高齢者に聞く 生涯現役で働くとは 第110回  渡部惠さん(73歳)は、40代で「働く人の協同組合」にかかわり、30年超の経験を積み重ねてきた。全員で出資して経営に責任を持ち、労働をになうという先進的な世界で、豊かに生きることの本質を模索し続けてきた渡部さんが、生涯現役で働く醍醐味(だいごみ)を語る。 労働者協同組合事務局 ワーカーズ・コレクティブJam(ジャム) 渡部(わたべ)惠(めぐみ)さん 縁あって出会った「生活クラブ」  私は千葉県市川(いちかわ)市の生まれです。地元で学生時代を過ごし、20歳のとき、総合商社に就職しました。当時の風潮として女性社員は親元から通っている人ばかりが採用される時代でした。  配属されたのは財務部資金課でした。仕事は楽しく、長く働きたかったのですが、結婚を機に退職しました。隔世の感がありますが、そのころは結婚したら退職する女性がほとんどで、結局私も入社後7年半で家庭に入り、神奈川県に引っ越しました。  その後しばらくは専業主婦が続き、二人の男の子に恵まれました。子育て中に食生活の大切さに気づき、「生活クラブ」の食品(消費材)に興味を持つようになって自然と加入しました。生活クラブには「班」と呼ばれるグループがあり、班の仲間との語らいも楽しみの一つでした。下の子が小学校に上がったころだったので、家から通えるところで働きたいと思っていたところ、班の仲間の一人から「生活クラブが人を募集しているから、一緒に話を聞きに行こう」と声をかけられました。幸いなことに採用されて、自宅から徒歩5分の生活クラブ海老名(えびな)配送センターが私の職場になりました。40歳で新たな人生がスタートしました。  女性が結婚を機に退職し、専業主婦になることが一般的な時代があった。しかし、実際には仕事を続けたかった女性もおり、渡部さんもその一人。「働きたかったのは家事が嫌いだったからかも」と渡部さんは笑った。 生活クラブの理念と実践に学ぶ日々  海老名配送センターの仕事は事務全般にわたりました。組合員向けの伝票やお知らせのセット、簡単なワープロ入力、申込書の整理などです。7年半の総合商社での経験は大いに役立ちました。人生で無駄な経験など何一つありません。ただ、生活クラブの理念などを深く理解していなかったので、毎日が勉強だったことも事実です。例えば、生活クラブには独自の言葉があり、代表的なものは「商品」のことを「消費材」と呼ぶことです。これは市場にあふれる「商品」の問題点を生活者の視点で見直し、利益を得ることを目的にしないで、組合員のために「消費されるもの」としてとらえるのです。毎日学ぶなかで、生活クラブがどんどん好きになりました。一緒に働く人たちも魅力的で、組合員を増やすという大切な任務に明るく取り組む姿に励まされました。私が働き始めた翌年に協同組合事務局「ワーカーズ・コレクティブJam」を立ち上げました。それまでの配送センターの仕事から一歩前に踏み出したのです。  生活協同組合である生活クラブは半世紀の歴史を誇る。1982(昭和57)年から「ワーカーズ・コレクティブ」という協同労働の模索が始まる。Jamの誕生から33年が経ち、はじめはかぎられた業務の委託だったが、総務関係や組織管理、共済事業など業務の幅が拡大した。 周囲の人たちに支えられ  私の仕事は、最初は組合員に配付するカタログやニュースのセットなどの基本業務だけでしたが、そのうち経理や物流関連、文書管理、施設備品管理などの総務業務を担当するようになりました。現在はコールセンターができたのでなくなりましたが、当初はコールセンターがなかったので苦情の電話対応も仕事でした。やりがいもあり、組合員から怒られながらも、そこで言葉の選び方などを身につけていきました。仕事というものはどんなことからでも学べるのだと思います。  気がつけば、生活クラブ一筋に30年が経ちました。続けてこられた秘訣をあげるなら、好奇心と周りの人の助けのおかげだと思います。Jamの業務の一つに本部事務局という部門があります。ここを担当しないかといわれたときはさすがに躊躇(ちゅうちょ)しました。Jamの基幹会議に関連する資料の手配や、議事録作成、税務などを一手に引き受けなければならず、ハードルが高いと思ったからです。それでも結局引き受けて、パソコンの操作の基本を家で夫に教わり、練習をくり返してなんとかみなさんのお役に立てるようになりました。海老名センターに所属しつつ、本部事務局に週2回通い、人手不足のほかのセンターにも応援に行きました。これらを通したいろいろな人との出会いが、私の財産になっています。  働く人の協同組合には、活動の実態に合った法人格がなかったため、社会化が進まなかった。その解決のために1990年代初頭より法律の制定運動が始まり、2020(令和2)年に「労働者協同組合法」が国会で成立。その2年後に法律が施行されたことは渡部さんたちの働き方の追い風となった。 生涯現役で働ける喜び  労働者協同組合はひとことでいえば「働く人の協同組合」です。働く人たちが自主的に力を集めて仕事をつくり出していくことは、社会にもプラスになるのではないでしょうか。労働者協同組合法が30年近くの歳月を経て制定されたことに励まされました。  Jamは生活クラブからの業務委託が中心ですが、自主管理と自主運営、自分たちの考えで行動していかなければなりません。それはなかなかたいへんですが、やりがいもあります。  生活クラブの消費材はテレビで宣伝されるわけでもなく、一般の人へのお知らせはチラシです。いまはインターネットもありますが、チラシ撒きの30年であったような気がします。組合員を増やすために戸別訪問をしたこともあります。若い方に安心できる消費材を知ってほしくて、おむつが干してある家を目ざして訪問したことは、懐かしい思い出です。  私たちの仲間はいろいろな世代がいます。労働者であり経営者でもありますから、ときには赤字を出すこともあります。会議の席で赤字の話になっても、同じ目的をもって同じ方向に歩んでいるので信頼感があります。お互いをリスペクトしていることが強みかもしれません。  現在の私の勤務形態は、週2日。本部のコールセンターに通っています。もともと所属しているセンターにも、月5日ほど顔を出しています。若いメンバーから相談されたときは、じっくり話を聞くようにしています。  おかげさまで風邪一つひいたことがない丈夫な身体をもらったので、両親には感謝しています。プールに週1回通い、スイミングやウォーキングを楽しんでいます。身体も自主管理が大切ですからヨガにも通っています。  趣味といえば、旅行や観劇、読書。6歳と3歳の孫に会うのも楽しみの一つです。とにかくこの年齢まで働かせてもらえることに感謝しつつ、自分の仕事に誇りをもって、生涯現役という道を歩いていきます。