特集 Work engagement 高齢社員のワーク・エンゲージメントの高め方  人生100年時代を迎え、職場における高齢者の就業期間は延伸傾向にあります。一方で、役職定年や定年後再雇用による職責や業務、役割の変化に直面し、仕事へのモチベーションが低下してしまう高齢社員も少なくありません。しかし、少子高齢化などによる人手不足に対応していくためにも、高齢社員にはモチベーション高く、会社の戦力として長く活躍してもらう必要があります。  そこで大切なのが「ワーク・エンゲージメント」です。ワーク・エンゲージメントとは、仕事に対して熱意や活力が高い、充実した心理状態のこと。ワーク・エンゲージメントが高い職場では、仕事に活き活きと取り組むことができ、生産性の向上も期待されます。  今号の特集では、高齢社員のワーク・エンゲージメントを高めるためのポイントについて解説していきます。 総論 高齢社員とワーク・エンゲージメント −人手不足時代の「戦略的人材」から「価値創出の主役」へ− 早稲田大学 大学院経営管理研究科 教授 竹内(たけうち)規彦(のりひこ) @いま高齢社員の活躍が重要な理由  わが国では、65歳以上の就業者が930万人(2024〈令和6〉年)に達し、就業者全体に占める65歳以上の就業者の割合も13.7%まで高まり、過去最高となっています(図表1)。つまり、働く人の約7人に1人は65歳以上という状況です。高齢層の就業率も上昇が続き、65〜69歳は53.6%、70〜74歳は35.1%、75歳以上は12.0%(2024年)と、いずれの年齢階層でも過去最高です★1。人手不足が慢性化するなかで、高齢社員は労働供給の「埋蔵資源」ではなく、すでに各現場の生産性と品質を支える「戦略的人材」の役割をになっています。  価値創出とは、単なる「生産性の底上げ」ではありません。現場の言葉に置き換えれば、@信頼性、A顧客価値、B知の継承と改良、C組織のしなやかさの四つです。  「信頼性」は、工程やサービス提供の流れが日々ぶれずに機能することをさします。例えば、欠陥率やヒヤリハットの記録、手戻り件数などは、現場で日常的に見ている数字です。  「顧客価値」は、顧客の手元に届く対応の質と一貫性です。問合せ対応時間、約束の遵守率、再購入の割合などが代表例です。  「知の継承と改良」は、ベテランが知っている要点を言語化し、次の担当者に渡し、少しずつ改善が積み重なることを意味します。標準手順の更新回数や、作業手順の変更が不具合減少につながった割合などで可視化できます。  「組織のしなやかさ」は、想定外の事態が起きたときの判断と回復の速さです。代替手順の整備や、回復までに要した時間の短縮などが参考になります。  これらは部門を問わず、製造・サービス・バックオフィスでも読み替え可能です。いずれも単一の指標では測りにくいものですが、組織の収益・評判・持続性を背後から支える重要な価値に相当します。 Aエンゲージメントによる「価値」の創出  昨今、「エンゲージメント」という言葉を日本の職場でもよく耳にするようになりました。学術的には、大きく二つの流れがあります。一つめは、健康心理学の流れを汲むもので、1990年代後半にバーンアウト(燃え尽き症候群)の反対の概念としてエンゲージメントという言葉が使われ始めました。その後、2000年代初頭に、当時、オランダのユトレヒト大学に所属していた組織心理学者のウィルマ―・B・シャウフェリが「活力・熱意・没頭の3側面からなる、前向きで充実した仕事への心理状態」として定義し、測定尺度も開発されました。これが「ワーク・エンゲージメント(Work engage-ment)」です。  一方で、経営学者も1990年代初めごろに、職場におけるエンゲージメントについて論じ始めています。アメリカのボストン大学に所属する組織行動(経営学)の研究者、ウィリアム・カーンは、個人の「役割」に注目する「ジョブ・エンゲージメント(Job engagement)」という概念を提唱します。これは、「個人が身体的・認知的・情動的エネルギーを役割遂行にどれだけ投入したか」をさす概念です。つまり、個人が組織で果たすべき役割に、@実際に手と体を動かし(身体的)、A頭の中を集中させ(認知的)、そしてB熱意を持って楽しく(情動的)遂行できている状態が、ジョブ・エンゲージメントの高い状態といえます。  本稿では、ワーク・エンゲージメントとジョブ・エンゲージメントの重なる部分を「エンゲージメント」(図表2)と定義します(以降、両者を区別する必要がある場合を除き、エンゲージメントと記します)。  二つの見方を合わせて考えると、ワーク・エンゲージメントは心身の健康の維持や注意の持続により効果的な働きをし、ジョブ・エンゲージメントは手順の正確さ、処理の速さと質、協働の円滑さにより効果的な働きをします。両者が同時に一定水準にあると、健康と職務パフォーマンスの両立が現実的になります。その結果として、信頼性(止まらない・事故が少ない・欠陥が少ない)、顧客価値(対応の速さと質、継続利用)、知の継承と改良(要点の言語化と更新)、組織のしなやかさ(異常時の判断と回復)にかかわる行動が増え、日常の運用として定着します。 Bエンゲージメントの効果―量的根拠をもとに  ここで、エンゲージメントが組織や個人にどのような効果をもたらすのかを確認します。米国の世論調査会社ギャラップの研究では、11万を超える事業・職場単位の分析を行い、エンゲージメントの高い職場は、そうでない職場に比べて、総合的なパフォーマンスが明らかに良好であることが示されています。顧客が離れにくい、利益や売上げが伸びやすい、欠勤や離職が少ない、安全や品質のトラブルも起きにくいという結果が一貫して見られます。  特に、エンゲージメントの高い職場(上位四分位)は、低い職場(下位四分位)に比べ、利益、顧客ロイヤルティ、生産性(売上げ)が、それぞれ+23%、+18%、+10%高いと報告されています★2。  これは「たまたま起きた差」というより、多くの現場で確認される傾向だと理解して差しつかえありません。すなわち、エンゲージメントの高い職場は、価値の土台が厚いといえます。  個人レベルでも、多くの研究がタスク・パフォーマンスと周辺行動(協力・支援など)に対する有意な関連を示しています。ジョブ・エンゲージメントの系譜からも、役割への自己投入がタスク成果や協力行動を通じて成果に結びつくことが示されています。ここで強調したいのは、エンゲージメントは個人の一時的な気分ではなく、仕事の進め方・役割の受けとめ方にかかわる「働きぶりの質」を表している点です。したがって、評価や配置に直結させるというより、業務とチーム運営の改善に活用するのが適切です。  また、従業員満足(近縁概念)と企業価値の関係を市場データで検証したある研究では、従業員満足度が高い企業の長期的な超過収益が確認されています。