知っておきたい労働法Q&A  人事労務担当者にとって労務管理上、労働法の理解は重要です。一方、今後も労働法制は変化するうえ、ときには重要な判例も出されるため、日々情報収集することは欠かせません。本連載では、こうした法改正や重要判例の理解をはじめ、人事労務担当者に知ってもらいたい労働法などを、Q&A形式で解説します。 第83回 コストカットをねらった役職定年制、無期転換権の不行使同意 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲/弁護士 木勝瑛 Q1 コストカットを目的に役職定年制の導入を考えているのですが、役職定年による賃金の減額は不利益変更に該当するのでしょうか  弊社は現在、経営難に悩んでおります。競業他社に比べて経費率が高く、また役職者の賃金額が高水準であることから、役職定年制を導入して、55歳以上の従業員の賃金についてコストカットをすることで経営状況を改善したいと考えていますが、問題ないでしょうか。 A  役職定年制は、賃金減額をともなう場合には、労働条件の不利益変更に該当します。そのため、@合理性のある就業規則の変更、または、A労働者の同意が必要になります(労働契約法第10条)。今回のように経営難によるコストカットを理由とする場合には、不利益の程度、変更の必要性、内容の相当性、労働組合等との交渉状況といった事情のほか、特定の従業員層(今回であれば 55歳以上の者)のみに負担を集中させていないかといった点が重視される傾向にあります。 1 役職定年制とは  役職定年制とは、従業員が一定の年齢に達したときに、その者の就いている役職を解く制度をいいます。例えば、55歳に到達した者については、その日以後に初めて迎える人事考課時に部長職および課長職を解くといった制度を構築するような場合が考えられます。  役職定年制のねらいは、さまざまあります。本件のように賃金支払総額の抑制によるコストカットを目的とする場合もありますが、高年齢者雇用安定法(以下、「高年法」)による高齢者の継続雇用が規定されて以降は、企業の新陳代謝を図る趣旨で導入されることも多いように思われます。  高年法では、現在、65歳までの雇用の確保が義務づけられているところ、その方法としては、@65歳までの定年の引上げ、A65歳までの継続雇用制度の導入、B定年制の廃止が規定されており、企業は、このなかのいずれかの方法により65歳までの雇用維持を図る必要があります(高年法第9条)。  この点に関連して、例えば、満60歳で定年退職する旨の定年制を有していた企業においては、従前であれば、従業員は、満60歳で退職することになるのだから、責任ある役職・ポストはそのタイミングで空くことが予定されていました。しかしながら、この企業が@65歳までの定年の引上げや、B定年制の廃止を選択した場合には、従前の制度のままだと、@を選択した場合には65歳まで、Bを選択した場合にはその者の退職または降格まで責任ある役職・ポストが空かないという事態に陥ることになります。  そこで検討されるのが役職定年制です。前述の通り、役職定年制を導入した場合には、高齢従業員の雇用を維持したまま、一定の年齢(55歳など)で、その役職のみを外すことができることになります。そのため、上位のポストを高齢従業員が保持し続けてしまうという問題を解決し、若年層の従業員に責任あるポストを与えて企業の新陳代謝を図ることが可能となります。 2 役職定年制の導入 (1) 賃金の減額をともなわない役職定年制  役職定年制には、役職手当の不支給や基本給の減額などの賃金減額をともなうもののほか、単に役職を解くのみで賃金の減額をともなわないものが想定されます。  役職定年制に関するリーディングケースであるみちのく銀行事件判決では、「五五歳到達を理由に行員を管理職階又は監督職階から外して専任職階に発令するようにするものであるが、右変更は、これに伴う賃金の減額を除けば、その対象となる行員に格別の不利益を与えるものとは認められない。したがって、本件就業規則等変更は、職階及び役職制度の変更に限ってみれば、その合理性を認めることが相当である」と判示しました(最高裁平成12年9月7日判決)。  この判例の論旨からすれば、賃金の減額をともなわない役職定年制については、その合理性は比較的肯定されやすく、役職定年制を導入する旨の制度変更の有効性が肯定されやすいものと考えられます。 (2) 賃金の減額をともなう役職定年制  企業としては、役職定年制により従来の役職を解き、その役職とひもづけられた業務や責任から解放するのであれば、その分一定程度賃金を減額したい、あるいは、そもそも賃金支払総額の抑制のために役職定年制を導入したいと考えることもあるかと思います。  もっとも、賃金の減額をともなう役職定年制の導入は、従業員の労働条件の不利益変更に該当するため、@就業規則の合理的な変更、または、A労働者の同意が必要になります。そして、賃金に関する不利益変更は労働者に対する影響が大きいため、その有効性は厳しく審査されることになります。 3 熊本信用金庫事件  コストカットを主たる目的とした役職定年制の導入が問題となった比較的新しい裁判例として、熊本信用金庫事件(熊本地裁平成26年1月24日判決)があげられます。  この事案では、役職定年制度の導入により減額される賃金の程度は、55歳到達後60歳までに毎年10%、60歳到達時には50%の削減率に到達するというものでした。  裁判所は、従業員の被る不利益について、「役職定年到達後の労働者らの生活設計を根本的に揺るがしうる不利益性の程度が非常に大きなもの」と評価したうえで、このような不利益の大きさからすれば、合理性を認めるためには「相当高度な経営上の必要性」があり、かつ、「不利益を相当程度緩和させるに足りる措置」が必要としました。  そのうえで、本件における賃金削減の必要性は「一定程度あった」ものの、近い将来に破綻するような危機が具体的に迫っているものとはいえないとして、高度の必要性までは認定せず、また、本件役職定年制は、55歳以上の職員のみに著しい不利益を与えるものであること、不利益緩和措置が不十分であることなどを理由として、変更の合理性を否定しました。  熊本信用金庫事件では、コストカットの負担を55歳以上の高齢従業員のみに負わせるようなものであったこと、その負担が著しいものであったこと、十分な不利益緩和措置がなされていないことが重視されています。  コストカットを目的として役職定年制を導入する場合には、役職定年制という制度上、役職定年制度単体で見れば、高齢従業員にコストカットの負担を負わせるものになってしまうことはある程度避けられないでしょう。そのため、合理性を担保するためには、ほかの年代にも負担を負わせるような制度と抱き合わせで導入したり、不利益の程度を小さくしたり、不利益緩和措置を講じたりといった工夫が必要と考えられます。 Q2 賞与の支給等を条件に、無期転換権を行使しないことの合意を得ことに問題はないのでしょうか  無期転換を迎えるパートタイマーの従業員について、製品の受注の変動もあるので、雇用の柔軟性は確保しておきたいと考えています。パートタイマーに対して無期転換申込権を行使しないことを前提に、代わりに手当を支給したり、賞与を多めに支給したりすることを検討していますが、本人が同意すれば、そうした対応は可能でしょうか。 A  無期転換申込権発生後であれば、十分な説明を受けた労働者が自由な意思により同意したならば、権利を行使しないことに合意することは有効と考えられます。ただし、無期転換申込権発生前の事前協議によってあらかじめ放棄させることはできません。 1 無期転換申込権の発生要件と留意点  有期労働契約を締結している場合、同一の使用者において、1回以上更新され、かつ、通算して5年を超える期間にわたって労働契約が継続しているときには、通算して5年を超える期間を含む労働契約の期間中において、有期労働契約から無期労働契約に転換する権利(以下、「無期転換申込権」)が労働者に与えられます(労働契約法第18条)。  無期転換申込権は、「別段の合意」がないかぎりは現状の有期労働契約の労働条件を維持しつつ、期間の定めについてのみ無期に変更する内容で労働契約を成立させることができる権利です。使用者は、労働者から無期転換を希望する旨申し込まれたときには、これを拒むことはできず、期間の定めのない労働契約の成立を承諾したものとみなされます。  なお、「別段の合意」として、労使間での合意を締結するか、または、就業規則に無期転換後の労働者を適用対象とする労働条件の規定を定めておけば、無期転換を機に労働条件を変更することは可能と考えられていますが、労働条件の変更がある場合には、労働条件通知書に明記するものとされています。