ジョブ・クラフティング JOB CRAFTING 入門 釧路公立大学 准教授 岸田(きしだ)泰則(やすのり)  働く人が、自ら仕事に対する認知や行動を変えることで、仕事をやりがいのあるものへと変える手法「ジョブ・クラフティング」。役職定年や定年後再雇用により、それまでの業務や役割が変更となり、モチベーションの低下が懸念されるシニア世代のパフォーマンスの向上に向け、ジョブ・クラフティングは効果的といわれています。本企画では、ジョブ・クラフティングの基礎知識について、釧路公立大学の岸田泰則准教授に解説していただきます。 第2回 シニア社員のジョブ・クラフティングの実践 @はじめに  「定年を過ぎても、まだ働き続けたい」、「再雇用で戻ってきたけれど、以前のような役割は任されない」、こうした声を耳にする機会が増えています。日本の企業は定年延長や定年後再雇用制度を整備し、シニア社員のキャリア時間軸を延長させています。しかし、役職を離れたり、体力が以前ほど続かなくなったりするなかで、「自分の存在意義をどう見つけるか」という悩みを抱えるシニア社員も少なくありません。  そのとき役立つのがジョブ・クラフティングです。ジョブ・クラフティングとは、自分の仕事のやり方や周りとのかかわり方、仕事に対する考え方を、自分なりに工夫して働きがいを再発見する方法です。ちょっとした工夫や発想の転換で、仕事の意味が大きく変わることがあります。 Aなぜシニア社員にジョブ・クラフティングが必要なのか  シニア社員にとって、ジョブ・クラフティングが必要になる理由は三つあります。  第1に、仕事そのものの変化です。役職定年や再雇用によって、これまでのリーダー的な役割から外れ、与えられる仕事が変化します。  第2に、自分自身の変化です。年齢を重ねることで体力や集中力が落ちてきたり、健康面の配慮が必要になったりします。  第3に、周囲の変化です。家族の介護、同僚世代の入れ替わりなど、自身を取り巻く環境そのものが変わっていきます。  このような変化に直面したとき、「以前と同じように働けない」と思うのではなく、「いまの自分に合った働き方をつくり直す」ことが求められます。これこそが、ジョブ・クラフティングの出番なのです。 B業務の工夫【業務クラフティング】  シニア社員は、長年つちかった経験を活かせる領域で力を発揮できます。例えば、ある製造業のベテラン社員は、体力的に重労働がむずかしくなった代わりに、現役世代が見落としがちな「安全点検のチェックリストづくり」に取り組みました。現場の知恵を活かした工夫は若手にも重宝され、「自分だから気づける仕事がある」としてやりがいを感じるようになりました。  また、体力が落ちてきたと感じたシニア社員が、自分の仕事量を調整し、重点的に得意分野を担当させてもらうよう上司に相談した例もあります。これは縮小的クラフティングと呼ばれ、無理をせず長く働き続ける工夫です。  次に、長年営業として活躍してきたシニア社員が、再雇用後は顧客訪問よりも資料作成や後輩の提案書添削に役割をシフトした事例もあります。シニア社員にとっては外回りの体力的な負担が減り、一方後輩社員はベテランのノウハウを吸収できるという、双方にメリットのある一挙両得のジョブ・クラフティングとなりました。  ITに苦手意識を持つシニア社員が、あえてオンライン研修に参加し、会議用のデジタルツールの操作方法を学びました。その結果、若手に頼らず自分で資料共有ができるようになり、「時代についていける」という自信が回復しました。本人は「もう年だから」とあきらめずに挑戦したことが、周囲にもよい刺激を与えました。  こうした姿勢を象徴するのが、世界最高齢のプログラマーとして注目を集めた若宮(わかみや)正子(まさこ)さんの事例です。若宮正子さんは60代からパソコンを独学で学び、80代でシニア向けスマートフォンアプリ「hinadan」を開発しました。ITを通じた社会参加の新しい形を体現し、高齢になってからでも学び直しや挑戦は可能であることを世に示しました。 C人との関係の工夫【関係性クラフティング】  人間関係の工夫も重要です。