人への投資が持続的価値につながる経営が、経営学とファイナンスの双方から観測されています。ここでも、短期の数字の上下ではなく、数年単位の傾向としてとらえる姿勢が求められます。 Cなぜ「高齢社員×エンゲージメント」なのか  高齢社員は四つの価値に関して、いくつかの強みを持ちます。第一に、加齢とともに情動の自己調整が進み、意味のある活動や関係を選ぶ傾向が高まることが示されています。筆者の研究でも、年齢が高いほどエンゲージメントが高まる傾向が報告されています(図表3)。職務上の困難があっても、落ち着いて対処し、重要度の高い事柄に意識を集中できることが、信頼性の維持や顧客対応の安定に寄与します。  第二に、経験知の統合です。技術や規格が変わっても、「どこでミスが起きやすいか」、「お客さまが何に困るか」といった実践知は、信頼性と顧客価値の基盤になります。経験知は単に伝えるだけでは定着しません。要点を言葉にし、手順に落とし込み、実務の場面で使ってみて、修正をくり返すことが大切です。この流れのなかで、役割の自覚があるほど、どの要点を伝承すべきか、どの順序で教えるべきかが整理されます。ここでもエンゲージメントがかかわります。  第三に、現実の緊張です。役員を除く65歳以上の雇用者では非正規割合が76.9%と高く、役割や処遇の連続性が揺らぎやすいという構図があります★1。人手が足りないから「活用する」のではなく、価値創出の主役にふさわしい役割像とその期待を言葉にして迎え入れられるかが問われます。役割が明確で、期待が伝わっているほど、エンゲージメントは保たれます。肩書きの変更や雇用区分の違いがあっても、求められている役割を具体的に共有することが、現場での活躍を後押しします。 D背景としての労働市場  足もとで有効求人倍率は2025年8月に1.20倍です。一進一退はあっても、人手のひっ迫は解消していません。だからこそ、「だれをどう配置するか」ではなく「どの価値をどう高めるか」へ発想を切り替える必要があります。高齢社員を価値創出の主役に据えることは、欠員補充ではなく、現場で必要とされる価値の設計の問題です。配置や採用のむずかしさが続くなかでは、すでにいる人材の働きぶりの質、すなわち「エンゲージメント」を高め、チームとしてのばらつきを減らすことが、もっとも確実な強化策になります。 Eまとめ―価値の言語化とエンゲージメントの運用  結論として、エンゲージメントは価値創出を増幅する装置として位置づけられるでしょう。ワーク・エンゲージメントは仕事経験の質を、ジョブ・エンゲージメントは役割遂行への自己投入を反映しています。両者を重ね合わせたエンゲージメントは、心身の健康と職務パフォーマンスの両立を可能にします。具体的には、信頼性・顧客価値・知の継承・しなやかさという四つの価値を強める役割を果たします。日本の現場は、高齢社員の就業拡大という既成事実のうえに立っています。であれば、「戦略的人材」から一歩進め、「価値を生む主役」として言語化し直すことが重要です。  現在は、エンゲージメントの測定技術も進んでおり、多くの企業で社員へのエンゲージメント・サーベイが定期的に実施されています。しかし、測るだけでは、何も変わりません。測定結果をもとに、社内で語り合うこと、仕事をつくり直すことから、価値創出が始まります。高齢社員の力は、エンゲージメントの測定と対話と再設計で成果に変わるといえるでしょう。図表4は、本稿で提起する高齢社員のエンゲージメントと価値創出に関するフレームワークです。この図表が示す通り、エンゲージメントを運用に落とし込める組織が、四つの価値を着実に高めるのです。 【参考文献】 ★1 総務省統計局(2025).「統計トピックス No.146統計からみた我が国の高齢者―『敬老の日』にちなんで―」総務省 Retrieved from https://www.stat.go.jp/data/topics/pdf/topics146.pdf?utm_source=chatgpt.com ★2  Harter, J. K., Schmidt, F. L., Agrawal, S., Plowman, S.K., Blue, A., Josh. P., & Asplund. J. (2020). The relat ionship between engagement at work and organiz ational outcomes: 2020 Q12R meta-analysis: 10th edition. Gallup Poll Consulting University Press. 図表1 65歳以上の就業者数の推移(左軸)と就業者総数に占める65歳以上の就業比率の推移(右軸) (年) 2014 2015 2016 2017 2018 2019 2020 2021 2022 2023 2024 (万人) 682 732 770 806 860 890 903 909 912 914 930 (%) 10.7 11.4 11.9 12.3 12.9 13.2 13.5 13.5 13.6 13.5 13.7 出典:総務省統計局(2025)「統計トピックス No.146統計からみた我が国の高齢者―『敬老の日』にちなんで―」より筆者作成 https://www.stat.go.jp/data/topics/pdf/topics146.pdf 図表2 エンゲージメント概念の整理 職務パフォーマンス向上 経営的視点 ジョブ・エンゲージメント −身体的 −認知的 −情動的 役割遂行への自己投入 エンゲージメント 心理的視点 ワーク・エンゲージメント −活力 −熱意 −没頭 前向きな心理状態 ウェルビーイング増進 ※筆者作成 図表3 加齢にともなう仕事・学習関連の態度変化 回答スコア 4.0 4.5 5.0 〜29歳 30〜39歳 40〜54歳 55歳以上 仕事満足度 仕事へのエンゲージメント 自律的学習 注:筆者のデータによる(回答者は、日本企業(複数・多業種)に勤務する正規社員) n=1,089(〜29歳=368名、30〜39歳=368名、40〜54歳=197名、55歳以上=156名) ※筆者作成 図表4 高齢社員のエンゲージメントを通じた価値創出に関するフレームワーク 経験知/関係資本 高齢社員×エンゲージメント 測定→対話→再設計 4つの価値 信頼性 (安心・安全)) 顧客価値 (ロイヤルティ) 知の継承 (OJT・標準化) しなやかさ (回復力) 組織成果 −売上高 −営業利益 −欠勤・離職低下  など ※筆者作成 解説1 高齢社員のワーク・エンゲージメントを高める組織マネジメント 株式会社セカンドエール 代表取締役 高橋(たかはし)伸典のぶのり) @はじめに  高年齢者雇用安定法の改正により、「70歳までの就業機会確保」が企業の努力義務として位置づけられました。