Leaders Talk No.120 ウェルビーイング重視社会の実現に向け日本発の国際規格ISO25554が発行 一般財団法人日本規格協会 システム系・国際規格開発ユニット 社会システム系規格チーム 主席専門職 水野由紀子さん みずの・ゆきこ 一般財団法人日本規格協会にて、ISO・IECでの国際標準化業務に従事。おもに高齢社会分野を担当し、社会課題の解決に向けた日本提案の規格開発をサポート。令和元年度国際標準化奨励者表彰(産業技術環境局長表彰※)およびIEC1906賞を受賞。 ※ 現在は、イノベーション・環境局長表彰  2024(令和6)年11月、ウェルビーイング重視社会の実現に向けた国際規格「ISO25554」が発行しました。超高齢社会の課題先進国として日本が主導したもので、健康経営○R(★)のエッセンスを抽出し、高齢者を含む労働者個人と、労働者を雇用する企業の双方のウェルビーイングの向上にも資するものとして期待が集まります。今回は、ISO25554の発行にあたり、中心的な役割をになった一般財団法人日本規格協会の水野由紀子さんにお話をうかがいました。 ★「健康経営○R」は、NPO法人健康経営研究会の登録商標です。 ウェルビーイングの促進に向けた世界共通のガイドライン ―企業の社員や自治体の住民のウェルビーイング(心身の健康と幸福)の向上に役立つ国際標準化機構(ISO)のISO25554が2024(令和6)年11月に発行しました。水野さんはその開発に尽力されたと聞いていますが、所属されている日本規格協会について、まずは教えてください。 水野 日本規格協会グループは「標準化で、世界をつなげる」をスローガンに掲げています。標準化とは、自由に放置すれば、多様化、複雑化、無秩序化してしまうような“モノ”や“事柄”を単純化、秩序化することです。例えば、乾電池は「単3形」などその大きさや形状を標準化することで、どの製品にも使用することができます。その標準化によって決められた“取り決め”を文章に記したものが規格です。日本規格協会は標準化に関して規格の開発、普及および啓発などを行っています。 ―国際規格の「ISO25554」は日本提案の規格と聞いています。どのような経緯で提案、発行に至ったのでしょうか。 水野 私はISOの国際規格開発業務にたずさわっていますが、ISOの専門委員会(TC)314において高齢化社会に対応するための規格開発を担当しています。ウェルビーイング向上を目ざすISO25554もTC314で提案・開発されたものです。経済産業省では企業の健康経営を推進していますが、この考え方をベースに国際標準化したいとの声があがったことが最初のきっかけです。その後、企業だけではなく、自治体やさまざまな組織で活用できるウェルビーイング促進の規格をつくろうということで、2021年にISOのTC314に新規プロジェクトを提案し、委員会の投票で可決され、7月から審議がスタートしました。TCに対応する各国内には、その意見を取りまとめる国内委員会があり、日本では日本規格協会が担当しました。25554開発のためTC314に設置されたワーキンググループの議長およびプロジェクトリーダーに、佐藤(さとう)洋(ひろし)氏(国立研究開発法人産業技術総合研究所)が就任し、私が会議の運営やプロジェクトの管理を担当するセクレタリを務めています。 ―プロジェクトには、日本をはじめ約20カ国が参加しています。審議はどのように進むのですか。 水野 当初は「ウェルビーイングとは何か」について議論しました。一般的には身体や精神面、社会的によい状態であることと定義されますが、具体的に何かとなるとさまざまな意見があり、文化的背景や社会制度の違い、価値観によってとらえ方が違うことがわかりました。議論を重ねるなかで、ウェルビーイングは多義的で文化や背景によって異なるという認識を共有し、取り組むべきウェルビーイングの領域は各組織が定めるという方向性を確認しました。一方で、ウェルビーイングを促進するためにアプローチできる枠組みが必要ですので、世界共通のガイドラインをつくろうと開発を進めました。 ―ISO25554の具体的な概要について教えてください。 水野 まず企業や自治体、さらにはもっと小さいコミュニティなどの組織を対象に、ウェルビーイング向上を推進するための枠組みを示しています。具体的には、@ウェルビーイングのどの側面の向上を目ざすのか、目的を明確にする、A目的達成のためのプログラムや製品の仕様などを決めたうえで実践・展開する、Bその結果、個人および組織のウェルビーイングをどの程度達成できたのか、客観的な指標を用いて計測し、次の改善につなげていく、というPDCA的なサイクルの枠組みを提示しています。  ウェルビーイング促進の取組みを行っている企業は多いと思いますが、そもそも目ざす具体的な目標があまり明確ではなかったり、目標が明確であったとしても達成するためのプログラムがそれと結びついていないケースもあります。