加齢による 身体機能の変化と安全・健康対策  高齢従業員が安心・安全に働ける職場環境を整備していくうえでは、加齢による身体機能の変化などによる労働災害の発生や健康上のリスクを無視することはできません。そこで本連載では、加齢により身体機能がどう変化し、どんなリスクが生じるのか、毎回テーマを定め、専門家に解説していただきます。第6回のテーマは「高齢社員のメンタルヘルス」です。 早稲田大学名誉教授 順天堂大学客員教授 竹中(たけなか)晃二(こうじ) 第6回 高齢社員のメンタルヘルス 1 はじめに  少子高齢化にともない労働力人口が減少するなか、高齢者の雇用促進が叫ばれています。雇用の延長や再就職を望む高齢社員の数は、経済的なニーズもともなって、今後も増えていくことが予測されます。しかし、企業における高齢社員の増加にともなって生じる年齢構成の偏りや役割分担の再構築などによって、彼らの意に沿わない事態も生じてきます。例えば、いままでの部下が上司になったり、慣れないパソコン作業やインターネットの操作に従事したりと、従来とは異なる業務に四苦八苦している高齢社員もいることでしょう。  また、高齢社員のなかには、「やりがいの持てる仕事を昔ほど任せてもらえなくなった」という不満があったり、一方で自身の身体は疲れやすく、体力の低下を自覚する人も増えてきます。  そのため高齢社員のメンタルヘルスを守るための課題を整理し、あらかじめ予防策を講じておくことは、企業にとって高齢社員の有効活用に役立ち、なによりも高齢社員自身の心身の健康を守るために重要なことです。 2 高齢社員の生きがい  高齢社員のメンタルヘルスに大きな影響を与える「生きがい」について考えてみましょう。高齢者にかかわる生きがいには、「生活地盤的要素(居りがい)」と「生活目標的要素(行きがい)」があります※1。「生活地盤的要素」とは、自分の存在意義ややりがいを表し、健康度、社会経済的地位、社会活動の3要素に大別されます。この要素は、まさに高齢社員が担当する仕事の変化にかかわっています。一方、「生活目標的要素」は、人生の価値や意義、喜び、張り合い、生きがいなどをさし、主観的幸福感の概念に相当し、広く生活の質に影響します。高齢社員のメンタルヘルスを守るためには、これら二つの要素に並行して配慮する必要があります。 (1)生活地盤的要素への配慮  高齢社員にとって、自分を犠牲にして積み上げてきた会社への貢献や実績は、彼らのプライドを支え、しかし若い世代や中間層の社員には理解してもらえないというもどかしさがあります。このもどかしさは、仕事についての動機づけを低下させる原因になります。しかし、この動機づけの低下は、さらに生活地盤的要素に悪影響をおよぼすために、会社側が行える対策と高齢社員自身が行える対処法を準備しておく必要があります。  また、職場などで生じるジェネレーション・ギャップは、仕事のやり方や価値観に大きな影響をおよぼします。50代後半〜60代の人は、長く会社中心の生活を送り、ゼネラリスト志向で、褒められるよりも叱られて育ち、がまんすること、皆勤、無遅刻・無欠勤が美徳と教えられた世代です。特にゼネラリストとして仕事を行ってきた世代には、スペシャリストや個性尊重といわれて育ってきた若い世代との違いを意識することになり、それらはストレスのもとになります。理不尽な下積み生活を続けてきた高齢社員にとって、下積みを嫌い、過程よりも結果を重視する中堅・若手とのつきあい方に戸惑いが生じています。さらに、世の中すべてのスピード感が速くなってきて、昔に通用していたことがいまに活かされないことが多くなっています。  しかし、活かせる内容もあります。仕事の本質は、自分の働きによってアウトプットに価値を加えること、よりよい成果を得るために効率的なプロセスを組むこと、だれか他者の役に立つことです。長くつちかってきた高齢社員の経験は、きっと本質的な仕事の価値に結びつくはずです。職場では、そういう彼らの経験を活かせる仕事を適材適所に配置し、ほかの世代への支援として役立っていることにやりがいを感じてもらうことです。一方で、お互いの接し方に注意が必要です。ほかの世代が高齢社員をリスペクトして学ぶ姿勢を持つこと、また逆に高齢社員の方からジェネレーション・ギャップの存在を意識したうえで、中堅・若手との関係づくりに注力することが重要です。 (2)生活目標的要素への配慮  生きてきた年数よりも、これから生きていく年数のほうが短くなり、仕事中心の生活だった高齢社員にとって、残された年数をどう生きていくかを考えることはきわめてむずかしい課題です。  職場では、ワーク・エンゲージメントと呼ばれるように、仕事に生きがいを見いだす生き方があります。ワーク・エンゲージメントとは、仕事に対してのポジティブで充実した心理状態のことで、仕事にやりがいを感じ、熱心に取り組み、仕事から活力を得ている状態です。しかし、ややもすると、仕事に対して依存的になってしまってメンタルヘルスを病む原因になりかねません。