かつては“定年”が「職業人生の終わり」と考えられていましたが、少子高齢化の進行や平均寿命の延びを背景に、いまや「定年後も働き続けること」はごく自然な選択肢となっています。  企業にとっても、高齢社員の存在は「戦力の延長」ではなく「組織の知恵の継承」を意味します。一方で、高齢社員本人にとっては、立場の変化や健康面の不安など、新たな環境への適応が求められます。「モチベーションが下がってしまう」、「周囲に気を遣って意見をいえない」といった声も多く聞かれます。  しかし、長年にわたりつちかってきた経験や人脈、状況判断力は、若手にはない貴重な資産です。これらを十分に活かすためには、組織全体で高齢社員のワーク・エンゲージメント(仕事への熱意・活力・没頭)を高める取組みが不可欠です。 A高齢社員のワーク・エンゲージメントとは  ワーク・エンゲージメントとは、オランダの心理学者ウィルマ―・B・シャウフェリ氏らが提唱した「仕事に前向きに取り組む心理的な状態」を示す概念で、図表1の通り、三つの要素から成り立っています。  この三つの要素が高い社員ほど、生産性・幸福感が高く、離職意向が低くなることがわかっています。  高齢社員の場合、キャリアの終盤をどう過ごすかという「人生の再設計期」に差しかかっており、仕事との向き合い方に変化が起こりやすい時期でもあります。これまでのように昇進や給与アップを動機づけにできない代わりに、「人の役に立ちたい」、「経験を次世代に伝えたい」、「得意なことを活かしたい」といった“内面的な意義”がモチベーションの中心になります。したがって、管理職は「年齢を重ねた社員の価値観の変化」を理解し、それに応じた支援を行うことが求められます。 B高齢社員の立場・考え方を理解する  管理職のなかには「再雇用だからそんなに期待しない」、「若い人の成長を優先すべき」と考える方もいます。しかし、そうした認識は、高齢社員の自己効力感を損ない、結果的に職場全体の士気を下げてしまうことがあります。まずは、高齢社員がどのような気持ちで日々を過ごしているかを理解することが、適切なマネジメントの第一歩です(図表2)。  このような思いに共感し、言葉や行動で「あなたを必要としている」というメッセージを伝えることが、エンゲージメントを高める土台となります。 C高齢社員に対して組織メンバーが心がけること @尊敬の念を持って接する  高齢社員は、組織の「歴史そのもの」を知る存在です。時代の変化をくぐり抜けてきた経験は、単なる知識以上の価値を持ちます。若手社員が困難に直面したとき、過去の知見や判断力が大きな助けとなることも少なくありません。だからこそ、年齢ではなく「組織の財産」として尊敬の気持ちを持って接することが大切です。 Aプロセスや努力を認めて褒める  成果だけを見て評価するのではなく、そこに至る過程をていねいに見ることが重要です。「根気よく後輩を支援してくれた」、「顧客との信頼関係を長年維持してくれている」など、日々の積み重ねを評価することで、本人の自己肯定感が高まります。 Bポジティブなフィードバックを意識する  注意や指摘ばかりでは、だれしも意欲を失います。特に高齢社員は「もう若くないから仕方がない」と自ら制限をかけてしまうことがあるため、上司からの前向きな声かけが不可欠です。「助かっています」、「その経験を若手に伝えてください」といった言葉が、なによりの励みになります。 C話を聴き、存在を認める  「自分の話を聴いてもらえる」、「自分の経験がだれかの役に立っている」と感じることが、働く意欲を高めます。日常のちょっとした相談や会話のなかに、その姿勢が表れるようにしましょう。聴く力のある組織は、年齢を問わず人が育つ組織でもあります。 D高齢社員のワーク・エンゲージメントを高めるポイント @強みを活かす仕事設計をする  ピーター・ドラッカー(Peter F. Drucker)は「人は自身の強みからのみ成果を上げることができる。弱みの上には成果を築けない。マネージャーの仕事は、人々の強みを有効にし、弱みを『関係ないもの』にすることである」と述べています。高齢社員も同様で、高齢社員の意欲を引き出す鍵は、「その人の強みを知り、適切な役割を与えること」です。そのために過去に経験したキャリアの棚卸しを行い、これまで「うまくいった仕事」や「得意だった場面」をふり返ってもらうことで、自身でも気づいていない強みが見えてきます。  例えば、「部門をまたぐプロジェクトのリーダーとして目標達成した」ということを思い出したとします。これだけだとその人の強みは見えにくいものです。もう一段階掘り下げる必要があります。それに至った理由を考えてみるのです。このケースでは、「価値観が違う人の意見を調整した」がその理由とすると、「高い傾聴力」、「異なることを調整するスキル」が強みになります(図表3)。  このように「うまくいったこと」、「人から高く評価されたこと」に対してどうしてそれができたかの理由を掘り下げることで、その人の強みが明らかになってきます。そして強みが明らかになると、次はその強みが活かせる仕事、役割を考えていきます。  例えば「人との調整が得意な人」は「社内外の連携、交渉担当」、また「根気強くていねいに教えられる人」は「若手育成や技術伝承担当」に向いているだろうと強みと役割・仕事のマッチングを探っていくのです(図表4)。その人の強みを知らないまま役割・仕事を考えると、ミスマッチにつながる場合もあるので、まず強みを洗い出してからマッチングを考えた方がベストマッチにつながります。 A公正な評価と納得感のある処遇  「年齢が上がるほど評価されにくい」という不満は、多くの職場で聞かれます。管理職が意識すべきは、「なにをもって貢献とみなすか」を明確にすることです。 ・成果だけでなく、後進への影響力やチーム貢献度も評価する ・一人ひとりの行動を“見える化”して、納得できる説明を行う ・給与面だけでなく、感謝・称賛・社内表彰など多面的に報いる  こうした取組みは、組織全体の信頼感を高める効果も期待できます。 B健康と生活の両立支援  体力・集中力の衰えや、介護などの家庭的課題が見られる年齢層だからこそ、柔軟な勤務形態を選択できることが大切です。週3日勤務や短時間勤務、在宅勤務、職務選択制など、健康を保ちながら働ける制度が求められます。また、定期的な健康相談やメンタルサポートを組み合わせることで、安心して働ける職場環境が整います。 E高齢社員と組織コミュニケーションのあり方  高齢社員と若手社員など、異世代がともに働くことは高齢社員のワーク・エンゲージメントを高めるだけでなく、ほかの社員のワーク・エンゲージメントも高めることができます。 @異世代チームの協働メリット  異世代チームで働くことは同世代チームより創造的アイデアが生まれやすいという報告があります(図表5)。この研究では高齢者と若者が三つのチーム(高齢者同士のチーム、若者同士のチーム、高齢者と若者のチーム)に分かれて創作課題に取り組みました。結果は高齢者と若者チームの異世代チームがもっとも創造的に課題を解決しました。若者の新奇なアイデアを高齢者が引き出し、ブラッシュアップしたことが寄与したというのです。高齢者と若者が互いの特性を活かすことで1プラス1が2以上になる可能性が示唆されました。  このことから各世代が持っている強みを互いに活かすことによりワーク・エンゲージメントが高まることがわかります。 Aリバース・メンタリングの効果  若手が上司やベテランに新しい知識や価値観を教える「リバース・メンタリング」の取組みも注目されています。若手がDXや新しいツールなどの使い方や知識をベテランに教えるのです。一方、ベテランは洞察力や人間関係づくりなどを伝えることで双方向学習が可能になります。こうした上下関係を超えた関係は、世代間の壁を取り除き、信頼関係を構築することから、組織としての取組みが望まれます。 Bコミュニケーションの場をつくる  高齢社員とのコミュニケーションは、会社としてなんらかのしかけづくりをすることでスムーズに行われる場合もあります。例えば、高齢社員が持っている知識・スキルを発表する勉強会やセミナーなどの場をつくることで、質問や提案を通じて話すきっかけが生まれます。また最近ではコミュニケーションアプリなどを活用し、事前にいろいろな世代を無作為に組み合わせて仕事以外の話題を話し合うようにしかける会社も増えてきました。ささいな会話からコミュニケーションが深まることもあるので、そのきっかけづくりが重要です。  こうしたコミュニケーションの工夫も高齢社員のワーク・エンゲージメントを高めることになります。 F経営者・管理職に求められる姿勢  AIの発展が加速するいま、企業の成長を左右するのは単に効率的なデータ処理や自動化ではなく、むしろ人がつくり出す創造的視点が必要になってくるといわれています。  そのようななか、高齢社員をいままでのように「支援の対象」として見るのではなく、「ともに組織をつくる仲間」としてとらえる視点が求められます。高齢者がいままでつちかってきた経験、知識、スキルを最大限活かせる職場環境をつくり、また全世代のコミュニケーションを活性化させる取組みが、企業競争力を高める要になるのです。 図表1 ワーク・エンゲージメントの3要素 要素 内容 活力(Vigor) 仕事に対して精力的で、困難にも立ち向かう力がある状態 熱意(Dedication) 仕事に誇りや意義を感じ、挑戦しようとする姿勢 没頭(Absorption) 仕事に集中し、時間を忘れるほどの没頭感がある状 出典:Schaufeli, W. B., & Bakker, A. B. (2004). Job demands,job resources, and their relationship with burnout and engagement: A multi‐sample study. Journal of Organizational Behavior, 25(3), 293-315 図表2 高齢社員の思い 高齢社員の思い 背景と説明 @経験を活かしたい 長年つちかった知識やノウハウが発揮できないと、「自分の存在価値がない」と感じやすい A周囲から大切にされたい かつて部下だった若手が上司になるケースもあり、人間関係の変化に戸惑う。命令系統は変わっても必要とされたい B正当に評価されたい 「定年後だから同じ評価はむずかしい」という扱いは、やる気を大きく削ぐ要因となる。行った仕事は正当に評価してほしい C自分のペースで働きたい 加齢による体力の衰えに応じた働き方を選択したい。会社一途の働き方でなく、生活全体の一部として考えたい D将来への不安 年齢や収入減への不安を抱えながらも、「働けるうちは社会の一員でいたい」と願う ※筆者作成 図表3 強みを見つけるプロセス ステップ1 うまくいった仕事は? 部門をまたぐプロジェクトのリーダーとして目標達成した ステップ2 うまくいった理由は? ・異なる価値観の人をまとめた ・傾聴した ・細かく計画して納期を守った ・細かいところに気を回した 出典:橋伸典『定年後自分らしく働く41の方法』三笠書房(2024年) 図表4 強みにあった役割・仕事例 強み 役割・仕事 @人との調整が得意 社内外の連携担当 A根気強くていねいに教えられる 若手育成や技術伝承担当 Bお客さま対応が得意 信頼構築・苦情処理のアドバイザー Cコミュニケーション力がある 顧客対応、セミナー講師 D長年の経験を通じて、時代や技術の変化を受け入れる度量を持つ DX推進のサポート役(現場との橋渡し)新制度・新ツール導入時のトライアルリーダー ※筆者作成 図表5 高齢者と若者との協働による創造性の考察 研究概要: 被験者を「若者同士」、「高齢者同士」、「若者×高齢者」のペアに分け、創作課題に取り組むことで創造的アイデアの創出を比較する 研究結果: ■異世代ペアの方が創造的な成果を出す傾向があった ■高齢者は経験的・現実的な視点を、若者は新奇な発想を提供した ■相互の尊重や傾聴が創造性を高める鍵になった ■世代差は対立ではなく刺激として機能した 出典:田渕 恵・三浦麻子(2019)「創造的課題における高齢者と若年者の世代間相互作用の特徴」『老年社会科学』41(3):322-330 解説2 高齢社員に求められるマインドセットとリスキリング 株式会社社会人材コミュニケーションズ 代表取締役CEO社長 宮島(みやじま)忠文(ただふみ) @はじめに  高齢社員のワーク・エンゲージメントを高め、能力を最大限に発揮してもらうためには、高齢社員がやりがいをもって活躍できる場をつくり出すことが必要となります。そのためには制度の整備が必要ですが、同時に高齢社員自身にもマインドセットや、能力を発揮してもらうためのリスキリングが必要となります。本稿では、この高齢社員に求められるマインドセットとリスキリングについて、私のミドル・シニアの活躍支援をしてきた経験よりご説明いたします。 Aワーク・エンゲージメントを高める要因  ここでは、キャリア支援の現場から見えてくる高齢社員のモチベート要因をあげていきます。  まず一つめのモチベーションが下がる要因は、他者承認が少なくなることです(図表1・2)。これはポストオフや報酬の低下という精神衛生要因の低下ではありますが、なによりもいままで企業に貢献してきた自負もあることから、企業から否定されているように受け取られていることがあります。  逆の視点で見ればモチベーション向上には他者承認が必要となります。再雇用契約に変わるのは制度的にはやむを得ないことではあります。