技を支える vol.359 表も裏も美しい独自の両面立体刺しゅう 立体刺しゅう作家 北井(きたい)小夜子(さよこ)さん(68歳) 「一針の集中がとても大事です。時間をかけて“120%”を目ざすことで、見たことのない作品を生み出すことが可能になります」 黄綬褒章(おうじゅほうしょう)受章を記念してつくった「黄綬蝶」  黄綬褒章の両脇で輝きを放つ2匹の蝶(写真上)。プラチナ糸と本金糸(ほんきんし)で刺しゅうされており、羽にはダイヤモンドがあしらわれている。羽は本物のように開閉することができ、裏側も表と変わらない美しさを保っている。  この作品「黄綬蝶」を制作したのは、「立体刺繍Sayoko」の北井小夜子さん。独学で30年以上かけて築き上げた唯一無二の技である「両面立体刺しゅう」が国に認められ、2024(令和6)年度の卓越した技能者「現代の名工」に選出。さらに2025年には黄綬褒章を受章した。「黄綬蝶」はそれを記念してつくられた。 試行錯誤を重ね ほかにない刺しゅうを実現  北井さんは趣味で刺しゅうを始め楽しんでいた。転機となったのは1991(平成3)年の毎日新聞社主催の「全国刺繍コンクール」。出品作は窓辺に止まる小鳥やパンジーの鉢植え、室内の家具類などを立体で表現した意欲作で、最優秀賞を受賞した。  「だれにも習ったことがないので、つくりたいと思うものをどうすれば形にできるかを考えて、試行錯誤しながら形にしてきました」  そんな北井さんには、以前から気になっていることがあった。  「普通の刺しゅうは、表はきれいでも裏はきれいではありません。それを自分のなかでどうにかしたいとずっと思っていました」  それから何年も研究を重ねて両面立体刺しゅうの技法を確立した。一般的な刺しゅうでは、「二本取り」、「三本取り」といわれる、数本の糸を一度に刺していくやり方が主流だが、北井さんは一度に一本しか通さない「一本取り」で刺しゅうする。その分、時間はかかるが繊細さを表現できる。  「針を布に対してまっすぐ刺し、裏側を指でしっかり押さえて、まっすぐ引き上げ、糸がとまったらそれ以上引かないという刺し方を基本とし、この動きをひと針ずつくり返しながら、表を刺すのと同時に裏側も表と同じように刺していく独自の『両面刺しゅう』を行い、両面を同じようにきれいに仕上げることができます」  この技法は糸にも生地にも負担をかけないため、毛羽立(けばだ)ちにくくゆがみもなく、洗濯してもほつれないほど丈夫だという。  刺しゅうする糸は、綿の刺しゅう糸よりも細くすべりやすいレーヨンの糸をはじめ、硬いプラチナ糸や本金糸、さらにラメ糸などを組み合わせ、糸によって引く加減を調整しながら刺すことで、光沢のある刺しゅうを実現。さらに「ぐし縫い」という独自の技法で繊細なグラデーションも表現する。  「すべて自分で考えながらつくっているので、失敗も多いです。でも失敗を重ねてきたことで、ほかのだれにもできない作品をつくれるようになりました」 病と30年つき合いながら刺しゅうに向き合ってきた  2018年に集大成として展示会を開いたところ、作品に感銘を受けたブライダルファッションデザイナーの桂(かつら)由美(ゆみ)氏から声がかかり、翌年のパリコレクションのウェディングドレスに作品を提供した。また、北井さんの作品は海外のデザインコンペでも受賞し、ジュエリーやインテリアとしても世界的に高く評価されている。  北井さんは30年間リウマチを患いながら刺しゅうを続けてきた。痛みで針に糸を通すことすらできない日もあるが、「刺しゅうに集中していると痛みを忘れる」という。  「刺しゅうだけが楽しみ。もし、病気をしていなければ、ここまで来ることはできなかったでしょう」  現在は生徒の一人が後継者に育ち、技術の継承を進めている。また、両面立体刺しゅうを一人でも多くの人に知ってほしいと、自らSNSなどを活用した情報発信にも力を入れている。  つくりたいもののイメージを思い描きながら、一針一針に心を込める。長年にわたるその姿勢が、だれも見たことのない美しさを生み出している。 立体刺繍Sayoko TEL:090(3539)4630 https://www.rittai-shisyuu.net (撮影・羽渕みどり/取材・増田忠英) 写真のキャプション 光沢のある糸を使い分け、ていねいな刺しゅうで、繊細で美しい作品をつくりあげる。背後のタペストリーのフクロウや木の枝も、立体刺しゅうで表現したもの プラチナ糸、本金糸(24 金)、カラー金糸、ラメ糸などを使い分け、糸を引く加減を調整しながら、繊細な刺しゅうを実現する 鳥は、羽を一枚ずつ刺して立体に組み立てている。この作品を桂由美氏が気に入り、パリコレクションに参加することにつながった 森英恵(はなえ)氏が立ち上げたNDKファッションショーに出品した、刺しゅうの蝶をあしらった白無垢(しろむく)のドレス(右)。左は留めそでをリメイクしたドレス 色が徐々に変化するように刺しゅうする独自の手法「ぐし縫い」。自然なグラデーションを表現できる スケルトンのステッキのなかに、花に止まる蝶の刺しゅうを施した作品。黄綬褒章の授賞式にも持参した。「高齢の方も普通の杖には抵抗があるもの。こんな杖でおしゃれを楽しんでほしい」との思いで制作した 左右対称かつ複雑な模様を持つオオムラサキは、北井さんの作品のなかでももっともむずかしいものの一つ。左右対称になるように刺しゅうをすることは、難易度がかなり高いという