そこで、仕事と家庭、仕事と趣味のバランスを取りながら生活するワーク・ライフ・バランスを保つことが重要になります。  高齢社員は、ワーク・ライフ・バランスを保って生活を送っている周りの社員から学んでみたらいかがでしょうか。図表1は、メンタルヘルス状態のよい中高年者が日常生活で行っている「意味がある活動」です。これは、高齢者が日常生活において満足度を強化することを目的に推奨されているものです※2。仕事以外の活動にも目を向け、バランスの取れた生活を送ることで生活目標的要素が強化されます。 3 高齢社員がメンタルヘルス不調にならないために推奨する活動  ここからは、高齢社員のメンタルヘルス不調を予防する方法について解説していきます。働く人たちにとって、職場に心の問題が存在することをだれもが知っています。しかし、自分に何もなければ「人ごと」と思うだけです。多くの人がメンタルヘルスの職場研修に参加しているのですが、予防の観点が希薄で知識が実生活に活かされておらず、自覚症状がなければ何の行動もとらないのが実情です。周りが気がつき始め、またご本人に自覚症状が出てきたときには、すでに深みにはまっているものです。そうなれば、専門の病院や専門家に治療を行ってもらう対症療法に任せることになります。ここでも職場復帰が思うようにいかない場合は、優秀な人材を失うことになってしまいます。  職場で行うメンタルヘルス研修では、早期発見・早期対応が中心で、具体的な一次予防対策については触れられていません。本稿で紹介するメンタルヘルス不調への対策は、まず日ごろからストレス・マネジメントと呼ばれる予防(プリベンション)を生活のなかに取り込むこと、そしてポジティブ・メンタルヘルスの強化(プロモーション)を行うことです※2※3。  プリベンション(予防)とは、事前予防や一次予防のことで、ストレスなどが原因でメンタルヘルスが悪くなって体調を崩す可能性があることを前提にして、その原因を突き止め、和らげたり、対処法を身につけさせることです。一方、プロモーションは、メンタルヘルスについて意識や関心を高め、行動を起こしやすくすることで、ポジティブ・メンタルヘルス(喜び、楽しみ、充実感など)を強化し、ネガティブな反すう(嫌なこと、ストレスになることばかりに目を向けて大きくさせる)を和らげることにつなげます。 (1)プリベンション(予防):ストレスマネジメント  予防をになうストレス対処は、一般にストレス・マネジメント(ストレスの自己管理法)と呼ばれています※4。  ストレス・マネジメントでは、自分に立ちはだかるストレスを特定し、和らげたりするために以下の五つの対処法が考えられます。 @認知的方略:物事を合理的に考え、楽観的になり、気晴らしをする。 A対処資源の増強:能力、体力を増強し、よい人間関係を構築する。 Bリラクセーションまたはアクティベーション:緊張を解く(消化)、あるいはからだを動かす(昇華)。 C臨床的処置:専門機関を受診・通院し、治療を受ける。 D一時的避難:しばらく様子を見る、時間をおく。 (2)ポジティブ・メンタルヘルスの強化:メンタルヘルス・プロモーション  メンタルヘルス不調を起こすことを前提にして予防することとは別に、ポジティブなメンタルヘルスをいかにつくっていくかは、高齢社員のこころを守るうえで重要な課題です。欧米諸国では、専門的なメンタルヘルス・サービスにおいて精神疾患・障害を予防し、また治療を試みている一方で、ポジティブ・メンタルヘルスの強化を目的とする行動を積極的に奨励しています。これらの試みは、共通して、ネガティブ側面の低減に焦点を絞るのではなく、ポジティブ・メンタルヘルスの強化によってメンタルヘルス問題の予防をとらえている点が特徴です。  ここでは、その方法として、私たちがさまざまな場で推奨してきた活動のなかから、@こころのABC活動、A職場の雰囲気づくり:DJB(大丈夫?)、の2点について簡単に解説を行います。 @こころのABC活動(38ページ図表2)  私たちは、被災地域を中心に、「こころのABC活動」と名づけたメンタルヘルス・プロモーション活動を開始しました※5。「A:Act」は、散歩する、好きな音楽を聴く、友達と話すなど、からだ、こころ、そして人とも活動的に過ごすことをさします。「B:Belong」は、行事に積極的に参加する、趣味のサークルに参加するなど、社会的集団に属すことで集団への帰属意識を高め、同時に他者からのサポートを得やすくしています。「C:Chall enge」は、新しい活動に挑戦する、ボランティア活動を行う、困っている人を助けるなど、新規の活動や社会奉仕活動をうながす活動を意味します。それぞれの活動を、能動的に実践することで満足感や達成感を味わうことができます※6※7※8。  「こころのABC活動」では、肯定的な態度変容を目的として、対象者が望ましい活動に積極的に取り組み、メンタルヘルスをよい状態に保持することを目ざしています。動画(https://www.youtube.com/watch?v=i5RolvCetqY&t=28s)を配信していますのでぜひご覧ください。 