しかしながら「頼りにしていますよ」というメッセージは制度面からも伝えることは可能です。  二つめの要因は、目標がなくなることです。いままでは昇進・昇給や新しい部署・事業といった将来の展開が期待されていたわけですが、この可能性がなくなることです。追う目標がなければ、どのように行動すべきかも見失ってしまいます。ゆえに新たな目標設定が必要となります。もちろん目標に対する評価などのフィードバックも必要です。  三つめの要因は、高齢社員は自身の知識や経験を活かす場を求めているが、この機会が減少することです。ゆえに対応策としては自身の知識や経験を活かしている実感を得られるようにすることが必要です。もっとも自身の知識・経験がどのようなものかを把握できていない、言語化できていない方が大部分であり、いまのままの職場で続けたいということになりがちです。前提として自身の知識・経験がこれからの変化のなかでも転用できることを理解していただくことが必要です。  四つめの要因は、組織や若手社員に貢献できているという実感(自己有用感)が湧かないことです。新たな貢献方法を明らかにすることで、ポストオフや再雇用により自分の役目は終わったと認識させないことが重要です。  五つめの要因は、健康やライフスタイルの変化です。どうしても健康面が気になる年齢となります。制度などでこの点に配慮されていると認識されることが必要です。 B高齢社員に求められるマインドセット  高齢社員に求められるマインドセットについては、私が実際に活躍しているシニア社員の方々に接してきた経験を整理したものとなります。拙著『定年がなくなる時代のシニア雇用の設計図』(日本経済新聞出版、2025年)では、10点ほど列挙していますが、ここではそのなかでも「傾聴ができ、そしてネガティブワードは吐かないを基本とし、年齢相応の器の大きさを持つ」、「年齢を重ねるほど手を動かす」という点について触れたいと思います。 ■傾聴ができ、そしてネガティブワードは吐かないを基本とし、年齢相応の器の大きさを持つ  役職定年を迎えポストオフになったり、再雇用後に報酬が下がったりといったことから、モチベーションが下がるのは理解できないことではありません。しかしながらシニアとして、なによりもプロフェッショナルとして、その心情を表に出してしまうのは、あるべき態度とはいえません。  人の話を傾聴し、ネガティブワードを吐かないためには、一つめに「人の話を受け入れられる」こと、二つめに「きちんとしたやりとりが行える」ことがあげられます。後者には「人の話を受け入れられる」も含まれるのですが、特にシニアにおいては重要なのであえて分けています。これらの対応ができる人には周囲も声をかけやすくなります。その結果、情報量も増え、自身の知見を活用する機会も得ることができ、頼られる存在となっていきます。  一つめの「人の話を受け入れられる」ようになるためには、その言葉の通り、「まずは」相手の話を聞く、そして何を語りたいかを理解し共感する、といったことが必要です。年齢や性別、肩書きに関係なく、多様な考え方を採り入れることが重要です。特にシニアの場合、元の部下など年下や若手に対してオープンになることが必要です。そして話を聞くだけではなく、聞いた意見を自らの仕事に反映させていくことが、重要な相手に対する意思表示になります。  二つめの「きちんとしたやりとりが行える」ようになるためには、どうすればよいでしょうか。大前提は先に述べた「人の話を聞く」ことです。なぜなら、それによって当然、相手は質問をしやすくなる、話しかけやすくなるからです。特に、経験値の高いシニアは、周囲から頼られる存在にならねばなりません。質問がしにくい、相談がしにくいとなると、本来果たすべき役割の一つである若手の育成もままならなくなります。そのうえで、評論家になるのではなく、自分がどのように貢献するかという意識を持ち、問いかけにストレートに返答をすることが必要です。 ■年齢を重ねるほど手を動かす  この「年齢を重ねるほど仕事で手を動かす」という点ですが、手を動かさないということは二つの意味を持っています。  実際に口だけで手を動かさない、すなわち作業を分担「しない」という意味が一つめです。ミドル・シニア社員にかなり目につく点だと思います。二つめは、そもそも作業を分担「しようとしない」という態度です。チームメンバーが忙しいのに、自らその一翼をになおうとしないという態度です。  「作業を分担しない」という点については、とかく年齢が高くなってくると、管理職ではなくても、また役職に関係なく、実際の業務や雑務は部下や若手に任せてしまうことに原因があります。もちろんほかのメンバーを動かしながら経験を積ませることも重要なミッションですが、その一方で、現場仕事ができなくなっていくと同時に、現場の情報も入ってこなくなります。加齢とともに視力が弱まりますから、細かい作業はやりたくないという意識も強くなります。結果として基本的な関係者の調整や資料作成、事務作業全般、そのほかの雑務ができなくなってしまいます。一方で、パソコン作業や情報化は日々進化しているため、完全に時代に乗り遅れてしまうのです。  「作業を分担しようとしない」という点はどうでしょうか。多くのキャリア支援事例を通して見ていると、仕事の獲得行動”が弱い傾向にあることに原因があるように思います。ただし、これはミドル・シニアにかぎらず若手にもいえることです。要するに、主体性がなく「雇われ」意識が強い=「受け身」の人が多いということです。  転職支援の際の面談、あるいは入社後にも垣間見えるのですが、多くの人が高い「問題“解決”能力」を有しています。しかしながら「問題“発見”能力」は必ずしも高いとはいえません。  問題“発見”能力が弱ければ、自ら進んでこの仕事を分担しますという態度につながることもありません。相手の困りごとを発見することもできず、受け身的な仕事の仕方が続くことになります。  では、「手を動かす人は何ができるのか」ですが、チームとしてどのような作業が必要とされているのか、自身はどう貢献できるのかを理解し(問題発見)、他者からいわれる前に実際に作業を分担し、かつ、完成させてくれる人です。完成させるためには、つねに最新の知識をインプットし、使える状態になっている必要があります。 C高齢社員に必要なリスキリング  ここでは高齢社員が活躍するために求められるリスキリングについてご説明します。 ■基本的にはいままでの経験を強化する内容  高齢社員に求められるリスキリングは、基本的にはいままでの経験をさらにバージョンアップさせるためのものと考えます。  理由は、いままでの経験を活かすことによりモチベーションの向上が図れること。自身の過去を否定するのではなく、意味のあったものと再確認するためにも重要です。