この際に、無期転換申込権の趣旨を阻害するような労働条件の設定については、公序良俗に反して無効となるとも考えられています。  また、無期転換申込権については、その権利が発生する前に、無期転換申込権を行使しないことを採用条件とすることやあらかじめ無期転換申込権を放棄する旨の意思表示をさせておくことは、公序良俗に反するものとして無効になると考えられています。そのため、たとえ雇用の柔軟性を確保するためであっても、無期転換申込権の行使時期を迎える「前」に手当や賞与の上乗せをもって、無期転換申込権を行使することをあらかじめ制限しておくことはできません。 2 事後的な無期転換申込権の放棄  事前の無期転換申込権の放棄については、無効と考えられていますが、他方で、契約を更新して無期転換申込権が発生した後であれば、これを労働者に放棄させることは可能と考えられています。しかしながら、無期転換申込権も重要な労働条件の一部であるため、その放棄を容易に認めてよいとは考えられておらず、「労働者の自由な意思」による同意が前提になると考えられています。  「労働者の自由な意思」とは、賃金債権の放棄に関する判例における表現として用いられた用語ですが(シンガー・ソーイング・メシーン事件、最高裁昭和48年1月19日判決)、近年では、賃金債権の放棄にかぎらず重要な労働条件の変更も含めて、労働者の自由な意思に基づくものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在していることが必要と判断される傾向にあり、このことは無期転換申込権の放棄についても同様に考えられています。  「労働者の自由な意思」であるかは、労働者自身の同意に関する行為の有無だけではなく、当該変更によりもたらされる労働者の不利益の内容および程度、労働者による当該行為がされるに至った経緯および態様、当該行為に先立つ労働者への情報提供または説明の内容などに照らして判断されると考えられています(山梨県民信用組合事件、最高裁平成28年2月19日判決)。  したがって、無期転換申込権を行使しないことと引き換えに、手当や賞与の上乗せを行うことを検討されているようですが、契約の更新後(無期転換申込権の発生後)にこのような条件を提示してこれに労働者が応じたときに、無期転換申込権を労働者が自由な意思により放棄したと評価されるのかどうかが問題となります。 3 労働者に生じる不利益の判断  労働者に生じる不利益の内容や程度としては、無期転換申込権を行使しないことによって更新されるか否かについて再評価が必要になることで、雇用の安定性という観点からは労働者に不利益があることが主要な点として考えられます。他方で、無期転換申込権を行使せずに次の更新を迎えたときには、あらためて無期転換申込権が発生すると考えられていますので、更新されたときにはあらためて無期転換申込権を行使するかを決定できるという意味では、その期間は限定的ともいえます。  他方で、裁判例においては、不利益の内容や程度だけではなく、その経緯や態様、情報提供または説明の内容といった手続的な側面が重視される傾向があります。上記のような不利益の内容と程度について十分な説明を尽くして、労働者自身がメリットとデメリットを正確に把握して、比較検討した結果として、無期転換申込権を行使せずに放棄するという決断をした場合には、その効力を否定することにはならないと考えられます。  ただし、前述の通り、次回更新までの間の無期転換申込権の行使を制限するにとどまり、有期労働契約の期間満了後に更新した場合には、あらためて無期転換申込権を行使しないことを自由な意思により決断する機会が与えられることになりますので、その範囲は限定的です。有期労働契約の労働条件通知書において契約更新時の考慮要素として、無期転換申込権を行使しないことを合意した場合には更新しないといった条件が付加されるとすれば、そのような無期転換申込権の放棄は、実質的に事前放棄に等しく、不利益の程度は非常に大きくなり、無効と判断される可能性も高いと考えられます。  また、労働契約法第19条が定める雇止めに関する規制が適用されなくなるわけではないので、雇用の流動性を確保するという観点からは無期転換申込権の行使を制限するだけではなく、更新への期待可能性や通常の労働者との社会通念上の同一性といった労働契約法第19条の適用可能性に対する配慮は別途必要になるでしょう。