A環境を整える:DJB(大丈夫?)(図表3)  職場で日ごろから声をかけあうことは、人間関係を円滑にするだけでなく、相手に相談しやすくさせます。メンタルヘルスに問題を持つ人は、その気持ちをだれかに伝えたり、ましてや専門家に相談したりすることはハードルが高いと考えがちです。専門家も問題を抱える人をいかに相談のテーブルにつかせるか、連絡させるかという援助要請をうながすことにむずかしさを感じています。オーストラリアで行われている「R U OK?(Are You OK?)」は、R U OK?と声をかけること、つまり人々が定期的に簡単な声がけをしあったり、それをきっかけに会話を行うことで地域メンバーを元気づけたり励ましたりするキャンペーンで、自殺を防止するために実施されています。私たちも、「DJB(大丈夫?)キャンペーン」と称して、メンタルヘルスに問題を持つ(かもしれない)人を含めて、彼らが相談しやすいように、さまざまな声がけをすることをうながしています。  以上、本稿では、高齢社員のメンタルヘルスと題して、メンタルヘルス不調のプリベンション(予防)やプロモーションについて述べてきました。人事・労務の部門にいらっしゃる方には、高齢社員の仕事のやりがいを確保しつつ、高齢者の特徴に合わせた対応が求められます。 ※1 谷口幸一(2010).高齢者の生きがい 佐藤眞一・大川一郎・谷口幸一編 老いとこころのケア:老年行動科学入門. ミネルヴァ書房 ※2 竹中晃二(2023).ヤング中高年:人生100年時代のメンタルヘルス.集英社新書 ※3 竹中晃二(2021).メンタルヘルス不調の予防を目的としたセルフケア活動実践のすすめ 看護 10, 76-81. ※4 Matheny, K.B., Aycock, D.W., & McCarthy, C.J. (1993). Stress in school-aged children and youth. Educational Psychology Review, 5, 109-134. ※5 竹中晃二・富永良喜共編(2011).日常生活・災害ストレスマネジメント教育―教師とカウンセラーのためのガイドブック― サンライフ企画 ISBN978-4-904011-37-9 C2047 ※6 竹中晃二・上地広昭・綾田千紘(2020).教員における仕事関連イベントが誘発する気分不調の改善―イフ・ゼン・プランの適用―ストレスマネジメント研究 16, 20-33. ※7 竹中晃二・野田哲朗・山蔦圭輔・松井智子(2020).気分症状改善・回復のための自助方略の検討―デルファイ法を用いた調査―. Journal of Health Psychology Research 33, 125-136. ※8 竹中晃二・上地広昭・吉田椋(2020).イフ・ゼン・プランを用いたメンタルヘルス・プロモーション活動の行動変容介入:準実験的研究 Journal of Health Psychology Research 33, 67-79. 図表1 「意味がある活動」の内容※2 活動の内容 定義 例 身体活 動運動・スポーツ、ハイキングなどのほか健康増進を目的として行う活動 ランニング、筋トレ、登山、ストレッチ ボランティア・地域貢献 他者、地域への貢献を目的とした、無償で行う活動 地域のゴミ拾い、子どもの見守り、動物の保護活動 自己研鑽・啓発活動 知識や能力を身につけ、スキルや技術を高める活動 資格勉強、語学、パソコン教室 ゲーム・動画視聴 スマートフォンやタブレットを用いて行うオンラインゲーム・動画の視聴 携帯ゲーム、テレビゲーム、動画視聴アプリ 音楽鑑賞・活動 音楽鑑賞や楽器演奏 CD、サブスクリプション、演奏 家事(衣食住関連) 日常生活を送るうえで必須となる衣食住全般の活動 料理、掃除、洗濯 家族の世話 育児、両親の介護 育児、両親の介護 読書・創作活動 読書、書道、描画などの創造的活動 読書、書道、描画 信仰 宗教的な意味合いを持つ活動 聖書、神社への参拝 動物の世話 飼育ペットの世話や協同活動 ペットの世話、ペットとの活動 ガーデニング 畑、家庭菜園ほか、庭づくり全般 畑、花の世話、家庭菜園 副業・投資・収集活動 副業・投資、趣味の収集活動 副業、投資、ポイント収集 図表2 こころのABC活動 具体的な例 A…Act からだ、こころ、そして人とも活動的になる 好きな音楽を聴く、好きな本を読む、積極的に外出する、友人とおしゃべりする、家族と今日のできごとを話す など B…Belong 趣味の会、食事会などの集まりに参加する 職場の行事に積極的に参加する、地域で活動する、健康教室に参加する、フィットネスクラブに加入する など C…Challenge さまざまなことに挑戦する 苦手な仕事を引き受ける、友人の相談に乗る、ボランティア活動に参加する、初めての楽器を習い始める など ※筆者作成 図表3  DJB(大丈夫?)キャンペーン 作成:早稲田大学応用健康科学研究室