さらなる理由は、高齢社員のアドバンテージを活かすことになるからです。いままでの経験は実践に基づくものであり、実際に起きた複雑な現象から学んできたものです。実務の場面ではリスク予測などで力を発揮するものといえます。  もっとも社会の変化により陳腐化してしまっているものもあります、そこでリスキリングが必要となります。経験を活かすという意味ではリスキリングというよりはアップスキリングといったほうがよいかもしれません。 ■自身の進化を支えるインプット・アウトプット  ここでいう“リスキリング”は、座学、すなわち教科書的な勉強だけではありません。自身をバージョンアップするためのすべての学習(インプット・アウトプット)を意味しています。自らの体験や調査・研究も含む広いものです。例えば、新しい環境を体験する・新たな仕事に挑戦するということも含まれますし、仕事にかかわる情報収集、将来予測・分析も含まれます。特に仕事で得られた知見・経験は大きな学びになります。あるいは教科書的な勉強であっても、その内容はAIやDXのような最新知識だけでなく、それまでに得ていなかったさまざまなものも含みます。  ただし、ここでいう勉強は、キャリアにかかわるものでなければなりません。趣味にかかわる知識も大事であることは否定しませんが、自身のキャリアビジョン実現に直接関係ないものは、短期間のうちに自らのキャリア構築に寄与するとはいいがたいものがあります。すなわち、「自身の進化を支えるインプット・アウトプット」が、ここでいう学び=リスキリングとなります。 D活躍できるための要件とモチベーションを高めることを連動させるには  最後に、組織や管理職に求められるマネジメント方法です。先述のようなマインドを高齢社員に持ってくださいといってもなかなか腹落ちすることではありませんので、高齢社員にこれらのマインドセットを持ってもらうための機会を設けることが必要となります。  具体的には自身の貢献方法を考える機会となるキャリアマネジメント研修を「きっかけ」として、自身のキャリア観を「実現(選択)する場面」が必要です。そのうえで、例えばフリーエージェント制や目標管理時点でのミッションの設定など、自身のキャリア観と会社の期待する役割の整合を図る場を設けてゆくことが考えられます(図表3・4)。  以上となりますが、本稿が少しでもみなさまの企業での高齢社員のワーク・エンゲージメント向上と活躍につながれば幸いです。最後までお読みいただきありがとうございました。 図表1 会社の制度に対する満足度 弊社2024年調査より ミドルシニアの活躍や人材活用を目的とした会社の制度や施策に満足しているか 大いに満足している 1.9% 満足している 7.4% 普通 30.6% 満足していない 26.9% 全く満足していない 33.3% 資料提供:株式会社社会人材コミュニケーションズ 図表2 会社からの期待感 弊社2024年調査より あなたは会社から期待されていると感じるか 大いに感じている 38.7% 感じている 29.0% 普通 22.6% あまり感じていない 9.7% 全く感じていない 0.0% 「会社と仕事の満足度」とのクロス集計 会社からの期待を感じている 今の会社に満足している50% 今の仕事に満足している58% 会社からの期待を感じていない 今の会社に満足している10% 今の仕事に満足している30% 図表3 キャリアの裁量の有無 弊社2024年調査より 社内で自分の仕事を選択することができるか(異動についての自分の意見が通るなど) 社内に選択する制度があり、希望をすれば条件により自身の意志が採用される 22.6% 社内に選択する制度はあるが、実際には希望は通らないと思われる 29.0% 社内に選択する制度があるかわからない 9.7% 社内に選択する制度がない 38.7% ※選択する制度…FAやジョブマッチングへの応募など 資料提供:株式会社社会人材コミュニケーションズ 図表4 やりがいを感じる施策(希望) 弊社2024年調査より 会社のミドルシニア向けの制度や施策として、どういうものであればやりがいを感じるか どのような制度があったらよいか 全体の割合 キャリア自律を支援するための研修 17.6% 経験やスキルを活かした活躍の場の提供 14.7% 柔軟な働き方・処遇制度 14.7% FA・ジョブマッチング制度 11.8% 定年以降の処遇改善(現役社員と同等の待遇) 8.8% 副業支援 5.9% 教育の機会や支援 5.9% シニアに求める役割・スキル基準値の可視化 5.9% 複線型人事制度 2.9% 本気の人材活用制度 2.9% 早期退職支援制度 2.9% 特に期待していない 5.9% 資料提供:株式会社社会人材コミュニケーションズ 解説3 ワーク・エンゲージメントを高めるための 健康経営○R(★)からのアプローチ 株式会社健康企業 代表・医師 亀田(かめだ)高志(たかし) @ワーク・エンゲージメントの高い高齢社員像  仕事柄、各地の企業、自治体、団体などを訪問する機会が多いですが、近年、高齢社員の割合が高い会社が目立つようになってきました。50歳以上が社員の過半数を占める職場も少なくありません。70歳までの就業機会の確保で人材不足をカバーしても、10年以内に60歳以上が過半数を占めることになります。  少子化の影響は今後も続くので、事業継続を目ざすには高齢社員の活用、活躍が絶対条件になります。読者のみなさんは具体的なイメージを思い浮かべることができるでしょうか。  今回の特集で取り上げられている「ワーク・エンゲージメント」を展開する会社・職場の目標は、始祖であるウィルマー・B・シャウフェリ先生の言葉を借りれば、“情熱を持って働く高齢社員を確保し、増やしていくこと”になります。  社員の立場から見ると、“何歳になってもできる仕事があることに喜びを感じ、職場では精力的に献身的に打ち込んでいること。自らの職務に没頭しており、あっという間に終業時間が来ると話しているベテラン社員になる”というイメージです。  しかし、還暦前後で役職を解かれ、定年から継続雇用で報酬が下がり、モチベーションを保つことができず退職を考える人。最近では「静かな退職」と呼ばれる最低限の職務をこなすだけの人。そうしたワーク・エンゲージメントとは程遠いシニア社員が多数派になっていないでしょうか。これでは会社の存続可能性を保ち、高めるべき「稼ぐ力」は期待できません。 A健康経営、健康投資とその効果  そうした状況を打破し、生涯現役の志を持って、職場に貢献してくれる高齢社員を生み出し、増やしていくために企業経営者、人事・労務担当者が取り得る施策が、経済産業省の推進してきた「健康経営」です。  同省によれば、健康経営、具体的な取組み、その効果は図表1のように定義され、説明されています。  