ジョブ・クラフティング JOB CRAFTING 入門 釧路公立大学 准教授 岸田(きしだ)泰則(やすのり)  働く人が、自ら仕事に対する認知や行動を変えることで、仕事をやりがいのあるものへと変える手法「ジョブ・クラフティング」。役職定年や定年後再雇用により、それまでの業務や役割が変更となり、モチベーションの低下が懸念されるシニア世代のパフォーマンスの向上に向け、ジョブ・クラフティングは効果的といわれています。最終回となる今回は、ジョブ・クラフティングの支援について解説します。 最終回 シニア社員のジョブ・クラフティングの支援 @はじめに  日本社会は急速に高齢化が進み、企業では定年延長や再雇用制度により、高齢者雇用の取組みが進められています。一方で、「何を目標にすればよいのかわからない」、「以前のように力を発揮できない」と悩むシニアも少なくありません。  こうした状況で役立つのがジョブ・クラフティングです。自分の仕事のやり方を工夫したり、周りとのかかわりを変えたり、仕事の意味をとらえ直したりすることで、働きがいを再発見することができます。  しかし、ジョブ・クラフティングは本人の努力だけでは続けにくいものです。上司や組織からの支援があってこそ、日々の小さな工夫が長続きし、成果につながります。そこで、最終回となる本稿では、シニア社員のジョブ・クラフティングを支援するために重要な「マネジメント」と「研修」の二つの柱を解説します。 Aジョブ・クラフティングのマネジメント  ジョブ・クラフティングは、「やれ」と命じられてできるものではありません。むしろ、上司や組織が「安心して試せる環境」をつくることが大切です。ある地方銀行では、上司が「お客さま対応で工夫できることがあれば試してみてください」と伝えたことで、シニア社員が窓口業務に独自の工夫を加えました。具体的には、高齢の顧客に対してわかりやすい言葉で手続きを説明するカードを自作し、待ち時間に簡単に目を通せるようにしたのです。その結果、顧客からは「安心して相談できる」という声が増え、金融商品への信頼度も高まりました。シニア社員自身も「自分の工夫が顧客満足につながった」と感じ、新しい役割意識を得ることができました。支援の基本は環境づくりにあるのです。  森永(2023)はアソビ≠残したマネジメントの重要性を指摘しています。やりがいを感じるためには、ネジ穴のアソビのような余白をつくっておくことが大事なのです。アソビとは上司に逐一報告せずに進められる少しの自由度のことであり、アソビがあることでシニア社員は自分らしい工夫を試せます。逆に、すべてがマニュアル通りだと工夫が制限され、働きづらくなります★1。  例えば、小売業のシニア社員が「接客中にお客さまにひとこと声をかける」という工夫を自主的に始めました。決められたセリフではなく、天気や地域の話題を織り交ぜることで、常連客との会話が弾みました。これが売上げにもつながり、同僚も「真似したい」と取り入れるようになります。アソビがあるから工夫ができるのです。  前回※1でも解説しましたが、ジョブ・クラフティングにも副作用があります。例えば、「やりすぎ」、「こだわりすぎ」、「抱え込みすぎ」といった状態に陥ると、かえって職場全体に悪影響を及ぼすことがあります。  「やりすぎ」のケースでは、シニア社員が独自に接客方法を工夫しすぎて標準マニュアルを逸脱し、ほかの社員との対応に差が出てしまうなどの例があります。顧客に混乱を与える結果となり、本人の意図に反して職場全体に負担をかけてしまいます。  「こだわりすぎ」のケースでは、あるベテラン社員が自分なりのやり方に強く執着し、新しいシステムの導入を受け入れられず、組織の指示に従わないことがありました。その結果、チーム全体の生産性が下がり、職場に不協和音が生じました。  「抱え込みすぎ」のケースでは、後輩を思いやるあまり、自分一人で業務を引き受けすぎたシニア社員が過労状態になり、結局は体調を崩して長期休職につながってしまったことがありました。善意からの行動でも、過剰になると本人も職場も苦しくなります。  このような副作用を防ぐためには、上司が個人の工夫の意図は評価しつつ、職場全体とのバランスを見て調整する役割を果たすことが欠かせません。ジョブ・クラフティングは自律的な行動ですが、社員のジョブ・クラフティングが組織の許容できる範疇を超えたときには、上司がその業務を適正なレールに戻してあげることが必要です。その結果、本人の意欲を損なわずに組織にとって健全な方向へ導くことができるのです。  マネジメントにできる支援は次のようなものが考えられます。第1に行動を起こす支援です。まず試してみるように社員の背中を押すのです。第2に行動を方向づける支援です。成果や課題を上司が一緒に確認し、改善の方向を示してあげることができます。第3に心理的安全性の確保です。上司は、社員が失敗を恐れず工夫できる雰囲気をつくる必要があります。これには、年齢や立場にかかわらず多様な工夫を認めるインクルーシブ・リーダーシップというスタイルをとるといいでしょう。実務的にいえば、「まずやってみよう」といえる上司がいる職場ほど、シニア社員のジョブ・クラフティングは広がりやすいのです。 Bジョブ・クラフティング研修  シニア社員にとって、ジョブ・クラフティング研修は「新しい挑戦を始める場」であると同時に、「これまでの経験を整理して次に活かす場」でもあります。若手向けの研修がスキル習得や行動変容に重点を置くのに対し、シニア向けの研修では「自分の強みや価値観をどう活かすか」、「役割の縮小をどう受け入れ、意味づけを変えるか」といった視点が重視されます。  一般的な研修の流れは共通しています。まず導入では、ジョブ・クラフティングの考え方や事例を紹介します。「小さな工夫で仕事の意味が変わる」ことを理解することで、受講者は安心して学びに取り組めます。