで、多くの企業がシニア世代を戦力として活用していくことが求められています。HRテクノロジーをどのように活用すればよいでしょうか。 岩本 一つはHRテクノロジーを使ってシニア世代の持つスキルや経験を見える化することです。シニア社員が社会人としていままでつちかってきたものを棚卸しする機会を設定し、個々の経験をデータ化し、見える化すれば「この人はこんなことができるんだ」ということがわかります。「令和の時代に昭和のやり方は通用しない」という人もいるかもしれませんが、シニアの経験のなかには、令和のいまでも活かせる重要なヒントやアイデアがあるはずです。言語化するのがむずかしい職人的なスキルも、いまはVRなどの動画にすることで学習することができます。  もう一つは、シニア自身に、リスキリングによりHRテクノロジーを修得してもらうことをおすすめします。テクノロジーの進化とは、ユーザーがそのテクノロジーを使いやすくなることであり、修得のハードルが下がるということでもあります。いまや「ノーコード」で、プログラミングスキルがなくてもアプリがつくれる時代です。中小企業でも社内で数百のアプリを開発し、業務の効率化を図っている会社がありますが、シニア世代ほど会社や業務の中身に精通しているので、会社の課題をふまえたアプリ開発ができるそうです。AIなどのテクノロジーは若者の技術と思われがちですが、若い人はデジタル技術は扱えても、会社の業務に関してはシニアのほうが豊富な知識と経験を持っていますし、シニア自身がテクノロジーを修得し活用する意義は大きいと思います。 (インタビュー・文/溝上憲文 撮影/中岡泰博)