経済産業省は、特に優良な健康経営を実践している大企業や中小企業などの法人の「見える化」をねらった健康経営優良法人認定制度を進めてきました。日本健康会議が認定する顕彰制度であり、現在は日本経済新聞社が受託・運営しています。企業規模に応じて、大規模法人部門と中小規模法人部門に分けて、上位となった法人には各々「ホワイト500」と「ブライト500」、「ネクストブライト1000」の冠が付加されます。この認定を取得するために準備作業や申請に取り組んでおられる読者もおられることと思います。 B高齢社員の稼ぐ力を高める健康経営  一般には健康管理と経営という二つの言葉は一致しない印象があるかもしれませんが、高齢社員の健康を二つの側面から考えるとわかりやすいと思います。WHO(世界保健機関)は第二次世界大戦後に発効した憲章のなかで健康を定義しました。その英文には健康に関する五つの条件が示されています。 @深刻な病気がないこと A心身が弱っていないこと B身体的によい状態であること C精神的によい状態であること D社会的によい状態であること  このうち@とAに示される高齢社員が深刻な病気を持ち、不調で心身が弱っていることは病気による休暇と休職の増加、就労時間中の生産性の低下につながります。健康経営の考え方では、前者を「アブセンティーズム」、後者を「プレゼンティーズム」と呼称し、その低減を目ざすことになります。その損失の軽減策は厚生労働省の管掌(かんしょう)する労働安全衛生法令に定められたコンプライアンスにあたります。定期健康診断、ストレスチェックの実施、医師の面接指導の実施や判定結果に基づく就業上の措置を実施することとオーバーラップします。  他方、B、C、Dで表現される「よい状態」は原文の“well-being”という英語の邦訳です。これを総合的に表現できるのが、「ワーク・エンゲージメント」です。損失ではなく、プラスをもたらす健康、つまり仕事から活気を得て、“天職”という言葉の通りに仕事との絆を感じ、熱中・集中し、喜びを感じ、時間を忘れるほど没頭する高齢社員となります。これを経営的にとらえなおすと、高いパフォーマンスを発揮する高齢社員、「稼ぐ力」を発揮できる高齢社員を増やしていくことが健康経営の目標となるのです。 C健康経営の推進でワーク・エンゲージメントの向上をねらう  健康経営の旗を振るのは健康管理の担当者、健康管理を管掌する人事総務部門の責任者、担当者ではありません。そもそも担当役員以上、できれば経営者ご自身が関心を持ち、その展開にコミットすること、つまり説明責任と結果責任の両方を果たそうとすることが重要です。  会社をあげての方針表明が起点になりますが、先の優良法人の申請では、健康経営を実行する宣言、方針表明と社内外への発信が必須であり、ワーク・エンゲージメントの向上とともに高齢社員への健康施策を謳うことが可能です。  そうした際に参照できるのが、先般の国会で可決・成立した改正労働安全衛生法の第62条(中高年齢者等についての配慮)で、来春の施行に向けてさらなる展開の検討がなされている施策です。特にその一つである中央労働災害防止協会で開発された職場改善ツール、「エイジアクション100」の一番目のチェック項目「高年齢労働者のこれまでの知識と経験を活かして、戦力として活用している。」という文言が重要です。  そのポイントは高齢社員の安全衛生管理対策の方針表明の前に、“戦力としての活用”が謳われている点です。そのうえで、産業医などの医師、保健師などの専門家の関与を含む体制と仕組みを整備し、具体的な高齢社員に対する施策を選択し、実行していくことになります。公開されている『健康経営ガイドブック(2025年3月版)』を参照しながら、健康経営戦略マップを作成し、社内で共有し、ウェブサイトなどで社内外に公表することもできます。高齢社員のワーク・エンゲージメント向上に特化した形のフローを図表2に示しました。  こうした対応は加齢にともなう疲労感の増大、心身の病気や不調、給与額の減少といった高齢者として社会から扱われる状況で低下しがちな高齢社員のワーク・エンゲージメントの向上に効果が期待できます。人間は努力に応じた報酬を求める傾向があり、強く貢献を求められるのに報酬が乏しく、それが極端な場合には「燃え尽き」となる可能性があります。ストレスチェックでは測定しませんが、その理論は「努力−報酬不均衡モデル」として知られています。  高齢社員にとっての報酬は外発的な地位、肩書きと給与額といった面と、内発的な敬意と尊敬、感謝といった人間的なやり取りも重要です。会社をあげて「健康経営を推進する」と宣言し、特に高齢社員の戦力としての活用や後述する具体策を展開すると高齢社員にとっての強力な内発的な報酬となります。上記のフローで示した高齢社員のワーク・エンゲージメント、「稼ぐ力」を高めることが期待できます。 D加齢にともなう四つの健康課題に対する健康経営の具体策  高齢社員に対する健康管理は、1970年代に当初は旧労働省、その後は厚生労働省により推進されてきました。現在は65歳までの雇用確保措置が各事業主の義務とされるなか、加齢にともなって顕在化する、安全衛生・健康管理上の課題には、心身の機能低下、労災事故、私傷病の増加、個人的な悩みごとの四つがあります。  厚生労働省施策に合わせて、範囲を広げてきた健康経営の取組みは、その四つの課題の影響を軽減しつつ、ワーク・エンゲージメントの向上にも結びつけることができます※。 @加齢にともなう労災事故のリスクを低減する措置 (1)下肢筋力、バランス能力、敏捷性、視覚・聴覚といった身体機能の低下などにともなって転倒災害のリスクが増大します。その防止のために行う身体機能を補う設備・装置の導入や職場環境の改善を行うことも健康経営の一環と位置づけることができます。安全管理対策では、ヒヤリハット事例などを洗い出し、危険マップを作成し周知することも実施できます。 (2)高齢になるほど腰痛症に悩む社員が増えていく可性能があります。重量物などの運搬における作業姿勢の改善、休止、休憩時間の確保といった高齢社員の特性を考慮した「作業管理」を行うことは腰痛症の防止とその悪化を防ぐことに効果があると考えられます。 A加齢にともない感じやすい疲労を予防する措置 (1)加齢にともなって自覚的な疲労感は増大しやすく、回復に時間を要するようになります。短時間勤務、短日数勤務、残業や休日勤務の免除などを従業員自身が選択できる制度を設けることで疲労回復を助けることができる可能性があります。 (2)フレックスタイム、時差出勤、自宅から近い勤務地への配置転換、テレワークの導入を高齢社員の希望にしたがって行うことができるよう、制度設計して、周知することもできます。疲労が蓄積しやすく、体力低下傾向に対して、業務負担の軽減を図り、公共交通機関、自家用車による通勤負担への配慮、例えば時差出勤制度も実施できます。 