続いて自己診断の時間を取り、日々の業務や人とのかかわり方をふり返りながら、「ここは自分に合っている」、「ここにストレスがある」と棚卸しします。  そのうえで、各自がジョブ・クラフティング計画を作成します。シニア社員の場合、例えば「若手への指導を自分の役割として明確化する」、「体力的に厳しい作業は補助に回り、代わりに作業チェックをになう」、「患者への声かけにひとこと工夫を加える」といった小さな目標が設定されるとよいでしょう。計画はSMART(具体的・測定可能・達成可能・関連性・期限を意識する)※2の原則で具体化し、翌日からすぐに実行できるようにします。  ジョブ・クラフティング研修では、「まずは自分の手持ち業務から工夫していこう」というように、「背伸びしすぎない目標設定」が重要です。また、シニア社員にとっては、研修を通じて同じ立場の仲間と体験を共有できることが大きな励みとなります。「ほかの人も工夫している」と知るだけで、モチベーションが維持されやすくなります。そして、シニアのジョブ・クラフティング研修に必要なことは、「これまでつちかった経験を棚卸しして活かすこと」と「新しい自分なりの工夫を見つけること」の両方を後押しする仕組みです。研修の場はあくまできっかけにすぎませんが、その後の実践と上司や職場の支援があれば、シニア社員は自分の役割を再定義し、活き活きと働き続けることができます。 Cジョブ・クラフティング研修の事例紹介  筆者自身も、ある企業と共同でジョブ・クラフティング研修を企画、実施してきました。その研修の特徴は「上司を巻き込む仕組み」と「継続的なフォローアップ」を取り入れた点です。従来の研修は1日かぎりの集合型で終わることが多く、効果が数週間で薄れてしまう課題がありました。そこで、私たちは1回目の集合研修で各人にジョブ・クラフティング計画カード(図表)を作成してもらい、それを上司に説明する面談を必須としました。上司が計画の意図を理解し、承認やフィードバックを与えることで、現場での実践が進めやすくなります。研修効果を持続させるためには、上司を巻き込んだ研修デザインが必要となると考えたのです。その結果、シニア社員のジョブ・クラフティングの実践が職場に根づきやすくなります。あるシニア社員は「上司に『やってみればいいじゃないか』といわれただけで、自分の工夫に意味があると確信できた」と話しています★2。  さらに、1カ月後には半日のオンライン研修を実施し、そこでの実践をふり返りました。同時にオンラインサロンを立ち上げ、研修受講者と講師、キャリアコンサルタントが交流できる場を設けました。仲間同士の支え合いが「ほかの人もがんばっている」と実感できる後押しとなり、行動が継続されました。  研修受講者のジョブ・クラフティングの実践内容を見ると、シニア社員特有の「世代継承型ジョブ・クラフティング」が目立ちました。例えば、あるシニア社員は自らの担当業務を自主点検マニュアルにまとめ、暗黙知を形式知化しました。別のシニア社員は、顧客対応の場面で「雑談を増やす」という小さな工夫を取り入れ、周囲の反応を見ながらコミュニケーションのあり方を変えていきました。また、当初「職務の幅を広げたい」と大きな目標を掲げていたシニア社員も、研修を通じて「まずはいまの業務を楽しんで取り組むことから始めよう」と目標を調整しました。これは拡張的ジョブ・クラフティングと縮小的ジョブ・クラフティングをうまく組み合わせた実践であり、シニア社員が無理なく新しい役割を見つけていくプロセスそのものです。  このように、上司を巻き込み、仲間とつながる仕かけをつくることで、ジョブ・クラフティング研修は単なる学びの場にとどまらず、職場で持続する行動変容へとつながることが確認できます。 Dおわりに  ジョブ・クラフティングは大きな改革ではなく、日常の小さな工夫です。シニア社員がそれを続けるためには、上司の理解や同僚の協力が欠かせません。  例えば、ある再雇用社員が「自分の強みを活かして若手に資料作成を指導したい」と提案したとき、上司が「ぜひやってほしい」と承認しました。結果として若手はスキルを学び、シニアはやりがいを得るという好循環が生まれました。逆に、同じような提案に対して「そんなの必要ない」と突き放した上司もいました。その職場ではシニア社員が萎縮し、結局新しい工夫は生まれませんでした。上司の姿勢ひとつで結果が大きく変わるのです。  また、ある病院のシニア清掃員は、自分の仕事を「患者さんの療養を支える大事な役割」と考えるようになり、誇りを持って働いています。こうした事例は、ジョブ・クラフティングが日常の仕事に誇りと意味を与えることを示しています。  シニア社員が自分らしく働き続けるためには、ジョブ・クラフティングを「自分だけの工夫」に終わらせず、組織として支援することが欠かせません。マネジメントは伴走者として方向を示し、研修は小さな工夫を始めるきっかけと継続支援を提供します。「年を重ねたからこそできる工夫は何か?」、この問いかけに答えることが、シニア社員のキャリアを支え、組織の未来を強くしていくのです。 【参考文献】 ★1 森永雄太(2023)『ジョブ・クラフティングのマネジメント』千倉書房 ★2 岸田泰則・大野瑠衣(2025)「ジョブ・クラフティング研修の実践的課題の検討」日本労務学会第55回全国大会 ※1 https://www.jeed.go.jp/elderly/data/elder/book/elder_202511/index.html#page=50 ※2 具体的=Specific、測定可能=Measurable、達成可能=Achievable、関連性=Relevant、期限=Time-bound 図表 ジョブ・クラフティング計画カード ジョブ・クラフティング計画カード ・何をしますか? ・いつ? ・どこで? (上司からのコメント) 出典:岸田泰則・大野瑠衣(2025)「ジョブ・クラフティング研修の実践的課題の検討」日本労務学会第55回全国大会