仮に結びついていると思っていても結果が検証されていないこともあります。やりっぱなしではなく、計測可能な指標を使って評価し、そのうえで改善し、次につなげていくというプロセスが大切になります。 組織におけるウェルビーイングの向上が従業員のエンゲージメントを高める ―企業で実践する場合、具体的な目標や計測する指標などはどうすべきでしょうか。 水野 25554の規格は、多様な組織が活用できるような枠組みを提示していますが、具体的な取組み内容まではふみ込んでいません。各企業の状況に応じて自由に設定いただくことを想定しています。25554は抽象度の高い内容になっていますが、現在、同規格のパート2として、実際に枠組みに沿った取組みを収集・分析した事例集を作成しているところです。日本国内の健康経営に取り組んでいる事例も含め国際委員会のワーキンググループで検討しており、事例集ができあがれば、規格の具体的な活用方法の参考になるものと期待しています。  枠組みに沿って企業が25554に取り組む際は、まず「自社にとってウェルビーイングとは何か」を決めていただくことが大事です。職場のウェルビーイング向上では体の健康や人間関係など職場環境の改善などが考えられますが、その目的達成に向けて具体的なステップをつくって取り組んでいただきたいと思います。それが、従業員のエンゲージメントを高め、仕事に対するやりがいやワーク・ライフ・バランスの向上など、個人のウェルビーイングの向上につながりますし、ひいては企業のサステナビリティや業績の向上にもつながると思います。 ―生涯現役社会を迎え、働く高齢者のウェルビーイングの向上も重要になっています。どのように取組みを進めればよいでしょうか。 水野 TC314で2022年に発行した「ISO25550(高齢化社会―さまざまな年齢層を含む労働力のための一般要求事項とガイドライン)」が参考になります。ガイドラインでは、高齢労働者が生産的に働く機会を提供するための環境整備に向けた要件を提供しています。具体的には、「フレキシブルな働き方の提供」、「健康支援プログラム」、「継続学習」、「職場環境の改善・整備」、「若手社員と高齢社員との協業支援」などの項目をあげています。  フレキシブルな働き方の提供では、短時間勤務などワーク・ライフ・バランスを重視した職場環境の改善も必要です。例えば、月曜日の午前中に毎週必ず病院に通う人がいれば、通院に配慮した働き方の提供が求められます。健康支援プログラムでは、定期健康診断以外にも歩くことを奨励したり、健康リテラシーを向上させるためのプログラムを考えたりすることもよいと思います。継続学習ではデジタルなど新しい技術を学び、高齢者が取り残されることのないように人材としてフルに活用すること、そのために企業側が就労環境にマッチしたサポートを提供することが大事になると思います。職場環境の改善・整備では、人間工学的な観点から、例えば高齢社員に合わせて部屋の明るさを調整する、文字を見やすいように大きくする、といった工夫も必要です。また、建物については、段差のないバリアフリーの環境にする、腰痛を予防・軽減するためにいすと机の配置を考えることなども重要となります。 小さいグループでの取組みの積み重ねがウェルビーイング重視社会の実現につながる ―若手社員と高齢社員が協業して一つの仕事に取り組んでいる事例などは、すでに日本の企業にもありますね。 水野 高齢社員が若手社員とペアを組んで業務に従事することで相乗効果が生まれる可能性もあります。若い人も高齢者から学びつつ、高齢者も新しい気づきを得るなど、お互いに学び合うことも25550に入っています。フレキシブルな働き方や健康支援プログラム、職場環境改善のための例示も入っていますし、ぜひ参考にしていただきたいと思います。 ―企業にとっては、25550の取組みも含めて、25554のウェルビーイングの向上を推進するのがおすすめですね。 水野 そうですね。何をウェルビーイングとするかは、個々の企業文化や企業理念によって違いますので、そこをベースに具体的に取り組むテーマを設定することになります。その際、25554では「個人のウェルビーイングと企業組織のウェルビーイングの両方を考える」という内容になっています。ウェルビーイングに対する考え方は個人によって違いますし、その集合体としての企業の力点の置き方も、企業ごとに異なるでしょう。また、グループごとに実践することもできます。例えば、営業部門では「体力が一番重要」ということであれば、そのプログラムを実践する、あるいはつねに細かい文字を見ている部署であれば「視力を守るため」など、目ざすウェルビーイングは異なっていてもよいのです。小さいグループがそれぞれ実践し、積み重ねることで、ウェルビーイング重視社会が実現していくことを期待しています。 (インタビュー/溝上憲文 撮影/中岡泰博)