B加齢にともなう体力低下や持病に応じた業務負担への配慮 (1)定年後の再雇用者(有期雇用)であっても、正社員の場合と同じように、治療と仕事の両立に役立つ病気休暇・休職制度を設けることで離職を防ぐとともに会社に対する信頼と安心をもたらすことができます。 C高齢社員の健康の保持・増進の知識とスキルを意味する「ヘルスリテラシー」の向上を目ざした健康教育や健康増進活動の実施 (1)高齢社員を対象とした、運動習慣、食生活見直し、禁煙、節酒と睡眠を取り上げたセミナーを産業医、保健師などの方々に依頼して、継続して実施していくことができます。病気の予防だけでなく、日々の体調が改善し、コンディションがよくなっていくことは、ワーク・エンゲージメントに好影響を与えます。上述の「疲労を予防する措置」や「体力低下や持病に応じた業務負担への配慮」を平行して行うことで、先述の内発的報酬を高め、そのことでより健康的な生活習慣を継続できる可能性が高まります。そうした状況からワーク・エンゲージメントを持続的に維持、改善するという好循環に結びつけることも可能です。 (2)加齢によって低下しがちな運動機能のチェック、例えば、中央労働災害防止協会による「転倒等リスク評価セルフチェック」を実施するなどの体力測定を通じて先述の転倒災害の防止を推進することができます。その際に定期健康診断後の結果通知からの保健指導と同じように、測定、チェックのやりっぱなしでなく、いかに改善に結びつけるのかを産業医、保健師などの方々の支援を仰ぎながら、労使で取り組んでいくことができます。 (3)骨の問題(骨粗鬆症(こつそしょうしょう))、関節軟骨などの問題(変形性関節症)、筋肉などの問題(サルコペニア)を背景とする痛み、関節の動きにくさ、柔軟性と筋力とバランス能力の低下、姿勢の変化から、移動がむずかしくなる問題を総称する「ロコモティブシンドローム(通称、ロコモ)」のチェックを行うことが可能です。例えば、40pの台に腰かけ、片足で立ち上がり、3秒維持するという「立ち上がりテスト」を実施することができます。ヘルスリテラシーの一つとしての運動習慣の習得と維持のための動機づけにもなり、退職後のフレイル(身体的、精神的、社会的虚弱)から介護へと続く流れの防止にも役立ちます。ただし、上述の体力測定とともに測定の際に高齢社員がけがをしないよう十分に注意する必要があります。 ★「健康経営○R」は、NPO法人健康経営研究会の登録商標です。 ※第3回健康経営推進検討会 参考資料1-5 株式会社日本経済新聞社提出資料「健康経営優良法人2026(中小規模法人)認定申請書(素案)」(2025年7月18日) 図表1 健康経営の定義 ・「健康経営とは、従業員等の健康保持・増進の取組が、将来的に収益性等を高める投資であるとの考えの下、健康管理を経営的視点から考え、戦略的に実践すること」 ・「健康投資とは、健康経営の考え方に基づいた具体的な取組」 ・「企業が経営理念に基づき、従業員等の健康保持・増進に取り組むことは、従業員等の活力向上や生産性の向上等の組織の活性化をもたらし、結果的に業績向上や組織としての価値向上へ繋がることが期待される」 出典:経済産業省ヘルスケア産業課「健康経営の推進について」(2022年6) 図表2 高齢社員のワーク・エンゲージメント向上をもたらすフロー 高齢社員の安全衛生・健康管理の具体策の実践 ・ヘルスリテラシーを高める健康教育の実施 高齢社員の健康アウトカム指標の改善 ・保健指導、医療機関への受診を通じた健康指標の改善 高齢社員の感じる“働きがい”、“年下の上司との信頼関係”、“給与額”も関係する 業務パフォーマンスの向上 ・測定されるワーク・エンゲージメントの改善 会社の価値向上 ・高齢社員の活躍による売上げ、利益の向上 ※筆者作成 コラム 日常的な「ありがとう」の重要性 一般社団法人日本メンタルアップ支援機構 代表理事 大野(おおの)萌子(もえこ)  「ありがとう」、たった五文字の言葉が、職場の空気を変える力を持っています。感謝の言葉は、単なる礼儀やマナーにとどまらず、職場における人間関係の潤滑油として、組織の健全なコミュニケーションを支える魔法のフレーズです。  職場では、業務の効率化や成果の追求が優先されるあまり、日々の小さな貢献や気配りがあたり前のように扱われがちです。「仕事なんだから当然」という思いから、些細な業務に対してあえて感謝を伝えないことも多いでしょう。しかし、そうした「あたり前」に対して感謝を伝えることは、相手の存在や努力を認める行為であり、承認欲求を満たす大切なコミュニケーションです。特にシニア社員にとっては、若手社員からの「ありがとう」が、自身の経験や知識が活かされているという実感につながり、自己肯定感を高めるきっかけとなります。自己肯定感が高まると、仕事への意欲や責任感が向上し、結果としてワーク・エンゲージメントの向上にもつながります。  ワーク・エンゲージメントとは、仕事に対する熱意・没頭・活力をさす概念であり、社員が自らの役割に意味を見いだし、前向きに取り組む状態をさします。シニア社員が長年つちかってきた知識や経験を活かし、組織のなかで自信を持って活躍するためには、周囲からの承認や感謝が不可欠です。感謝の言葉は、単なる「気持ちの表現」ではなく、「存在の承認」でもあるのです。  また、「ありがとう」は一方通行ではありません。若手社員がシニア社員に感謝を伝えることで、世代間の壁が取り払われ、相互理解が深まります。シニア社員もまた、若手の成長や挑戦に対して感謝や賞賛を伝えることで、職場に温かな循環が生まれます。このような感謝の連鎖は、職場全体の心理的安全性を高め、チームの協働性や創造性を育む土壌となります。  実際、日常的に「ありがとう」が交わされる職場では、離職率が低く、社員満足度が高い傾向があるという調査結果もあります。感謝の言葉が飛び交う環境は、社員一人ひとりが「ここにいていい」と感じられる場となり、結果として組織の持続的な成長にもつながるのです。  そして、「ありがとう」を伝えることは、特別なスキルを必要としません。会議後の一言、資料作成を手伝ってくれた人への声かけ、ちょっとした気遣いへの感謝など、日常のなかに無数の機会が存在します。大切なのは、「感謝すべきこと」に気づく感性と、それを言葉にする勇気です。小さな「ありがとう」の積み重ねが、職場に「ここに居場所がある」という安心感を生み出します。  「ありがとう」は、コストゼロで始められるもっとも効果的な職場改善の一手です。  シニア社員のワーク・エンゲージメントを高める取組みは、制度や研修だけではなく、こうした日々のコミュニケーションの積み重ねから始まります。「ありがとう」が自然に交わされる職場こそが、世代を超えてだれもが力を発揮できる、真の「共創」の場となるのではないでしょうか。