例えば、会議で若手の発言を尊重し、自分はサポート役に回るシニア社員の姿勢は、職場によい空気を生みます。一方で、自分の知識や経験を積極的に若手に伝えることも大切です。ある企業では「メンター制度」を通じてシニアが若手を育て、逆に若手からデジタル技術を学ぶ「リバース・メンタリング」も実施されています。こうした関係性の工夫によって、世代を超えた学び合いが生まれ、シニアの存在感も高まります。  別の職場では、シニア社員が毎朝「おはよう」、「昨日はどうだった?」と声をかけるようにしました。小さなきっかけでしたが、若手からは「気にかけてもらえて安心する」という声が出るようになり、チームの一体感が強まりました。シニア社員は大きなプロジェクトを任されなくても、日常の人間関係を調整する役割として存在感を発揮しています。  また、あるシニア社員が他部署の仲間との昼食会を企画し、部署横断的なつながりを広げた事例もあります。若手からは「横のつながりができて相談しやすくなった」と好評で、本人にとっても「人の輪をつなぐことが自分の仕事」と再定義するきっかけとなりました。 D仕事のとらえ方を変える【認知的クラフティング】  シニア期に入ると、仕事の意味づけを見直すことが必要となります。ある病院の清掃員は、自分の仕事を「単なる清掃」ではなく「医療行為を支える大切な役割」ととらえ直しました。その瞬間から仕事に誇りを持ち、笑顔で取り組めるようになったといいます。同じように、再雇用社員が「自分は会社に再び所属している」、「次世代へ知識を継承している」と考えることで、日々の業務に意味を見いだすことができます。逆に、仕事に比重を置きすぎず「仕事は生活の一部」と考えることも、心のゆとりを保つ工夫の一つです。  また、別の会社で清掃業務を担当する再雇用社員は、単なる掃除ではなく「職場を快適に保つことで働く人を支える仕事」と考えるようにしました。視点を変えることで、日常の業務に誇りを感じられるようになり、「単調な作業が自分の役割を表す大切な仕事」へと変わりました。  そして、メーカーに勤務し、ある製品の修理・点検業務をになっているシニア社員は、自らの仕事を「製品の外科医・内科医」と意味づけています。仕事を「単なる修理・点検」から、「製品を延命化する医療的役割」と意味づけを変えることで、誇りを持って仕事をすることにつながっています。ほかにも、別の会社のある工場で再雇用されたシニア社員は、「単純作業のくり返し」に見えていた検品業務を、「製品品質の最終防波堤」ととらえ直しました。「自分が確認を怠れば、お客さまの信頼を失う」と考えるようになり、作業の一つひとつに責任感が生まれました。  こうした認知の変化は、「仕事のなかに新しい価値を見いだす」ジョブ・クラフティングの核心です。自らの役割を再定義し、「いまの自分にしかできない貢献」を見つけることが、シニア期の働きがいを支える原動力となるのです。 ESOC理論とジョブ・クラフティング  シニア社員がジョブ・クラフティングを実践する際には、加齢にともなう変化への適応が欠かせません。その手がかりとなるのが、心理学者バルテスらが提唱したSOC理論(選択・最適化・補償理論)です(図表)。SOC理論は、人が年齢を重ねるなかでかぎられた資源を有効に使い、失われたものを補いながら適応していくプロセスを説明します。具体的には、目標を絞り込む「選択」、持てる資源を活かす「最適化」、そして失われた能力をほかの手段で補う「補償」の三つの方略です。この考え方は、シニア社員のジョブ・クラフティングにも直結します。  例えば、役職定年後にマネージメント業務を手放す代わりに、経験を活かして後進指導に注力することは「選択」と「最適化」の実践といえます。また、体力的にむずかしい作業を若手に任せ、自分は安全点検や知識の伝承をになうことは「補償」にあたります。  さらには、シニアのジョブ・クラフティングは、「拡張的」と「縮小的」の二つの側面が交錯するのが特徴です。筆者の研究調査でも、定年後の再雇用社員が拡張的クラフティング(新たな役割を引き受ける工夫)と縮小的クラフティング(仕事の比重を減らす工夫)を組み合わせながら、無理なく職場に適応していることが明らかになっています★1。  