(写真提供:有限会社三陽会館 サンヨーフォトスタジオ)
技を支える
vol.350
大切な写真を修整する「スポッティング」の技
写真師
坪井(つぼい)幸子(さちこ)さん(77歳)
「お客さまの要望をうかがったうえで修整するのが基本です。根気のいる仕事ですが、お客さまに喜んでいただけるのが、何よりの喜びです」
創業90年の老舗写真館を支える「かわさきマイスター」
 七五三や成人式などの記念写真や証明写真などを撮影する街の写真館。スマートフォンでだれでも気軽に写真を撮れるようになった現在でも、照明などの機材が整ったスタジオで、プロの写真師による撮影を求める人は少なくない。
 神奈川県川崎市で1936(昭和11)年に創業した「有限会社三陽(さんよう)会館(かいかん)」も、そんな写真館の一つ。顧客の8割は地元だが、残りの2割は県外からわざわざ訪れる。その理由は、2代目の坪井幸子さんが手がける和装での撮影だ。婚礼写真を撮影する会社に勤めていた経験を活かし、着物姿を美しく写真に収めることができる。特にむずかしいとされるのが、女性が婚礼衣装を着て座った状態での撮影だ。座っても着物が乱れないように、重しなどを使って整える必要がある。それができる写真師はいまでは少なく、SNSを見て海外から訪れるカップルも多いそうだ。
 そしてもう一つ、坪井さんの特筆すべき技術に「スポッティング」がある。この技術が特に評価され、2021(令和3)年度「かわさきマイスター」に認定されている。
筆を使った修整により面影をきれいに再現
 スポッティングとは、筆とインクを使って写真に修整を施すこと。坪井さんは極細の筆を使い、絵を描くように修整し、人物の表情をきれいに整える。シワを消すことはもちろんのこと、つぶった目を修整して“開かせる”こともできる。
 パソコン上での修整が主流になっている現在でも、坪井さんのスポッティング技術が求められることがある。特に依頼が多いのが遺影用の写真だ。古い写真や小さな写真を拡大して使うことが多く、輪郭をはっきりさせるためには、パソコン上で修整するよりも、写真に直接描いたほうがきれいに仕上がる場合があるという。
 「例えば、黒目の部分をよく見ると、黒いのは中心部だけで周囲はやや茶色だったりします。また、少し口角を上げて表情を和らげることもあります。そういう微細な修整はパソコンよりも筆を使ったほうがやりやすいですし、より自然な修整ができます」
 スポッティングに興味を持ったのは10代のころ。家業を手伝うなかで、独学で修整した写真が喜ばれたことがうれしかったという。その後、婚礼写真を撮影する会社で働くなかでその技術が認められ、他社からも依頼されるようになった。
 フィルムが使われていたころは、ネガの修整も手がけた。ネガにニスを塗り、顔のしわなどを鉛筆の芯で消していく。その細かい仕事ぶりを評価し、遠方から写真修整を依頼する顧客も多かったそうだ。
 「いろいろな修整を頼まれるなかで、どうすればよりよくできるだろうと試行錯誤を重ねてきました」
 使用するインクについても、修整して乾いたときだけでなく、時間が経っても変色しにくいインクを探し求めてきた。長年愛用してきたドイツ製のインクが製造中止になると、入手しやすい画材で代用できる方法を編み出した。
お客さまに喜ばれる技術を子や孫へ引き継ぐ
 現在、写真館は娘の麻衣子(まいこ)さん夫婦が経営している。麻衣子さんの息子も大学で写真技術を学んでいる。麻衣子さんはこう話す。
 「息子と一緒に、母が手がけた遺影写真の納品に行ったことがあります。そのときに、お客さまがその遺影を見て泣いて喜ばれて、玄関から見える場所に飾っていました。その様子をみて『おばあちゃんの仕事って喜ばれる仕事なんだね』と感動した体験が、息子が写真の道を選ぶきっかけになりました」
 坪井さんは数年前に背中を疲労骨折し、一時は寝たきりの状態だった。その後のリハビリで、現在は杖をついて歩けるまでに回復。ふだんはスタジオで撮影の監修などを行っている。和装での撮影やスポッティングでは、いまも坪井さんの技術が欠かせない。その技術をゆくゆくは娘や孫に引き継ぐつもりだが、自分自身も「手の動くかぎりやり続けたい」と話してくれた。
有限会社三陽会館 サンヨーフォトスタジオ
TEL:044(222)4473
https://3youkaikan.sakura.ne.jp
(撮影・羽渕みどり/取材・増田忠英)
写真のキャプション
極細の筆で絵を描くように修整する。元の写真にインクを馴染ませながら、輪郭をはっきりさせるとともに、よりよい表情に再現するのがポイントだ
遺影に修整を加える前(左)と後の写真(右)。元の写真は爪の大きさほどのサイズ。より明るい表情になっている
フォトスタジオのある三陽会館ビル。川崎駅にほど近い繁華街にある(写真提供:有限会社三陽会館 サンヨーフォトスタジオ)
2021年度に受賞した「かわさきマイスター」の楯。横の写真は、若いころの坪井さん
記念写真や証明写真の撮影では、撮影の技術に加えて、被写体の姿勢や表情、身だしなみに気を配ることも大切な要素。撮影前にベテランの視点でチェックする
記念写真を撮影した人へのサービスとして、写真をアルバムに綴じて進呈している。家族の成長とともにアルバムが何冊にもなる常連の顧客も多い
専用の写真修整インクを用い、色味を写真に合わせて調整しながら修整を行う。写真に馴染みやすく、変色しにくいインクを一貫して追求してきた