例えば、次世代への知識継承や新しい役割をになうことは拡張的クラフティングであり、仕事量を調整したり生活全体での仕事の比重を下げたりする工夫は縮小的クラフティングです。拡張と縮小をうまく組み合わせることで、シニア社員は喪失感や不安を抱えながらも、無理なく働き続けることができるのです。 Fシニア社員とジョブ・クラフティング  シニア社員がジョブ・クラフティングを実践すると、次のような効果が期待できます。  第1に、シニア社員本人への効果として、ジョブ・クラフティングの実践は働きがいの向上、心身の健康維持、仕事への前向きな姿勢といったものにつながります。  第2に、組織への効果として、知識や技術の伝承、若手の成長支援、チーム全体の活性化が期待できます。  第3に、社会への効果として、シニアのジョブ・クラフティングの流る布ふにより、高齢者雇用の持続可能性を高め、生涯現役社会の実現に資することになります。  このようにジョブ・クラフティングは、多くの場面で働きがいや健康の向上に寄与しますが、薬に副作用があるように、ジョブ・クラフティングにも副作用があります。例えば、自分なりの工夫が「やりすぎ」になると、周囲の業務との調和を乱してしまうことがあります。森永(2023)は「3つの『すぎ』にご用心」として、@やりすぎ、Aこだわりすぎ、B抱え込みすぎ、の3点を指摘しています★2。  実際、製造ラインで従業員が独自に工程を省略した結果、全体の生産効率を下げてしまった例や、サービス業で自分なりの接客を強調しすぎてマニュアルとの齟齬が生じた例も報告されています。また、個人の工夫が強くなりすぎると、「周囲の理解を得られない」、「勝手な行動だと思われる」といった摩擦を生む可能性もあります。  したがって、ジョブ・クラフティングは「自分のため」だけでなく、「職場全体のため」に行う視点が欠かせません。小さな工夫を積み重ねつつ、必要に応じて上司や同僚と共有し、調整することが大切です。副作用に気をつけながら実践することで、ジョブ・クラフティングはより健全で持続的な効果をもたらすのです。 Gおわりに  これからの時代、シニア社員のジョブ・クラフティングはますます重要になります。AIやICTの普及によって新しい学びが求められる一方、地域活動や副業を通じて社会とのつながりを広げる機会も増えていきます。  「年を取ったから役割が減る」のではなく、「年を重ねたからこそできる工夫がある」と考えることが大切です。組織にとっても、シニアの工夫を支援することは、人材不足を補い、職場全体を元気にする力となるでしょう。  本稿で紹介した事例に共通するのは、大きな変革ではなく、小さな工夫や心がけが仕事の意味ややりがいを大きく変えるという点です。シニア社員にとってジョブ・クラフティングは、加齢による制約を受け入れつつ、経験や人間性を活かして新しい役割を生み出す実践知なのです。  シニア社員のジョブ・クラフティングは、シニア世代が「自分らしく働き続ける」ための大切な方法です。小さな工夫や発想の転換が、働きがいや健康を守り、次世代への貢献につながります。そして企業にとっても、シニア社員のジョブ・クラフティングを支援することは、組織の知恵と力を最大限に引き出すための大切な取組みです。「いまの自分だからこそできる工夫は何か?」、この問いかけこそが、シニア社員のキャリアを考える第一歩となるのです。 【参考文献】 ★1 岸田泰則(2022).『シニアと職場をつなぐ―ジョブ・クラフティングの実践』学文社 ★2 森永雄太(2023).「第5章 ジョブ・クラフティングを続けるための周囲の支援:副作用に注目して」高尾義明・森永雄太『ジョブ・クラフティング―仕事の自律的再創造に向けた理論的・実践的アプローチ』白桃書房 図表 SOC理論とジョブ・クラフティング 仕事への適用(ジョブ・クラフティング) 選択 仕事量を減らす 最適化 目標達成に必要なスキルを維持することに時間を使う 補償 他者の助けを借りる 出典:高尾義明(2024).『50代からの幸せな働き方ー働きがいを自ら高める「ジョブ・クラフティング」という技法』ダイヤモンド社.p.146.図表6-4.を加筆修正